総監・長官 腹を切って謝罪を!
大川原化工機冤罪事件
『山田厚史の地球は丸くない』第289回

5月 30日 2025年 社会

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山田厚史(やまだ・あつし)

ジャーナリスト。元朝日新聞編集委員。「ニュース屋台村」編集主幹。

大川原化工機株式会社(以下、大川原社・本社横浜市)を巡る冤罪(えんざい)事件の民事裁判の2審で東京高裁が5月28日、厳しい判決を下した。液体を粉末にする噴霧乾燥機を製造・販売している中小企業が、細菌兵器に転用できることを承知で、機械を中国に輸出した、と社長ら3人が逮捕された事件である。

身に覚えがない容疑を認めなかった3人の収監は11か月に及んだ。技術担当顧問だった相嶋静夫さんは、過酷な取り調べの中でがんを発症し、冤罪が晴れないまま死亡した。自供しなければ保釈しないという「人質司法」の犠牲者である。

過酷な取り調べをさんざんしておきながら、警視庁は逮捕から1年4か月で突然、起訴を取り下げた。初公判の4日前だった。法廷で容疑を立証することは困難と判断したからである。この時点で公安警察の失態は明らかだった。公判も維持できないような事件に警察庁長官賞を与えていた。それが根本から崩れたのである。

◆組織防衛に走った警察上層部

喝采(かっさい)を浴びていたお手柄事件は、取り返しのつかない杜撰(ずさん)な捜査だった。露見したことは衝撃だったが、背後にある警察組織の劣化を正す絶好のチャンスでもあった。警視庁や警察庁は、このチャンスを逃そうとしている。

仮に反省があれば、事件の被害者となった大川原社の社長や相嶋さんのご遺族に謝罪し、責任者の処分という「償い」がなされたと思う。

対応は真逆の方向に進んだ。大川原社側が国家賠償訴訟に動くと、警視庁・警察庁は自らの非を認めず、原告の主張する「見込み捜査」や「事件の捏造(ねつぞう)」については「壮大な虚構」と切って捨てた。

「捜査は適切になされた」という姿勢は変わらない。指揮を執った公安部外事一課に連なるラインをかばい続ける。責任を追及すれが、出世コースにいる公安部長にまで及ぶ。人事秩序に傷がつき、組織を動揺させる。上層部は組織防衛に走った。

警察に限らず組織に誤りは付きものだ。大事なのは、失態が明らかになった時、自己修正できるか、である。失敗は現場で起きても、軌道修正はトップの仕事だ。だが、警視総監・警察庁長官という警察組織の2トップが、事態の深刻さを理解できない。

その結果、「警察組織の責任追及」へと動く大川原社側と全面対決となった。組織を庇い、世間を敵に回す泥沼へと警察は踏み込んでいった。

往生際の悪さは、かつてのジャニーズ事務所に似ている。週刊文春に取り上がられ、ジャニー喜多川氏の非行が露見した時、きちんと反省していればこれほどの事態にならなかったろう。力で押さえ込み、隠蔽(いんぺい)したことが、後に傷口を広げることにつながった。

フジテレビも同様だ。女性アナウンサーが被害を訴えた時、適切に対処していれば、スポンサー離れなど経営崩壊には至らなかっただろう。異様な企業文化にどっぷり浸かっていると、犯した過ちの深刻さに気づかない。「中居問題」を放置することが日枝(ひえだ)体制を崩壊させるなど微塵(みじん)も思わなかったろう。

ジャニーズ事務所やフジテレビは芸能界で黯然(あんぜん)たる力を持っていた。その驕(おご)りが判断を狂わせたのかもしれない。警察権力の強さは、その比ではない。国家の暴力装置である。気に入らぬ輩(やから)を社会的に抹殺(まっさつ)することだって可能だ。だから権力の行使には、自制心が必要なのだ。

今でも遅くはない。警察庁長官と警視総監は、辞表を出し、大川原化工機の本社に赴き、土下座して謝ることをお勧めする。

今回の冤罪事件は、それほど大きな問題なのだ。外部の目が届かない外事警察で権力の濫用(らんよう)が公然と起きていた。

◆筋書きに沿った「見込み捜査」

社会秩序を守るための警察が、自分の栄達や組織の手柄のため、無辜(むこ)の民を犯罪者に陥れる。現場の暴走は上層部に漂う空気と無縁ではない。最高位にいるものが腹を切ることで、その重大さを組織に伝える。それがトップの務めである。

その上で、大川原加工機の冤罪の経緯を徹底的に調べ、責任を明らかにする。

事件は公安警察のお手柄として警察白書に大きく取り上げられた。国会で問題になり、白書の記載は削られ、長官賞は返上されたという。だが、功労者とされた警視庁外事一課の当時の第五係長は警視に昇格しその後、処分は受けていない。

今回の高裁判決は警察組織のデタラメさを、次のように明らかにした

・警視庁は輸出規制要件で合理性を欠く解釈を採用

・必要な捜査を怠った逮捕・起訴は違法

・捜査機関の見立てに沿った取り調べがあり違法

「合理性を欠く解釈」とは、冤罪事件の突破口となった法令解釈だ。

大川原化工機が製作した噴霧乾燥機の輸出には特段の検査・認可は必要ないとする経済産業省を抑え込み、「認可は必要」という勝手な解釈を公安部が行い、事件の構図を描いた。

