山田厚史(やまだ・あつし)
ジャーナリスト。元朝日新聞編集委員。「ニュース屋台村」編集主幹。
トランプ米大統領の足元で、新たな変化が始まっている。11月4日に投票されるニューヨーク市長選で、民主党候補が勝ちそうだ。「民主社会主義者」を自認する33歳のゾーラン・マムダニ氏。来年の中間選挙への流れが、変わるかもしれない。
マムダニ氏はアフリカのウガンダ出身、インド系の家族と共に7歳でアメリカに渡ったイスラム教の移民である。白人第一、移民を蔑(さげす)み、イスラムを警戒する「トランプ的価値観」の対極にある人物。そんな若者が、既存の政治家を引き離し、アメリカ最大都市のリーダーに躍り出ようとしている。
◆移民・有色人種・低賃金労働者に火をつけた
今年7月に行われた民主党NY市長選の予備選挙まで、全く注目されていなかった。2020年からNY州議会議員を務めていたが、予備選出馬は泡沫(ほうまつ)扱いだった。
市長選で本命視されていた前NY市長アンドリュー・クオモ氏を短期決戦でひっくり返した。NYは民主党の金城湯池(きんじょうとうち)。これまでも民主党予備選の勝者が本選挙で勝利してきた。
敗れたクオモ氏は、本選にも無所属で立候補し、敗者復活に望みをつなぐが、世論調査の数字はマムダニ氏が20ポイント近くリードしている。
現職のエリック・アダムス市長(民主党)も無所属で立候補を目指したが、勝算なしと見て撤退した。共和党からも候補者は出ているが、民主党が圧倒的に強いNYでは「独自の戦い」だ。
マムダニ氏は、かつて「ウォール街を占拠せよ」を掲げ、富裕層への反乱を呼びかけたバーニー・サンダース上院議員の流れを汲(く)む。選挙では「物価高・生活対策」を徹底して訴えている。
NYの景気は決して悪くはない。AI(人工知能)やIT(情報技術)は活況を極め、株式市場は最高値の更新で沸き立ち、不動産価格はうなぎ上り。食料品をはじめ物価は高騰し、家賃は上がり、庶民の暮らしは厳しさを増している。投資家や富裕層、先端企業は潤うが低所得層は置き去り、という二極化が進んでいる。
マムダニ陣営は、価格を抑えた公営スーパーマケット、無料の託児所、市バス無料化、家賃凍結など「社会主義的政策」を掲げ、無給で働くボランティアが運動の手足となり支持を広げている。
自由競争・自己責任を原則とする資本主義経済の中心地NYで、社会主義の旗を振る異色の政治家に人々はなびく。
トランプ氏は、取り残された人々の熱狂によって大統領に再選された。さびついた産業に依存する「貧しい白人」の怒りがエネルギーとなった。
似た現象が、NYという大都会で起きている。ここでは、白人はウォール街のビジネスの主役で、移民・有色人種・低賃金労働者が政治から取り残されている。マムダニ氏は、ここに火をつけた。
◆カネで政策を買い政治家を操る「勝ち組」
「民主社会主義」というマムダニ氏の旗印に、トランプ大統領は「100%共産主義者の狂人。民主党は一線を越えた」とSNSで批判した。
「社会主義的」というレッテルは、米国では相手を排除する切り札として使われるが、トランプが大統領になって状況は変わった。
関税引き上げなど政府による産業への介入は当たり前になり、自由なビジネスは後退している。
右からのポピュリズムである「MAGA(メイク・アメリカ・グレート・アゲイン)」が政治の流れを変えた。選挙になれば、票の数は「弱者」が多い。ひと握りの「競争社会の勝ち組」がアメリカを支配する、という構造が揺らいでいる。
そうはいっても「勝ち組」はカネ持ちだ。米国は「表現の自由」を根拠に、政治献金はいくらでもできる。金持ちや大企業・団体は、いくらでも選挙資金を投入できる。カネで政策を買い、政治家を操る。
マムダニが市長選で勝ち切れるか、はこの一点にかかっている。「金持ち増税」を掲げ、パレスチナでのイスラエルを批判するマムダニを、富裕層や米国ユダヤ人協会は脅威に感じ、「対立候補への資金支援を検討している」とウォール・ストリート・ジャーナル紙は伝えている。
◆「アベノミクスを再び」の高市
「物価対策・庶民の暮らしが第一」という掛け声は、自民党総裁になった高市早苗氏も同じだ。かつてデフレに悩んだ世界は、目下の難題はインフレとの戦いだ。
