п»ї 手ごわい「リスキリング」と「アンラーン」 『四方八方異論の矛先-屋台村軒先余聞』第4回 | ニュース屋台村

手ごわい「リスキリング」と「アンラーン」
『四方八方異論の矛先-屋台村軒先余聞』第4回

3月 01日 2023年 社会

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元記者M(もときしゃ・エム)

元新聞社勤務。南米と東南アジアに駐在歴13年余。座右の銘は「壮志凌雲」。新型コロナ禍に伴う約3年の在宅勤務を経て、2023年1月に定年退職。現在の日課は3年以上続けている15キロ前後のウォーキング。いまのところ、歩くのが三度の飯とほぼ同じくらい好き。歩きながら四季の移ろいを体感しつつ、沿道の草木を撮影して「ニュース屋台村」のフェイスブックに載せている。

「キッシー」「スガチャン」「アベチャン」「アッソー」……。わが家族の専用のLINEには時折、歴代の首相の名前がこんな呼び名で登場する。愛称というより、明らかに侮蔑(ぶべつ)した言い方で、その先鞭(せんべん)をつけたのは、毎回最初に書く私である。いまだにスマホは持たず、愛用している4G機能付きのガラケーでもLINEは使えるが、いつも自宅備え付けのノートパソコンで打ち込んでいる。ほぼ毎日何かしら書いているが、自宅にいる時しか見ないし、見られない。そのせいもあって、毎日概ね朝方、新聞2紙とネットニュースをチェックした私の一方的な思いの吐露や主張に終わることが多く、ほかの3人からは「既読」のマークは付いても、私が提示した話題に乗ってくることはまずない。ところが最近、「リスキリング」と「アンラーン」について書いたところ、産休中だった長女が即座に鋭く反応し、久しぶりにやりとりが盛り上がった。

◆「学び直し」と「学びほぐす」

私がその日の家族のLINEに話題として「リスキリング」と「アンラーン」を取り上げたのは、朝日新聞2月8日付朝刊の記者コラム「多事奏論」で、くらし報道部・科学みらい部の岡崎明子次長が書いた「大江千里さんに聞く中高年リスキリング 学びほぐしでごっそり捨てる」という一文を読んだのがきっかけである。

大江の著書『9番目の音を探して―47歳からのニューヨークジャズ留学』(KADOKAWA、2015年4月)によると、ミュージシャンの大江千里(62)は47歳のときジャズを学び直すために、日本で築き上げたキャリアもモノも人間関係も断ち切り、単身米ニューヨークに渡った。その決断に至った心境とニューヨークでの体験を大江にインタビューし、自らが編集長を務める医療サイト「朝日新聞アピタル」で記事にまとめた岡崎が、デジタル化が進むにつれ、新聞記者も「デジタルで読まれる記事の書き方」のリスキリングを迫られている自身に重ね合わせながら、改めてコラムに綴(つづ)ったものである。

図書館で借りてきて読んだ大江の著書は面白くなかったが、岡崎のコラムの中に登場する「リスキリング」と「アンラーン」という二つの単語が気になった。

「リスキリング」(学び直し)という言葉は去年の流行語大賞の候補に挙げられていたことは知っていたが、恥ずかしながら、「産休・育休中」という絡みで最近新聞にたびたび批判的に取り上げられるまで、私は「リスクキリング」(危険の除去?とも言うべきか)という怪しげな自作の造語と勘違いするほど、ほとんど理解してこなかった。

「アンラーン」にいたっては、岡崎のコラムで初めて知った。「これまで学んできた知識や常識を手放すこと」であり、コラムによると、哲学者の鶴見俊輔が「学びほぐす」と訳したそうだ。鶴見は米ハーバード大に留学中、あのヘレン・ケラーに偶然出くわし、自己紹介すると「私は大学でたくさんのことを学んだが、その後、たくさんのことをアンラーンしなければならなかった」と言われたという。それを聞いた鶴見は「型通りにセーターを編んだ後、ほどいて毛糸に戻し、自分の体に合わせて編み直す」という情景が思い浮かんだそうだ。「学びほぐす」。まさに適訳だと、合点がいった。

