山田厚史(やまだ・あつし)
ジャーナリスト。元朝日新聞編集委員。「ニュース屋台村」編集主幹。
国際社会は、20世紀に起きた2つの大きな戦争を教訓に「お互いやってはならないこと」を決めた。
それぞれの国が「主権」を尊重し合い、一方的に攻め込む「侵略」や、力を背景に統治を歪(ゆが)める「内政干渉」はしてはならない。それが国際ルールとされてきた。2026年は、この国際常識が消し飛んだ年となった。
◆米軍のベネズエラ侵攻という蛮行
1月3日、米軍が突如、ベネズエラに侵攻した。戦闘機が首都カラカスを襲い、空爆に合わせ降り立った特殊部隊が、大統領邸に攻め込み、マドゥロ大統領を捕え、アメリカに連行した。
「ベネズエラはアメリカに大量の麻薬を持ち込んでいる。武力攻撃に等しい。中心にいるマドゥロは犯罪者だ、アメリカの裁判所で裁かれる」。トランプ大統領は、軍事行動を正当化した。
主権もへったくれもない。戦闘機150機で襲い、空爆し、市民らおよそ100を殺し、寝ていた大統領夫妻を生け捕りにして、拉致(らち)した。歴史の針を100年以上も巻き戻したような蛮行(ばんこう)。世界秩序の中心にいるアメリカ大統領の指示で実行された。
「石油資源を取り戻す。石油はアメリカに送り、利益は私が管理する」。侵攻の狙いが世界一の埋蔵量を誇る石油資源の権益にあることをトランプは隠さない。
ベネズエラはマドゥロの前の大統領チャベスの時代に、石油産業を国有化し、米国の石油会社を放逐した。米国は、経済制裁でベネズエラを締め上げ、原油決済にドルや米国の銀行を使わせず、国際取引から締め出した。
救済の手を差し伸べたのが中国だった。人民元による決済で原油を輸入し、ベネズエラを支えた。
トランプは目と鼻の先のベネズエラに中国の触手が伸びることを警戒し「石油は中国に渡さない」としている。
暫定大統領にマドゥロの側近だったロドリゲス副大統領を指名。武力を背景に、アメリカの指示に従う統治を委ねた。真っ先に結んだのが、年間20億ドル規模の原油を米国に売り渡し、その利益をアメリカが管理する契約。併せて米国から食料品など生活物資を送り込む。圧倒的な軍事力で制圧し、経済を抑え込む事実上の「占領」だ。マドゥロ政権時代に逮捕・勾留(こうりゅう)されていた反政府活動家を釈放し、総選挙などを通じて体制転換を図る段取りだ。
◆弱肉強食の帝国主義時代を思わせる振る舞い
マドゥロ時代のベネズエラに問題はあったにせよ、「反米」はラテンアメリカに広がる動きだった。中南米を自らの勢力圏と見るアメリカは、これまでもキューバ、チリ、ニカラグア、パナマなどで武力介入や政権転覆を図ってきた。
中南米の反米政権は米国との軍事的緊張や経済制裁で窮乏し、体制維持のため麻薬取引に手を染め、強権政治に走る。一方でアメリカは、裏庭と呼ばれる勢力圏の国家を中国に接近させるジレンマを抱えていた。
今回のベネズエラ侵攻は、トランプにとって目の上のたんこぶを取り除く究極の選択だった。だが、いかなる事情があろうとも、国際秩序の根幹である「国家主権」を踏みにじり、他国に攻め込んで大統領を連行する、という暴挙は許されるものではない。
国連憲章は2条4項で「国家が他の国に対して武力を行使したり、武力を行使すると威嚇(いかく)したりすること」を原則として禁止している。
これまでも、裏で他国を操る工作や、政権転覆を図る謀略は、しばしばあった。だが、あくまでも秘密裏に、水面化でなされ、表立って行うことは憚(はばか)られてきた。
「主権尊重」という国際的大原則から逸脱すれば「ならずもの国家」の烙印(らくいん)を押される。それほどの暴挙を超大国アメリカが、世界が見守る中で臆面もなく行ったことは衝撃的だった。
主権侵犯はベネズエラにとどまらない。デンマークの自治領であるグリーンランドにもトランプは触手を伸ばす。北極圏は米国にとって安全保障の重要拠点だとして「アメリカが所有することが望ましい」と言い出した。
