不安の正体
2025年の年の瀬を迎えて
『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』第308回

12月 26日 2025年 社会

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小澤 仁(おざわ・ひとし)

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バンコック銀行執行副頭取。1977年東海銀行入行。2003年より現職。米国在住10年。バンコク在住27年。趣味:クラシック歌唱、サックス・フルート演奏。

2025年もいよいよ年の瀬。年末になると人々は1年を振り返る。私とて例外ではない。「この1年何をしてきたのだろうか?……」と。そして「大したことをやってこなかった」という反省と、年の終わりを迎える寂寥感(せきりょうかん)にさいなまれるのである。

私は今年で72歳。若いころは「年を取る」ということの意味がわからなかった。いつまでたっても「自分は自分の生き方をしていく」という根拠のない自信があった。しかし自分の死が見えてくるこの年齢になると、やはり「死に対する恐怖心」が湧き上がってくる。中学時代にキリスト教を喜捨し、哲学を専攻した私は若いころから「自分の生存意義」や「世界のあり方」など観念的な議論を繰り返してきた。しかし何もわからないまま年齢を重ね、死が実在のものとして近づいてくると、曰(いわ)く言い難い恐怖心に襲われる。

私が「小心者の怖がり屋」だというだけの理由ではないだろう。死への恐怖心から逃れるために宗教に救いを求める人もいる。私はこの恐怖心に打ち勝つために、毎朝散歩をして「1日のやるべきこと」を整理して心を落ち着かせる。死を迎えることにより、私の中で希望や可能性が急速に色あせていく。「可能性を求め、生きているうちにできるだけ多くのことにチャレンジしたい」という気持ちの裏返しなのかもしれない。

◆「人類の危機」が近づいている?

年を取ることによって切実に身に染みることは「肉体の衰え」である。朝6時半に起きて8時には出勤。会社を退出するのは毎晩午前1時過ぎ。2日間程度の徹夜もざら。こんな生活が40歳半ばまで続いた。バンコク支店長になってからは、毎日接待に明け暮れ、やはり毎日のように午前様。平均睡眠時間4時間の生活が50歳まで続いた。まさに「昭和の猛烈サラリーマン」である。この間、私の肉体はだいぶ傷んだに違いない。それでも翌日には体力は回復していた。

現在は8時間睡眠時間をとっても体力が回復しないことがある。夜の会食は相変わらずほぼ毎日入っているが、午後6時に開始して9時には終了するように気を使っている。「会食のあと2次会に行く」など もってのほかである。身体はいたるところガタがきているが、幸いにも病気に対しては早期発見・早期治療に努め、大病には至っていない。それにしても肉体は、寄る年波に勝てない。

年を取るということは「若い人より多くの経験をする」ということでもある。もちろん人それぞれ活動量も違うし、流れる時間も違う。個人的に言えば米国に10年、タイに27年と特異な勤務経験を持つ私は、人よりも多くの経験を積んできたかもしれない。しかし経験を積むというのは良いことばかりではない。いろいろな失敗を経験し、世界の動きが少しは読めるようになってきたからこそ、将来の自分たちのあり方を悲観的に見てしまう。自分自身の死への恐怖が、自分を取り巻く未来の世界を悲観的にさせてしまうのかも知れない。

人間はつらい過去の経験だけでは生きていけない。自分の過去を美化する傾向がある。老人特有の「昔は良かった」というフレーズは、老人の現実逃避に違いない。しかし「昔は良かった」ということは、自分の現在、未来が良くないと言っていることに等しい。

スウェーデン人の医師・公衆衛生学者ハンス・ロスリング氏らによって2018年4月に発刊された『ファクトフルネス』(日経BP)という本の中に「世界戦争・疫病・天変地異・世界的飢饉(ききん)・金融危機は100年に一度必ず起こる」という予言めいた記述がある。「人類は驚くほど進化し、戦争などの災害は人間の英知によってすべて克服した」という我々の思い上がりをいさめた予言であった。

ところがこの本が発刊された2年後には新型コロナウイルスが世界中で蔓延(まんえん)し、この予言が現実化した。ハンスはこの本を通して「人間は思い込みを排し、データーを活用した科学的な思考しなければいけない」と説いている。今まさに歴史を冷静に振り返ると、ハンスが予言した「世界戦争・疫病・天変地異・世界的飢饉・金融危機」などが起こる危険性がかなり高まっていると感じてしまう。

