п»ї プロセスとデータ『週末農夫の剰余所与論』第16回 | ニュース屋台村

プロセスとデータ
『週末農夫の剰余所与論』第16回

6月 16日 2021年 社会

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山口行治(やまぐち・ゆきはる)

o 株式会社エルデータサイエンス代表取締役。元ファイザーグローバルR&Dシニアディレクター。ダイセル化学工業株式会社、呉羽化学工業株式会社の研究開発部門で勤務。ロンドン大学St.George’s Hospital Medical SchoolでPh.D取得(薬理学)。東京大学教養学部基礎科学科卒業。中学時代から西洋哲学と現代美術にはまり、テニス部の活動を楽しんだ。冒険的なエッジを好むけれども、居心地の良いニッチの発見もそれなりに得意とする。趣味は農作業。日本科学技術ジャーナリスト会議会員。

下草刈りは少なくとも年2回行う。梅の木5本、栗の木8本など、下草は果樹の肥料になる。下草は雑草であっても、フキやワラビは春の味覚でもある。ウドの花はてんぷらにするとおいしい。昨年と今年、2年続けて梅は不作となった。梅の花が咲くころに、雪や雹(ひょう)が降る異常気候が続いている。農園では、平均気温の上昇だけではなく、突然の寒波や台風など、気象変動が荒々しくなっている。気温データの解析を行う機会があれば、連鎖反応でよくみられる対数正規分布からのズレに注目してみたい。気象変動の不可逆な変化をとらえることができるかもしれない。

筆者の農園Magley1号=2021年6月12日 筆者撮影

哲学では「データ」を所与とか与件という専門用語で議論する。哲学は言語表現としての制約を受けているけれども、数理的な概念など、言語表現を拡張する試みも行うので難解になる。筆者の立場では、論理によって言語表現を基礎づけることは、哲学史の一部でしかない。言語表現といっても、言語論よりも表現論を重視する立場なので、言語表現を基礎づけることよりも、拡張することに哲学の未来を見いだしている。数学においては、基礎的な概念を明確に再定義することが、数学の拡張を可能にしているので、基礎づけと拡張が背反するとは限らないことに注意しよう。哲学の未来は、よりよい未来を考える最良の方法だ。政治は現在しか興味がないし、宗教のように「よい未来」が約束されているわけでもない。具体的に、未来のAI(人工知能)哲学を考えてみて、ユートピアなのかディストピアなのか想像してみよう。AI哲学の成否は「データ」しだいだ。EU(欧州連合)の一般データ保護規則(GDPR: General Data Protection Regulation)のような現在の問題としてではなく、所与とか与件という過去の哲学から決別して、「データ」によって言語表現を拡張することを試みたい。

「データ」をデータベースの項目(属性)に与えられた値(測定値)として考えるのが、過去の哲学だ。測定値が測定者と独立に存在するかという問題は、実在論の深みにはまる。まずデータを集めてから、そのデータが何を意味しているのか考えるのがAI哲学の流儀になる。データを集めるためには、測定だけではなく、シミュレーションもデータとして許容する。データベースシステムのような、システムが先行するのが過去の哲学で、AI哲学ではデータ収集のプロセスなど、プロセスが先行する。システムは整合的なルールによって(場合によっては例外処理プロセス付きで)合理的に運用される。プロセスは、生成と消滅を繰り返し、並列処理されるため、確率的な動作となる。プロセス志向で考えると、予測プロセスがうまく定義できて、リスクマネジメントや品質管理など、例外的な状況に迅速に対応することができる。人間の社会システムは合理的に運用されているとは思えない。政治システム、経済システム、教育システム、医療システム、年金システムなど、そもそも合理性が定義できないのに、公正な運用すらできなくて、犯罪やシステム破綻(はたん)のリスクが顕在化している。「データ」主導のAI哲学では、数千~数万のプロセスが超並列に動作して、リスクを予測しながら、部分最適な運用が行われる。部分最適な運用が可能になるのは、AI哲学の表現論が有用なレベルに洗練されるからであって、AI哲学が、プロセスの定義や実装に先行する必要がある。

