п»ї 「日本の長期低迷の原因」その2 『視点を磨き、視野を広げる』第43回 | ニュース屋台村

「日本の長期低迷の原因」その2
『視点を磨き、視野を広げる』第43回

6月 22日 2020年 経済

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古川弘介(ふるかわ・こうすけ)

海外勤務が長く、日本を外から眺めることが多かった。帰国後、日本の社会をより深く知りたいと思い読書会を続けている。最近常勤の仕事から離れ、オープン・カレッジに通い始めた。

前回の要約と本稿の狙い

前回は、日本経済の長期低迷の原因を、ICT(情報通信技術)の発達がもたらした「大変革」に乗り遅れたことに求めた。深尾京司一橋大学教授は、その著書『「失われた20年」と日本経済――構造的原因と再生への原動力の解明』において、1995年以降の米国の生産性(全要素生産性:広義の技術進歩)の伸びが、日欧を大きく引き離していることを指摘し、その要因としてICT革命の成功を挙げている。革命と表現されるのは、ICT産業(電子機器製造業、情報通信産業)だけでなく、それ以外の製造業や非製造業を含めて全体の生産性が大きく上昇したからである。ICT投資は、それによって生産が拡大するだけではなく、企業間や企業と消費者間のネットワークの効率化を通じて生産性の上昇を加速させるという相乗効果をもたらすのである。

日本は、1990年代半ばにバブルの後遺症対策に体力を取られICT投資が減少した。その後、投資額は一時的に回復したものの、1997年をピークに停滞しており、大きく伸ばしている米国だけでなくフランスや英国にも差をつけられている。深尾教授は、その要因はICT産業以外の製造業や非製造業などの「ICT利用産業」の投資が伸びていないことにあるとして、日本の無形資産投資の少なさに注目する。無形資産投資とは、将来の生産への支出のうち設備投資以外の投資をいう。例えば、研究開発、デザイン、ソフトウェア、データベース、組織改編、Off-JT(オフ・ザ・ジョブ・トレーニング=職場外研修)などである。日本企業は研究開発投資は欧米先進国比トップレベルだが、組織改編やOff-JTといった企業の経済的競争力を強化する投資が少ないという。そしてその背景に、日米のシステム導入に対する違いがあるという仮説を立てている。すなわち米国では、ソフトウェア導入時に、相対的に安価なパッケージソフト(汎用ソフト)を導入し、企業組織改編や労働者の訓練により、企業側がソフトウェアに対応した。一方、日本企業は、既存業務に合わせた高価なカスタムソフトウェアを導入することが多かった(新たに組織改編や労働者の訓練が不要)というのである。

この点に関しては、総務省が毎年発行している『情報通信白書』においても同様の指摘がされている。白書では、まず日本のICT投資(ソフトウェア投資+ハードウェア投資)は量的に米国に大きな差をつけられているとした上で、日本のソフトウェア投資の「質」にも課題があったとする。すなわち日本は、「SIベンダー」と呼ばれるシステムの開発・運用を一括して請け負う事業者がソフトウェアの開発を請け負う「受託開発型」が88%を占め、パッケージソフトは12%にすぎない。これに対し米国では46%がパッケージソフトだとする(数字は同白書平成30年度版)(*注1)。その構造的要因として、日本におけるSIベンダー(後述)による受託開発の影響が挙げられ、続けて「特に非製造業において業務改革等を伴わないICTの導入が十分な効果を発揮できず、そのことがICT投資を積極的なものにしなかった可能性がある」と分析している。

システムに業務を合わせた米国と、業務に合わせたシステムを求めた日本で投資効果に差が出る。そして効果が十分得られない日本は、ICT投資に慎重になる。そうしたいわば悪循環に陥っているというのだ。そしてその背景には日本独自の受託開発型のICT投資構造があるという。そこで今回は、こうした仮説についてさらに考えてみたいと思う。参考にするのは、プレジデント社が企業向けソフトウェアの世界最大手であるドイツのSAP社日本法人の協力を得て編集した『Why Digital Matters? ――”なぜ”デジタルなのか』(以下本書)と、前述の『情報通信白書(令和元年度版)』(以下白書)である。

ICT革命とデジタルトランスフォーメーション

ICT革命やデジタルトランスフォーメーションとは何か

ICTやデジタルに関してはカタカナ語が氾濫(はんらん)している。かなり自由な使われ方をしているので混乱することも多い。きっちりとした定義があるわけではないようなので、ここではどのような意味で使われているのかを白書及びNTTコミュニケーションズのホームページを参考にして整理した。

