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地球上の生命の歴史を紐解く鍵になる?発見(上)
『時事英語―ご存知でしたか?世界ではこんなことが話題』第37回

5月 20日 2019年 文化

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SurroundedByDike(サラウンディッド・バイ・ダイク)

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今回は米誌ザ・ニューヨーカー(4月8日)の記事「The day the dinosaurs died(恐竜が死んだ日)」を紹介します。筆者はアメリカ自然史博物館のライター兼編集者のダグラス・プレストン氏で、前文(リード)には「ひとりの若手古生物学者が、地球上の生命の歴史で最も重要な出来事の痕跡を発見した可能性がある」と書かれています。この種のテーマはおよそ門外漢の私ですが、話の内容が衝撃的で興味を持ち、つい引き込まれてしまった形です。

本稿の内容は、今回ご紹介する本文以外に、記事の主役とされる人物のイメージが描かれている部分があります。映画に登場しそうなキャラクターに描かれていて面白いのですが、記事としての分量の問題もあり、あえて省き、発掘・発見の事実になるべく限定して訳出しています。

恐竜が隕石(いんせき)衝突で滅びたという話は時折接するのですが、それが実際どういうことなのか少しは理解できたつもりになっています。この記事の内容が本当なら、その説に根拠を与えることになるはずです。今後、この万年博士課程在籍の主人公、デパールマ氏の発掘、研究がどのように評価、結論づけられるのか、素人なりに大いに気になるところです。

主人公の言うとおりであれば、この地球にそれまで生息していた生命のほとんどを滅ぼし、我々人類を含めたあらゆる生物、植物の今をつくりだしたのがたった一日の巨大隕石衝突という出来事であったというのは、本当にすごいとしか言いようがありません。KT層、3メートル問題、セイシュ、テクタイト、白亜紀、古第三紀など、頻繁に出てくる用語を正しく踏まえていただければスムーズにわかりやすく読んでいただけると思います。

科学技術の無限の進展が、はるか古代の自然界の出来事をたぐり寄せ、凡庸人も興奮させてしまいます。多くの分野でコンピューターを使うアルゴリズムも顕著に貢献しているようです。こうなると、年を取ったからと言って簡単には死ねません。明日、明後日も新しい何かが発見されるのです。

原文記事(本稿末尾にリンク先を明示)には興味深い写真も何枚か掲載されており、ぜひご覧いただくようおすすめします。なお、原文記事はかなりの長文にわたるため、今回から上、中、下の計3回に分けて紹介します(以下、抄訳)。

巨大隕石の衝突は広島原爆の10億倍のエネルギー放出

およそ6600万年前のある日、北米のとある場所の夕方、空を見あげ、輝くひとつ星を見ていたとしよう。そして、たまたまそれを1~2時間の間ずっと見続けていたら、ほとんど動かないものの、だんだん明るくなってくるのが分かったはずだ。実は、それは星ではなく小惑星で、時速約7万2千キロの速さでまっすぐ地球に向かっていたのだ。そして60時間後、地球に激突するのである。その小惑星(巨大隕石)が地球への飛行の際にはその行く手前方の大気を圧迫、極度の高温に熱してそれを貫通し、超音速の衝撃波をもたらした。その惑星はこんにちのユカタン半島(メキシコ湾とカリブ海との間に突き出ている半島)の浅い海域に落ちたのだ。その瞬間、白亜紀が終わって古第三紀が始まったのである。

数年前、米ロスアラモス国立研究所は「Qマシン」と呼ばれた当時世界最速機種の一つであった強力なコンピューターを使い、その衝撃の効果を再現しようとした。その結果、秒単位で変化していくスローモーションで現象を部分ごとに温度別に着色した画像としてとらえた。地球到達の2分以内に、少なくとも幅9.6キロに及ぶ小惑星は地球に約29キロの深さのくぼみをえぐり、大気中に25兆トンの破片を舞い上げた。それは小石が池に落ちて水しぶきを上げるさまに似ているのであるが、その規模はまさに天文学的スケールである。(抄訳続く)

地殻は反動でエベレストを越える高さまで隆起

地球の地穀の先端が衝撃の反動で瞬間、エベレストを超える高さにまで隆起した。放出されたエネルギーは広島の原爆の10億倍に相当したが、きのこ雲を伴う核爆発とは様相が全く異なるものであった。最初の衝撃は巨大な溶解物質を噴射し、「雄鶏のしっぽ」のような形状のものをつくりだした。それは大気圏を脱し、一部は北米大陸まで飛ばされた。その物質の大部分は太陽の表面温度の何倍もの高温に熱せられ、半径1600キロ以内のすべてのものに火をつけた。さらに、液状化し逆円錐(えんすい)形になった「テクタイト」と呼ばれる超高温の岩石が赤熱色の無数のガラス物質のしずくとなって放出され、西半球を覆って降り注いだのである。

