一日のうちに四季の移ろい
オーストラリア・シドニーを歩く(その1)
『四方八方異論の矛先-屋台村軒先余聞』第21回

10月 20日 2025年 社会

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記者M(きしゃ・エム)

元新聞記者。「ニュース屋台村」編集長。南米と東南アジアに駐在歴13年余。座右の銘は「壮志凌雲」。2023年1月定年退職。これを機に日本、タイ、ラオス、オーストラリアの各国を一番過ごしやすい時期に滞在しながら巡る「4か国回遊生活」に入る。日本での日課は5年以上続けている15キロ前後のウォーキング。歩くのが三度の飯とほぼ同じくらい好き。回遊生活先でも沿道の草花を撮影して「ニュース屋台村」のフェイスブックに載せている。

9月のオーストラリア・シドニーは例年なら春が始まったばかりの過ごしやすい時期だが、今年はそうでもないらしい。私と妻は9月半ばからシドニーに滞在しているが、来る直前の2週間ほどは毎日ずっと雨だったという。

私たちが到着して以来、幸いまとまった雨はまったく降っていないが、気温は朝方に一けた台まで下がっても日中は35度近くまで上がる日がある。一日の寒暖差は優に20度以上あり、朝から夜までのわずかな間に四季の移ろいを肌で感じている。

周りを見ると、ダウンジャケットの人がいれば、その隣はTシャツに短パンの人もいて、自分はいま、いったいどの季節を過ごしているのだろうと思う日さえある。日中は、酷暑続きだった日本の夏を彷彿(ほうふつ)とさせる猛烈に暑い日が早くもやってきた。

それでも、去年滞在した3~6月の時に比べると、気候以外は大きな違いはなく、これまでのところ、思い通りの快適な日々を送っている。11月末までの滞在中、趣味のウォーキングの合間に気ままにキーボードを打っていこう。

◆物価高に円安 日本人観光客見当たらず

頭の痛い物価高は相変わらずだ。こちらに来て早々、野菜や果物の値段を調べたり、チェーンスーパー大手のウールワースとコールズを回って値段を比べたりしているが、総じて日本よりも高い。おまけに円安が一段と進行した。高市早苗氏が自民党の新総裁に選ばれると、円安が進んだ。この先も円相場の下落が気になるが、大きく円高に転じる材料はいまのところ見当たらない。とりあえず節約するしかなさそうだ。

ほぼ毎日、シドニーの観光名所シドニー・オペラハウスに近いフェリーの埠頭(ふとう)が並ぶサーキュラーキーを起点にウォーキングをしている。国際色豊かな観光名所を地元住民のような顔をして歩くのはなんとも気持ちがいいが、外国人観光客は多いのに日本人はほとんど見かけない。

 ブラッドリーズ ヘッドの展望台からシドニー市内を望む 2025年10月11日 筆者撮影

目立つのは、韓国人、中国人、タイ人、インド人などの観光客である。とりわけ、韓国や中国のツアー客は午前8時すぎには、オペラハウスとハーバーブリッジが背景となるシドニー湾に面した王立植物園の高台に大型バスでやってきて、記念撮影で大にぎわいになる。

いつもここを走っているのであろう地元のジョガーが「道をふさがないで。歩くのは左側でしょ!」と走りながら声を荒げるのを何度か目撃した。それでも彼らに悪びれた様子はなく景色を楽しみ、スマホで写真を撮るだけ撮ってバスに乗り込み、意気揚々と次の観光地へと向かっていく。

日本の外にいるといつも感じることだが、同じ日本人なのに、日本をなんとなく自虐的に見てしまうのはなぜだろう。日本人観光客が多ければ、それとなく近づかないようにするだろうが、こうも見かけないと、日の丸の付いた帽子かTシャツでも身に着けて歩きたい心境に陥ってしまう。