私が年の終わりに感じる「不安」は、ハンスが指摘した「人類の危機」が近づいているからかもしれない。本稿ではこの不安の正体を突き止めたい。

◆米ソ冷戦時代~分断化される世界

私が生きてきた72年間を独断と偏見に基づき3つの時代に分けると、以下のようになる。

1.【1953~91年】米ソ冷戦時代

米国・ソビエト連邦を頂点として、民主主義陣営と社会主義陣営が対立。米国にも社会主義が浸透したため、米国は徹底的に社会主義の封じ込めを断行。朝鮮戦争・ベトナム戦争・キューバ危機・プラハの春・ベルリンの壁など各国の戦争や内乱を経て、91年にソビエト連邦が崩壊。日本は第2次世界大戦からの復興期にあったが、米国の軍事的保護の下で戦争特需などに沸き、驚異的な経済復興を成し遂げる。国内総生産(GDP)は世界2位になり、米国と合わせて世界のGDPの45%を占めるようになり「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と言われるまでの経済的繁栄を享受する。

2.【1991~2014年】世界の警察官として「米国一強時代」

ソビエト連邦崩壊以降、米国に対抗できる勢力が世界中に無くなり、世界は「米国一強」の下、飛躍的に経済が発展。米国主導の「自由主義」「グローバリズム」が牽引(けんいん)し、世界的分業が実現。米ソ冷戦時代の軍事技術も民間に開放されて、PCなどの分散系システム、インターネットの発展で世界のつながりが緊密化。中国やEU(現欧州連合)などが世界的分業の利益を享受して飛躍的に経済発展。1999年、日本の「ゼロ金利政策」を皮切りに、世界各国が金融緩和を実行し世界的に資金余剰状態が拡大。これに伴い、世界各国で貧富の差が顕著化。2001年9月11日の米同時多発テロ事件以降、米国は本格的にイスラム陣営との戦いを始めるが、戦況は好転しなかった。09年、オバマ政権下で米軍はイラク戦線から撤退。米国の国力低下が顕在化する。世界経済が飛躍的に成長するが、日本は1997年に生産年齢人口がピークアウト。企業の投資不足や政府の放漫財政などで日本の経済は長期低迷期に突入。

3.【2014年~現在】モンロー主義の米国と「分断化される世界」

米国の国力低下が顕在化する中で、2014年、ロシアは当時ウクライナ領であったクリミア半島を収奪。この時、ロシアのプーチン大統領は情報戦を制して、無傷でクリミア半島を占拠。以降ロシアはSNSを含めて情報操作の最先進国となる。一方、中国では2013年に国家主席に就任した習近平が14年ごろにはほぼ国内の全権を掌握。同年、中国の生産可能人口はピークアウト。しかし中国は、それまでに世界第2位になり強力な経済力をバックに、軍備の拡大と「一帯一路」による国外拡張政策を推進。これに対して米国は伝統的な「モンロー主義(南北アメリカに閉じこもる鎖国主義)」に回帰して、オバマ大統領がロシア・中国の動きを容認。米国では2025年にトランプ大統領が就任。SNSやメディアを駆使して「米国を再び偉大に(MAGA)」の旗印の下、 「米国の安全保障と自国強化のためだけの政策」を推進している。これに呼応して、世界各国で自国中心主義が台頭し、世界の分断化が進んでいる。

◆身近に迫るさまざまな危険

こうした歴史認識の下で、ハンス・ロスリング氏が指摘した「人類の危機」となる事象を一つずつ見ていこう。

まず「世界戦争」についてだが、これは明らかに危険性が高まった。「米国一強時代」は米国の力がずば抜けて強く、世界戦争に対する抑止力が十分に働いた。米ソ冷戦時代には、米ソ両国を軸とした世界戦争の危機は存在した。しかしキューバ紛争の事例に見るように、米ソ2か国の冷静な対応によって戦争危険は回避できた。覇権を狙う国が2か国のみだったので、対話のパイプが維持され有効に機能した。

翻って現在の「分断化された世界」。核保有国は現在、米国、ロシア、中国、英国、フランス、インド、パキスタン、イラン、北朝鮮と9か国にまで増加し、かつ米国・ロシア・中国の軍事力は拮抗(きっこう)してきている。いつ何時、9か国の核兵器が暴走するかもわからない。また当事国が増加した分、各国の利害関係の調整が困難になることが予想され、世界戦争回避のシナリオを作成するのが困難になっている。私たちは、世界戦争の危険と隣り合わせで生きている。

