п»ї 「気質」から見る日本とアジア その2『ジャーナリスティックなやさしい未来』第16回 | ニュース屋台村

「気質」から見る日本とアジア その2
『ジャーナリスティックなやさしい未来』第16回

6月 06日 2014年 社会

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引地達也(ひきち・たつや)

仙台市出身。毎日新聞記者、ドイツ留学後、共同通信社記者、外信部、ソウル特派員など。退社後、経営コンサルタント、外務省の公益法人理事兼事務局長などを経て、株式会社LVP(東京)、トリトングローブ株式会社(仙台)設立。一般社団法人日本コミュニケーション協会事務局長。東日本大震災直後から被災者と支援者を結ぶ活動「小さな避難所と集落をまわるボランティア」を展開。企業や人を活性化するプログラム「心技体アカデミー」主宰として、人や企業の生きがい、働きがいを提供している。

◆動きだすボス国家

前回の「その1」で、アジアにおける2大国、中国とロシアは「エニアグラム分別」におけるタイプで「8」という気質であると論じ、中ロの動向の基本姿勢について記した。

まずはおさらいのため、9つに分けられるタイプ1(以下T1)からタイプ9(以下T9)の特徴を再掲する。T1完璧主義型、T2慈愛主義型、T3成果主義型、T4創造主義型、T5理論分析主義型、T6確実慎重主義型、T7楽観行動主義型、T8強権リーダー主義型、T9平和強調主義型。日本はT6で中国とロシアがリーダーとなりたがるいわゆる「ボス」気質のはざまで、慎重なかじ取りが求められると指摘したが、現在、ウクライナ南部クリミア半島をロシアが併合したことへの対応は格好のケーススタディーである。

T8の持つ「強くなければならない」という根源的エネルギーそのままの行動をはじめた、と前回指摘した中ロだが、中国は3月15日の国連安全保障理事会でのクリミアの住民投票を無効とする決議案の採決を棄権し、賛成の欧米と一定の距離を保った。基本的に中国はロシアの領土侵犯を非難しつつも、政治的対話の解決を呼びかけるという対応で、お隣の「ボス」を刺激しない姿勢である。それも悪びれることなく堂々を決め込むのが中国らしい。

この姿勢を見ると、北朝鮮の核開発放棄をめぐる6カ国協議を思いだす。協議が断続的に北京で行われていた時、会議の進ちょくを血眼になって追い続ける日本のメディア、そして拉致問題を含めての解決に向けた成果に結びつけようと躍起になる日本政府を尻目に、中国政府の高官が「明日、明後日で動くものではない。10年、20年先に解決すればよい」と言い放ち、この協議は「回すだけ」存在しているかのような対応を見せた。大国の余裕である。

かつては中国の一党独裁を非難してきた米国だが、最近の対応は控えめだ。日本では民主主義の価値観を主軸とした米国との中国包囲網などとの言葉を目にすることがあるが、それはもはや幻想で、対中貿易額が日本以上となり、米国の経済回復の素因でもある中国と米国の関係は深く、強い。

時勢の話から中国に言及してしまったが、今回はアジアのもう一つの大国であるインドを考える。人口が2011年に約12億、30年には14億を超え世界最大の人口を有するとみられるインドは、国内総生産(GDP)成長率が10年に10%以上の高成長を見せ、現在も3%以上で安定的な成長を示す。

もう10年前となるが、『象は痩せても象である』(祥伝社)の著者であり、就任直後のアフターブ・セット駐日インド大使と会った際には、インドの人口のうち英語を話せる人口は、米国を抜いているとの話を繰り返し、経済成長は発展途上におけるそれではなく、超大国を抜くと言わんばかりの、自信にたじろいだ記憶があるが、それは現実に、静かに、進みつつある。

◆インドは理

それを裏付けているのが、インドのタイプである5の特性である。T5は論理的で分析力に富み、頭で物事を処理し行動を裏付ける。人物でいうと、研究家タイプとなる。日本の政治家に例えるなら、ロシア、中国のボス型T8は田中角栄、森喜朗であるのに対し、福田康夫元首相がこのタイプで、物事の分析から論理的に事を進め結論へと結びつける思考と行動を常としているから、感情で動くタイプを愚かに見ることもあれば、感情も理も突き抜けたタイプには羨望(せんぼう)する感情も持ち合わす。

