小澤 仁(おざわ・ひとし)

バンコック銀行執行副頭取。1977年東海銀行入行。2003年より現職。米国在住10年。バンコク在住27年。趣味:クラシック歌唱、サックス・フルート演奏。
今回の米国出張にあたり、多くの友人から「アメリカは危険だから行かない方がいい」と忠告を受けた。日本のメディアは、ワシントンDCでの政府職員解雇反対のデモやロサンゼルス市内の暴動の映像を頻繁に流していた。米国では反トランプの運動が大きなうねりを見せ、国内では政治的分断が進んでいる――私はなんとなくこんな印象を持っていた。
私だって好き好んで危険な場所に身を置くことはしない。それでも「アメリカの危機がどこまで進んでいるのか?」この目で見てこないと信じられない。滞在地の宿泊場所の選定にあたっては、インターネットや米国に最近まで住んでいた友人の情報を頼りに万全を期した。ニューヨークではマンハッタンのミッドタウンの東側、ロサンゼルスではビバリーヒルズ、サンフランシスコはユニオンスクエア周辺のホテルを選んだ。ロサンゼルス勤務時代の1992年に大規模な暴動を目の当たりにした私は、暴動の恐ろしさを嫌というほど知らされている。この時は黒人と白人、黒人と韓国人が衝突して63人が死亡、逮捕者1万人、3600件の火災が発生しロサンゼルス市内は火の海と化した。今回の渡米も最悪を想定して準備を進めた。
◆良くなった治安に肩透かし
しかし、今回の訪米で最も肩透かしを食らったのは、治安についてである。
米国はトランプ大統領が就任してから治安が格段に良くなった。安全な国になった。ニューヨークの中心街マンハッタンの街から浮浪者がいなくなり、あのハーレムでも夜に外を歩けるようになった。ハーレムにはちょっと高級なスーパーマーケットが現れ、さまざまな人種の人が歩いている。ハーレムの西側には高級老人ホームが建設され、身なりの良いお年寄りがコーヒーを楽しんでいる。
ボストンでは繁華街のサービスアパート(民泊)に宿泊したが、深夜3時ごろまで学生たちがバーやレストランで騒いでいた。テキサス州オースティンでは週末だったため唯一、反トランプの100人ほどのデモ隊に遭遇したが、メキシコ風の衣装を身に着けた人たちが楽器を鳴らしながら陽気にデモをしていた。
「オースティンは全米でも最も音楽が盛んな街」と喧伝(けんでん)されることがある。街中の音楽レストランやジャズクラブでは遅くまで人々が音楽を楽しんでいる。深夜歩いても危険な香りはどこにもない。4か所目の訪問地ロサンゼルスは、今年3月に暴動が起こり治安が悪いと聞いていた。このためダウンタウンを避けて、不便だがビバリーヒルズに宿を求めた。
ところが日本領事館やジェトロ(日本貿易振興機構)の人に聞くと、暴動があったのは不法移民の取り締まりを行ったロサンゼルス警察署や市庁舎の近隣だけであったようである。日本人街として有名な観光地、リトル東京がたまたまこの地域に隣接しているため、日本人観光客などは身の危険を感じたかもしれない。しかし、大手商社や自動車会社などはすでに拠点を市中心部からサンタモニカ、トーランス、アーバインなど郊外に移転。このため現地に駐在する日本人に聞くと、「治安は良くなった」という。
最後に訪れたサンフランシスコは私の目から見ると、ちょっと気持ちが悪かった。街の中心部には浮浪者がいて金の無心に来る者がいる。「マイノリティー保護」が徹底されているサンフランシスコは市当局や慈善団体が貧困者らに食事の無料提供を続けている。コロナ禍に伴う在宅勤務の普及によって市内のオフィスビルが無人化し、そこに浮浪者が居座ってしまったようである。しかしサンフランシスコでも、日本領事館やジェトロの関係者は「10か月前に比べると格段に治安が良くなった」と言う。薬物常習者も取り締まられ、テンダーロインというエリアを除けば命の危険はないという。SNS上で氾濫(はんらん)している「サンフランシスコの危険情報」はすでに時代遅れになっているようである。
◆「反トランプ」のうねり感じられず
ここまで、今回私が訪れた5都市の治安状況について説明してきた。少なくともこの5都市に限って言えば、今年9月時点では治安は格段に良くなっている。「ラストベルト(さび付いた工業地帯」と呼ばれる米国中西部に広がる一帯は依然治安が良くないところもあると聞く。今回訪問した5都市での「トランプ評」は決して悪くはなかった。今回訪問した各都市は民主党の岩盤支持である「ブルーステート(青い州)」あるいは「ブルーシティー(青い都市)」と呼ばれるところばかりである。トランプ大統領に対する強烈な反対意見が渦巻いていると予想して訪米した私にとって、これまた拍子抜けであった。
「米国民のトランプ非難」の予想を裏切った最大の要因は「治安・安全の回復」にある。前回第303回でも説明したように、トランプにとって最も重要な政策目標の一丁目一番地が「米国を再び安全に」である。この最重要課題の達成のために、トランプは不法移民の排除やフェンタニルなどの違法薬物の徹底取り締まりを行ってきた。
目的達成のために、まずは「IEEPA関税(別名フェンタニル関税」を新設。これが確実に成果を収めてきている。街からは浮浪者がいなくなり、薬物患者が姿を消したのは先述の通りである。街が安全になれば、住民たちはこの成果を導いたトランプの功績を認める。極めて自然な流れである。
