п»ї 外交官と新聞記者の「守・破・離」『記者Mの外交ななめ読み』第11回 | ニュース屋台村

外交官と新聞記者の「守・破・離」
『記者Mの外交ななめ読み』第11回

4月 17日 2015年 国際

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記者M

新聞社勤務。南米と東南アジアに駐在歴13年余。年間150冊を目標に「精選読書」を実行中。座右の銘は「壮志凌雲」。目下の趣味は食べ歩きウオーキング。

外交官として某国の日本大使館に勤務する知人は、剣道の猛者である。その彼にかつて「打って反省、打たれて感謝」の意味を尋ねたところ、「待っていました」とばかり懇切丁寧に答えてくれた。

僕は小学生当時、先生1人児童1人の分校に通ったが、いずれ中学に上がったときに人並みに何かやっておかないと仲間外れにされるかも知れないという母親の心配から、本校(分校を管轄する大規模な町の学校)の剣道教室に行かされたことがある。練習初日、先生に防具の上からではあったがメンを脳天にまともに打たれた。その日、本校から自転車のペダルをこいで夕方の家路を急いだが、その間もずっと頭のてっぺんに電気が走ったような痛みが残り、悔し涙を流しながら帰ったことを覚えている。結局、剣道はその一日でやめてしまった。

◆常に謙虚であれ

タイに駐在しているとき、日本人学校に通っていた長男が部活で剣道を始めたのをきっかけに、まったくいい思い出がなかった剣道が少しだけ近い存在になった。息子たちの剣道大会に当時、すでに五段だったこの知人が審判として参加していた。大会を終えて帰宅した息子が「とてもやさしそうな審判だった」と言うので、その人の名前を尋ねてみると、僕がふだん取材で世話になっている外交官、その人だった。

単身赴任だった彼をあるときバンコク市内の自宅に「夜討ち」した。家の中に上げてもらい、酒をごちそうになった。気分がよくなったのでそろそろ仕事の話をしようと思ったところ、いきなりビデオを見せられた。毎年秋に剣道日本一を決める日本武道館(東京・九段)での「全日本剣道選手権大会」。ちょうどその年の大会が終わった直後だった。

大のオトナが焼酎のロックをちびちびやりながら、剣道のビデオを見ている。彼はもう何度も繰り返し見ていて、次にどんな試合展開になるか頭の中に入っている。きっと誰かにくわしく話したかったのだろう、アルコールの力もあって解説の弁舌はかなり滑らかである。

僕はといえば、小学生のときにメンを脳天にくらって剣道をやめてしまった苦い思い出があるから、真剣に見ているふりをしているだけで、合いの手もかなりいい加減である。そこでなんとか「全日本……」を他の話題に変えようと 考えをめぐらせていたところ、息子が部活の講話で聞いたという「打って反省、打たれて感謝」の言葉を思い出し、彼に質したのだった。

話題は変わっても同じ剣道ネタ。まさに彼の土俵である。「いやあ、いい質問ですね。そうなんです、剣の道を窮(きわ)めるのは実に難しいんです」と言いながら、彼は再びとうとうと話し始めた。

「打って反省」とは、本当に正しい心で無駄なく剣(竹刀)を打ち込めたか常に自己反省すること。「打たれて感謝」とは、打たれることで、自分の隙を教えてくれた相手に感謝すること。つまり、相手に対する感謝の気持ちを忘れず、切磋琢磨(せっさたくま)するという精神論である、と。彼のような高段者であっても、竹刀を構えると打っても打たれても教わることがあり、詰まるところ、常に謙虚であれ、ということなのだ、と。

僕はこれまでの取材体験から、外交官についてあまり良いイメージは持っていないが、中には彼のように、日本の国益を任せるに足りうる、きちんとした人も外交の場で活躍していることはわかっているつもりだ。

◆順序を踏んで修行しよう

4月は入社、入行、入省、入庁……のシーズンである。「自虐的」だと言って笑っていられないような、まさに「斜陽」の新聞業界にも新しい社員が入ってきた。

つい先日、僕のところに記者教育を担当する部署から、新人記者向けに配布する「心構えと基本動作」と題された文書が回ってきた。その最初の項目になんと、「守・破・離の守から」と書かれていた。