◆「キッシーはまるでわかっていない」

リスキリングという言葉が最近マスコミで頻繁に登場するきっかけになったのは、1月27日の参院代表質問での自民党議員と、「キッシー」こと岸田首相のやりとりである。自民党の大家敏志議員は「育休・産休の期間に、リスキリングによって一定のスキルを身につけたり、学位を取ったりする方々を支援できれば、逆にキャリアアップが可能になることも考えられる」と述べたうえで、育休中のリスキリングをする企業に対して国の支援を検討するよう求めた。これに対して岸田首相は「育児中など様々な状況にあっても、主体的に学び直しに取り組む方々を後押ししていく」と応じた。

そのやりとりに対して、にわかにわき上がったのが「育休は『休み』なのか」という子育て世帯からの猛反発の大合唱である。

リスキリングや、一度仕事を辞めて大学などに通う「リカレント教育」は1990年代から注目され、政府も後押ししてきた。先駆的な企業の中にはすでに、社員のリスキリングを担当する部署を設けているところもある。岸田首相は昨年10月に国会で、リスキリング支援のため、1兆円を投入すると表明。昇進、転職、資格取得などをめざす40代前後のビジネスパーソンから、仕事をリタイアした人、子育てなどが一段落した人などが対象で、社員が業務時間に学校に通い、人工知能(AI)などの技術を学んだりできるようにした企業に対し、政府は社員1人あたり最大で年間500万円を助成する支援制度を始めている。ところが、岸田首相は先の代表質問の答弁で、その支援対象に「育休・産休中の人」まで盛って言及してしまったことから、話がややこしくなった。

「育休は『休暇中』ではない」「(育休中にリスキリングをしていたら)ママの負担が増えるだけ」「子育てと格闘している時にできるわけがない」「赤ちゃんを育てるのは、普通の仕事よりはるかに大変。子育てをしてこなかった政治家が言いそうなこと」……。さまざまな批判が新聞やネット上で相次いだ。当事者の一人でもある産休中だった長女が、私が家族のLINEに振ったリスキリングの話題に対し、同じ文脈で「キッシーはまるでわかっていない」と、即座に書き込んできたのも当然だろう。

リスキリングの助成対象は専業主婦や非正規雇用、アルバイトの人などにこそ必要だと思うが、育休・産休中の人たちには、好むと好まざるにかかわらず、体力的にも時間的にもリスキリングはどだい無理な話である。

◆産休・育休中の女性の大変さ 初めて知る

なぜ、確信をもって断定的にそう言えるのか。

長女は2月15日に無事、第3子となる男児を出産した。産休に入る去年12月末まで、上の2人の男の子を近くの保育園に通わせながら、夫婦で共働きしていた。上の子2人を希望する最寄りの同じ保育園に入れるのにもさまざまな条件や制約があり、それらをクリアするために育休を早めに切り上げて職場復帰した経緯がある。長女のようなケースは決して例外ではなく、むしろ「働くママ」の典型的な例の一つであろう。

私は長女が生まれた時、地方支局から東京社会部に上がってきたばかりの駆け出しで、警視庁詰めの記者として「昭和天皇崩御」という歴史的一大事を警衛・警備面からの取材に追われ、妻の出産には立ち会えなかった。都内新宿区の病院で実際に母子と面会したのは、出産の2日後だった。出産後も家事や育児は妻やそのために上京してきた私の母に任せっきりで、会社や記者クラブに泊まり込みで取材に駆けずり回っていた。当時は、家庭を顧みず仕事に没頭している記者の姿が「かっこいい」とされるような時代でもあった。

産休・育休中の女性の大変さは恥ずかしながら、妻の出産を通じては理解していなかった。それが図らずも、妻には申し訳なく思うが、長女の3人の子の出産に間近に接してみて、遅ればせながらこの年になってようやく初めて、その大変さの一端がわかったのである。

