п»ї 誰もいない桜の名所『ジャーナリスティックなやさしい未来』第8回 | ニュース屋台村

誰もいない桜の名所
『ジャーナリスティックなやさしい未来』第8回

4月 11日 2014年 社会

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引地達也(ひきち・たつや)

仙台市出身。毎日新聞記者、ドイツ留学後、共同通信社記者、外信部、ソウル特派員など。退社後、経営コンサルタント、外務省の公益法人理事兼事務局長などを経て、株式会社LVP(東京)、トリトングローブ株式会社(仙台)設立。一般社団法人日本コミュニケーション協会事務局長。東日本大震災直後から被災者と支援者を結ぶ活動「小さな避難所と集落をまわるボランティア」を展開。企業や人を活性化するプログラム「心技体アカデミー」主宰として、人や企業の生きがい、働きがいを提供している。

先週に引き続き、全国のコミュニティFM局に番組を配信している衛星ラジオ局「ミュージックバード」の「未来へのかけはし Voice from Tohoku」の放送分をお届けする。まずは、ラジオ放送の内容を紹介する。

◆夜の森の桜

東日本大震災からまもなく3年。このコーナーでは被災地の「今」を、現地の方々ご自身が綴った思いを、生の声で語っていただきます。

本日お伝えするのは、震災の福島第一原発事故で、役場が郡山市に移転している富岡町産業振興課長、三瓶保重(さんぺい・やすしげ)さんです。

富岡町は、今年1月から本格除染が始まり、復興に向けて具体的な作業が始まりました。しかし、全ての町民の避難は続いたままです。

今回、三瓶さんは、富岡の住民そして観光客から親しまれてきた夜の森(よのもり)の桜について語って下さいました。三瓶さんもこの桜並木通りで育ったそうです。

今年初め、富岡町の本格除染はお寺から始まりました。震災で倒れたままのお墓を直し、荒れ放題となった境内の掃除をするためです。震災からおよそ3年でやっと先祖のお墓が直せる、という安心の声も聞きましたが、故郷に帰還できるかはまだ分かりません。

【三瓶さんより】
  富岡町といえば、夜の森の桜、というのが多くの町民が思っているものと考えています。毎年4月の第2週には、夜の森公園をメーン会場とした桜祭りという、昭和20年代から行われてきている歴史あるお祭りが開催され、全国各地から13万人から15万人ほどの観光客が訪れるなど、観光資源としての役割も果たし、町民が全国に誇れるものであり、ふるさとの財産であると考えています。

夜の森の桜は、県内においても桜の名所の一つでもあり、多くの人が訪れていました。この桜は明治30年(1897年)に半谷清寿(はんがい・せいじゅ)という方が、荒野だったこの地を開拓するために入植した時、宅地周辺に約300本のソメイヨシノを植えたのが始まりです。現在は約1500本のソメイヨシノが約2.5キロ続く桜並木となっており、樹齢100年を超える桜の木もあり、歴史ある桜であります。

警戒区域の設定などで立ち入りが困難な状況であったため、手入れができていない状況でありますが、震災以降も毎年4月中旬ごろにはきれいな花を咲かせております。夜の森の桜は富岡町のシンボルであり、歴史ある大事な観光資源であります。今後は復興のシンボルとして、町民の心の癒やしやふるさとへの想いが断ち切れないよう、今後も桜をテーマとした情報発信に努めていきたいと考えていますので、全国の皆様にも是非夜の森の桜を知っていただきたいと考えております。

【エンディング】
  震災の風化を食い止めようと作られたこの歌、『気仙沼線』。活動は「気仙沼線普及委員会」のフェイスブックでご覧ください。
(以上放送内容終わり)

◆桜とともに重ねる歳月

「子どもの目線で見る桜は本当に大きかった」。夜の森の桜並木で育った三瓶さんが懐かしそうに話すその桜。原発事故後も変わりなく、春にはきれいに咲き誇るが、居住制限地区にすっぽりと入っており、愛(め)でる人はほとんどいない。

街路の両脇に並び、道路を覆うように枝を伸ばすその「夜の森の桜」は、どちらかというと小ぶりで、大人が見上げれば手に届くような距離だが、子どもの目には大きく見えたと記憶してしまうのは、「かつての日常風景が懐かしく感じてしまうからでしょうか」と三瓶さんは話す。

鬱蒼(うっそう)とした森と林が日光を退けた地であったことが、「夜の森」の命名の由来とされるが、それが開墾(かいこん)者、半谷清寿氏によって桜が植えられ、県内有数の名所となった。

また、富岡町では、夜の森だけではなく、宝泉寺境内の紅しだれ桜も有名で、こちらも変わらず桜は咲くものの、桜に続く石灯籠(いしどうろう)が並ぶ石畳の道は石灯籠が崩れたり倒れたりした震災直後のまま放置されていた。同町の復興はまず放射能除染が大前提であり、ラジオで紹介した通り、やっと今年初め、本格除染が龍台寺から始まった。

除染が始まった境内で、その作業を見ながら、約3年も「時が止まったまま」だったことを考えさせられる。今回の原発事故により、住む人の、そして人の住まう町の、かけがえない人生や時間への尊厳が損なわれた。桜が咲くころ、またもう1年、時を重ねたと「嘆く」ことになるのは私だけではないと思う。

三瓶さんの放送はユーチューブでもお聴きになれます。

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