п»ї 新年の抱負―「シーシュポスの神話」と自分の立ち位置 『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』第257回 | ニュース屋台村

新年の抱負―「シーシュポスの神話」と自分の立ち位置
『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』第257回

1月 05日 2024年 社会

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小澤 仁(おざわ・ひとし)

oバンコック銀行執行副頭取。1977年東海銀行入行。2003年より現職。米国在住10年。バンコク在住26年。趣味:クラシック歌唱、サックス・フルート演奏。

『シーシュポスの神話』はフランスの小説家、哲学者であるアルベール・カミュの代表作である。昨年10月の日本出張の際、大学時代からの友人で「ニュース屋台村」にも執筆してくれている細田衛士君(元慶応大学経済学部長、現東海大学副学長)と夕食を共にした。その時に彼が私に推奨してくれた本が『シーシュポスの神話』である。せっかくなので、細田君が後日メールで送ってくれた推奨の弁を紹介させていただきたい。

「ここ10年のうち読んだ本で最もインパクトがあった本が、アルベール・カミュの『シーシュポスの神話』。特にその中に収められている『不条理な論証』。彼はこう言う、『理性で世界のすべてを把握できるわけではない。世界について言えるのはそれだけだ』。強烈な一発。これだど、ヘーゲルもマルクスもその限界が一気に露呈されてしまう。もちろん、カントの『純粋理性批判』的に考えれば当然で、『モノ自体は知り得ない』のだから、ましてや世界そのものなど理性の照射する範囲で捉えられるはずもない。そのごく一部を把握することはできるかもしれないが、それさえ、一つのモデルに過ぎない。この考え方をより『生きる』観点から推し進めると、当然実存主義になるし、学的に推し進めると『現象学』(フッサール)になる。」

◆怒涛の2023年を無事過ごし終える

大学時代に「理論経済学と経済哲学」のゼミに在籍した細田君と私は、その頃から社会科学や哲学についてよく議論した。マックス・ウェーバーに傾倒していた細田君、一方、私はニーチェの哲学を信奉した。当時、学生運動のさなかで流行していたのが実存主義。ジャンポール・サルトルやカミュの作品についても、よく理解できないままに何冊かを読破した。あれから50年近くの月日が流れ、今になって再びアルベール・カミュの名前を聞くことになるとは思わなかった。コロナが流行した直後に『ペスト』を読み返した。読み返すことによって、新型コロナウイルスに3年の間向き合う覚悟ができた。今回は細田君の強烈な推薦文による『シーシュポスの神話』である。

シーシュポスはギリシャ神話に登場する人物でギリシア・ペロポネソス地方の港湾都市コリントスの創建者である。そんなシーシュポスは神を欺いたことで神々の怒りを買ってしまい、「大きな岩を山頂に押して運ぶ」という罰を受けた。彼は神々の言いつけ通りに岩を運ぶのだが、山頂に運び終えた瞬間に岩は転がり落ちてしまう。同じ作業を何度繰り返してみても、岩は転がり落ちてしまう。シーシュポスは永遠にこの徒労を繰り返さなければならないのである。

カミュはその著作の中で言う。「無益で希望のない懲罰(シーシュポス)ほど怖(おそろ)しい懲罰はない」。人間は有限な生を与えられて無価値なこの世に放り出される。この不条理な定めの中で「存在への希求」を持つ人間は「希望」や「神」にすがって生きる。しかし「死」を迎えるにあたってその「希望」や「神」が無価値なものであることを知らされる。人の一生とは「シーシュポスの生きざま」そのものなのかもしれない。

齢(よわい)70歳での日本人男性の平均健康余命は11.06年(2019年、ニッセイ基礎研究所)のようである。「ニュース屋台村」拙稿第232回「新年の抱負―古希を迎えるにあたって」(2023年1月6日付)で65歳時点での平均健康余命を引用し、残り人生10年を想定して昨年の抱負を述べた。70歳まで生き抜いたことによって健康余命の平均値は1年延びたようである。いずれにしても昨年の拙稿では、人生残り10年を展望して「新しい知識と経験の習得」「友人との信頼関係」「家族との平穏な生活」の三つのことに励んでいくことを誓った。そしてこのほど、「怒涛(どとう)の1年」となった2023年を無事過ごし終えた。

◆コロナ禍下での日常と仕事

バンコック銀行(バン銀)の定年60歳を延長して働かせてもらっている私は、残念ながらその年齢に従って徐々に仕事量が落ちてきた。それに拍車をかけたのが新型コロナウイルスである。2020年、2021年の2年間は全くと言っていいほど仕事が捗(はかど)らなかった。ところが、コロナ禍も悪いことばかりでない。就職後初めて与えられたふんだんな自由時間を活用し、この2年間は「哲学、経営学、脳医学関連の読書」「クラシック歌唱とフルートの練習」「バンコク勤務中の次男家族との食事会」などで充実した日々を楽しんだ。人生終焉(しゅうえん)間近で新たな経験を積むことができ、心の持ち方も変わったような気がする。

