老化との闘い―3度目の胃がん治療
『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』第296回

7月 18日 2025年 社会

LINEで送る
Pocket

小澤 仁(おざわ・ひとし)

o
バンコック銀行執行副頭取。1977年東海銀行入行。2003年より現職。米国在住10年。バンコク在住27年。趣味:クラシック歌唱、サックス・フルート演奏。

4月初旬から2か月にわたって日本に一時帰国したが、4月9日に行った定期健康診断(健診)の内視鏡検査で「胃がん」が見つかった。正確に言うと、この段階では「胃がん」と特定されていなかったが、その可能性が高かったため該当箇所組織の一部を採取し、詳細な顕微鏡検査(生検検査)に回された。その結果、4月22日に「悪性腫瘍(しゅよう)=胃がん」と判断された。25日には担当医師との面談があり、5月9日に胃がん手術を受けることが決まった。胃がん手術は2010年、11年に続き今回が3回目。幸いなことにいずれの場合も胃がんの早期発見であり、開腹することなく内視鏡による手術で済ませることができた。

◆聖路加国際病院での定期健診

私が現在の職場であるバンコック銀行に転職したのは2003年で、当時まだ49歳の若さ(?)であった。3人の子供たちは大学生と高校生で、これからも養育費がかかる。海外生活が長く日本での住居取得の機会に恵まれなかった私は、それゆえに借り入れもなく最悪でも子供たちを大学に通わせることができるだけの蓄えはあった。

それでも、病気や事故でいつ何時死に目に会うかもしれない。さらに、タイの会社に転職するのである。20年以上前のタイは日本と比べるとまだまだ貧しく、社会制度も充実していない。交通事故などで不慮の死を迎えたとしても十分な社会保障は期待できない。最悪の事態を想定して「5000万円の掛け捨て生命保険」と「聖路加国際病院(東京都中央区)での毎年の健診」を自費で行うことを決めた。

特に毎年の健診は「自分の健康を過信している」私を熟知している妻からの強い希望であった。健診にはかなりお金がかかるが、「この健診のおかげで何度も命を助けてもらった」と本当に感謝している。もちろん聖路加国際病院の迅速で適切な対処があっての命拾いである。今回を含めた3度の胃がん、無呼吸症候群、さらには現在治療中の心房細動などである。最初の胃がん手術以来ずっとこの病院のお世話になっている。

2010年に最初の胃がん宣告

最初に胃がんが宣告された2010年の時は正直、私は生きた心地がしなかった。その前年の内視鏡検査時に潰瘍(かいよう)があったにもかかわらず、血液をサラサラにする「抗凝固薬」を飲んでいたため生検検査ができなかったのである。再検査を指示されたにもかかわらず、バンコック銀行への転職後の猛烈な仕事の忙しさにかまけて、1年間放置してしまった。本当のことを言えば、再検査のことなどすっかり忘れていたのである。

ところが、翌年の2010年の健康診断で当然のごとく潰瘍が見つかり、生検検査をしたところ「悪性腫瘍」と診断されたのである。1年放置すればがんも大きくなる。1センチ×1センチの大きさになっていた。当時の聖路加国際病院の主治医からは「内視鏡手術では取り切れないかもしれない」と言われた。それでも開腹手術と内視鏡手術では術後の身体へのダメージが大きく違う。「ダメを覚悟で内視鏡手術をしてみたらどうか」と医者から勧められた。当時の医療技術では内視鏡で剥離(はくり)できる限界が1センチ×1センチだったのである。

聖路加国際病院の主治医の腕は確かであった。がん細胞に触ることなく、がん細胞を取り巻くように該当箇所を剥離してもらった。幸いなことに、がんの深さもリンパにまで到達していなかったため、完全治癒ができたのである。キリスト教信仰を喜捨(きしゃ)し、神を信じない私が「神に感謝」した。それ以降、自分の健康に対する過信を捨て、医者の言うことを聞くように努めている。

◆高齢のため全身麻酔で手術

さて今回の胃がん治療である。胃がん手術当日の5月9日に入院した。すでに2回の胃がん治療を経験していたため、内視鏡による胃がん手術に対する恐れはほとんど無かった。前日の20時以降、何も食べずに9日の10時に入院すると、14時には手術が始まった。

71歳で高齢であるとの理由から、前回までの部分麻酔から今回は全身麻酔が処置された。麻酔を打たれてからは全く記憶がない。手術室から移動用ベッドに移し替えられて自室に戻ってきたのが15時ごろであったと思う。予想に反して全身麻酔は私の体力を消耗(しょうもう)させた。また、後から知ったことであるが、今回の手術では患部は1センチ×1センチと見込まれたものの、安全を期して3センチ×3センチの大きさで該当箇所を剥離した。

