п»ї MMTを考える(その3) 『視点を磨き、視野を広げる』第48回 | ニュース屋台村

MMTを考える(その3)
『視点を磨き、視野を広げる』第48回

1月 06日 2021年 経済

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古川弘介(ふるかわ・こうすけ)

海外勤務が長く、日本を外から眺めることが多かった。帰国後、日本の社会をより深く知りたいと思い読書会を続けている。最近常勤の仕事から離れ、オープン・カレッジに通い始めた。

はじめに

MMT(=Modern Monetary Theory:現代貨幣理論)の3回目である。前稿では、主流派経済学(財政緊縮派)からのMMTに対する批判を検討した。提起された問題点は、MMTは課税や歳出削減でインフレをコントロールするというが、民主主義的政治体制の下で、将来インフレが起きたときに増税や歳出削減によって機動的にコントロールできるのか、あるいは放漫財政に陥らずに、将来世代も恩恵を受けられる賢い財政支出は可能か、といったMMTの政策の実行可能性への疑問であった。それらは「財政の民主的統制の難しさ」を知る主流派らしい批判といえよう。

しかし、新型コロナ対策で財政赤字は拡大し、政府債務残高は膨張を続けているのに金利はゼロ近辺に張り付いたまま上昇する気配がない。こうした現象が、世界的に広がっている現実をMMTは整合的に説明できることに対し、主流派経済学はどう考えるのかを知りたい。そこで主流派の一部によるMMTに関する論点提起に注目した。これらは、マクロ経済学の新ケインズ派(左派)の学者によって提起されており、ポストケインズ派(左派)のMMTと多くの点で共通の認識をもつ。新自由主義が求める緊縮財政に批判的で、反緊縮を掲げている点も変わらない。両派が政策面で協調できれば、長期にわたる経済停滞から脱却するための処方箋(せん)を提示しうるのではないかという期待を抱かせる。しかし、両派の主張には隔たりがあり、それを巡ってむしろ敵対しているのである。本稿では、共にケインズ派を名乗る両派を比較することで、MMTの課題を探りたいと思う。

今回参考にするのは、立命館大学の松尾匡(ただす)教授(*注1)および専修大学の野口旭教授(*注2)の見解である(資料は巻末参照)。なおMMTについては、前稿同様、中野剛志(*注3)の『富国と強兵』、『奇跡の経済教室――基礎知識編』、『奇跡の経済教室――戦略編』の3冊(以下本書)を参考にしている。

「反緊縮」の潮流

・ケインズ経済学の復権

松尾は、「反緊縮」はMMTだけが唱えているのではなく、欧米では反緊縮を掲げる諸勢力が台頭しているとする。すなわち――反緊縮派は、主流派経済学の「財政危機論」は新自由主義のプロパガンダであり、それを根拠に緊縮財政を押し付けていると考える。そして、むしろ積極的に財政を拡大して格差是正や公共サービスの充実にあてるべきだと主張している――という。それを経済理論面から支える反緊縮経済諸理論には、大きく三つの潮流――MMT(ポストケインズ派)、新ケインズ派(左派)、信用創造廃止派――があるとする。これらはいずれもケインズ経済学の影響を受けていることから、「反緊縮」の動きは、緊縮財政(財政再建論)に立つ主流派経済学に対抗する「ケインズ経済学の現代的復権」の動きだという見解を示すのである。

新ケインズ派(左派)は、ポール・クルーグマン(ニューヨーク市立大学教授)、ジョセフ・スティグリッツ(コロンビア大学教授)といった著名な経済学者(いずれもノーベル経済学賞受賞)を擁しており、主流派に属している。反緊縮の動きは、そうした主流派の一部も巻き込んだ大きな潮流になっているということだろう。そして、その流れの中からMMTも生まれたのだと捉えるべきだと思われる。それによって、やや視野狭窄(きょうさく)になりがちなMMTを巡る議論を相対化し、何らかの展望が開かれるのではという期待を抱かせるのである。

