日本を改めて考えつつ心躍らせて
シドニーを歩く(その4完)
『四方八方異論の矛先-屋台村軒先余聞』第24回

11月 24日 2025年 社会

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元記者M(もときしゃ・エム)

元新聞記者。「ニュース屋台村」編集長。南米と東南アジアに駐在歴13年余。座右の銘は「壮志凌雲」。2023年1月定年退職。これを機に日本、タイ、ラオス、オーストラリアの各国を一番過ごしやすい時期に滞在しながら巡る「4か国回遊生活」に入る。日本での日課は5年以上続けている15キロ前後のウォーキング。歩くのが三度の飯とほぼ同じくらい好き。回遊生活先でも沿道の草花を撮影して「ニュース屋台村」のフェイスブックに載せている。

◆フェリーの中で知った「高市総裁選出」

オーストラリア・シドニーに到着した9月半ばは石破茂総裁(首相)の後任を選ぶ自民党総裁選挙の最中だった。総裁選レースを戦っていた5人の候補のうち、私は特に推す人はいなかったが、正直なところ、総裁になってほしくない1人がいて、それが高市早苗だった。下馬評では決選投票にもつれ込むのは確実で、その場合は小泉進次郎と高市の2人の争いになるだろうと予想されていたから、最後は「小泉で決まりか、まぁしゃあないな」と思っていた。

「回遊生活」の間、備忘録として付けている日記を見ると、新総裁が選出された10月4日、シドニーは朝から雲一つない快晴で、シドニーのランドマークの一つであるサーキュラーキーからフェリーに乗ってハーバーブリッジやオペラハウスを眺めながら15分後にローズ・ベイのワーフ(埠〈ふ〉頭)に到着。午前9時半すぎにワトソンズ・ベイまでの約8キロの海岸沿いのルートを歩き始めた。

シドニー湾を囲む一帯は、いかにも値が張りそうなお城のような豪邸が建ち並ぶ住宅街が各所にあり、そこを通り抜けるとシドニー・ハーバー国立公園に出る。ローズ・ベイからワトソンズ・ベイにいたるルートはこの国立公園の中でも比較的簡単なウォーキングコースでお年寄りのグループともよく出会う。

このルートのちょうど中間点あたりにあるストリックランド・ハウス(カララ・ハウスとも呼ばれる)は19世紀のビクトリア朝イタリア風様式で設計され、当時はシドニーの有力者たちの邸宅だった。この近くに、シドニー湾を隔てて海の向こうにハーバーブリッジやオペラハウス、林立する高層ビルなどシティが一望できるベンチがあり、私はいつもここで休憩しながらシティを眺めつつ、昼ご飯を食べている。

心躍るシドニーの景色 2025年10月27日 筆者写す

総裁選の結果は「小泉で決まりか、まぁしゃあないな」と思っていたから、気にも留めず、この日は日本のニュースは見ていなかった。昼ご飯の後、去年は改修工事中だったが新しくなったニールセン公園を通り、パースレイ・ベイに架かる吊り橋を渡ってワトソンズ・ベイのワーフに到着。ワーフからなだらかな坂道を5分ほど歩くと、大勢の観光客が集まるギャップ断崖(だんがい)があり、私も観光客に混じってその眺めを楽しんだ。

再びワトソンズ・ベイに戻ってサーキュラーキーに戻るフェリーの中でスマホを見て、高市が決選投票の結果、小泉を破って新総裁に選ばれたことを初めて知った。

ありぁあ~、なんたること! フェリーを降りて電車に乗り換えた後も、私は投票結果の分析に関するニュースをずっと見続けた。

◆「メイク・ジャパン・グレート・アゲイン」

家に戻ると、私の帰宅を待っていたかのように、日本に留学経験のある叔父から「すごいね、日本で初めての首相!」と声を掛けられた。

この時点では、高市はまだ首相ではなかったが、自民党の長期政権時代を知っている叔父は「自民党総裁イコール首相」と思い込んでいる。そこで私は「いや、まだわからないよ」と、少数与党である自公連立政権(当時)の現状を説明しつつ、内心は、野党がまとまって統一候補を擁立し高市の首相選出を阻止してほしい、と願っていたのだが、そうはならなかった。

