п»ї タイの新憲法案に対する国民投票と政局『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』第74回 | ニュース屋台村

タイの新憲法案に対する国民投票と政局
『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』第74回

7月 29日 2016年 経済

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小澤 仁(おざわ・ひとし)

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バンコック銀行執行副頭取。1977年東海銀行入行。2003年より現職。米国在住10年。バンコク在住18年。趣味:クラシック歌唱、サックス・フルート演奏。

2014年5月20日の陸軍によるクーデターで発足したタイのプラユット軍事政権は、その成立からまもなく2年を経過しようとしている(プラユット現首相がプミポン国王〈ラマ9世〉の任命を受け正式に首相に就任したのは同年8月25日で、まだ2年経っていない)。振り返ってみれば、この2年間は軍事政権の下で政治的な対立が表面上回避され、タイは平静を保っている。

◆学生デモや新たなクーデターのうわさも

しかし、タイの現状を裏側から見ると少し様子が異なってくる。世界的な景気後退からタイ経済も低成長から逃れざるをえず、ソムキット副首相以下経済閣僚があの手この手とアイデアを打ち出してくるが、今のところ実体経済に好影響を与えきれていない。

外交上は、軍事政権がゆえに欧米諸国からの支持が得られず、現政権の中国傾斜が顕著である。1997年のアジア通貨危機以降、日本との結びつきを堅固にしていたタイが中国を頼りにしていく現状を見ると、日本人として危機感を持たざるを得ない。

更にこの2年間の軍事政権下で、言論の不自由を感じてきた人々は少しずつ不満が高まってきている。先日もタイの言論界を代表する著名な方たちにお会いしたが、現在の軍事政権の成り立ちを事実上容認しつつも、そろそろ現体制も限界に来ているとの見解をされていた。こうした不満の鬱積(うっせき)の結果であろうか、タイ人の間では学生によるデモだとか更なるクーデターのうわさなどが流れている。

軍事政権の更なる長期化が困難となりつつある中、ミーチャイ・ルチュパン氏をヘッドとする憲法起草委員会は今年3月末に新たな憲法案を発表した。この新憲法案によると、国会は公選制の下院(定数500人)と軍が発足させた「国家平和秩序評議会」が指名する上院(定数250人)の二院制で、国軍最高司令官、陸軍司令官など軍関係者6人も上院議員に選出される。

また、首相は旧憲法下では下院議員から選ぶことになっていたが、新憲法案では選挙前に各政党が公表する首相候補者リストから議員が投票で選ぶ。もしこの投票で首相が決まらない場合は、軍から首相を送り込むこともできる。この新憲法案は今年8月7日に国民投票が行われ、可決されれば来年半ばには総選挙が実施される見込みである。一方、否決されれば民政復帰が更に遅れることは必至だ。

この新憲法案が発表されると、現軍事政権と対立するタクシン派は「新憲法案は民主的ではない」と一早く反対を表明した。一方、反タクシン派で軍事政権に近いと見られていた民主党も、10日ほど遅れて新憲法案反対の立場を表明した。

◆上流階級内の利権闘争

さて、ここでタイの政治について基本的な見方を整理しておきたい。日本のマスコミでは「タクシン派対反タクシン派」を「民主主義対反民主主義」のような単純な対立構造で描くことが多い。

私はこうした見解に対し、意見を異にする。そもそもタイは階級社会である。こうした中で日本人が想定するような民主主義はタイには存在しない。

タイの政治は上流階級内の利権闘争である。この上流階級は主に三つのグループに分けられる。第1がタイ人グループである。タイ人のそもそもの起源は揚子江中流域にいたタイ・カダイ語族が、漢民族におされて中国・雲南省に逃れ、更に12世紀になると元の侵攻にやぶれ、メコン川、チャオプラヤ川をつたってタイに移住してきた。ところが雲南省で手に入れた米が洪水地帯であったタイの土地に最適であり、タイ族は先住民であるクメール族やモン族を駆逐し、この地で繁栄をする。スコタイ王朝、アユタヤ王朝と続く系譜の中で、貿易業務に従事させるため中国人も多く登用され、主に都市部で混血化していく。現在生粋のタイ人と呼ばれる人の中にも、その祖先に中国人の血を引く人たちは多くいる。こうしたタイ人たちは現在では主に軍部、司法、官僚を根域として勢力を持っている。

