п»ї 日本の自動車産業の生き残り策を考える『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』第26回 | ニュース屋台村

日本の自動車産業の生き残り策を考える
『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』第26回

8月 01日 2014年 経済

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小澤 仁(おざわ・ひとし)

バンコック銀行執行副頭取。1977年東海銀行入行。2003年より現職。米国在住10年。バンコク在住16年。趣味:クラシック歌唱、サックス・フルート演奏。

日本にいるとあまり実感がないかも知れないが、今や日本の製造業はジリ貧状態にある。日本の屋台骨を支えているのは唯一、自動車産業のみである。しかし、日本の自動車産業も生き残りが可能か否かの瀬戸際に立たされているように思える。日本を代表する自動車メーカーであるトヨタ自動車や本田技研工業も当然、大変な危機感をもって自社の経営戦略を立てていることは私も十分承知している。今回は、外部の眼から見た日本の自動車産業の問題点を、私なりに検討してみたい。

◆米のものまねから始まった日本の自動車産業

2014年3月22、23の両日にわたりTBS系列で放映された「リーダーズ」というテレビドラマは日本の自動車産業の興盛期をつづったものであり、特にトヨタ自動車及び関連会社にお勤めであった方々からは大きな支持を得た番組である。そこには、アメリカで開発された自動車を国民化したいという熱い思いの人々が描きだされ、創意工夫の中で夢を実現していった話が展開されている。

確かにその頑張りは素晴らしいものであり、ひいては日本の”生産方式“を世界に知らしめることになっていく。しかし冷静に考えてみると、日本の自動車産業はアメリカのものまねから始まったのである。

日本の自動車産業が繁栄していった背景には、極めて幸運な環境がいくつも重なったと言っても過言ではないと思える。第一に、第2次世界大戦後の世界は、米国を中心とした資本主義陣営とソ連・中国に代表される共産圏の深刻な対立があった。両陣営は政治的には対立したが、経済的には米国・西欧を中心とした資本主義陣営が圧倒的に裕福であり、日本は幸運にもこの資本主義陣営に組み込まれていたのである。

米国は敵に対しては徹底的に攻撃するが、友人に対しては寛容な国である。時には米国から収奪されながらも日本は米国に小判ザメのようにくっついて技術を習得し、製造業の基盤をつくっていった。

米国も意図的に日本にそうした役割を与え、日本は安く品質のよい工業品の供給国としてその地位が向上し、いつの間にか日本は米国に次ぐ世界で2番目の経済大国となった。

日本の自動車メーカーは、経済規模が世界で1、2位である米国・日本において基盤を確立することによって世界的なメーカーと目されるようになったのである。しかし、あくまでも日本の自動車は小型車に強みを持ちながら米国車よりも安く品質良好で、かつ燃費が良いという米国車のコピーであった。たまたま米国、日本とも第2次世界大戦後に中流階級が醸成されていたという時期でもあった。

◆日本のメーカーはターゲット層が不明瞭

こうして2000年代初期までは日本の自動車メーカーは米国や東南アジアなどでの現地生産努力と相まって、順調に成長を続けてきた。しかしここに来て、自動車産業は大きな環境変化にぶつかり始めている。その第一が、BRICSなどを筆頭とする中進国の市場拡大である。

日本にいると階級の違いは全く感じないが、世界の大半の国は階級社会が存在する。戒律の厳しい国では階級を超えた結婚は実質的に許されない。インドなどでは自分より下層の者が作った料理を食べることは犯罪行為である。このためインドのコックは最も階級の高いバラモンの仕事である。

日本でほとんどの人が誤解しているのが仏教の托鉢(たくはつ)である。一般の人が僧侶に食事を供することで得を積むというのが日本人の解釈である。確かにこうした側面はあるが、ブッタが-托鉢を始めたのは、王族や貴族であるクシャトリア階級の人間が平民や労働者階級の作った料理を食べてあげることにより、彼らの抑圧された感情を解放してあげようとしたのである。