必要な認可を取らず噴霧乾燥機を中国に輸出した、その機器は民間企業を経て中国人民解放軍が関係する施設に渡ったようだ、大川原社の経営陣は違法だと知りながら中国に売った、禁止されている細菌兵器の輸出に当たる――。そんな筋書きに沿って「見込み捜査」が進んだと高裁判決は指摘している。

警視庁公安部外事一課で海外取引を担当する第五係は事件摘発の実績は乏しく、組織の存亡が問われていた。そんな時に、当時の安倍政権が「経済安全保障」を掲げて中国敵視策を強めた。外事一課はこのムードに便乗した。中国絡みの「違法取引」を掘り起こし、事件に仕立て上げようとしたのである。

2013年に省令が改正され、兵器に転用できる噴霧乾燥器の輸出には経産省の許可が必要になった。大川原化工機はこの分野の先端にあり、法改正では経産省に協力してきた。公安はこの動きに目をつけ、中国に乾燥機を売っている大川原社に「細菌兵器の密輸」の嫌疑をかけた。粉ミルクや粉末コーヒーを作れるなら毒性のある液体を粉末する細菌兵器に転用できる、と妄想を膨らませた。

大川原社の輸出品には特段の検査・認可は必要ないとする経産省を抑え込むため、警視庁の公安部長が同省幹部に働きかけたことも公判で明らかにされた。

「細菌兵器には転用できない、だから認可は必要ありません」と説明する大川原社の経営陣を一斉に逮捕、し「違法性を知りながらあえて輸出した」と自供させようと迫った。

大川原社長は「我が社の乾燥機は滅菌できるほどの高温にならない。細菌兵器には使えない」と説明したが、捜査官は取り合わず、機能を検証する実験さえしなかった。

◆組織に不都合な指摘をする者は徹底排除

公安の強引な捜査に流れを変えたのは、公安部外事一課に所属する3人の現役警察官だ。原告側の証人として法廷に立った。いずれも警部補、1人は「捏造」だと、捜査のあり方を正面から批判した。二審で証言した警部補は、捜査が強行された理由を「決定権を持つ人の欲だと思う」と述べた。

社長ら3人がまだ収監されていたころ、大川原化工機には公安部の内部関係者と思われる誰かから「捜査の違法性」を指摘する告発状が届いていた。絶望的な状況にありながら3人が「黙秘」を貫けたのは、警察内部に味方がいる、という安心感と無縁ではなかっただろう。

捜査は公安部長・外事一課長・管理官・第五係長というラインで進められたが、強引なやり方に違和感を募らせる捜査官は少なくなかったようだ。

2023年には警視庁の公益通報の窓口に「強引な捜査」を指摘する告発文が3通届いた、という。だが、表だった内部調査は行われていない。

冤罪被害者に寄り添い、法廷で証言する公安捜査官が3人もいることは警察組織にとって救いである。自分の不利益を顧みず、組織の不正を指弾するのは勇気ある行動だ。内部から湧き上がる自己修正の動きこそ大事なのに、自己防衛に走る組織は内部告発を握り潰しただけでなく、敵対的だ。

警視庁が主張する「壮大な虚構」という言葉は、彼らの告発への拒否回答である。不満分子が世間を煽(あお)っているという受け止め方だ。

10年ほど前、警察の組織的な裏金作りが問題になった時、敢然と裏金批判を展開した警察官を取材したことがある。有能な巡査だったが交番勤務を外され、交通管制センターに移動させられた。組織にとって不都合な指摘をする者は徹底的に排除する、という警察の風土はあのころと変わっていない。

◆「自分の欲」のため権力濫用

フジテレビ、兵庫県など、公益通報制度が話題になり、一般にも内部告発は組織への反逆ではなく、傷んだ組織を再生することに欠かせない機能であることが認識されるようになってきた、

大川原加工機の冤罪事件は、警察にとって申し開きができないほどの重大事だが、警察庁の反省のなさには驚くばかりだ。

判決の翌日、警察庁の楠芳伸長官は定例会見で、「厳しい内容の判決と認識している。警視庁で判決内容を精査した上で対応を検討していく」と述べただけで自らの責任についての言葉はなかった。今回の問題を教訓に、警察庁として都道府県警に対し「緻密(ちみつ)で適正な捜査を行うよう指導を徹底していく」という。問題は現場にあり、警察庁はきちんと指導します、という発想だ。

ピラミッド型の組織は、下の者は、上の仕振りを見て自分がしていいことを判断しがちだ。「自分の欲」のため権力を濫用する空気が地方の警察にあるとすれば、それは警察庁の病だと思ったほうがいい。キャリア、ノンキャリの身分制度の上に成り立つ警察は組織に軋(きし)みが目立つ。裏金問題もクロをシロと押し通して抑え込んだが、そうした成功体験が組織の傲慢(ごうまん)さを助長している。

今や警察権力は政治に徴用され、霞が関で存在感を高めている。その足元で起きた冤罪事件は、ふやけた組織への警鐘だろう。聞く耳を持たぬ警察組織の鈍感さに驚くばかりだ。

 

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