さらに、ここで無法地帯を作り出した民主党のバイデン前大統領への糾弾が始まっている。今回訪問した5都市では、バイデンの評価が恐ろしく低い。これも全くの想像外のことであった。
日本のメディアでも報道された通り、彼は認知症状態にあり、打ち出す政策もかなり無茶苦茶だったようである。極端にリベラルな姿勢を打ち出し、マイノリティー保護を徹底。「政府予算も大判振る舞いして社会保障制度の推進を図ってきた」という声を聞いた。彼の認知症状態が公になるにつれ、バイデンに対する米国民の不信感が増幅したようである。
ニューヨークの日本政府関係者の解説によると、①現在の民主党には党を引っ張れる強いリーダーが不在②バイデンによって極端にリベラル化された党の指針をどのように立て直すかの政策欠如――が民主党の大きな弱点となっているという。トランプに代わる次なるリーダーや理念の欠如がトランプの「不戦勝状態」を作り出しているようである。
3番目に指摘されるのが、トランプの経済政策への評価である。トランプの人柄については、彼の過激な発言や政敵を徹底的に攻撃する態度から嫌悪感を抱く人は多い。ニューヨークの人たちはトランプの不動産業での強欲さを熟知しており、彼を信用していない。進歩的な知識人ほど「自分の欲望を前面に押し出し、粗野で横暴なトランプ」とは肌が合わない。私の古くからのアメリカ人の友人の中には「トランプはクレージーだ」とまで言って軽蔑する人が複数いた。
社会政策についても、トランプの「自国主義」や「ジェンダー(男女の区別)復活」などに懸念の声が聞こえる。人種差別や男女差別が横行した米国の60年代、70年代への回帰を危惧(ぐ)する人たちが少なからずいる。特にリベラルな民主党の牙城(がじょう)であるカリフォルニア州ではこうした声が強い。ところがこうした地域でさえ、経済政策については「自由経済」を標榜(ひょうぼう)する共和党、ひいてはトランプの政策をひそかに支持している人が多くいるようなのである。
トランプの反対勢力である民主党支持層は、社会政策と経済政策で引き裂かれた状態に置かれている。このため今回の米国訪問では「反トランプ」の運動を大きなうねりとしては感じられなかった。繰り返しになるが、これは私にとって大きな見込み違いであった。
日本のマスコミは、反トランプのデモや暴動の様子を過激に映し出すことによって「受け」を狙っている。「読者や視聴者におもねった」日本の報道に対する現地駐在員からのクレームは、私の住むタイだけでなく中国を訪問した時も多くの日本の政府関係者や企業の人たちから聞いている。実際に米国に来てみて、私自身が知らず知らずのうちに日本のマスコミから洗脳されていたことに改めて気づかされた。
◆米国にもあった民主主義の危機
それでも、米国の政治情勢について強く懸念すべきことがある。それは米国民が公共の場ではあえて政治の話をしなくなったことである。いわゆる「分断」の進行である。
私が米国に駐在した30年前にはアメリカ人と昼食をとると、必ずと言ってよいほど政治の話が出た。仕事柄、「WASP」(ホワイト・アングロ・サクソン・プロテスタント)と呼ばれる白人、弁護士に多いユダヤ人、コンピュータープログラマー、下層階級であるファイナンス会社の従業員に至るまで、さまざまな米国人と常に昼食を共にしてきた。
彼らとの昼食の話題は、政治・経済から始まってスポーツ、ワインに至るまで多岐にわたっていた。特に政治の話が食事中に語られるのに驚いた。日本人は当時、一般的に政治には無関心で昼食時に話題になることなどなかった。ところが当時の米国では、進歩人だけでなくあらゆる階層の人たちが政治を話題にした。その意識の高さと議論に対する鷹揚(おうよう)さにびっくりした。
しかし今回の訪米時には、誰も積極的に政治を語ろうとしなかった。昔からの友人たちにその理由を聞いてみた。「最近は仲間と政治の話は全くしない」「誰が“トランプ派”か“反トランプ派”かは知っているが、政治を話題にすると人間関係がおかしくなる」「社会全体がぎくしゃくして許容度が狭くなっている」――。こうした本音が聞こえてきた。
トランプに代表されるX(旧ツイッター)による政敵への激しい攻撃。SNSを使った匿名性の高い非難の応酬。SNSという武器によって米国社会は深刻な分断が引き起こされている。社会環境の変化が米国をも許容度の低い社会に変貌させているようである。
うそを排除し、事実に基づいた真摯(しんし)な議論を行うことこそが民主主義の一つの基本である。こうした丁寧な議論が米国でも行われなくなりつつある、と私には感じられた。民主主義の危機が、ここ米国にもあった。(文中一部敬称略)
※『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』過去の関連記事は以下の通り
第303回「暴走続けるトランプ―米国出張記録(その1)」(2025年10月24日付)











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