・反緊縮三派の主張は大部分で同じ

松尾は、前稿で見たようなMMTの主要な主張は、反緊縮三派の共通認識だとする。

・通貨発行の主権を持つ国家が財政破綻(はたん)することはない赤字財政や債務残高を気にする必要はない

・税金は財源ではない市中の購買力を抑えてインフレをコントロールする手段である

・赤字財政での国債発行も本来不要である国債を発行するのは、金利の調整が目的である

・不完全雇用の間は通貨発行で政府支出を賄ってもインフレは悪化しない「財政ファイナンス」を認めている

・(外国を捨象すれば)政府の借りは民間の貸し(あるいはその逆)であり、民間の貯蓄投資バランスが貯蓄超過(貸し)なら、政府は財政赤字(借り)になるのは必然である。

・反緊縮三派の相違点

反緊縮三派は、上記のように主流派の財政緊縮論を否定しているが、では違いはどこにあるのか考えていきたい。なお、ここではMMT派と新ケインズ派の違いに焦点を当てる。信用創造廃止派は金融を公共化するという急進的な主張をしており、論点が広がりすぎるため本稿では触れない(*注4)。

中野は、主流派(新ケインズ派を想定)との対立点を「内生的貨幣供給論(MMT)」と「外生的貨幣供給論(主流派)」の違いにあるとする。しかし、松尾と野口はともに、こうした対立点を否定する。そこで両派の主張を比較検討したい(=論点1とする)。一方、新ケインズ派からは、MMTが金融市場における金利調整機能に否定的である点を、主流派との最大の相違点だと指摘する。この問題は、中央銀行の機能を受動的とみるか能動的とみるかの違い(野口)とみても良いだろう。この点について両氏の主張を検討することで、MMTの課題を探りたい(=論点2とする)。

論点1:「内生説」と「外生説」という対立点

・リフレ政策を巡る議論

中野は、内生説と外生説の対立点の説明にあたって、主流派によるリフレ政策の失敗を例に挙げる。そこで理解の前提となるリフレ政策を巡る議論を整理しておきたい。

アベノミクスでは大規模な金融緩和政策がとられたが、その理論的根拠となったのが新ケインズ派(左派)の主張であり、「リフレ派」と呼ばれている。一般的にリフレ派の理論は――政府・中央銀行(「統合政府」で考える)が数パーセント程度の緩慢な物価上昇率をインフレターゲットとして意図的に定めるとともに、長期国債を発行して一定期間これを中央銀行が無制限に買い上げることで、通貨供給量を増加させて不況から抜け出すことが可能だとするもの(*注5)――と理解されている。

中野はこれを――日本銀行が国債を民間銀行から購入して「マネタリーベ-ス(現金+日銀当座預金)」を増やせば、「マネーストック(市中に流通しているおカネ)」が増えて物価も上がることを意図した金融政策――と要約する。なお、リフレ(リフレーション=通貨膨張)とはインフレにならない程度に物価を引き上げるという意味で使われており、アベノミクスでは消費者物価上昇率2%程度を目標(インフレターゲット)としていた。しかし、このリフレ政策は十分な成果を上げることはできなかった。大規模な金融緩和にもかかわらず、物価は上がらなかったのである。

MMT派の主張:「内生―外生」の対立

中野は、リフレ政策の失敗の要因を「外生説」に求める。主流派経済学(新ケインズ派)は、貨幣を所与のものと想定しているので「外生説」――中央銀行はマネタリーベースを操作すればマネーストックを増減させられる――に立つとする。一方MMTでは、「内生説」をとるので、中央銀行がマネタリーベースを直接的に増減させることはできないと考える。リフレ派は内生説を理解していないために、リフレ政策に失敗したと批判するわけである。

内生説に立てば、貨幣供給量を増やすのは、借り手の資金需要である。しかしデフレで民間の資金需要がないために政策は機能しなかったというのが中野の解釈である。そして民間に資金需要がないのであるから、政府が財政支出をすることで需要を作り出すべきだというMMTの元来の主張を導くのである。