ある時、ニューサウスウェールズ州立美術館の前でタイ人のツアーのおばさんたちと出くわし、道をふさぐように大勢で歩いていたので、「すみません。通してください」とタイ語でお願いすると、「えっ、タイ人なの?」と言われた。「いや、日本人です」と返したら、「タイ語が上手ね」とお世辞を言われ、「日本に行ったことがあるよ! こんにちは」とあいさつされた。私たったひとりで、日本の存在感を示せたような気持ちになり悪い気はしなかったが、あとで思い返すと恥ずかしくなった。

◆非日常の中を日常として歩く

今年は2月から4月までラオスとタイに滞在した。日本に戻ってからも渡航前と同様、江戸川沿いの1都2県を巡る全長約13キロの独自のウォーキングコースを日中に歩いていた。しかし6月半ばから、歩く時間を夜明け前に変更せざるを得なくなった。日中の気温が体温に迫るようになり、猛暑にがまんできなくなってしまったのだ。

午前3時に目覚まし時計で起床。身支度を済ませて3時半前に自宅を出発する。6時前後に自宅前の小高い山の上にある神社の石段を上り、お詣りしてゴール、という行程だ。そして、日が暮れて晩ごはんのあと、4キロ弱をもうひと歩き。毎月平均500キロをずっと歩いてきた。

私にとってウォーキングはある意味、瞑想(めいそう)のようなもので、一人で黙々と自分のペースで歩くのが好きだ。歩幅も歩速も人それぞれだから、グループだったり、誰かと一緒に歩いたりするのは自分のペースが乱れるから性(しょう)に合わない。

日本に戻ってから20年近くになるが、ウォーキングはすでに生活の一部になり、習慣化している。日本ウオーキング協会の専門家に紹介してもらったMBT(マサイ・ベアフット・テクノロジー)のウォーキングシューズはすでに9足を履きつぶし、10足目は日本で待機、11足目はここシドニーで活躍してくれている。歩かないと脚がうずうずしてくるから、歩くことが一種の精神安定剤のようなものだ。

当初は「健康のため」と思って歩き始めたが、いまはもう歩くことに目的を持たせていない。「歩くのが好きだから」としか言いようがない。

ただし、定年退職後の「4か国回遊生活」ではシドニーの国立公園の中をひたすら歩き回りたいと思っていたから、日本にいる時の夏場に夜明け前から歩いているのは、シドニーでのウォーキングを心底満喫したいという願望があるからで、それが目的だとすれば、まさにそうである。

「非日常の中を日常として歩く」という長年の願望が、シドニーでようやく実現した。定年退職・年金生活、ストレスから完全に解き放たれた毎日はまさに万々歳!である。

◆「生活寿命」に無縁な67歳

博報堂生活総合研究所が公表している「生活寿命」(ある生活行動ができなくなったり、したくなくなったりする年齢)に関する2024年の定量調査(首都圏・阪神圏の20~69歳男女1000人が対象)によると、私の現在の年齢(67歳)は、薬習慣寿命(薬を飲んだかどうか、すぐにわからなくなる)▽料理寿命(料理をするのが体力的につらく大変になり、作らなくなる)▽介護寿命(親の介護や世話ができなくなる)▽自転車寿命(周りから自転車に乗るのをやめるように言われるようになる)――をすでに過ぎたか、あるいはいまちょうど該当する。

毎日服用している何種類かの薬については、いつも目の届く近くに置いているし、滞在先にも数量を綿密に計算して携行しているので、いまのところ問題ない。料理も、本来ならもっと節制すべきだが、食べることが大好きなので作ることは一切苦にならない。介護は、自分の両親も妻の両親もすでに他界しているので気にする必要がない。自転車は、2018年10月にサイクリング中に飛び出してきた女児を避けようとして転倒し左ひじを粉砕骨折して手術入院して以来、駐輪場にとめたままでまたがっていない。だから、こうした「生活寿命」はいまのところ、私には無縁である。

日本では規則正しい生活を心がけてきた。ここシドニーでもほぼ毎日歩いているせいか、10月5日に夏時間に移行(来年4月まで)して以降、午後10時(日本時間午後8時)にはすでに完全に熟睡の域にある。(以下、次回に続く)

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