п»ї 「政治を語る」を抑える空気、なぜ広がる? 『山田厚史の地球は丸くない』第136回 | ニュース屋台村

「政治を語る」を抑える空気、なぜ広がる?
『山田厚史の地球は丸くない』第136回

4月 05日 2019年 経済

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山田厚史(やまだ・あつし)

ジャーナリスト。元朝日新聞編集委員。「ニュース屋台村」編集主幹。

「政治問題」に絡む学生の発言を巡り秋田公立美術大学で、ちょっと考えさせられる「事件」が起きた。今春の卒業生代表が謝辞の中で、秋田に配備される米国の陸上配備型迎撃ミサイルシステム「イージス・アショア」に触れようとした。事前に知った学生部長が電話をかけ、「デリケートな問題」と翻意を促し、この部分があいさつからバッサリ削られた、という。

生徒指導は命令ではない

 今の大学なら、ありそう話と思った。朝日新聞が4月3日付の朝刊で次のように報じている。

卒業生代表として謝辞を述べる女子学生(22)は原稿を作成。「常設型迎撃ミサイル基地の配備計画が持ち上がるなど、在学中に地域住民や大学関係者にとって重要な問題が起こったことも事実。新屋(あらや)という場所に暮らし、学ぶ学生にとって、こうした問題は決して無視できません」「学生および地域の皆様が平和な生活を過ごせるよう願っています」と記した。配備計画の賛否に触れず、「考えることが大切という思いを込めたかった」と言う。大学側は「デリケートな部分がある」と伝えたことは認めつつ、「削除してほしいとは伝えていない。本人の判断」と削除の要請を否定。学生課長は大学側に「住民や学生の中に色々な思いがあり、卒業生代表として意見を発信されることに躊躇(ちゅうちょ)した」と話した、という。

「イージス・アショア、配備反対」と卒業式で高らかに叫ぶのなら、「全体を代表する謝辞としていかがなものか」という意見があるかもしれない。文面を見る限り「配備計画が持ち上がった」「学生にとって無視できない」と問題提起をしているだけだ。

作成した学生は文書を大学事務局にメールで送った。内容をチェックしてもらうためではなく、式典で読み上げる紙に印刷するためだった。夜になって、学生課長から電話があった。「カットできないか」。理由を聞くと、「政治的でデリケートな問題」と言う。「上と相談して決めるが、考えてほしい」と言われた。1時間ほど考え、「勉強不足、伝える技術不足かもしれない」とも思い、該当部分の削除を申し出たと、この学生は言っているという。

思い浮かぶのは、中学や高校の生徒指導の先生だ。「未熟な子供たち」を善導しようと言動に目を光らせるセンセイ。でも、まともな学校なら「上と相談して決めるが、考えてほしい」などとは言わない。生徒指導は命令ではない。考えるヒントを与え、自分なりの回答を導き出すのを助けるのが教師の役割ではないか。

上と相談して、何を決めるのか。学長を煩わせることなく、自発的に取り下げなさい、と言っているのに等しい。これが卒業する22歳の大人への対応なのか。

イージス・アショアの配備には、いろんな議論がある。北朝鮮からミサイルが飛んでくるかもしれないから必要だという意見。命中するか分からない迎撃システムなど無駄使い、探索用レーザーの電磁波が危ない、と言う人もいる。

「大人の判断」は「意見を言うな」

秋田公立美大はイージス・アショアが配備される陸上自衛隊新屋演習場と同じ地区にある。住民の多くは不安に思い、反対だ。大学に通う学生も無関心ではいられない。

賛否を論じることに、なぜ大学は待ったをかけるのか。

霜鳥秋則学長は「表現の自由があり、どうしても言いたいことにストップをかけることはない。だが、色々な意見があることについては慎重に考えた方がいい。(学生は)大人の判断をしたのだと思う」と述べたという。

「いろいろな意見」があるのだから「学生は意見を言うな」と言っているように聞こえる。学生が意見を述べるのも「いろいろな意見の一つ」とは考えていないようだ。

学長は「政治的な話に学生は口を出すな」という趣旨を婉曲に語り、削除した学生の行動を「それでヨシ」としている。これでよかったと思ってるようだ。

自ら考え、表現する人間を育てる大学が、卒業する学生に「意見を言うな」と指導しているようなものである。意見が分かれる問題で、どちらかに付くと、対立に巻き込まれ、面倒なことになる、だからやめておいた方がいい。そんな処世術がもっともらしく語られる。宗教と政治の話には加わらないのが得策、などと言われる。

日本人の思考停止を招くもの

そうやって「政治」から遠ざかることが、日本人の思考停止を招いているのではないか。意見を言えない、議論を避ける、考えない、意見が言えない――という悪循環。

「みんなの考えを聞く」という一見よさそうな判断が、自分で考えることを避ける主体性のない態度につながっている。それが今の日本ではないか。

声を上げなければ権力者の意に従う、ということになる。

イージス・アショアで意見を言わなければ、トランプから押し売りされた迎撃ミサイルシステムを地元に押し付けられることを「黙認」することになる。それを「大人の態度」と評価する人物が公立大学の学長になっている。

都合がいい人を要職につけるのは権力者にとってイロハのイだが、都合のいい教師や学生を量産することは、「国家百年の計」に叶(かな)っているのだろうか。

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