・新ケインズ派(左派)からの反論:「内生―外生」は対立点ではない

これに対して松尾は、日本では「リフレ派」は、金融緩和だけを主張しているように思われているが、それは誤解あるいは少々バイアスがかかった見方であるという。なぜなら――日本は「流動性の罠(わな)(*注6)」の状態にあり、マネタリーベースを増やしても、市中銀行は超過準備を維持するだけで貸し出しが増えないことは、大前提として共有されている認識である。リフレ派が金融政策で目指すのは、金融緩和によって人々の将来のインフレ期待を上昇させて実質金利を低下させることにある。その効果が十分でないなら、財政支出の拡大も考えられており、金融政策一元論ではない――と言うのである。

また松尾は、金融政策の目標によって、理論モデルの変数は「外生」か「内生」かが違ってくるだけなので、主流派が常に外生説に立つかのような批判は的外れだとする。野口も、同様に「内生―外生」の対立という論点は存在しないとした上で、MMT派と主流派の真の対立点は、「中央銀行が果たすべき役割」にあると指摘する。

論点2:中央銀行の役割と金利調節機能の否定

・「中央銀行受動主義」対「能動主義」という対立点

中央銀行は三つの機能――①発券銀行(通貨の供給)②銀行の銀行(最後の貸し手)③政府の銀行(政府の資金収支の事務)――をもつ。根幹となる機能は、(1)通貨の供給であり、その調整を通じたマクロ経済の安定化(これが金融政策)を目指す。インフレに対しては、通貨供給を抑制(金利を上げる)し、デフレに対しては通貨供給を増やす(金利を下げる)政策を行う。中央銀行がインフレ傾向にあると判断して金融引き締めを行う場合、それは不人気政策なので政府が圧力をかける可能性がある。これを防ぐために中央銀行は政府から独立する必要があるとされている(「中央銀行の独立性」)。以上が一般的な中央銀行の理解である(*注7)。

こうした理解は主流派経済学に基づくもので、中央銀行はマクロ経済の安定化のために、金利を適切に調整してインフレやデフレを起こさないように調節することが前提となっている。しかし、MMTは財政政策によってマクロ経済の安定を図ることを基本としている。野口は、この点に関し、MMTにおいては、中央銀行は金利を操作するが、それは政策金利を一定の水準に維持するための操作――目標の利子率を定めて、それより上がったら下げる、下がったら上げる――にすぎないとする。野口は続けて、MMTは貨幣供給の内生性を強調するが、その結果として中央銀行の能動的役割を軽視し「中央銀行受動主義」に陥っていると批判する。そして主流派は、中央銀行の金利調整機能を重視する「中央銀行能動主義」なので、対立点は中央銀行の機能を「受動」とみるか「能動」とみるかにあると言うのである。

・金利調整機能の否定

野口は、MMTが中央銀行の役割を受動的だとする理由は、「市場経済における金利の調整機能そのものを全般的に否定している」からだという。MMTにとっては、金利は「中央銀行が政策的に決めるもの」であるが、「市場の需給」とは無関係である。金利の役割は、民間銀行が資産を選択する(国債を購入するか準備預金においておくか)場合に、影響を与えるだけだと考えているとしている。

さて、ここで金融市場の一般的な理解を確認しておきたい――金融市場とは金利メカニズムを通じた資金の効率的配分を行う場である。金融市場には、債券市場、株式市場、デリバティブ市場、為替市場など多くの市場が自然発生的に生まれ、相互に密接に関連しあっている。また、世界には国ごとに金融市場があり、さらに地域的な広がりを持ったオフショア市場が存在する。ICT(情報通信技術)の発達によりこうした世界の市場は瞬時に接続されるようになり、相互に影響を与え合いながら活動しているのである――。こうした金融市場にあって中央銀行の重要な役割は、政府から独立してインフレ(あるいはデフレ)にならないように金利を調整することだという理解の上に、市場が成立しているといって良いだろう。

こうした市場機能へのMMT派の否定的見解は、新自由主義的な市場至上主義に対する批判を超えた原理的なものだと思われる。そのためMMT派の中央銀行に対する考え方を確認しておきたい。