ICT(情報通信技術)革命」:インターネットの発達、コンピューターの高性能化・低価格化、通信の大容量化・高速化によって起きた経済と社会の大きな変化をいう。また「デジタル革命」という言葉も同じような意味で使われている。なおICTとは、「コンピューターやネットワーク通信に関連する諸分野における技術・サービスの総称」(Weblio辞書)であり、一般的にITと同じような意味で使われているが、白書ではICTで統一しているのでそれにならった。

「デジタル経済」:ICTを活用した経済の姿。

「デジタライゼーション(デジタル化)」:デジタルテクノロジーを利用して製品やサービスの付加価値を高めること。すなわち現在ある製品やサービスの利便性を高める、あるいはデジタル技術を取り入れて効率化を図ること。

「デジタルトランスフォーメーション(デジタルによる変革:DXと略されることもある)」:デジタルテクノロジーを活用して生活全般、会社の仕組みや事業モデル、あるいは働き方まで含めて変革すること。

本書の主張を一言でいえば、日本企業はまだデジタライゼーションの入り口にいるが、より高次のデジタルトランスフォーメーションを目指すべきだということになるだろう。

なお本書では、デジタルとは「電子化された情報、目に見えない情報」だと定義している。したがってデジタルの対語はアナログではなく、フィジカル(物理的なモノ)だとする。デジタルの特徴は、「速い」=非常に速く動かすことができ伝送速度も速い、「劣化しない」=複製あるいは伝送しても劣化しないのでコピーが簡単にできる、の二つである。この「速く」「劣化しない」という特徴を生かすことを、本書は「ヒトではなく、電子を走らせろ。電子は疲れない」と比喩(ひゆ)的に表現している。

・日本のデジタル化への対応の遅れ

今回の新型コロナウイルス禍で日本の行政のデジタル化の後れが浮き彫りになったが、それは「特別定額給付金(10万円)」で、「電子申請」を謳(うた)いながら「電子を走らせずに人間を走らせている」ことに象徴的に表れているように思う。同給付金のマイナンバーカードを使った電子申請というのは、単なる受付システムにすぎない。受け付けた情報を紙に印刷して、その後の作業はすべて人間が行う。システムという呼び方に惑わされてしまうが、行政事務の流れは全く変わっておらず、デジタルとは対極にあるフィジカルの段階にとどまっている。むしろ書面と併用なので事務負担が増えたはずであり、効率化にさえなっていない。そうして増えた負担は全て自治体の職員にしわ寄せされる。日本の行政職員は優秀で、仕事にも真剣に取り組んでいる人が多いので「人間が走って」なんとか処理しているのだろうが、現場力に頼る従来の手法は、そろそろ限界に来ているようにみえる。

これに対し、欧米先進国では納税情報を利用して短期間で支給可能と報道されている。さらに韓国では、同じように全国民を対象とした「緊急災難支援金」の申請から入金まで「1分」で完結という新聞記事(*注2)を目にして驚いた。クレジットカードのポイントで支給することで迅速処理を可能にしているようで、日本にはなじまないかもしれないが、日本の(申請から支給まで)「1カ月」と韓国の「1分」の間には、大きなデジタル化の格差があることは明らかだ。日本でも行政のデジタル化への関心が盛り上がっているこの機会をとらえて、デジタル化を推進してほしいが、日本は欧米だけではなく韓国や台湾といったアジアの先進国・地域からも大きく後れを取っていると謙虚に反省するところから出発すべきだろう。

こうした行政のデジタル化の遅れが示すのは、日本はデジタルテクノロジー導入による利便性向上や、事務を効率化する「デジタル化」さえ十分に進んでいないということである。目指すべきは、その先にある「デジタルトランスフォーメーション」――業務の流れ全体を見直して人間ではなく電子に仕事をさせること――なのである。そのためには、情報の集約化と情報連携を可能にする情報インフラの整備が前提となる。そしてそれは行政だけではなく、民間企業においても大きな課題となっているのである。本書はそうした日本企業の問題点を指摘して、どう解決すべきかを説明してくれる。

日本の課題

部分最適の日本と全体最適の欧米

日本経済の長期低迷がいわれて久しいが、製造業のモノ作り力は、今でも世界一だと考えている人は多いと思われる。世界の流れに後れを取らないためには、デジタルテクノロジーの活用は必要であるが、それはIoT(モノのインターネット)を取り入れて工場の生産性を図ることだと理解されることが一般的だ。しかし、本書はそれは間違いだという。