イデオロギーでは動かないから、イデオロギーで突き進むT6の安倍晋三首相と拉致問題への対応をめぐり衝突し、以来、仲違いしたのはタイプからみれば、当然の成り行きと言える。

論理を優先するインドは、哲学と宗教の境目が薄いから、これもイデオロギーでカテゴライズしない特性が出ている。ヒンズー教、バラモン教、ジャイナ教、ヒンズー教、どれもインド起源とする宗教だが、どれも内省的な問いかけと、輪廻(りんね)観、そして自然と一体となる哲学が共通してあり、社会の外部環境における変化に惑わされず、常に一人称の自己と自己の論理性が優先される。これはインドを知る上で重要なキーワードで、彼らと付き合うには、理にかなっていることを常に意識することが重要である。

非暴力主義のガンジーは植民地主義の抵抗を内省的な取り組みで民衆の共感を呼び、独立のきっかけとなったが、その後のインドは、その非暴力主義をイデオロギー化することはなかった。むしろ、インド国旗の中心に据えられていた、ガンジーの象徴だった糸車を排除し、輪廻の象徴である車輪(寺院の紋様)に変更したほどである。

インドを理の国とした場合、隣国であるパキスタンとバングラデシュは、その動向においてインドの理とは違うことに気付くはず。それは姿形が似ている中国、韓国、日本と同様に、気質は異なり、外交関係における事象への対応もしくは反応が違うのである。

戦後の東京裁判(極東国際軍事裁判)でインド代表判事ラダ・ビノード・パールが、米英の無罪に疑問を呈し「日本は無罪」と主張したのも、理を追求する結果であろう。現在では「事後立法」など法の原則から疑問もある裁判の進め方に、当時の雰囲気に惑わされず、「理」を持って望んだのは、気質を思えばインド人だからこその判断といえる。

◆世界を席巻するエンジニア

日本は安倍晋三首相の第1次政権当時から日印パートナーシップを重視し、その後の民主党政権も関係重視を踏襲してきているが、インドを真に理解しているレベルには達していない。世界中に存在するインド人コミュニティーの理と家族主義への理解は、われわれの常識を超えたものがあるから、相当な努力が必要である。

インドとの良好な関係を築こうと、安倍首相が以前、前述のパール判事について言及したことがあるが、インドにとってそれは外交上、謝意を示し、快く受けるものの、そのような「情」で心が動かされるわけではない。

理と言うと小難しいが、現代風に言えば「エンジニア」である。理を具現化した職業がエンジニアであり、エンジニアこそ職の最高峰、がインドの常識である。この国是ともいえるインドの教育は、確実に世界を席巻している。インド紙「エコノミクス・タイムス」(英語ウェブ版)によると、IBM社の全世界の従業員約43万人のうち、13万人がインド人で米国人よりも40%多いとされ、世界的なコンサルティングファーム「アクセンチュア」も従業員約28万人のうち、9万人がインド人で米国人約3万8000人をはるかに凌(しの)ぐ数。どちらもITエンジニア、もしくはエンジニアレベルの仕組みを知る人員と見られ、いかにインドが分析思考に長けているかが分かる。

このようなインドを読み解く格好の材料がある。インドで興行収入歴代1位となった青春コメディー映画「きっと、うまくいく」(2009年)。インド屈指のエリート理系大学ICEを舞台にした笑いあり、涙ありの作品に流れるのは「優秀なエンジニアになる」というエリート学生の夢と束縛との葛藤(かっとう)、そこに自由を吹き込む学生の対立だが、自由を勝ち取った主人公が理想としているのは、超越した技術による「自由の国」。エンジニアこそがエリートに与えられた道、という固定観念に縛られるが、結局は、そのような縛られたエンジニアではなく、自由なエンジニアが人の道、というメッセージに、インドの「理想」が垣間見える。どの国にも苦悩と理想があるが、この映画にはその両面を見ることが出来、インドとのおつきあいの基本も学習できるはずである。

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