それら放出物の一部は地球の引力を逃れて脱出し、太陽を不規則な軌道で回った。何百年もの間にわたって、太陽系の月および他の惑星に向かった。火星はやがてそれら破片物によって砕かれる。――古代隕石の衝突により舞い上げられた火星の一部がまさに地球上に発見されている(事実と符合する)のである。

天体生物学専門誌アストロ・バイオロジー2013年版に掲載された研究結果によると、土星の月であるタイタン、木星の軌道衛星であるユーロパ、カリストという、科学者が生命体存在の有力な可能性を秘めていると信じる三つの衛星に何万キログラムもの量で降り注いだと推察している。数学モデルの分析によれば、さまよい続けた破片物の少なくとも一部において生命を有する微生物を擁していることが分かっている。すなわち、巨大隕石(小惑星)は地球上の生命体を破滅させた一方、太陽系に広く生命の種をまいた可能性がある。(抄訳続く)

世界中の森林面積の70%が焼き尽くされる

巨大隕石(惑星)は衝突の衝撃によって蒸発した。そしてその物質は気化した地球の岩石と混ざって火柱となり、白熱化した灰状の柱にぶつかって止まるまで、月に向かう途中まで届いた。コンピューターモデルでの試算によると、隕石の落下地点から上空2400キロ以内の大気は破片物のあらしに見舞われ、赤熱状態となり、超巨大な森林火災を発生させたのであった。

また地球の自転に伴い、空中に放出された破片物質は地球の反対側に集められ、インド亜大陸全域に落下して引火した。最終的に地球を覆った灰とすすの層を計測した結果、隕石衝突によって世界中の森林面積の実に70%が焼き尽くされたであろうことが判明している。

隕石衝突が地球に与えた被害のコンピューター上での分析は始まったばかりであるが、これまでに分かった内容は総じて衝撃的である。火災によるちりとすすは何カ月もの間、さもなくば地球に注いだであろう太陽光を全て遮(さえぎ)り、光合成の発生はほとんど止まり、大半の植物は枯れ、海中の植物プランクトンは滅び、大気中の酸素量が低下したのである。

火災が鎮静化したのち、地球は寒冷期、というよりおそらく深い氷河期にまでさえ陥った。地球の二つの重要な食物連鎖提供の場である海洋と地面が崩壊したのだ。全生物の約75%が滅亡した。地球上のあらゆる有機生命体の99.999%が死滅した。そして四つの元素が生態圏において循環し、生物体を構成するもののうち炭素循環が機能停止した。(抄訳続く)

恐竜絶滅をめぐるKT境界層とその下の地層の謎

地球自身が有毒物質と化したのである。隕石衝突の結果、何層もの石灰岩を気化させ1兆トンもの二酸化炭素を大気中に発散し、百億トンものメタンガスと十億トンの一酸化炭素を吐き出した。これら三つの物質は強力な温室効果ガスである。また衝撃は無水石膏岩(せっこうがん)を気化させ、10兆トンの硫化物を大気中に吹き上げた。硫黄は水と化合して硫酸となり、生存するいかなる植物の葉をも奪ってしまい、かつ土壌の養分を吸い上げてしまうほど強力な酸性雨として降り注いだのだ。

こんにち、隕石衝突によって堆積した降下物、灰そしてすすは手帳ほどの厚さの黒い縞(しま)の地中沈殿物として残されている。これは地層の白亜紀と第三紀(Tertiary)とを区分するマーキングなので、「KT境界線」と呼ばれる(第三紀はPaleogene〈古第三紀〉とその後、定義し直されたがKTの名称〈注1〉はそのまま残った)。KT境界層を挟んで、上と下には謎が多く存在している。白亜紀後半において、広範に存在した火山が大量のガスとほこり、および我々が現在吸い込んでいるよりはるかに高濃度の二酸化炭素を含んだ空気を大気中に吐き出していた。(注1=「K」は正確にはCretaceusの頭文字である「C」と表されるべきところ、発音上ではKretakeusなので、頻繁に間違った頭文字の表記が一般化しているものと訳者は考えている)

気候は亜熱帯で地球にはおそらく全く氷が存在しなかった。しかし、科学者たちにとってその時代に生息していた動物・植物についてはほとんど何も分かっていない。だから彼らはそのKT境界層にできる限り近づいて化石の堆積物を探し続けてきたのである。古生物学上での主要な謎の一つがいわゆる「3メートル問題」である。過去一世紀半に及ぶ根気強い探索にもかかわらず、3メートルの地層、すなわち何千年にも及ぶ時の経過の厚みを表す、KT境界層の下にある約9フィート(約3メートル)の地層には恐竜の痕跡がほとんど発見されていないのだ。