製造業の生産プロセスは、下記の工程で構成される。

<前工程(設計、受注、調達)>→<工場(生産)>→<後工程(物流、保守、部品)>

日本企業の強みは中心に位置する工場の現場でのカイゼン活動である。本書では、勤勉で優秀な現場の労働者が、日々発見する不都合をその都度カイゼンすることによって世界に類を見ない最高品質の生産現場を作り上げたと称賛する。その強みは認めつつ、それは「個別最適」の追求にとどまっているという。目指すべきは、前工程と後工程まで「一気通貫」に結びつけた「全体最適」だというのである。

しかしそのためには課題があるという。日本企業は生産や販売などのプロセスが業務ごとに分かれており、部門別にシステムが構築されているケースが多い。各プロセスはそれぞれカイゼン活動を行うが、それは部分最適の追求にすぎない。そこで部門間の調整が必要になってくると、「現場力」でカバーしてなんとか業務を回しているとしている。日本企業の場合、同期入社や出身校の先輩後輩のつながり、あるいは以前同じ部署で一緒に働いたことがあるなどの非公式の人的ネットワークが重層的に形成されており、それらを総動員してカバーしていると思われる。しかしこうした手法では、販売と工場の連携(見積もりの提示など)が必要な時に迅速性に欠け、また事業計画と部門オペレーションの分断(期中に環境が変化しても部門としては自部門の予算さえ達成すればよい)が起きやすくなる。さらに海外工場も増えており、本部での実績把握にタイムラグ(前月分実績を当月末にエクセルで報告など)が生じているはずである。

本書では、こうした部分最適追求型から全体最適追求型に移行するべきだと提言する。全体最適追求型とは、業務プロセス内の処理、及びプロセス間の連携がシステム化されている状態をいう。しかも海外拠点を含めてグローバルに標準化されている。こうした状態があってはじめてデジタル化が効果を生む。工場のIoT導入、クラウドの利用で、全世界が一気通貫で結ばれ、リアルタイムに各業務部門や海外工場の状態が把握できるからである。

本書では、この全体最適型を「インダストリー3.0」と呼んでいる。ドイツが提唱する概念で、第1次産業革命(インダストリー1.0)は機械による工業化、第2次産業革命(インダストリー2.0)は大量生産システムの確立、第3次産業革命(インダストリー3.0)は生産の自動化・効率化によって実現された。そしてその基盤があって初めてデジタルテクノロジーのフル活用が可能になり、「第4次産業革命(インダストリー4.0)」が実現されるのだというのである。これに対して全体最適を実現できていない日本企業の現状は、「インダストリー2.5」だと手厳しい。

こうした状況を、日本企業が理解していないわけではない。しかし、統合システムを導入できないのは各部門が抵抗するからである。現場の反対はエゴだと片付けられない。現状うまく運営している業務をシステムに合わせて根本的に変える理由が見つからないからである。もし業務が回らなかったら困るのは現場の人間だ。本書ではそうした状況を認識しており、現場は必ず反対するので、導入はマネジメントの決断しかないとしている。その通りなのだが、実際マネジメントは判断に苦しむ。現場のことは分かってもシステムのことはよくわからないからだ。そこで断念するか、あるいは折衷案として、パッケージソフト(汎用ソフト)を入れるが、現場の要求をできる限り取り入れてカスタマイズ(自社の事情に合わせた仕様変更)することになる。しかし、本書では、それも避けるべきだとする。理由は以下である。

ソフトウェア導入はオーダーメードではなくパッケージで、かつカスタマイズなし

本書では、デジタル戦略の検討で、「ソフトウェアは極力、自社開発してはいけない」という原則を守るべきだとする。なぜなら開発コストは全額自社負担となるからだ。パッケージソフトであれば、他社と分担するのと同じ効果が得られる。一方自社開発(後述するように日本ではSIベンダーに委託することが一般的)においては、コストは全額自分持ちとなる。したがって、実用に足るパッケージソフトがある場合、それを使うことを考えるべきだとする。さらに、そうしたパッケージソフトの利点を生かすためには極力、カスタマイズを避けるべきだという。

