トランプが開く「正気失った世界」
ハメネイ師殺害 腰引けた国際世論
『山田厚史の地球は丸くない』第308回

3月 06日 2026年 国際

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山田厚史(やまだ・あつし)

ジャーナリスト。元朝日新聞編集委員。「ニュース屋台村」編集主幹。

アメリカとイスラエルがイランを奇襲攻撃した。テヘラン中心部の執務室で仕事中だった最高指導者ハメネイ師も空爆の犠牲になった。「歴史上最も邪悪な人間の一人、ハメネイが死んだ」。トランプ大統領は自らのSNS「トゥルース・ソーシャル」で誇らしげに述べた。
 「イランによる差し迫った脅威を排除し、米国民を守るための作戦だ。これまでにない圧倒的な力を見せつける。イラン国民よ、今こそ自分たちの政府を掌握する時だ」と民衆による蜂起を呼びかけた。
 高性能弾を搭載したステルス戦闘機、自爆型ドローン 誘導ミサイル・トマホーク、地下貫通弾を投下するB2爆撃機……。宇宙から防空システムを無力化し、イランの反撃を封じて1250か所を攻撃した。軍事会議に集まった革命防衛隊など政府中枢を担う48人が犠牲になった。

◆ありえない明らかな「殺人」
 ハメネイ師は、巻き込まれて死亡したのではない。諜報(ちょうほう)機関が長期にわたる周到な監視で居場所を特定し、そこにミサイルを撃ち込んで殺したのである。「彼は、我々の諜報と高度に洗練された追跡システムから逃れることはできなかった」とトランプは演説で語った。
 3月2日付の大手紙朝刊は「ハメネイ師殺害」と大見出しで報じた。読売新聞の見出しだけが「ハメネイ師死亡」。そこに新聞社の姿勢が滲(にじ)み出ていた。「死亡」は事実ではあるが、ニュースは「死んだ」ことではなく「殺害された」ところにある。
 誰が殺したのか。アメリカとイスラエルの軍隊である。この日、この時間なら、執務室にいる、戦闘機で空爆すれば仕留められる。そんな作戦が一つの選択肢として報告されたのだろう。
 大統領は専用機の機中から「ゴーサイン」を出したことで、作戦は実行に移された。師と一緒にいた家族も巻き添えになって死亡した、後継者の一人とされていた息子は重体だという。
 ある国の大統領が、部下に命じて、他国の最高指導者を殺害した、となれば、「殺人」である。よその国に踏み込んで殺人を行うなど、普通ありえないことだ。

◆常識通用しないトランプやネタニヤフ
 気に入らないヤツだから、邪魔者だから、政治的に相いれないから……。動機はいろいろあろう。意見が違うから殺す、という身勝手な行動は、どこの国でも犯罪になる。
 軍を動かし、諜報機関の工作員、戦闘機のパイロット、作戦指揮官などを総動員して任務を遂行すれば、それは大手柄となり、大統領が「すごいだろ!」と世界に胸を張る。「最高指導者の暗殺」は「歴史的偉業」となり、手を染めた実行犯や共犯者たちは「お褒めの言葉」をいただく。
 トランプは「差し迫った危機を回避するための自衛的措置」と言ったが、真の危機などどこにもなかった。アメリカの攻撃が始まる前、イランとは戦争にもなっていなかった。
 ジュネーブではイランとアメリカの代表が「核開発の始末」につて協議中で、イラン側の提案をアメリカが持ち帰り、検討することになっていた。そうした交渉の最中、突然の総攻撃にイランは面食らったことだろう。核協議は、米軍の攻撃体制が整うまでの時間稼ぎでしかなかった、という論評もある。「奇襲」であることは、イスラエルの軍人がメディアに語っている。
 いずれにせよ、話し合いの途中、いきなり相手に襲いかかるようなことをすれば、世間では「卑怯(ひきょう)者」と言われる。国際法を持ち出すまでもなく、相手国の元首を奇襲で抹殺するなどは、人として「やってはいけないこと」である。その常識が、トランプやイスラエル首相のネタニヤフには通用しない。