これに対して、華僑は1930年ごろから中国の貧困と国共戦争(国民軍と共産党の内戦)の戦禍から逃れてきた福建省や広東省北部の人たちである。広東省の北部は潮州、仙頭(スワトウ)などの町があるが、この地方から来た人を潮州人と呼び、主にタイに多く住みついた。この潮州人はタイに移り住んでからも当初極めて貧しい生活を送っていたが、商才に長けたこれらの人々はリヤカーを引き、あるいは小さな店をかまえて徐々に富を成していった。こうした経済界で成功を収めた人たちは、更に発言権を強めるために民主党を創設したのである。華僑は経済界および民主党を基盤に勢力を持っているが、この人たちはそれ以前にタイに入ってきた中国人とは一緒に語ることはできない。潮州語と漢語という言葉の違いもあるが、タイ人と同化し仏教経典などから引用したタイ語の名字を持つ中国系タイ人に対し、華僑は中国名の名字を保持しているためである。

三つ目のグループの総帥であるタクシン元首相は、華僑だが客家(ハッカ)の出である。客家の人たちは総じて頭が良くて利にさといため、「中国のユダヤ人」とも呼ばれる。その名前の由来は他の中国人から煙たがられ、どこへ行っても華人として扱われず客人扱いされるため、「客家」と名がついたと言われる。シンガポールは客家中心の国家だが、表面はともかく実態は強制的な国家運営をしているため、「明るい北朝鮮」と揶揄(やゆ)される。

「客家」であるタクシン氏は、潮州系華僑が行ったような商売で財を成すような成功パターンではなかった。士官学校に入ったタクシン氏はタイ人の仲間を作りながら警察官僚となった。このときに警察と同様に内務省管轄であった携帯電話会社の権利をタダ同然で譲り受け、会社業績を伸ばし、売り抜けて巨額の財産を築いた。タクシン氏は2001年タイの首相の座についてからは主に官庁に帰属する金融利権や運輸利権を利用して更に巨大な権力を手に入れたのである。

タクシン氏のまわりには旧共産党系の人々、新興財閥、地方政治のボスなどが集まり、豊富な資金を武器にポピュリズム政治を遂行した。タクシン政権の初期は旧来型官僚制度の打破、地方経済の活性化、自由貿易の推進など多くの成果があった。しかし後半はタクシン氏の権力が肥大化し強権政治が横行。さらに利権の独占に伴って他の政治勢力との軋轢(あつれき)を繰り返すようになった。

現在のタイの政治の混乱はこうした三つの勢力の利権をめぐる争いなのである。更にややこしいのは、これら三つのグループの中にも幾つかのセクトがあり、グループを超えてこれらのセクトが手を結ぶことが時々起こる。

◆予断を許さない国民審判の結果

それではこれからタイの政治はどのように動くのであろうか。8月7日に実施予定の国民投票に付されるが新憲法案に対して、タクシン派であるプアタイ党、反タクシン派である民主党とも公式に反対している。7月20日には両党の主要人物も署名した声明文で憲法草案の自由な討論を要求。しかし現在もタクシン元首相の力を恐れ、タクシン派を封じ込めたい民主党は、本音のところでは新憲法に反対していないようである。

また、プアタイ党も現在の軍事政権下でのこう着状態を早く抜け出したいと願っている。政治を動かすことによって生じる利権を狙い、裏では賛成にまわっているようである。それが証拠にプアタイ党、民主党、更には地方政治のボスなどが水面下で党の強化や新党の結成で綱引きしているようである。既に首相候補のリスト作成のため具体的な名前まで取りざたされている。

ただ最も情勢が不透明なのは、国民投票の行方である。タイ国家開発管理研究所が7月18日に発表した国民投票に関する調査によると、新憲法案に賛成の人は30.4%にとどまり、62.5%が態度未定となっている。政治家たちは本音では新憲法案の採択とそれに続く総選挙を望んでいる。しかし政治家たちが今回の国民投票のためにカネをばらまくことはしないであろう。なぜならば、今回の国民投票自体は自分たちの利権に直接結びつかないからである。

英国のEU(欧州連合)離脱の経緯を見るにつけ、国民審判の気まぐれさには予想がつかない。タイの政治家たちによる「利権をめぐる政治」の季節が戻ってくるかどうかは、国民の審判に委ねられている。

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