過去の哲学の到達地点として、アルフレッド・ノース・ホワイトヘッドの『過程と実在-コスモロジーへの試論<1><2>』(みすず書房1981年、1983年)をAI哲学の出発地点としてみよう。ホワイトヘッドの哲学は、20世紀の物理数学(例えば相対性理論や場の理論)による言語表現の拡張が行われているため、過去の哲学とはいってもとても難解だ。バートランド・ラッセルの同僚として、英国ケンブリッジ育ちのホワイトヘッドが、60歳を過ぎてから渡米して、米国ハーバードで哲学教授として活躍した。米国哲学のプラグマティズムには直接の言及はないけれども、ホワイトヘッドという哲学者によって、大陸の分析哲学がプラグマティズムに接ぎ木された。「過程と実在」は、チャールズ・サンダース・パースを創始者とするハーバードのプラグマティズムの土壌が作り出した英米哲学の最高傑作だろう。「過程」とは、「データ」の生成と消滅の過程であって、「実在」が形成される過程を議論している。AI哲学の立場では、「過程(プロセス)とデータ」が出発点となり、「実在」(reality)は問わない。ホワイトヘッドは人格神の実在性にこだわっているけれども、「信仰」のプロセスについて議論すれば十分なはずだ。ホワイトヘッドの「Process and Reality」を過去の哲学の集大成と考えて、AI哲学では「Process and Data」を出発点とすることを構想している。

AI哲学の出発点が定まったとしても、ある程度の見通しができるまでには相応の時間と議論が必要だろう。その間にも、AI技術は人間社会を、特に産業分野で急速に変革してゆく。AI批評(Criticism)によって、来るべきAI哲学を準備しよう。例えば、AI兵器が問題となるときに、AI兵器へのAI批評が必要になる。自律型AI攻撃兵器に対抗する自律型AI防衛兵器を考えてみよう。AI兵器はコンピューターと電源が必要なので、常に誤動作のリスクを抱えている。人間の視覚が錯覚を起こすように、AIの画像認識アルゴリズムを意図的に誤動作させる「敵対的」データを作ることができる。太陽から強力な電磁波を受けても誤動作するかもしれない。生物学的に考えれば、攻撃能力を増強するのは生存効率が悪い。安易な生存環境である生態学的ニッチを失っているから、攻撃能力を増強せざる得なくなる。逃げ足を速くして、生態学的ニッチを拡張するほうが生存効率がよい。生存効率が悪いということは、進化論的には不利な状況なので、弱肉強食によって滅びるのは最強の生物ということになる。AI兵器は最強の軍事力かもしれないけれども、すなわち滅亡へ向かう軍拡競争でしかない。物理学的には、ニュートンのように力(パワー)で考えるのではなく、アインシュタインのようにエネルギーで考えるほうが正しい。量子力学の時代になっても、原子爆弾を作っているのだから、人間の知恵は浅はかなものだ。

AI批評はAIの限界を議論するのではなく、人間の限界を意識して、AIをよりよく使うことを提案する。人間の限界は頭脳明晰(めいせき)な哲学者の限界ではなく、実際に人間社会に大きな影響を与える権力者や犯罪者の限界であって、試行錯誤しながら批判によって反省するフィードバックを必要としている。未来予測には、生活者の感覚が大いに役に立つので、できれば生活者視点からの批判によって、フィードフォワードに問題解決したいものだ。生物たちを観察していると、素晴らしい個体認知に驚かされる。人間は種を識別することはできても、個体認知能力は大いに劣っている。生物における「データ」とは個体認知のことであって、所与や与件のように「与えられる」ものではなく、住環境の中で能動的に識別することから始まる。下草刈りをしながら、雑草に埋もれた石の位置を記憶の中から探し出して、時には失敗をして反省しながら、AI批評について考えている。

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『剰余所与論』は意味不明な文章を、「剰余意味」として受け入れることから始めたい。言語の限界としての意味を、データ(所与)の新たなイメージによって乗り越えようとする哲学的な散文です。カール・マルクスが発見した「商品としての労働力」が「剰余価値」を産出する資本主義経済は老化している。老人には耐えがたい荒々しい気候変動の中に、文明論的な時間スケールで、所与としての季節変動を見いだす試みです。

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