カスタマイズすればするほどコストが跳ね上がり、パッケージソフトの何倍もかかってしまうからである。またパッケージソフトは、環境が変化した場合でも開発会社がバージョンアップしてくれるという利点があるが、導入時のカスタマイズが多いとバージョンアップできない、あるいは大きな追加コストがかかってしまうことになるからだ。

ERPパッケージ

本書で推奨する業務横断型のパッケージソフトは、ERPパッケージと呼ばれる。ERPとは「企業資源計画」と訳されるが、企業全体を経営資源の有効活用の観点から統合的に管理し、経営の効率化を図るための手法をいう。部門間で分断されている基幹系システムを統合して、一つのデータベースで管理するものだ。これによって、基幹系システム同士のデータ連携がリアルタイムで可能となる点が重要である。市販されている一般的なERPシステムでは、生産・販売・購買・在庫・人事・会計といった部門を想定し、データベースの統合によって、販売と工場の連携の迅速化、本部での海外拠点を含めた全部門のリアルタイムの実績把握(経営情報の可視化)、経営判断のための管理会計の強化などが可能になるとしている。さらにクラウドを利用することによって、データ管理の安全性が向上するというメリットもある。

以前は、パッケージソフトは使いにくく、カスタマイズしないと使えないものも多かったという印象がある。しかし本書によると、近年のERPパッケージは大きく改善されているという。またクラウドで提供されることが一般的になりつつあり、インターネット環境があればERPが利用できる。それに伴い初期投資も大幅に抑えられるため、大企業だけではなく中小企業にとっても有用な選択肢となっているとしている。中小企業は、蓄積されるデータの分析と経営意思決定への活用において、大企業と比較して劣位にあるといわれる。しかし、ERPを導入すればデータの一元的収集・管理が可能になる。迅速な経営意思決定が求められるサービス業の中小企業にこそERPが必要だというのが本書の主張である。

・日本のソフトウェア業界の特殊性

本書は、日本のソフトウェア業界の特殊性もパッケージソフト(汎用ソフト)が広がらない要因の一つだとしている。この点については白書も同じ視点で詳しく分析しているので、白書を基に論点を整理しておきたい。

白書ではまず歴史的な経緯として、ICT利用産業では自社の情報システム部門でシステムの開発・運用を行っていたが、1980年代末から1990年代にかけて、自前主義から全面的な外部企業への委託(アウトソーシング)に転換していったとする。その要因として、コスト削減に加えて「情報システム開発はコア業務ではなく自社の本業を重視すべきという考え方が根強かった」ことを挙げている。その結果、ICT利用産業の情報システム部門には情報システムの構築・運用に関わるノウハウやスキルが蓄積されないようになる。そしてこうした動向が、受託開発型中心という日本の特殊なICT投資の姿につながっていったとしている。一方、受託側のICT産業は独自の発展を遂げ、下記のような特徴が形成されていく。

①情報システムの構築・運用を主な業務とするシステムインテグレーターという業態が業界の中心となる。システムインテグレーターは、SIer(エスアイヤー:和製英語)と呼ばれ、国際的には独特の構造をもつ(*注3)。

②特徴は、(ア)企業は情報システム構築をSIerに外部委託する中で、各企業の業務フローや社内文化に合わせてシステムを開発する(イ)企業から一括受注したSIerの下に多重下請け構造(業務量に合わせた人員調整可能)が存在する。

③このようなビジネスモデルでは、システムの質ではなく、何人がどのくらい時間をかけてシステムを構築したかで料金が設定される「人月商売」と呼ばれる労働集約的な産業となっている。そのため情報システムに関する日本企業の国際競争力が削がれている。

本書では、日本と違って欧米のソフトウェア業界は「一度作ったものを多くの企業に売ることでコストを回収する」というパッケージソフトの事業モデルが主流であるとする。日本企業はSIerにスクラッチ開発(オーダーメード)させるか、もしくはパッケージソフトをベースに大幅にカスタマイズさせているとする。だからコストが高くなってしまっているというのである。

なお、SIerは大企業だけではなく官公庁のシステムに強い。ちなみに、マイナンバー制度のシステム構築は、日本を代表するSIerのコンソーシアムが受注している。中核システムの「情報提供ネットワークシステム」(123億円、内閣府)と「番号生成システム」(69億円、総務省)をNTTコミュニケーションズ、NTTデータ、富士通、NEC、日立製作所から成るコンソーシアムが、ともに単独入札で受注している。こうした官庁関連ビジネスが日本のSIerを支えている面があるが、そうした電電ファミリー以来のぬるま湯体質が国際的な競争力を失った原因だという批判もある。

