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身近な自死と25000人を考える
『ジャーナリスティックなやさしい未来』第66回

1月 22日 2016年 社会

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引地達也(ひきち・たつや)

コミュニケーション基礎研究会代表。就労移行支援事業所シャローム所沢施設長。毎日新聞記者、ドイツ留学後、共同通信社記者、外信部、ソウル特派員など。退社後、経営コンサルタント、外務省の公益法人理事兼事務局長など。東日本大震災直後から「小さな避難所と集落をまわるボランティア」を展開。

◆遺書

年明けから訃報がもたらされた。うつ病が回復し福祉関係で働いていたはずの彼が年末、自ら命を絶った。遺骨と遺影、彼の性格をあらわす「温」の字のついた戒名が記された位牌に手を合わすと、遺族が遺書のコピーを渡してくれた。

引地さん お世話になりました もう一度会いたかったなあ

一昨年にうつ病の相談に乗って、調子が戻って就職して、「やりました!」と報告してくれたのが、昨年の春。いつか祝杯をあげようと言いながら、忙しさに時は流れた。その人の笑顔や幸せな姿を知っていれば知っているほど、苦しさは悔しさを伴い、言い表せない感情の塊となって、自分の心に影を落とす。

どしりと、重い感情の塊が投げ込まれる。苦しい、悔しい、悲しい、切ない。「もう一度会うべきだったんだ!」と、心に怒声を投げかけてみる。でも、戻らない。そして、結果的に思いを至らせるのは、自死までの彼の心情。それらは私の塊なんかと比べ物にならないくらいの、重く苦しい「孤独」だったのではないかと考えると、また苦しくなる。

◆年間自殺者数

警察庁と内閣府が今月、速報値として発表した2015年の自殺者は前年より1456人(6%)少ない2万3971人。3万人時代が続いたが、政府が対策に乗り出した結果として、6年連続の減少という成果でもあり、2万5000人を下回るのは18年ぶり、という形容詞で各紙も報道している。

そして毎年のように、今年もそこに違和感を感じてしまう。その数が「遺書のある死亡」だが、遺書のない自死がどれだけいるのだろうか、ということ。そして、1人ひとりの死は、やはり死であり、悲しみも苦しみが軽減できるものではない。そして、存在そのものを問題にするべきであり、増えた、減ったの物語ではないということである。

例えば、1人ひとりに焦点を当てれば、2011年3月の東日本大震災の後遺症で死に至る人はまだまだ存在し、震災関連の自死は11月まで22人という。そのうち福島県で19人発見されたという事実。

そして、社会が「お金を稼ぐべき」「快活に働くべき」という押し付けともいえるイメージの中で押しつぶされ、もがき、あきらめてしまうのは男性で、今回は1万6641人。女性は半分以下の7330人。月で多いのは、人生の岐路になることが多い年度替り前の3月。2300人が新年度を迎えられずに絶命してしまう。その死へのエネルギーを溜め込んでいるのか、前月の2月は最少で1766人である。

◆忘れないでおこう

いつも話題になる自殺率は、人口10万人あたりの数値で、全国平均は18.9人。これに対し最多は秋田の26.8人、続いて島根の25.1人、新潟の24.9人と日本海側ばかり。都道府県別で最も多かったのは、ストレスが多い過密社会である東京の2471人で、これに神奈川の1382人、埼玉の1301人が続く。分析では「働き盛り」と一般的に言われる40代が最多で3787人だった。原因・動機別(複数計上)では「健康問題」が1万953人で最も多く、「経済・生活問題」は3698人。

こんな数字をつらつら並べているのは、冒頭に紹介した1人の死が、ずしりと重いから、統計で気を紛らわせているのかもしれない。来年の今頃、内閣府は今年の自殺統計を発表する。その際に、彼はこの数に組み込まれる。2万5000分の1としてカウントされる死となってしまう。

しかし、忘れないでおこう。これらはやはり1人ひとりの死の積み重ねだということ。孤独の中で死を選んでしまうその苦しさと、残された人の心情と周囲の悲しみを。自死は周囲の苦しさも増幅する。不幸が広がる。だから、私の役割として、できる範囲ではあるが、救える時は救いたい、と思う。

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