◆腰くだけ国際社会
 今年1月、世界をびっくりさせる事件がベネズエラで起きた。米軍の特殊部隊が深夜、大統領公邸を急襲、寝ていた大統領とその夫人を捕まえ、アメリカに連行した。
 トランプが、ベネズエラのマドゥロ大統領を快く思っていないことはよく知られていた。経済制裁を課すなど外交もギクシャクしていた。だが、まさか特殊部隊をベネズエラに送り、大統領を拉致(らち)するとはほとんどの人は想像さえしなかった。
 力ずくで大統領を連行し、アメリカに従う政権をつくる。マドゥロ大統領はアメリカの裁判所でアメリカの法によって裁かれる。国際法や世界の常識など歯牙(しが)にもかけないトランプ流の身勝手な武力介入である。
 国際社会は、衝撃を受けたものの、一斉に非難が上がる、というにはほど遠い動きだった。トランプのやり方は常軌を逸してはいるが、マドゥロ政権にも問題がある、という「どっちもどっち」という腰くだけの反応だった。
 イスラエルは他国の主権などお構いなしに軍事力を使う国家だ。パレスチナ人の自治区ガザを執拗(しつよう)に攻撃し、ガザを統治するハマスの政治局長がイランの首都テヘランを訪れた時、空爆して殺害した。
 他国(イラン)に踏み込んで要人の暗殺を行うイスラエルのやり方に中東で批判が高まったが、欧州など先進国では「イスラエルとハマスの争い」と見なされ、強い非難は上がらなかった。
 ハマスの政治局長の事件はピンポイントで政敵を殺す「国家による殺人」。ベネズエラは、国家指導者を拉致し、政権を取り替える、という内政干渉だ。いずれも国際ルールを無視する暴挙だが、超大国アメリカに遠慮した国際社会は、明確な「NO」を突きつけなかった。
 他国に踏み込んで要人を殺しても、軍を動かして大統領を拉致しても、国際社会は怒らなかった。そんな「成功体験」がトランプやネタニヤフを増長させ、イラン攻撃へと向かわせた。

◆米国の暴挙に口閉ざす高市首相
 アメリカ・イスラエルに共通するのは「悪いヤツに始末をつけるには荒っぽいやり方もありだ」という身勝手な理屈。2つの世界大戦を経てアメリカ主導で築かれた「法による支配」や「力による現状変更は許されない」という世界秩序は、今や無惨である。
 今回も、国際社会の反応は、鈍い。
 国会でアメリカの攻撃を問われた高市早苗首相は「イランによる核兵器開発は断じて容認できない。国際社会の核不拡散体制を維持することは、日本の安全保障にとっても死活的に重要だ」と答弁。悪いのはイランだと言わんばかりで、米国の暴挙には口を閉ざした。
 トランプの奇襲攻撃は国際法違反ではないか、と問われても「現時点では事実関係の詳細が明らかではなく、政府として確定的な法的評価を下す段階にはない」と逃げた。
 日米安保条約で結ばれ、今月19日には訪米して首脳会談に臨む。トランプへのあからさまな批判を避けたい、という事情はあるだろう。それにしても、国際秩序を担ってきたアメリカが、他国を襲い、権力の中枢にいる人たちを根こそぎ殺害したという蛮行(ばんこう)に沈黙する、というのはどういうことだろうか。
 「トランプは言っても聞かない」「言えば怒るだけ、日本は不利益を被る」「懐に飛び込んでいいヤツと思われる方が得だ」。それが日本の対米外交である。
 アメリカから防衛力増強を迫られ、GDP(国内総生産)の3.5%へと積み増しを求められている。日本はGDPの1%をめどとしてきたが、バイデン前大統領時代に2%への拡大を約束し、2027年度までに達成することになっている。トランプは更に増額を求める。こんな時に、トランプを刺激するような発言をすれば、怒らせるだけで、無理難題を押し付けられる、と警戒する。
 安倍政権の後継を自認する高市首相は「トランプが機嫌良くなるよう手を尽くす」、それが同盟国日本の生きる道、と考えている。
 主要先進国の集まり、とされるG7諸国も同様だ。カナダは、真っ先にアメリカ支持を表明、英・仏・独の指導者も戦果拡大を憂慮しつつもトランプの作戦に理解を示した。
 EU(欧州連合)諸国は国によって温度差に違いがある。フランスのマクロン大統領は「空爆はイランの核開発や地域問題を解決できない」と泥沼化を懸念する。英国のスターマー首相は、イランの反撃をたしなめ、中東の英軍基地を米軍が使えるようにした。ドイツはイスラエル支持を表明。メルツ首相は2025年にイスラエルがイランの核施設を攻撃した時から「イスラエルは汚れ仕事を引き受けている」とイスラエル批判を牽制(けんせい)した。
 ドイツはナチスによるユダヤ人虐殺を歴史の汚点として再出発した国だ。イスラエルへの攻撃には敏感だ。だが「汚れ仕事」という表現には、ドイツの特殊事情を超えた「欧州諸国の本音」がうかがわれる。一言でいえば、伝統的な欧州にとってイランは「厄介者」なのだ。