したがって、多くの古生物学者たちは、隕石衝突の時点よりもはるか以前から、おそらく火山噴火と気候変動によって絶滅の途上にあったのだと論じてきたのである。また他の科学者たちによると3メートル問題は単に化石を見つける難しさを物語っているだけで、遅かれ早かれ絶滅期にうんと近い地層で恐竜化石が見つかるだろうと主張している。

KT境界層に閉じ込められているのは、地球上の生命の歴史にとって最も重要な出来事の一つについての疑問を解明するものである。多くの生物学者がそうするように地球を一つの生きた有機体と見なすなら、それは弾丸を撃ち込まれて瀕死(ひんし)状態に陥ったと言えるであろう破壊の日に何が起きたかを解き明かすことは3メートル問題を解くだけでなく、我々人類の種(しゅ)としての起源を説明するためにも決定的に重要である。(抄訳続く)

デパールマ氏との出会い

2013年8月5日、私はロバート・デパールマと名乗る大学院生からeメールを受け取った。それまで直接会ったことはなかったが、彼はKT衝撃で死んだティラノサウルスの化石発見を題材に描いた私の小説を読んで以来、何年にもわたって古生物学の話題について音信を交わしてきた。彼はノースダコタ州ボウマンのトラック専用ドライブインからメールを送り、「信じられない前代未聞の発見をした」と言ってきた。「その発見はきわめて極秘の情報であり、自分以外には親しい同僚3人が知っているだけだ」「それは単なる恐竜発見などよりもはるかに特別で希少なのだ。このeメールでこれ以上詳しいことを述べるのはできれば避けたいのですが」と、続けた。そして彼は携帯電話番号とコンタクトの希望時間帯を記した。

電話を返した結果、彼は私がまさに小説の中で想定したような発掘場所を見つけたと言う。そしてその場所は、何はさておき超天変地異によって直接犠性になった生物を埋蔵していると言う。最初、私は半信半疑だった。カンザス大学の博士課程の学生の身分で科学者としては誰にも認知されておらず、特定の組織の支援も共同作業者もなく場所を見つけたというのである。彼は事柄を誇張しているのか、あるいは単に頭がおかしいだけではないかと疑った(実際、古生物学の世界には世間一般で見かけるよりも変人が多い)。

そうは言っても、自分の目で確かめるべくノースダコタに向かう飛行機に乗ってしまうに十分な興味はそそられたのである。デパールマ氏が発見したのはノースダコタ、サウスダコタ、モンタナそしてワイオミングの各州の一部地域に露呈している地層に存在する「ヘルクリーク構造」の中に見られたものであり、それは世界で最も話題にされる恐竜の化石生息地層のことである。

ヘルクリークの環境は隕石衝突時点において、多湿亜熱帯の低地と陸に入り込んだ湾の海岸線により構成されていた。当該の地は豊富な生命体に恵まれ、季節的に起きる洪水ならびに死んだ動物や植物を素早く地中に埋めてしまう、蛇行して流れる川のおかげで化石を残す条件が優れていたのである。(抄訳続く)

隕石落下による恐竜絶滅説の登場

ヘルクリーク形成は白亜紀、古第三紀の両方にまたがって起き、古生物学者たちはすでに50年前から、(恐竜の滅亡が)その間に生じたことを知っている。その理由は、恐竜の化石がKT地層の下には見られるがその上では決して見つかっていないからだ。この事実はヘルクリークに限ったことでなく世界中の地層において言えることだ。永年にわたり科学者たちはKT滅亡が謎ではないと信じてきた。何百年もの間続いた火山噴火、気候変動やほかの事象が多くの生命体を徐々に滅ぼしたのだと。

しかし、1970年代後半に米国の若い地質学者、ウォールター・アルバレス氏とその父親で核物理学者のルイス・アルバレス氏はKT層がおびただしい量の、希少金属であるイリジウムによりふちどられていることを発見し、それが隕石落下による粉塵(ふんじん)まみれの残留物であろうとの仮説を立てた。2人は1980年に発行されたサイエンス誌の記事の中で、衝撃があまりに激しかったため大規模な死滅を引き起こし、KT層がその際の名残を示すものだろうと推定した。ほとんどの古生物学者は、突然降りかかった宇宙からのゴミとのランダムな遭遇によって地球上の生命の進化プロセスが激しく変えられてしまったとするこの説を拒絶した。

しかし、年を追うごとに関連の証拠が積み上がり、1991年の研究論文において、ついに決定的論拠が示された。ユカタン半島の何千フィートもの沈殿層の下に埋まる、推定年代、規模および地球化学的成分からみて、世界的規模の地殻変動を生じさせた隕石衝突によりできたクレーターと考えられるものを発見したのである。そのクレーターと隕石は落下地点の中心に近い小さなマヤ集落の町の名にちなんでChicxlub (チクシュルーブ)と名付けられた。