タイにおいて、僧侶たちは人々から食事をもらっているのではない。平民の作った食事を食べてあげているのである。こんな社会にいると階級間で使う言葉が違うし、着る洋服も異なる。

当然のことながら乗る車も違う。上流階級の人は高級な車に乗らなければならないし、中間階級の人は中間の車に乗る。これは何も新興国に限った話ではなく、ヨーロッパの国々も同様である。

ヨーロッパにおいても階層別に乗る車が違うし、自動車会社も自社製品の乗る層を決めてターゲットとしている。ドイツのフォルクスワーゲン(以下VW)に至っては、グループ内にベントレー、ランボルギーニ、ポルシェ、アウディ、VWなど異なるブランドを持ち、あらゆる層をブランドごとにターゲットとしている。

階級社会を内包する中進国が伸長し、これらの国で自動車が売られるようになると、各階級別に異なった車を持つ欧州メーカーが優位になる。階級社会を意識しない日本の自動車メーカーは単一ブランドしかなく、ターゲット層が不明瞭になるのである。

◆ライバルとなった新興国の自動車メーカー

2つ目の環境変化は、新興国の自動車メーカーの台頭である。2000年までは実質的に自動車を造れる国は米・欧・日の3地域であった。しかし、技術流出に鈍感な日本は、韓国・中国・インドなどに技術を教え、これらの国に自動車メーカーが勃興(ぼっこう)し、今や日本のライバルとなってしまった。

これらの国の自動車メーカーは安全性や品質を軽視し、安い車を造る。こうした安い車は経済成長を続ける自国の中間層以下がターゲットとなる。そもそも米国のコピーから始まった日本の自動車メーカーは米国車より安価であり、米国においては当時、米国社会の大層を占めていた中間層に売られていた。

しかし、新興国の中間層以下は自国に登場した自動車メーカーが強力なライバルとなった。これらの国においては日本の自動車メーカーが重視する安全性など、どうでも良いのかも知れない。

つい10年前までタイの交通事故の死亡保障金は10万バーツ(30万円程度)であった。自動車の保障が50万バーツ(150万円程度)以上することを考えると、人の値段は極めて安いのである。

◆閉鎖を強いる規制社会

3つ目の変化は、日本が自国内に構築してきた問題に起因するものである。安全性の確保やリスク回避の志向から極度の規制社会、コンプライアンス社会へと舵(かじ)を切ってしまった。

スピード規制のないアウトバーンを持つドイツだからこそ、小型車であってもゆうに時速200kmで走行でき、かつこうした条件で安全性を兼ね備えた自動車に造る必要性が出てくる。必要は発明の母である。

一方、日本の車はスピード規制があるため「走りの面白い車」などできるはずがない。過保護な行政の中で日本の車は「静寂性」や「豪華な内装」などで勝負するしかなくなってきている。

さらに悪いことに、コンプライアンスに縛られた社会はリスクをとらない社会である。米国ではグーグルがハンドル、アクセル、ブレーキのない自動運転の車を造り始めている。私の友人もグーグルの車で米国の公道を走ってきた。

日本ではこうした車の公道での運転がいつ許されるのであろうか? 規制社会は日本の国内市場を閉鎖して守る意味はある。しかし、ご存知のように日本は今後人口が急速に減少し、自動車も売れなくなっていくと思われる。

こんな縮小する社会を守って何の意味があるのであろうか? このまま日本の行政が規制を続けていけば、日本の自動車産業はガラパゴス化して外国勢力に敗退した携帯電話の二の舞となってしまう。

ここまで書き進めてくると、日本の自動車産業の未来に暗澹(あんたん)たる気持ちになってしまう。日本の自動車メーカーは人口減少の迫る日本に残っていても、世界の消費者のニーズに合う車を造れないであろう。

各地域において一から起業し直し、地域ごとにターゲットを選定し、会社を作り直すぐらいの覚悟が必要な時期に来ているのかも知れない。それが出来る潜在力を日本の自動車メーカーがまだ持っていることを、私は確信している。

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