◆「陰ながらの拍手」送る欧州
 中東のイスラム国家の中でイランは原理主義を貫く宗教国家であり、パレスチナではハマス、イエメンはフーシ派、レバノンではヒズボラ。中東各地のイスラム組織と連携し武装闘争を進めている。
 キリスト教文明の欧州から見ると、旧ペルシャであるイランは、歴史的大国で、十字軍の昔から西欧の対抗勢力だった。そのイランが核兵器を持つことは最悪と欧州諸国は考えている。
 核の拡散を防止する「NPT体制」は米ソを中心に欧州の戦勝国に核保有を認めることから始まった核の寡占体制である。イスラム原理主義のイランが核を持てば、相いれないユダヤ人国家のイスラエルを危機に晒(さら)すことになる。
 表向きは「異文化共存」を謳(うた)いながら、イランを疎ましく思う欧州諸国にとって、イランに武力で立ち向かうイスラエルは「汚れ役」を引き受ける国家なのだ。
 国際法や人道というルール・規範を超えて、文明の衝突の最前線に立つイスラエルに「陰ながらの拍手」を送る欧州の本音を明かしたのがドイツのメルツ首相だった。
 ユダヤ系の富豪や実力者が影響力を持つアメリカは、今やイスラエルと一心同体。経済制裁にめげず、自由を求める民衆の抵抗を抑え、イスラエル・アメリカと戦い、核兵器にたどり着きそうなイランを、いま叩かなければ安心できない、という状況にある。
 欧州の政治指導者の間では「国際法違反などと説教めいたことを言っている時ではない」という空気が漂っているという。

◆国際社会のルールは「無法者のルール」へ
 アメリカの軍事力を見せつけた今回の攻撃は、その威力だけでなく、「戦争」の形まで変えた。軍事大国は、宣戦布告などしなくても不都合な敵は抹殺できる。国家の軸となる指導者はピンポイントで殺害することもOK。国際社会のルールは「無法者のルール」へと変貌(へんぼう)しつつある。
 技術の進歩により探知システムや情報処理が飛躍的に向上し、個人の識別や所在地の確認が容易になった。宇宙から監視や攻撃が可能になり、いつでも、どこでも、相手がだれでも、殺害することができる力を大国は持った。
 問われているのは「できること」を「実行に移すか」である。善悪の判断、倫理観、社会全体への責任、など高い識見と判断力が問われるが、時の勢いで民衆から選ばれた政治指導者が、握った権力にふさわしい人間力を持っているといえるだろうか。
 テヘランの執務室にいたハメネイ師をミサイルで吹き飛ばすことを許すなら、ホワイトハウスごとアメリカ大統領が殺害されることも覚悟すべきではないか。現状ではそんな力を持つ国はないが、AI(人工知能)や情報システムの技術は日進月歩だ。そこに戦争が結びつけば、ピンポイントで「敵の大将」を消すことが可能な世界が開らける。できることはしてみたくなるのが人間だ。
 大国が持つ圧倒的な軍威力を恐れる小国は、なお一層「核」に頼ることになるだろう。
 北朝鮮は、イラン攻撃をどう見ているだろうか。襲ってきたらひとたまりもないが、その時は、アメリカに核弾頭を撃ち込む。今以上に核を命綱と考えるだろう。
 正気と思えない大統領が、「正気でない世界」の扉に手をかけている。(文中一部敬称略)

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