朝日新聞が9月下旬行った世論調査によると、自民党新総裁に望む政策は①物価対策45%②社会保障16%③外交・安全保障15%④政治とカネ10%⑤外国人政策10%――という結果だった。
ところが、高市総裁に「物価対策」への真剣な姿勢は見えない。
「ガソリンの暫定税率廃止」「所得税の給付付き税各控除」などは野党が掲げていた政策を取り込んではいるが、マムダニ氏が掲げる「家賃凍結」「富裕層への課税強化」のような強い政策は見当たらない。好んで使うフレーズは「ジャパン・イズ・バック(日本復活)」。
かつて世界を制覇した「強い経済の再建」を叫んでいる。そのためには政府主導の産業政策(成長戦略)、財政出動、金融緩和という組み合わせが用意される。
安倍晋三元首相が掲げた「3本の矢」と同じだ。異次元の金融緩和、機動的な財政出動、果敢な成長戦略――。これがアベノミクスの中核だった。
高市氏は、「物価対策第一」と言いながら、経済政策は「アベノミクスを再び」である。
安倍政権が誕生した2012年12月、日本はデフレに覆われていた。デフレ退治はインフレで、ということで登場したのがアベノミクスだ。国債をせっせと銀行から買い上げ、500兆円を超える日銀マネーを市場に注ぎ込んだ。通貨を大量に発行すれば通貨価値は下がる。つまりインフレ。その結果起きたのが円安と株高だった。
政権が発足した当時は1ドル=85円、今や152円である。円の価値は半分近くまで下がった。喜んだのは外貨を稼ぐ大企業だ。ドル建ての儲(もう)けが膨張する。市場最高の利益を出す企業が相次ぎ、株価上昇は富裕層を潤した。
大企業と富裕層が儲かれば、富が下々に滴(したた)り落ちて庶民にも恩恵が行き渡る、という筋書きだった。しかし富は落ちてこなかった。
大企業の儲けは内部留保として社内に溜(た)まるが労働者に回らない。賃上げは物価に追いつかず、貧富の差は広がった。
アベノミクスは狙い通りの結果を出せず、日本は安い国、貧しい国になった。だというのに高市早苗は、もう一度、挑戦すると言う。
「物価対策が第一」と言いながら、インフレを煽(あお)る政策を掲げる高市早苗は、経済が分かっているのだろうか。
いや、承知の上かもしれない。安倍晋三は円安政策を進めながら「日本を世界でもっとも企業が活動しやすい国にする」と言っていた。大企業が儲かり、金持ちが増えることが「強い日本経済」と考えていたようだ。
◆トランプ路線に重なる方向は行き詰まる
高市氏も同じ方向を向いている。分かりやすいのが金融政策だ。
「具体的な金融政策は日銀の所管だが、どのような意思決定をするにせよ、それは政府の経済政策と整合すべきだ」と述べている。「勝手に利上げするな」と暗に言っているようなものだ。昨年の総裁選では「いま利上げするのはアホやと思う」と言い放った。
物価を安定させるには「超低金利」の是正が欠かせない。「利上げ」が課題になっているが、高市氏は、経済を大きくするインフレ政策に傾いている。この姿勢を採る限り、物価の沈静は難しいだろう。
米国ではトランプ大統領が、中央銀行であるFRB(連邦準備制度理事会)に「利下げ」を迫っている。物価安定より経済拡大を重視する。
市場に入りたければアメリカに工場を作れ、という高関税の壁も、輸入品の価格引き上げにつながり、インフレを助長する。
米国は、トランプ大統領の予算案が連邦議会で阻まれ、政府機能がまひしている。混乱の原因は、低所得者の医療費補助を削減しながら、富裕層には減税するという予算案にある。
「アメリカ・ファースト」のトランプ大統領は、米国企業を優先し、雇用の場を確保することで「弱者の味方」のように振る舞うが、その本質は「強者の味方」だという受け止め方が徐々に広がっている。マムダニ氏がNY市長になれば、来年に予定される中間選挙への流れは変わるだろう。
日本はどうか。高市の目指す方向は、トランプ路線に重なる。排外主義的傾向、大きくて強い経済、金融緩和、インフレ政策……。こうした政策はいずれ行き詰まるだろう。
経済は国境を越えてつながっている。アメリカが変われば、日本も無関係ではない。マムダニのような政治家が日本にも現れるかもしれない。(文中一部敬称略)











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