15年前と比べて医療技術が発達し、内視鏡手術で切り取れる範囲が飛躍的に大きくなったのである。がん細胞が拡散するリスクを防ぐため、患部を大きめに剥離する。一方で、胃の内壁を以前より大きく切り取るわけである。身体にかかる負担も以前より大きくなるのは当たり前である。おなかに引きつった感覚は残ったものの、正常な感覚・意識に戻ったのは手術当日の夜であった。当然、手術当日は何も食べることができない。点滴で栄養を補填(ほてん)しながらベッドに横たわった。入院前の地方出張で疲れがたまっていた私は、手術による体力消耗と相まって翌朝まで昏睡(こんすい)状態にあった。

翌朝9時から再度、内視鏡による患部の検査が行われた。この時は部分麻酔であったが、前日の全身麻酔の影響が残っていたようで、検査中には麻酔が十分効かなかった。

部分麻酔の場合、検査後すぐに主治医の先生から結果を聞く。妻とともに先生から説明を聞いて病室に戻ったが、部屋に戻ったとたんに寝落ちしてしまった。数時間後目が覚めたが、検査直後に先生から聞いた内容を全く覚えていない。

妻に聞くと、先生の説明に私は正常に応対していたようである。ところが「先生と話したことすら全く覚えていない」と言うと、妻はびっくりするとともに私のことを大変心配した。どうも「老い」が確実に私をむしばんでいるようである。

先生の説明内容を妻から聞いたところ、「手術した個所からまだ血が流れていたため該当箇所を焼いて血を止めた」とのことのようである。胃に再度治療が施されたため、この日も食事が食べられず絶食となった。ただし、この日からお茶などの水分補給は許可された。3日目からようやく固形物のない重湯やスープを開始。徐々に固い物が提供され、5日目の午前中に退院した。無事に胃がん手術を終えることができ、主治医の先生には感謝しかない。

◆老化が主因の非感染症が最大の死因

今回の手術と15年前の処置を比較してみると、いくつかの違いに気づく。前回は手術日の前日から7泊8日の入院であったが、今回は手術日当日に入院し、入院期間は4泊5日に短縮されている。全身麻酔を使ったことや剥離個所が3センチ×3センチと格段に大きくなったことは前述の通りである。

さらに術後の処置も大きく変わった。前回は、手術後「おならの出具合」や「便の排出」を見ながら、手術日を含めて3日間断食をした。さらに重湯などの病人食を3日間食べ、退院前日に内視鏡検査をした。

ところが今回は、内視鏡による術後治療を翌日に済ませ、病人食も2日に短縮して退院できた。さらに1週間たって内視鏡による術後経過検査を行った。この15年間で内視鏡による胃がん手術のやり方も大きく進歩したようである。

拙稿第284回(2025年1月31日付)でも触れたが、2019年時点の世界全体の死亡割合は細菌やウイルスによる感染症が18.26%、非感染症が73.5%、けが・事故が7.98%となっている。つまり、「胃がん・すい臓がんなどの各種がん」「脳卒中や心疾患」などの老化が主因である非感染症が人間の死亡の主要因となっている。さらに、欧米など先進諸国では非感染症の比率は90%近くまで高まる。

最新科学によると、われわれ人類はその細胞の構造から、最長でも120歳ぐらいまでしか生きられないようである。逆に言えば、頑張れば120歳まで生きることできる。

◆臓器の劣化防止へ健診で早期発見・治療

人がより長く生きようとすれば「老化と闘う」ことが必要になってくる。近年の医学の進歩により、この老化との闘い方もいろいろなことがわかってきた。バランスの取れた食生活▽適度な運動による骨芽細胞や筋肉への負荷▽禁煙・禁酒など健全な生活態度▽十分な睡眠時間と質と確保▽新しいことに挑戦することによる大脳への刺激▽社会生活の維持と他人との接触――など老化を少しでも遅らせる方法がいろいろと開発されている。

しかしどのような努力をしても、細胞の突然変異による臓器の老化は防げない。がんに代表される人間の臓器の劣化に対しては、早期発見による治療が最も有効である。引き続き、毎年の健康診断は確実に実行していきたい。

※『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』過去の関連記事は以下の通り

第284回「日本の医療機器の実力は?(その1)―世界市場を概観する」((2025年1月31日付)

https://www.newsyataimura.com/ozawa-165/#more-22050

コメント

コメントを残す