コロナ禍のため、長女は第2子を出産した時と同様、付き添いが認められず一人で産んだ。退院する際には夫が産院の玄関の外で出迎え、タクシーで赤ちゃんといっしょに帰宅した。われわれ夫婦は孫2人と出迎え、ようやく直接対面がかなった。

長女が帰宅してからがむしろ大変である。長女自身、概ね1か月程度とされる自らの「産後の肥立ち」に十分注意する必要があるうえ、昼夜関係なくほぼ3時間ごとに授乳しなければならない。毎日午後の決まった時間にはベビーバスを使って赤ちゃんを入浴させなければならない。

長女の夫は会社勤めの傍ら、膨大な量の洗濯を担当。保育園に通う上の子2人の洗濯物を含めて毎日洗う量は一度では処理できず、彼は深夜と出勤前の早朝にそれぞれ2回に分けて洗濯機を回す。上の子2人の入浴と寝かしつけるのも彼の担当だ。私の妻は家族全員の食事の準備のほか、洗い上がった洗濯物を外干ししたり、長女の夫が極度の花粉症のため、別に分けて室内干ししたり。その前後には各部屋の掃除も欠かせない。そして私の役割は、上の子2人の保育園への朝夕の送り迎えと日々の買い物のほか、おもちゃや絵本で散らかったリビングの後片付けと帰宅後の、やんちゃ盛りの2人の遊び相手などである。

◆「子育て支援」実態から離れていないか

こうした現在の毎日の各自の役割は「平時」の場合だが、実際はなかなかこうはいかない。長女が退院する直前に自宅マンションの給湯器が壊れてお湯が使えなくなってしまった。洗い物などは湯沸かし器で済ませたが、お風呂に入れない。仕方なく、地下鉄で一駅隣にある「スーパー銭湯」に2日連続で通った。初めての体験だったが、さまざまな風呂の種類があり、食堂やゲームセンター、演芸場なども完備。しかしわれわれは風呂に入るだけで、しかも幼児2人を連れての慌ただしい入浴だったので、大人1人2750円の入浴料は割高に感じた。

長女が赤ちゃんと共に退院した直後には、2番目の孫が「溶連菌(ようれんきん)感染症」に感染。感染力が強く、学校保健安全法上の「第三種(条件によっては出席停止の措置が必要と考えられる疾患)」に位置付けられているため、医療機関での受診日とその翌日は登園できなくなり結局、3日間登園できなかった。生まれたばかりの赤ちゃんは免疫力が強いとされるが、自宅ではできる限り、隔離状態に置く必要がある。しかし、3LDKの限られた間取りでは限界があり、長女と赤ちゃん、私の妻が寝る一部屋だけ入り口に柵(さく)を設けて上の子2人が入れないようにするなどの応急措置を講じた。

幸い、2番目の孫の症状は軽微で、ほかへの感染もなく大事にはいたらなかった。しかし、一旦緩急あれば、こうはいかない。今回の長女の第3子の出産に際しては、妻が出産予定日のほぼ1か月前から長女宅に滞在。私も「(長女の)陣痛が始まり、さっき『陣痛タクシー』で産院に向かった」という妻からの連絡を受けて、事前にリュックサックに詰めておいた着替えやパソコンを持って深夜、長女宅に移動した。

この原稿を書いている今も、長女宅での「にわか3世帯住居」で寝起きしている。各自、先述のような日課があり、静かにのんびりできる時間はほとんどないのが実情である。私は時折、孫2人を保育園に送り届けた後、荒川と江戸川を越えて自宅に戻り、庭木に水をやったり、郵便物をチェックしたりするなど雑用を済ませたら、再び夕方の降園時間に合わせて保育園に迎えに戻る、という繰り返しである。こうした慌ただしい生活は、母子共に健康であることを前提にすれば、おそらく3月半ばごろにはひとまず終わるだろうと思っている。