しかし、仕事のほうはそうはいかない。顧客訪問活動が満足にできなかったコロナ禍の2年の間に、バン銀の日系企業部の顧客取引関係はすっかり希薄化したように感じられた。コロナ禍期間中に派遣されてきた提携銀行からの出向者は、満足にお客さまへのあいさつもできていない。さらにタイミングの悪いことに、コロナ禍がタイで本格的に拡大する20年3月末に日系企業部の統括責任者が嶋村浩EVP(Executive Vice President)から岡田誠EVPに代わった。コロナ禍の影響で満足な引き継ぎもできなかった。そして22年の3月を迎えた。

バン銀では当時、コロナ禍の影響で海外渡航禁止措置が出されていた。さすがに2年間にわたり日本に帰れなかった私は、会社に辞表を提出して日本への本帰国を申し出た。ところが、バン銀のチャシリ頭取からは「私が日本に帰国しても、引き続き3年間はタイと日本を行き来してバン銀のために働いてほしい」という想定外の好条件の提示を受けた。30年にも及ぶ長い盟友関係だからこその申し出である。もとより「コロナ禍の中で一度は日本に戻りたい」という理由からの身勝手な退職願である。日本への一時帰国を許してくれたチャシリ頭取からの申し出を断るわけにはいかない。残り3年務めるならばチャシリ頭取の厚情に応えるべく精いっぱい勤めなければならない。

2025年の退職に向け懸命に働く

コロナ禍で寸断された顧客関係の再構築と弱体化した体制の整備、さらにやり残したプロジェクトの完遂に向け、2022年後半からは死に物狂いで働き始めた。まずは提携銀行との関係再構築である。この1年強の間に出向者を派遣してくれている主要提携銀行は原則2回訪問し、頭取、社長との会食を行ってきた。北は北海道から四国、中国地方まで全国各地を飛び歩いた。日系企業部統括の岡田EVPとの帯同訪問も行い、提携銀行との関係は完全修復できたと思っている。

主要大手取引先や公的機関との関係も同様である。2年以上にわたり、対面による面談ができなかったので当然である。何とか主要大手企業のタイ現法社長とのパイプを手繰り寄せ、面談や食事会を繰り返した。幸いにも私的な研究部会である「新技術部会」「産業振興部会」「産学連携部会」などを運営しているため、これらの部会を通して関係復活できたお客様なども多くいた。これらの部会についても2025年3月の私の退職に向けて、引き継ぎも併せて行っている。

また、大手日系企業の日本本社訪問も再開した。ありがたいことにチャシリ頭取も全面的に協力してくれ、2023年8月初旬には2日ほど日本を訪問。1日5、6社の顧客面談を頭取自ら行ってくれた。こうした大手顧客との取引関係を今後どのように強化していくか、日系企業部の日本人プロパー行員と現在、施策を策定中である。このほか、提携銀行からの新規出向者とタイ人の新人を6か月にわたって教育する研修制度(旧称・小沢塾)と100人にも上る提携銀行の出向経験者(卒塾者)とのネットワーク機能「レクチャー仲間の集い(オンライン)」は既に後継者への引き継ぎがほぼ完了した。

私が最も苦労したプロジェクトが「マーケティング・オートメーション・システム導入による顧客サービスの向上」と「それに伴うホームページの更改作業」である。バン銀の別働隊であるバンコク・コンサルティング・パートナーズ社(BCP社)のホームページには1200社の企業内容の紹介ページがあり、月3万件以上の閲覧者がある。このBCP社による企業紹介は、実質的に該当各社のホームページを代替するものとなっている。このため多くの閲覧者が訪問し、現在ではタイ最大規模の企業向けサイトに変貌(へんぼう)している。こうした特徴を生かし、2023年後半から日系企業向けのオンライン・ビジネスマッチングサービスを開始した。しかし、このサービスを開始するにあたっては1年がかりのシステム導入とホームページ改修作業を行わなければならなかった。このためシステム会社2社とコンタクトして業務仕様設計、テスト作業などを行った。

いかんせん、私の日常は日本とタイの間を往復しながら顧客訪問の繰り返しである。ゆっくりシステムのことを考えている余裕がない。システム会社の人たちには大変迷惑をかけた。また、ホームページの更改作業と合わせて「You Tubu配信」を開始するとともに「BCP社によるオンラインセミナー」も始めた。幸いにも、当初システムの経験が少なかったプロパー行員の湯浅理恵さんと佐久間絵里さんが、システムへの理解を深め積極的に作業を進めてくれている。これも私にとっては大きな収穫である。

◆今年もがむしゃらに生きる

このように、私は昨年、現役時代と同程度に馬車馬(ばしゃうま)のごとく働いてきた。周りの人たちは私の年齢を考えてその働きぶりを心配してくれる。しかし、昨年の新年の抱負でも述べた通り「新しい知識と経験の習得」や「人に会うこと」は私にとっては趣味であり、挑戦なのである。

たとえこれらのことを成就したとしても、私の人生に永遠の価値を与えられることもなければ、死から逃れられるわけではない。そうした意味で、私の人生は「シーシュポスの神話」そのものである。それでも私の挑戦と抵抗は続く。2024年も「がむしゃらに生きる」ことが私の新年の抱負になるのだろう。

※『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』過去の関連記事は以下の通り

第232回「新年の抱負―古希を迎えるにあたって」(2023年1月6日付)

https://www.newsyataimura.com/ozawa-109/#more-13565

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