「疫病」と「天変地異」について、私は専門外なのでよくわからない。ただし「分断される世界」になって自国中心主義が跋扈(ばっこ)し、「脱炭素推進による地球温暖化対策」は雲散霧消してしまったように見える。近年頻繁にニュースとなる豪雨、洪水、山火事などは地球温暖化が原因とされるが、科学的に100%証明されたわけではない。新型コロナのワクチンについても同様なことが言えたが、科学で証明できない事象や新たな知見などはフェイクニュースや陰謀論の対象になりやすい。

人々は理解に時間がかかる「科学」より、わかりやすい「物語」を信じる。科学的な裏付けのない言説が飛び交い、拡散していくことにより、人々の分断が進行する。こうしたフェイクニュースや陰謀論も人類危機の要因になるかもしれない。

「世界的飢饉」も天変地異や穀物病などが主要な原因であろう。また経済繁栄を背景に、急速に膨張した世界人口も大きなリスク要因である。1950年当時は25億人だった世界人口が、今や3倍強の82億人までに膨れ上がっている。

この巨大化した世界人口を養うため、各国とも耕地拡大に走る。このため、自然が破壊され、生物の生態系が崩れてきているという指摘もある。この領域も私の専門外であるのでよくわからない。しかし日本は、自由主義経済とグローバル化の進展を妄信(もうしん)し、自国での食物生産を放棄してしまった。食料安全保障を無視した日本は「分断化された世界」の出現によりこの先、大きな試練が待っている可能性が高い。

最後に「金融危機」についてである。「米国一強時代」に始まった自由主義経済の進展により、世界各国で貧富の差が拡大した。

世界不平等データーベース(WID)の2000年と24年のデーターを比較すると、上位10%の富裕層が受け取る所得シェアは、米国42.2%→46.8%▽中国35.9%→43.3%▽ドイツ31.5%→36.7%▽日本40.1%→43.3%▽インド39.9%→57.7%――とこの24年間で増加。一方、下位50%の人が受け取る所得割合はこの24年間に減少し、24年実績値で米国13.4%、中国13.7%、ドイツ19.9%、日本18.6%、インド15.0%とドイツを除いて富裕者層の1/3程度となっている。

さらにこれら世界の国内総生産(GDP)上位5か国で世界のGDPの55%を占め、国家間の貧富の差も拡大している。そもそも貨幣は「商取引を行う上での商品の交換手段」として発案されたものだが、貯蓄機能としても活用されるようになる。富裕層は世界的金融緩和によって生まれた余剰資金を、貯蓄・投資することによりさらに富裕化するという世界が現出しているのである。したがって、世界全体で貧富の差が拡大する。しかし、資金の流れがいったん逆回転を始めると、富裕層にため込こまれた貨幣は流出せず、金融危機が起こる。金融危機についても現在、大量のマグマがたまった状態なのである。

◆がむしゃらに、愚直に生きていく

このように自分が生きてきた時代を振り返ると、多くの「気づき」がある。特に今回、私が感じたのは「日本人として今まで生きてきた自分は、大変恵まれた環境の中で過ごしてきた」ということである。

今でこそ、世界戦争・疫病・天変地異・世界的飢饉・金融危機などの危険が身近に迫り、不安を感じてしまう。しかし私がこれまで生きてきた世界は、日本及び世界が繁栄してきた時代である。世界戦争・疫病・天変地異・世界的飢饉・金融危機などを身近に感じることなく、経済繁栄を享受してきた。しかし私と同時代に生きた人たちの中でも、これらの危険と隣り合わせで生きてきた人たちが世界には多くいるはずだ。こうした人たちがどのような気持ちで生きてきたか? 残念ながら私にわからない。ただ、それぞれが自分の人生を精いっぱい生きてきたことに間違いはないだろう。

将来、世界戦争・疫病・天変地異・世界的飢饉・金融危機などの危険が迫り不安を感じたとしても、私もこうした人たちと同様に生きていくに違いない。私の人生は、シーシュポス(ギリシャ神話に登場する人物でギリシア・ペロポネソス地方の港湾都市コリントスの創建者)の生き方そのものである。無価値なものだとわかりつつ、がむしゃらに、愚直に生きていくことしかできない。自分の不安を消す方法もまた、がむしゃらに、愚直に生きていくことしかないようである。

※『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』過去の関連記事は以下の通り
第257回「新年の抱負―『シーシュポスの神話』と自分の立ち位置」(2024年1月5日付)
https://www.newsyataimura.com/ozawa-137/#more-14437

第165回「『ファクトフルネス』から考える新型コロナ感染対策とお粗末な日本の現状―120万人の感染死者が現実化する恐怖」(2020年4月1日付)
https://www.newsyataimura.com/ozawa-28/#more-10336

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