「守(しゅ)・破(は)・離(り)」と言っても、一般的にはわかりにくい(はずである)。この文書を一読した同僚は、「先輩の教えを守る」という意味での「守」はわかるが、「破れかぶれになったり、第一線から離れてしまったりした先輩はうまくあしらえ」ということか、と本気で解釈していた。

この文書の作成者が剣道の達人かどうかは知らないが、「守・破・離」は剣道など武道に関する専門用語のひとつで、修行に関する順序段階を説いている。

剣道用語集によれば、「守」とは、教えを守り私意をさしはさむことなく、ひたすら基本を身につける段階。「破」とは、守の殻を破り躍進する時代である。いままでの教えを基礎とし、中核として、自己の知能や個性を発揮して次第に自己の剣道を創造する時代をいう。「離」とは、孔子の七十にして矩(のり)を超えずの境地であり、あらゆる修行の結果、我が思いのままに行動して、いささかも規矩(きく)にはずれることなく、一つの形や流儀流派にとらわれることもなく、自由闊達(かったつ)に自己の剣風を発揮できる時代である。

こうした剣道の修行のうえでの本来の意味が、新人記者諸君に配られた「心構えと基本動作」では、以下のように解釈されている。

「守」は最低限の決まりごと。まずは用字・用語の基本形を覚えよう。迷ったり、困ったりした時に、用字用語集ですぐ調べられるように。「破・離」の域に達した先輩によって、教え方が違うこともある。「アドバイス」の違いなら、様々な手法の存在を知ったうえで、自分に合っていそうなやり方を選ぼう。「指示」の違いなら、どれに従えばいいのかきちんと確認しよう。実際に戸惑う若手もいるけれど、迷ったり疑問に思ったりすることはどんどん聞こう。比較的温かく見てもらえる新人のうちが肝心。ただし、何度も同じ質問を繰り返さないように、しっかりメモして記憶しておこう。(要約の引用はここまで)

「心構えと基本動作」にはこのほか、「そもそも世の中の動きに合わせて(先駆けて)自分も動く仕事だという覚悟と気概、使命感をもとう」とか「結局は、やりがいや使命感」「食える時に食い、寝られる時に寝る。公私の区別がつきにくいので、慣れるまではしんどいけれど、自分の持ち場の動きが分かってくると、力の入れ加減、抜き加減のコツやタイミングもわかるようになる」などと、「無理ヘンにゲンコツ」が日常で、「バカヤロー」が上司の言葉の接続詞として使われていた、僕が記者になりたての頃とはまさに隔世の感がある懇切丁寧な内容である。

◆鵜呑みにせず、まずは疑ってかかれ

新人記者から「絶滅危惧種」と呼ばれかねないような馬齢を重ねた僕も、いまもって身につまされるのは、われわれの仕事で事実確認がいかに大切かということである。

「心構えと基本動作」では、「広報・発表資料にも時々、間違いがある。まずは、資料や相手の話を基本にしつつ、鵜呑みにはせず、想像力を働かせ、誤字・脱字・矛盾・勘違いも含めて、念のための確認をしよう」と説く。さらに、「コピペ・盗用は破滅の元」と警告し、「ミスをしたりトラブルになったりしたら、うそをついたり隠そうとしたりせずに、すぐに相談・報告を。初期の対処法を間違えると、さらに事態が悪化!」と警鐘を鳴らしている。

熱心な新聞読者である人ならお気づきだろうが、新聞各社はこのところ競うように自らの紙面に「おわびと訂正」を出すようになった。同じ屋根の下で仕事をしていながら、「これまで、こんなに訂正が多かったっけ?」と思うことが多い。

とりあえず「おわびと訂正」を出しておけば、まず競争他社から叩かれずに済むし、読者にも申し開きができる。これまで「おわびと訂正」が少なかったのは、「よほどのことがない限り、知っていて知らぬふり。ほおかむりしていたということ」と説明する校閲記者もいる。

なにも外交官、新聞記者だけの話に限ったことではない。だれだってミスはある。外交も記事も鵜呑みにせず、まずは疑ってかかれ。僕はこの春、社会人になった若人諸君に、こう言いたい。

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