п»ї 裁判外紛争解決の普及で目指すケアなる社会 『ジャーナリスティックなやさしい未来』第106回 | ニュース屋台村

裁判外紛争解決の普及で目指すケアなる社会
『ジャーナリスティックなやさしい未来』第106回

4月 12日 2017年 社会

LINEで送る
Pocket

引地達也(ひきち・たつや)

%e3%80%8e%e3%82%b8%e3%83%a3%e3%83%bc%e3%83%8a%e3%83%aa%e3%82%b9%e3%83%86%e3%82%a3%e3%83%83%e3%82%af%e3%81%aa%e3%82%84%e3%81%95%e3%81%97%e3%81%84%e6%9c%aa%e6%9d%a5%e3%80%8f%e5%bc%95%e5%9c%b0%e9%81%94
コミュニケーション基礎研究会代表。就労移行支援事業所シャロームネットワーク統括。ケアメディア推進プロジェクト代表。精神科系ポータルサイト「サイキュレ」編集委員。一般社団法人日本不動産仲裁機構上席研究員、法定外見晴台学園大学客員教授。毎日新聞記者、ドイツ留学後、共同通信社記者、外信部、ソウル特派員など。退社後、経営コンサルタント、外務省の公益法人理事兼事務局長など経て現職。

◆当事者で解決するADR

私が上席研究員を務める一般社団法人日本不動産仲裁機構が3月15日に法務大臣より裁判外紛争解決機関としての認証を受けた。裁判外紛争解決はADR(Alternative Dispute Resolution)とも呼ばれる。これは裁判手続きによらず調停・和解のあっせん等により紛争を解決する手法。裁判が当事者間の紛争について、裁判所が権威を持って最終的な判断を示すことによって最終的な解決を与えるのに対して、ADRは当事者間の自由な意思と努力に基づいて紛争の解決を目指す。

国はADRの促進を方針としていて、2007年に「裁判外紛争解決手段の利用の促進に関する法律」(ADR法)が施行され、紛争の調停・あっせんを行う民間事業者に国が「認証」を与えることで、認証事業者は弁護士でなくとも報酬を得て和解の仲介役となり、調停人も報酬規程に従い報酬を受け取ることができる(弁護士法第72条の例外)ようになったのである。

◆調停人育成スタート

認証受けたことで、日本不動産仲裁機構は「日本不動産仲裁機構ADRセンター」として、不動産部門の紛争に関する調停人を育成する事業を担うことになった。調停人の育成は不動産に関する資格を持った方を「専門知識所持者」と見なした上で、調停人として必要な「法律知識」と「ADR技術」を研修により身に着けてもらわなければならない。

「調停人研修規定」では、法律知識は「調停人としての法的知識に関する研修」(7・5時間)、「調停人としての倫理、活動に関する研修」(2・5時間)の二つに分かれ、ADR技術は「調停人としての面談技法及び調停技法に関する理論的研修」(5時間)と「実践的研修」(5時間)の二つ。

後者のADR技術は、私が内容を整理し研修を実施する立場としてプログラムを作成した。基本は和解に向けたコミュニケーションの仕方などであり、法律から離れて人を相手にする対話に関する真摯(しんし)な心の持ち方と行動が大きな柱となっている。

弁護士や法学者でもない私がADR技術の研修内容を整理していることからもわかるように、和解に向けた取組みは法律の専門用語を前面には出さないようにするのがポイントだ。紛争中という何らかのトラブルを抱えた人が「白黒つけたい」という硬い心から、相手の言い分も寛容的な態度で受け入れようという柔らかい心に転化して、和解としていこうというプロセスは、私が日常関わっている精神疾患者が硬くなってしまう心持から自分や現状を受け入れる過程に似ている。

◆柔らかいケアの姿勢で

受け入れて柔らかくする。柔らかくして受け入れる。

どちらにせよ、対話を柔らかにするには、少しの技術も必要ではあるが、最も大事なのは、仲介者=支援者として持ち続けている心の態度である。調停人の心を育て、和解の文化を根付かせることは、日本社会での荒んだ争いを無くすのに役立つのではないかと考えている。

裁判と和解の二つの手法の違いを考えていたら、裁判がロールズの「正義論」に対して、和解はギリガンの「ケアの倫理」であることに気付いた。

こう考えると、和解の文化を広げることはケア倫理を浸透させ「優しい」社会をつくれる一助になるかもしれないと考えてしまう。東京大の林香里教授の論考を参考にすると、人間の一般的性向が、正義=「自己完結的」「自律的」、ケア=「相互依存的」「ネットワーク的関係性」であり、役割としてのあり方が、正義=「対象から独立」「観察者」、ケア=「対象に依存」「支援者」、テーマが、正義=「権力」「事件」「コンフリクト」「イベント」、ケア=「個人のニーズ」「苦悩」「悲しみ」「日常」、対象が、正義=「政府」「企業」「各種団体等既存組織」「プロフェッショナル」、ケア=「当事者」「素人」、目的が、正義=「アジェンダ・セッティングから判断」、ケア=「社会的コミットメント」となる。

こう並べてみると分かりやすく、私たちは和解を目指すべきなのだと思う。それはケアが日常的に存在する社会ともいえる。だから、この仕事にも力が入る。

※『ジャーナリスティックなやさしい未来』関連記事は以下の通り
良い福祉とは良いコミュニケーションなり
https://www.newsyataimura.com/?p=6133

■精神科ポータルサイト「サイキュレ」コラム
http://psycure.jp/column/8/
■ケアメディア推進プロジェクト
http://www.caremedia.link
■引地達也のブログ
http://plaza.rakuten.co.jp/kesennumasen/

コメント

コメントを残す