その後も叔父は「タカイチってどんな人?」と繰り返し尋ねてきた。私は国際会議か何かの取材の折に高市を近くで見ることがあって、ぶら下がりでテレビカメラが回っている時とそうでない時の表情や態度の違いがあまりにも大きかったので良い印象は持っておらず、「安倍の子分。保守派の中の右派。トランプとウマが合うよ、きっと」と答えた。

すると叔父はすかさず「メイク・ジャパン・グレート・アゲインだね」と冗談を言ったが、私はまさにその通りだなと内心、苦々しく思った。

それにしても、高市政権の支持率の高さには驚くばかりで、10月21日に発足した高市内閣の支持率は1か月経っても軒並み高水準を維持している。最も辛口の朝日新聞でも69%(11月16日段階)と歴代屈指の高さを保っている。

一方、円相場は下落するばかりだ。私は海外で「回遊生活」をする際、生活防衛のために日本円を少しずつ現地通貨に両替するようにしているが、実勢の対オーストラリア・ドル換算でみると、自民党総裁選の最中の9月25日は1豪ドル=102.6円、高市首相就任後の10月25日は同104円、直近の11月17日の両替では同105.5円と、円は安くなる一方だ。

12月に訪日旅行を計画している姪(めい)たちは嬉々(きき)としているし、早くも来年6月の北海道旅行のツアーに申し込んでいる親せきの夫婦は「いまのうちに、日本円に両替しておいたほうがいい?」と聞いてくる。私は「いや、円はまだまだ弱くなるかもしれないから、しばらくは静観したほうがいいと思う」と助言しているが、もう半ば諦め気分である。

◆「新たな章」の新たな生活

前回第23回でも書いたが、去年5月に義母が亡くなって以来、シドニーに住む妻の一族の生活は「新しい章(チャプター)」を刻み始めている。

義母が亡くなるまで一貫してその介護の中心的な役割を担っていた3番目の妹(独身)は、義母の死後、外で働き始めた。義母の存命中、妹はニューサウスウェールズ州政府から支給される義母の介護手当を生活費の一部に充てていたが、これがなくなったためだ。豪州の年金受給は原則67歳からで、年金を満額受け取るには、それまで働かなければならない。

ずっと自宅で義母の世話をしていた妹にとって、外に働きに出ることは容易なことではない。職探しはまず、この国で失業手当など政府手当を管轄する部署である「センターリンク」に申請。その後、センターリンクに登録している人材派遣会社で面接し、派遣会社はこれを元に本人が希望する仕事を探し、見つかったら仕事の内容や勤務時間、待遇などを本人に連絡。条件面が合致すれば働き始めることになる。

雇用契約は派遣会社との間で結び、仕事に関する問い合わせの窓口は就業先ではなく、派遣会社に一本化されている。豪州では近年、人材派遣業界が急成長しており、妹のようなケースはかなり多いとみられる。

ただし、条件面が合致して働き始めたからといって、すぐに仕事が軌道に乗るかといえばそうでもなさそうだ。妹によれば、派遣会社から最初に提示された仕事の内容が実際に働いてみると違っていたりすることが往々にしてあり、場合によっては派遣先から派遣会社に「紹介された人材はうちの仕事には向いていない」とクレームがあり、派遣初日にわずか半日で半ばクビ同然で辞めざるを得ないこともあるという。

ただ、派遣会社にとっても「人材を派遣してなんぼの世界」。センターリンクから受け取る手数料や、紹介した人材が派遣先から支給される時給からの取り分を考えれば、できるだけ長期間働いてくれる派遣人材をできるだけ多く抱えていたほうが儲(もう)かる。