MMTにおける中央銀行の位置づけ

MMTにおいては、中央銀行はどう位置づけられているのであろうか。中野は、内生的であるマネーストックを、「中央銀行は制御できないとみなす」と言う。他方、金利については、中央銀行が誘導目標を設定して制御できるので、外生的であるとする。金利調節機能を認めていないのではなく、金利を調節しても経済の需給をコントロールできないと言っているのである。

また中野は、金融システムの中で中央銀行には「(3)最後の貸し手」としての機能があることを認めている。しかし続けて、中央銀行が「最後の貸し手」として認められるのは、中央銀行という制度の基盤を国家が支えているからであるとする。「最後の貸し手」の機能は、中央銀行というよりは「国家に属するというべき」だと主張するのである。ここに中野がいう国定信用貨幣論の特徴がよく現れていると思う。

MMTが主張するインフレ対策の自動調節機能

MMTは財政政策と税金の活用で、マクロ経済の需要と供給をコントロールしていくことを基本政策としている。財政規律は、インフレ率を基準とするとしており、例えばインフレ率2%を目標と定め、利子率はこの水準に固定するように調整する。積極的な財政支出で景気が良くなってくると、民間の貸し出しが増え(いわゆる信用創造)、金利は上昇していく。このとき、主流派の金融政策においては、中央銀行が金利を引き上げ、経済の過熱を防ぐ政策が採られるはずである。しかし、MMTは内生説から、こうした金利の調節機能の効果に否定的であり、財政政策と税制でコントロールすることになる。しかし、社会保障や大規模プロジェクトへの公的支出は簡単に縮小できない。また、増税しようにも民主的プロセスに時間がかかり、迅速に税制を変更することは現実的には不可能である。この場合、MMTはどのようにしてインフレをコントロールするのであろうか。

MMTは、一義的には、税制(所得税)には景気が良くなってくると税額が増えて消費のいっそうの加熱を抑制するという調整機能があるとしている。その上で、「就業保障プログラム」による自動調整機能を提唱している。この政策は、働くことを望んでも職がない者の全てを政府が最低賃金で雇用する政策である。そのメカニズムは――景気が悪化して失業者が増大すれば、政府は多くの人を雇用する。そうすると政府支出が増えて景気を引き上げる。一方、景気が過熱した場合は、民間の職が増えてかつ民間の方が賃金が高いので、雇用は民間に移動する。その結果、政府支出が減少して景気を抑制する――というものである。インフレの状況に応じて自動的に政府支出が増減するメカニズムが組み込まれているので大丈夫だとするのである。

MMTは失業・貧困対策として、現金を直接給付するようなベーシックインカムよりも、「就業保障プログラム」のような直接雇用創出政策を推奨している。こうした政策は米国で提唱されているが、雇用慣行が違う日本での実効性については検討すべき課題が多いと考えられる。

政策協調の可能性

・主流派(反緊縮派)からの呼びかけ

野口は、新ケインズ派(左派)であるクルーグマンやブランシャール(米国経済学会会長)といった経済学者を例に挙げ、反緊縮主流派の側から「少なくともゼロ金利であるうちはMMTと共闘できる」といった見解が出ているとする。その理由は、金融政策が政策金利の下限に直面した状況では、「金利調整を通じたマクロ経済の安定化」という主流派の基本政策が実行不可能になるからである。野口は、反緊縮主流派の多くが、金融政策と財政政策との何らかの意味での政策協調を訴えているのはそのためであるとしている。そして反緊縮主流派が唱えるその政策協調は、「財政政策が主導し金融政策がそれに同調するというMMTの政策戦略と、少なくとも結果においては一致する」からである。

しかし続けて、インフレ目標が達成されたら、「両者は再び元の対立関係に戻る」としている。MMTは「中央銀行による金利調整の無効性」の立場から、マクロ安定化の役割は財政政策が担うべきだと考える。しかし、主流派の多くは「中央銀行による金利調整なしに財政政策だけに頼るのでは、マクロ経済の安定化など到底実現できるはずはない」と考えるからである。