長女は、比較的近いところにわれわれ両親が住んでいて、われわれが健康で、かつ時間的に余裕があることが幸いした。生まれたばかりの赤ちゃんを抱える一般家庭の日常は、私が細かく書いた今の私たちの日常をある程度映しているとは思うが、長女は過去3度の出産に際して毎回、われわれ両親のフルサポートに近い手厚い支援があり、かなり恵まれたケースだろう。中には、かなり大変な苦労や制約を強いられながら懸命に子育てをしている家庭がたくさんあることは容易に想像できる。「子育て支援」という言葉が政治家から乱発、乱用されているが、彼らがどこまで実態を把握してその言葉を使っているのか、疑問符を付けざるを得ない。

◆緒に就いたばかり 私のアンラーン

育休中の女性に対して「リスキリングの勧め」を説いたようにも受け止められかねない発言をした岸田首相に、「キッシーはまるでわかっていない」と反発した長女の書き込みを、私なりに肉付けしていくうちに、話が少しそれてしまった。ただ、子育て中の母親がリスキリングに取り組もうとするならば、それなりの覚悟とそれぞれの家庭の実情に応じたきめ細かな支援体制が不可欠であることは理解してもらえたと思う。

翻って、冒頭で取り上げた朝日新聞のコラム「多事奏論」では「中高年のリスキリング」に言及しており、その矛先はこのほど定年退職した私自身にも向けられている。特に中高年の場合、リスキリングとアンラーンは表裏一体のようなものだろう。

新たに身につけるスキルとしてAIなどはまさにその代表格だろうが、働き盛りのビジネスパーソンならともかく、(好き嫌いももちろんあるが)私のような中高年にはなじまない。そこでいま私が特に関心があり、アンラーンの一策として学び始めたのが「短歌」である。

10年ほど前に遡る。「ニュース屋台村」に出している私の別の屋台『読まずに死ねるかこの1冊』の第3回「だれも避けられぬ永訣の時」(2013年8月23日付)の中で取り上げた永田和宏の『歌に私は泣くだらう 妻・河野裕子 闘病の十年』(新潮社、2012年)を読んだのがきっかけである。歌人・細胞生物学者の永田が、妻で歌人の河野裕子と家族の闘病生活を綴った手記だが、作中にはさまざまな場面を河野がその抜きん出た表現力で凝縮した三十一文字が紹介されている。短歌をまったくたしなんでこなかった私でも、歌に詠まれた情景がふと頭に浮かんでくるのは、短歌のもつ豊かな表現の力からなのか、と一気に引き込まれた。以来この10年で、河野と永田の歌集やエッセイ集はほぼ全作読み、短歌のもつ優れた表現技法についてさらに関心が高まった。

記者の隊列の端くれにいて、書くことを生業(なりわい)として今にいたるが、第一線を退いてなお、書くことへのこだわりが捨てられないでいる。永田と河野は共に「短歌は、詠むことよりも、ひたすら読み、読み込むことが大切である」とその多くの著作群の中で通底して説いている、と私なりに理解している。

「詠むこと」と「書くこと」は、表現するという一点においてまさに共通する。しかし、記者としての人生を振り返ってみて、「書くこと」にばかり気が急(せ)いて、「読むこと」「読み込むこと」、さらには「読み味わうこと」を本当におろそかにしてきたという忸怩(じくじ)たる思いがいまある。もはや、締め切り時間に追われることはなくなった。書きたくもない埋め草記事を無理やり仕立て上げる必要もなくなった。提稿されたヘタクソな原稿を独りぶつくさ言いながら手直しする、やっかいなデスク業務からも解放された。

いまある十分で、かつ静かな時間。ひたすら読み、読み込んでいく中で、書くことの先に、いつかゴールとなる「詠むこと」への昇華のチャンスが巡ってきたら……。短歌にばったり出くわした者としては、それこそ本望だと思う。(文中敬称略)

※「ニュース屋台村」過去の関連記事は以下の通り

『読まずに死ねるかこの1冊』第3回「だれも避けられぬ永訣の時」(2013年8月23日付)

https://www.newsyataimura.com/kisham/#more-456

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