待遇は仕事の内容にもよるが、妹が実際に従事したことのある食パン製造やIT部品の仕分けなどの手作業の場合、時給は平均35豪ドル(直近の実勢レートで約3710円)。これは派遣会社の取り分を差し引いた手取り額なので、実際の時給はもっと高い。今年10月3日に発効した東京の最低賃金(時給1226円)の3倍以上だが、オーストラリアの物価高を考えれば決して高くはない。

さらに、本人が希望する仕事がすぐに見つかるとは限らず、すでに中高年の域にある妹は複数の派遣会社に登録しておいて、呼び出しのあった派遣会社に出向いては新しい仕事を紹介してもらっている。だが、派遣会社にも面倒目の良いところと悪いところがある。妹はこれまでに複数の派遣会社を通じて紹介された3社で働いたが、本人と派遣先企業のニーズが合致せず長続きしていない。

求職活動の期間中はセンターリンクから失業中の手当として「求職者給付金」(JobSeeker Payment)が支給される。現在は2週間ごとに約866豪ドル(直近の実勢レートで約9万1800円)だが、持ち家があってもこれだけでは生活できず、蓄えを取り崩して暮らしているのが現状だ。

◆心躍らせながら歩く喜び

 今回もシドニーをよく歩いた。日本では毎月平均500キロ歩いているが、2か月超の滞在で控えめに見積もっても同じくらい歩いたと思う。日本では妻に常々、「日本で一生懸命歩いているのは、ひとえにシドニーで元気に歩くため」と言っている。自宅近くの江戸川周辺の3都県にまたがるお決まりのルートを歩いているが、シドニー滞在中は私が夕方にウォーキング先から戻ってくると、妹からいつも「お兄さん、きょうは何キロ歩いたの?」と尋ねられた。

シドニー・ハーバー国立公園を中心に、ニューサウスウェールズ州政府観光局が推奨するボンダイ・ビーチからマンリー・ワーフに至る、シドニー・ハーバーを俯瞰(ふかん)で見渡せる風光明媚(ふうこうめいび)で起伏に富んだコース(総行程約80キロ)を数日かけて2回踏破した。

さらに、南は映画「ミッションインポッシブル2」のクライマックスシーンでトム・クルーズが全速力で走り回ったラ・ペルーズを散策したほか、今回新たにシドニーのビーチの中で唯一電車で行ける郊外のクロヌラまで足を延ばし、初夏とはいえ射るようなきびしい日差しを浴びながら、7キロ以上続く浜辺と半島の計約40キロを2日かけて歩いた。北はマンリー・ワーフから路線バスで約1時間半北上し、サーファーに人気のあるパームビーチを起点に半島の小高い丘の上に立つバレンジョイ灯台まで急しゅんな坂道を上り、京都の天橋立(あまのはしだて)のような景色を楽しんだ。

映画「ミッションインポッシブル2」の舞台になったラ・ペルーズ 2025年11月18日 筆者写す

好きなウォーキングコースは何度歩いても歩くたびに新たな発見があり、飽きることがない。高校を卒業するまで山奥の人里離れた寒村で育った私にとって、大海原や海岸線の断崖絶壁が見えるコースは脚がひとりでに前に出るほど心が躍動する。今年はウォーキングの途中の休憩中に沖合のザトウクジラも目撃できた。高所は苦手だが、ハーバーブリッジから見下ろす海やオペラハウス、シティの眺めは病みつきになる。

シドニーで目の前に広がる景色に心躍らせながら歩けるのはさて、いつごろまでだろう。来年もまた必ず、ここに戻ってこよう。歩きながら、強くそう思った。(文中一部敬称略)

※『四方八方異論の矛先-屋台村軒先余聞』過去の関連記事は以下の通り

第23回「妻の一族に『家族のあり方』を考える―シドニーを歩く(その3)」(2025年11月17日付)

https://www.newsyataimura.com/motokisham/#more-22820

第22回「『移民の国』の日常―シドニーを歩く(その2)」(2025年11月4日付)

https://www.newsyataimura.com/kisham-25/#more-22784

第21回「一日のうちに四季の移ろい―シドニーを歩く(その1)」(2025年10月20日付)

https://www.newsyataimura.com/kisham-24/#more-22746

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