・ケインズ派の本家争い

新ケインズ派とMMTを主張するポストケインズ派は、同じケインズ経済学から出発している。理論面で近い立場にあるが、MMTは、新ケインズ派を「亜流ケインズ派」と呼び敵対心をむき出しにしている。中野は、新ケインズ派を――市場経済における価格メカニズムの不完全性を強調しながら、その市場の不完全性を新古典派のミクロ経済学によって説明しようとするもの。その結果、主流派経済学として認知され勢力を拡大し、一方でケインズの貨幣論に忠実に従ってきたポストケインズ派は主流から排除されてきた――としている。前述の「内生―外生」の対立点もポストケインズ派からみれば、新ケインズ派は貨幣論を理解してないということになるが、新ケインズ派に言わせれば「いいがかり」(野口)ということになる。両派の協調は容易ではなさそうである。

野口の見立てでは、両派が理論面で対立するのは、ケインズの見解が時代の変化とともに変わっていったからだという。すなわち、ケインズはその初期においては財政政策を重視していた。しかし、時代環境の変化とともに金融政策重視に変わっていったという。野口は、前者を「ケインズ主義Ⅰ」、後者を「ケインズ主義Ⅱ」と名付けて区別している。MMTは前者であり、財政政策を重視する。一方、新ケインズ派は後者の理論を発展させて、現在では金融政策は、「金利」だけでなく、「為替」や「資産」、あるいは「期待」といった様々な経路を通じて政策効果を発揮することが確認されているという。両派の距離は隔たっており、共闘したとしても、最終的には理論的に相いれないので、対立に至るだろうというのが野口の結論である。

本稿のまとめ

・反緊縮の中のMMT――MMTの論理的一貫性

本稿では、反緊縮の潮流の中でMMTをとらえようと試みた。そこから見えてくるのは、MMTと新ケインズ派は、貨幣論や財政論において基本的な理解に大きな違いはないということである。両派は、財政支出にあたって国債発行や税収といった財源は必要ないと考えており、デフレ克服にあたっては、財政赤字を気にせずに積極的に財政支出を行うことで需要を創出すべきであるという政策で一致する。また、新自由主義的政策によって格差が拡大し、社会的公正が失われているので是正すべきだという問題意識も共有する。にもかかわらず、協力して主流派(財政緊縮派)に対抗していこうという機運が生まれないのは、理論的対立点が存在するためである。すなわち、マクロ経済の安定は財政政策主体で可能とするMMTに対し、金融政策を重視する新ケインズ派の違いである。それは、内生的要因としての資金需要を重視するMMTが、金利調節機能の効果を限定的とみることに起因するものと考えられる。

MMTの財政政策を主体とするマクロ経済運営は、インフレ対策の自動調節機能を組み込むことで円滑に機能すると主張され、論理的には一貫しているといえる。したがって、MMT派は金融政策の位置づけを変える必要性を感じていないと思われる。

しかしながら、現代の先進諸国における金融政策は財政政策と一体的に運営される傾向が強まっている点を指摘しておきたい。今回のコロナ危機対策として、日銀は民間銀行を通じて企業の資金繰り支援を行うことで倒産や失業を防ぐ役割も果たすなど、中央銀行の役割は従来の「物価の安定(インフレ退治)」から「金融の安定」に拡大している。また政府債務の膨張が続く中、中央銀行による低金利の維持は財政の持続可能性を高めるために不可欠と考えられている。このように、金融政策は財政政策と一体的に運営されるようになっているのである。さらに、政府の意にかなう人物を日銀総裁に送り込んで、政府と日銀が協調して政策運営にあたることで一体化を進めているといえよう。これをもって実質的には、政府(財政)が主であり日銀(金融政策)が従属しているという見方も可能だろう。また、発行された国債の大部分を日銀が購入することが常態化しており、以前から金利調整機能の弱まりが指摘されているように、低金利によって市場機能は弱体化に向かっているのである。こうした変化の背景にある、低金利、低インフレ、低成長の構造化をどう分析して政策に結びつけていくのか、MMTと新ケインズ派による建設的な議論を期待したい。