1991年に発表された論文の執筆者の1人、デビット・クリング氏は衝突の破壊のすごさを知って、脅威を与える隕石の事前発見とその被害抑制のための仕組みを作る必要を説く先導者となった。「これは起きるかどうかを議論する性格の話ではない。チクシュルーブ規模の隕石は我々がそれをはねのけない限りいずれ再び地球を襲うのだ。300メートルほどの大きさの岩であっても地球上の農業を終わらせてしまうことだろう」と彼は述べた。(抄訳続く)

隕石説に反対するインドデカン地方の火山噴火説

2010年、科学の様々な分野の41人の研究者たちがサイエンス誌の画期的な記事において、「論争は決着した。巨大な隕石が生命体を消滅させたことは間違いないと考えられる」と発表した。

しかし、この考えに反対する側も激しく主張を展開する。彼らが反対して掲げる主な仮説は、現在のインドになっている「デカン地方」に起きた、とてつもなく巨大な火山噴火が地球の気候変動を起こすに十分な硫黄と二酸化炭素を大気中に吐き出したとするものだ。

それはKT衝撃よりも前に始まりその後も続いた地球史上最大規模の噴火とされ、何十万年もやむことなく約50万平方マイル(約80万平方キロメートル)の広さにわたって、およそ1.6キロメートルの深さの溶岩を積もらせた。KT層の下にある3メートルギャップに関しては、 反対派は、隕石衝突時までに集団滅亡がすでにずいぶん進行していた証拠なのだとしている。(抄訳続く)

ノースダコタ州のヘルクリーク構造における世紀の発見

2004年、当時まだ22歳の古生物学専攻の学部学生だったデパールマ氏はヘルクリークの小さい面積の発掘を始めた。その場所は、かつて沼池だったところでその堆積物は薄い沈殿層によってできていた。

一つの地層は普通、何千年あるいは何百年単位の時の経過をあらわすものだ。しかし、デパールマ氏は各堆積層が一つ一つの暴風雨によって残されたものであることを説明することができた。彼は私に「木々が芽を出しているからどの季節に起きたことなのかがわかる。糸杉が針状の葉を落としているならそれは秋だと分かる。我々は衝突が起きた際の様子をいわばリアルタイムで経験できる」と説明した。それらの断層を見ることで、堆積物ごとに各数十年間におよぶ生物とその生態環境を描く、まるで古代生物学史教科書のページをめくるような経験ができるのだ。デパールマ氏の助言者、故ラリー・マーチン氏は彼にKT境界層に似た地層を持つ他の発掘候補地を見つけるよう促した。

現在、デパールマ氏は37歳になるが、まだ博士号取得を目指している。彼は、設立後日が浅く、展示スペースも限られ、苦況にあえぐパームビーチ自然史博物館で古代脊椎(せきつい)動物の塊集(しゅうしゅう)を担当する無給の学芸員である。彼は2012年、発掘候補地としての新たな沼地跡を探していたところ、とある個人の化石コレクターがノースダコタ州ボウマン近くにある牛の放牧場で珍しい場所に出くわしたことを聞いた。

デパールマ氏は最初失望した。彼はそれが以前に発掘したのと同じような現場を期待していたのだ。すなわち、古代の沼地で、いろんな季節と多くの年数にわたる細かい土壌の、化石を含んだ地層を見たかったのだ。そうではなく、すべての混入物が一度の洪水によって堆積していたのである。

しかし、デパールマ氏は化石を触ってみて可能性を感じた。洪水がすべての生命体を直ちに地層に閉じ込めたので、化石標本は素晴らしい状態で保存されていたのだ。彼はこれまでにヘルクリークではめったに見られなかった、完全な姿の魚を多く発見し、丹念に作業をすればそれらを損傷することなく取り出すことができると考えた。

翌年の12月、デパールマ氏は予備発掘を行うためその現場を再度訪れた。「作業開始後ほとんどすぐにただごとではないことが分かった」と言う。彼は、魚の化石を見つけた場所のすぐ上の地層の土をショベルで取り除き始めた。「表土」は普通、化石となった元の生物の生息期間のあと長い年月をかけて堆積したものである。したがって、その中に含まれる内容物は古生物学者から何ら興味を引くことはなく、通常捨てられてしまう。

だが、彼は掘り始めてまもなく灰色がかった白い斑点(はんてん)を地層の中に目撃したのである。それは砂の粒のように見えたが、拡大レンズで確認すると、小さい球状というか水滴のような楕円形をしていることがわかった。(以下次回に続く)

※今回紹介した英文記事へのリンク

https://www.newyorker.com/magazine/2019/04/08/the-day-the-dinosaurs-died

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