本書が指摘するもう一つの日本の特殊性は、情報システム人材の偏在である。日本企業は社内にICT人材(SEなど)の数が少なく、外部企業(SIerなど)を主に活用しているという(3/4が外部企業に所属)。一方欧米企業は、ICTのプロ人材を社員として大量に直接雇用している(3/4が自社所属)のが一般的だという。雇用形態が違うという背景があると断りつつ、こうした偏在はカスタマイズ抑制モチベーションの違いを生むとする。例えば、米国ではERP導入担当者のKPI(評価指数)は「ERPプロジェクトを期間内、予算内に収めること」である。したがって、カスタマイズ要望は極力抑える。一方、日本では、SIベンダーのKPIは全く逆で、カスタマイズが増えるほど自社の売り上げが増えることになる。本書は続けて、ICTエンジニアの(正)社員化を訴える。経営者はICTエンジニアを右腕として雇うことで、現場からの反対を押さえつつデジタル化を進めることができるというのである。

むすび

1970年代から90年代初めごろまでの日本企業は輝いていた。最大の強みはモノ作りの現場である工場にあり、垂直統合型大量生産システムを確立してインダストリー2.0の先頭を走っていた。工場では、コンピューターを導入した生産の自動化・効率化にもいち早く取り組んでいたし、ICT産業においては前述のNEC、富士通、日立製作所をはじめとして世界のトップクラスの企業を生み出していた。その後、バブル崩壊があったとはいえ、日本経済はなぜかくも長きにわたって低迷が続いているのか。前回の深尾教授と本書の答えは、ICT革命が不発に終わり「大変革」が起こせなかったというものだ。ICT革命が起きなかった理由は、インダストリー2.0の成功要因であった日本型経済モデル――メンバーシップ型雇用(終身雇用、年功序列)、企業系列、官僚統制など――が、インダストリー3.0、あるいはインダストリー4.0への移行の制約要因となったからだ。インダストリー2.0に最適化しすぎて自己変革ができなくなってしまったのだ。

「失われた30年」の間にこうした制約要因は影響力を弱めたが、依然メンバーシップ型雇用が、企業の退出と参入による新陳代謝を押し止め、ICT投資や無形資産投資の立ち遅れにつながっていると考えられる。したがって深尾教授の提言にあるように、労働市場の弾力化の前提として、労働市場におけるセーフティネット整備や正規・非正規労働者間の不公正な格差の縮小を急ぐべきだと考える。なぜならデジタルトランスフォーメーションは、人間の労働を大きく変える可能性があるので負のインパクトを軽減するセーフティネットなどの備えは不可欠であるからだ。

さらにいえば、デジタルトランスフォーメーションは、人間に幸福をもたらすかどうかはまだよくわからない。格差を一層拡大してしまうかもしれないという懸念もあるだろう。しかしデジタルトランスフォーメーションという世界的な潮流に正面から向き合っていかなければ、日本は現在の豊かで安定した社会の維持が次第に困難になっていくと危惧している。また今回のコロナ禍対策で、日本のデジタル化への対応の遅れが露呈したことを考えれば、現状に深刻にならざるを得ない。ただ、幸いにも課題は見えたし、希望(例えばリモートワークが働き方改革を促進)の兆しもある。国民のかなりの層にそうした認識が共有されている今こそ、「大変革」へのチャンスではないだろうか。

<参考図書>

『Why Digital Matters? ――”なぜ”デジタルなのか』(プレジデント経営企画研究会編 プレジデント社 2018年12月)

『情報通信白書(令和元年度版)』総務省(同省ホームページからPDF版ダウンロード可能)

(*注1)白書の令和元年度版では、米国のみ自社開発も含めた数字を掲載している。それによると自社開発37%、受託開発34%、パッケージ29%(2016年)と自社開発が最も多い。米国ではシステム要員を自社内で抱えて自社開発を行うのは、システムはコア業務だと考えていることを示している。ただし白書は、日本では自社開発を含めた数字はないとしている。

(*注2)2020年5月28日付朝日新聞

(*注3)SIerには、メインフレームのメーカー系(日立製作所、NEC、富士通など)、大企業の情報システム子会社から発展した会社(NTTデータ、野村総合研究所、SCSKなど)、外資系(日本IBM、ユニシスなど)、独立系(オービック、富士ソフトなど)がある。

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