・賢く強い政府は可能か

MMTの強みは、貨幣論が現実の金融実務と整合性があることであり、その原理が政策まで一貫していることである。マクロ経済運営において、財政政策を主体とし金融政策はそれに補完的と位置づけている。すでに見たようにMMTは、低インフレが構造化しているという認識をもち、現在はデフレ対策としての財政政策に注力すべきだと主張している。政策が成功して金利が上がってきても、「就業保障プログラム」のような自動調整機能を経済に組み込む政策などで、過度のインフレにならないように制御していけるとするのである。MMTへの様々な批判に対して、答えが準備されているのである。

しかし、こうしたMMTの諸政策を推進していくには、非常に賢くかつ強力な政府が前提となる点に留意が必要である。元々強い力を持つ現代の政府が、財源不要の財政支出が可能になるのである。所得税の累進度と捕捉率を上げれば、格差是正も進められる。政権を取れば、制約なしにやりたいことは何でもできる万能に近い政府になるのである。いや、むしろ賢くて強力な政府でなければ万能政府は円滑に運営できないと言うべきだろう。

日本でそれが可能であろうか。能力という点はおいておくとして、可能性は低いと思われる。理由は二つである。

理由1:日本ではMMTを支持する政治的基盤を欠いている。MMTは米国では民主党のリベラル急進派によって支持されているが、日本では野党勢力は現在までのところ大きな関心を示していない。その要因として、理由2が関係していると思われる。

理由2:中野は、地政学的な大変化の時代にあって日本は新しい「富国と強兵」策を採るべきだと説く。だからMMTが必要なのである。しかし、(「賢明」はともかくとして)「強力な」主権国家日本は、日本の野党勢力のシナリオにはないと思われる。そして、もっと重要なのは、米国も中国もそれを望まないだろうということである。

これらの問題に関しては次稿で考えたい。

<参考書籍>

『富国と強兵――地政経済学序説』中野剛志著、東洋経済新報社(2016年12月初版)

『奇跡の経済教室――基礎知識編』中野剛志著、株式会社ベストセラーズ(2019年4月初版)

『奇跡の経済教室――戦略編』中野剛志著、株式会社ベストセラーズ(2019年7月初版)

『反緊縮三派の議論の整理』松尾匡、景気循環学会68号(2019年11月)

『反緊縮のマクロ経済政策理論』松尾匡、機関経済理論第54巻第4号(2018年1月)

『反緊縮経済諸理論の中のMMT』松尾匡、ケルトン教授シンポ(2019年7月16日)

『反緊縮のマクロ経済政策諸理論とその総合』松尾匡、大阪市立大学経済学雑誌第119号第2号(2019年2月)

『MMT(現代貨幣理論)の批判的検討』野口旭、ニューズウィーク(2019年7月23日〜8月20日に全6回掲載)

(*注1)松尾匡(1964〜):立命館大学教授、経済学者:専門は理論経済学。『反緊縮経済諸理論の中のMMT』で自身を「左派ニューケインジアンの側にある」としており、本稿では新ケインズ派とした。しかし、Wikipediaによると、自身を「マルクス経済学者」と位置づけていると紹介されている。

(*注2)野口旭(1958〜):専修大学教授、経済学者:専門はマクロ経済

(*注3)中野剛志(1971〜):経済産業省参事官、評論家

(*注4):信用創造廃止派:松尾は「貨幣のような本来公共インフラというべき制度が、民間の企業と銀行の私的利潤目的で作られていると批判している」とし、「貨幣発行と投資を、利潤目的で私的になされるものから、公共的になされるものへ社会化する志向」だとしている。宇沢弘文の「社会的共通資本」に通じるものがあると思われるが、本稿の論点からずれるので、比較の対象としていない。

(*注5)コトバンク>知恵蔵

(*注6)流動性の罠:金利(名目金利)がゼロ近くまで低下し、投機的需要が無限に大きくなる状態のこと。手持ち資産は貨幣のまま保有しようとするため、市場への供給量を増やしても、民間投資の増加にはつながらないことから、金融政策の効力が損失する。(資料:野村證券・証券用語集)

(*注7)日本総合研究所『金融講座』の「中央銀行の役割」(河村小百合主席研究員、2020年4月)及び「おしえて 日銀」を参考に再構成した

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