п»ї 町工場の冤罪はなぜ起きた-「経済安保」を語る前に『山田厚史の地球は丸くない』第206回 | ニュース屋台村

町工場の冤罪はなぜ起きた-「経済安保」を語る前に
『山田厚史の地球は丸くない』第206回

2月 11日 2022年 経済

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山田厚史(やまだ・あつし)

ジャーナリスト。元朝日新聞編集委員。「ニュース屋台村」編集主幹。

「大川原化工機」という会社(本社・横浜市)で起きた冤罪(えんざい)事件をご存知だろうか。お茶やスープを粉末にする噴霧乾燥機を作っている従業員100人ほどの中小企業。今や食品製造に欠かせない噴霧乾燥装置のトップメーカーで、日本のモノ作りを最前線で支える典型的な町工場である。

この会社が中国に輸出した噴霧乾燥機が「武器転用が可能だ」として社長ら3人が警視庁公安部に2020年3月、外国為替管理法違反容疑で逮捕された。

3人は「武器転用など考えられない」と容疑を否認。そのため保釈が認められず、大川原正明社長(72)と島田順司取締役(68)は330日余、身柄を勾留(こうりゅう)された。

もう1人は、元技術担当の専務で、退職後は富士山麓で妻と暮らしていた顧問の相嶋静夫さん(72)。半年に及ぶ勾留で健康を害し、不調を訴えたが取り合ってもらえず、進行性の胃がんがわかった時はすでに手遅れだった。2021年2月、刑事被告人のまま無念の死を遂げた。

事件はその後、急展開する。3人は2020年3月に起訴されたが、公判は開かれないままだった。ところが21年7月、東京地検は突然、大川原さんと島田さんの「起訴取り消し」を決定。初公判が予定された日の4日前だった。3人を罪人扱いにしてきた検察は、手のひらを返したように、何事もなかったかのようにしてしまった。

「人質司法」密室に監禁、自供を強要

絵に描いたような「冤罪事件」である。ことは2018年10月、警視庁公安部による家宅捜索で始まった。「兵器に転用できる装置を許可なく中国に輸出した」という容疑だった。身に覚えのない大川原さんらは「調べればわかってもらえる」と捜査に協力し、社員を含め延べ264回の事情聴取に応じた。

それが家宅捜索から1年5か月経った2020年3月、3人は逮捕・起訴され、さらに5月になって、「韓国にも同様に輸出した」として再逮捕・追起訴された。「兵器に転用はできない」と説明しても検事は聞き入れず、意に反する供述調書にサインを求められた。拒否すると勾留が続き、保釈は認められない。家族との接見さえ認められないまま、1年近い「監禁」が続いた。

カルロス・ゴーン日産会長の逮捕・勾留でも話題になった「人質司法」。密室に監禁して自供を強要する日本独特の捜査手法が、この事件でも使われた。

突然の「起訴取り下げ」のきっかけになったのは、公判前整理手続き。弁護士が「経済産業省の見解」を開示するよう申し入れたことだった。警視庁公安部は事件を立件するため経産省に意見を聞き、メモにまとめてコンピューターに保存している、という事実をつかんだ弁護団が開示を請求した。

大川原化工機は輸出業務で経産省と話し合う機会が少なかった。経産省と公安部の間でどんなやり取りがあったか、これがわかれば公判に有利になるのでは、という淡い期待を込めた開示請求だった。この要求を裁判長が認め、開示されることになったその日、突然「起訴取り下げ」が発表された。

「反中ムード」追い風に

経産省とのやり取りを記載したメモには、「不都合な真実」が書かれていたのだろう。表には出せない、起訴取り消し、という事態に検察は陥ったのだろう。

突然の家宅捜索から2年9か月。経営トップが逮捕され、会社は信用を失い、銀行は取引を停止、売上はガタ落ち。悠々自適の老後を楽しんでいた元専務まで逮捕され、老体にむち打つような強引な取り調べでがんを発症し、帰らぬ人となった。

この事件はメディアで大きな話題にはならなかった。朝日新聞デジタルで社会部の鶴信吾記者が「ある技術者の死、追い込んだのは『ずさん』捜査 起訴取り消しの波紋」(21年11月4日)で書き、最近ではルポライターの青木理氏が「町工場vs公安警察 ルポ大川原化工機事件」(「世界」22年3月号)で紹介している程度だが、もっと注目されていい事件だ。上記の記述は、二つの記事を要約したものである。

青木氏は事件について
「日本は2017年に外為法を改正して罰金の上限を大幅に引き上げ、公安部は大川原化工機に初適用しようとした。背景にはNSS(国家安全保障局)に経済班が新設されたことも横たわっていて、それに合わせて公安部は大川原化工機の強制捜査に乗り出した。多少無茶でも外事部門の存在感のアピールし、同時に中国などへの戦略物資輸出に警鐘を鳴らす思惑もあったのでしょう」とする公安部関係者のコメントを紹介している。

軍事力の強化を進める中国の専制的な振る舞いが日本でも懸念されているが、こうした「反中ムード」を追い風に進められる「経済安保」の危うさを、この冤罪事件は物語っている。

岸田政権が今国会に提出を予定している経済安全保障推進法案に経済界から懸念の声が上がっている。機密や先端技術の流出、サイバー攻撃対策など情報戦への備えを民間に求めるものだが、「規制対象」となる具体的な中身は政令や省令で決まる。裁量の幅が大きく、国会審議を経ず、に役所の胸三寸で決まるおそれがある。

背景に米中対立

経団連は「制度の詳細や具体的中身が見えにくい」と警戒し、「自由に事業活動を展開できる環境を維持・整備することが重要」などとする意見書を提出した。

「経済安保」の背景には米中対立がある。先端技術で台頭する中国に脅威を感じる米国は、疑心暗鬼を募らせている。機器や素材を中国に過度に依存する結果、部品供給網を中国に握られたり、情報漏えいが起きたりすることを警戒し、日本に同調を求める。

昨年4月訪米した菅首相(当時)は、バイデン大統領との首脳会談で「経済安保」への応対を指示され、法案化が進められていた。原案は①サプライチェーンの強化②基幹インフレを事前審査③先端技術の官民協力④特許の非公開――の4本柱で構成され、体制の整備や政府への報告が義務付けられた。

注目すべきは、懲役刑など罰則が定められたことだ。有識者会議でも、罰則導入に慎重な意見があったが、「実効性を持たせるには強力な罰則が必要」という意見に押し切られた。「安保法制」は、事実上「対中国情報漏えい防止法案」となり、違反すると警察が出てきて逮捕・起訴という事態に発展する危うさをまとっている。

「情報の戸締まり」は大事だとしても「経済安保」を推進するなら、岸田政権は、大川原化工機で起きた一連の事件の顛末(てんまつ)について説明し、謝罪することから始めるべきではないか。

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