ホワイトハウスのレビット報道官は「グリーンランドの獲得は安全保障上の優先事項、北極圏で敵を抑止するのにきわめて重要。大統領とそのチームは、この重要な外交政策目標を追求するため、さまざまな選択肢を協議している。米軍の活用は常に選択肢の一つだ」と軍事介入の可能性さえ示唆した。
武力をちらつかせ他国に領土割譲を求める。弱肉強食の帝国主義時代を思わせる振る舞いだ。
トランプの狙いは北極圏のレアアースだとされる。麻薬犯罪を理由にベネズエラを攻め、石油権益を奪ったように、グリーンランドでは安全保障を口実に地下の希少金属を狙っている、と見られている。
レアアースは高性能電子機器に欠かせない素材だが世界の7割を中国が握り、アメリカも中国に頼らざるをえない。
欲しいものはなんでも奪い取る。凶暴な「自国ファースト」が前面に出たのが第2期トランプ政権だ。各国を狙い撃ちにする身勝手な高関税もそうだったが、今度は領土である。
各国が、自国のエゴをむき出しにすれば、お互い傷つき世界全体が不幸になる。悲惨な戦争へと行き着いた帝国主義の植民地争いの反省から戦後の国際秩序が生まれ、先頭に立ったのがアメリカだった。
人権の尊重・公正な取引・地球環境の保全など、一国では果たすことができない課題は、話し合い、譲り合う。協調の道を探るには、大国の指導力が欠かせない。世界のまとめ役は尊敬に値する振る舞いが求められる。
◆勢力圏の中で好き勝手をしたい「ドンロー主義」
「20世紀はアメリカの世紀」と呼ばれた。アメリカが主導する「価値観・産業・政治体制」が世界から尊敬の眼差しを集めたからに他ならない。
その米国が「世界の共通課題」に取り組む66の国際機関から「脱退する」と言い出した。ベネズエラ侵攻から4日後のことだ。
気候変動枠組み条約や貧困、感染症、途上国支援など地球上の課題に背を向けた。各国が資金と人材と知恵を出し合って解決の糸口を探っている現実を「国際機関がグローバリストに支配され、アメリカは不当な犠牲を強いられている」とトランプは一蹴し、「これからはドンロー主義だ」という。
19世紀、新大陸だったアメリカは、「旧大陸」の欧州による干渉を嫌った。5代大統領のジェームス・モンローが打ち出した「孤立・自立」の考えは「モンロー主義」と呼ばれる。これとドナルド・トランプの「自国第一」を合わせたのが「ドンロー主義」だという。
豊かな国が果たすべき「応分の負担」を拒否し、勢力圏の中で好き勝手をしたい、というのだろうか。トランプが思い描く勢力圏は南北アメリカを包含する西半球のようだ。
2025年12月に打ち出した国家安全保障戦略には「西半球重視」が強調されていた。ベネズエラのマドゥロ大統領を拘束した時も「西半球における米国の支配は二度と疑問視されることはない」と強調した。
ラテンアメリカからアラスカに至る米州大陸、さらに北極圏のグリーンランドも取り込んだ領域を「アメリカ勢力圏」にすれば人口・市場・資源・食糧・生産力など自立する条件は整う。この地域から中国やロシアを追い払い、新らたな帝国を築きたいと考えているのだろうか。
◆アメリカ史は戦争の歴史
アメリカ史をひも解くと、それは戦争の歴史でもある。
1620年 メイフラワー号 プリマスに
1771年 独立戦争 英国から独立
1846年 対メキシコ戦争 (カリフォルニア・南西部獲得)
1861年 南北戦争 内戦に決着
1898年 対スペイン戦争 (フィリピン・グアム獲得)
1912年 ニカラグアへ軍事介入
1917年 第1次世界大戦
1941年 第2次世界大戦 (広島・長崎に原爆投下)
1950年 朝鮮戦争 共産主義封じ込め
1953年 イラン介入 政権転覆CIA工作
1954年 グアテマラ介入 左派政権排除
1965年 ベトナム戦争 勝てない戦争への突入
1973年 チリ介入 左派のアジェンダ政権を打倒
1989年 パナマ侵攻 ノリエガ将軍を拘束、運河利権確保
1991年 湾岸戦争 中東石油利権 多国籍軍
1999年 コソボ紛争 NATO空爆 人道介入
2001年 アフガン戦争 対テロ戦争が本格化
2003年 イラク戦争 中東への本格介入
2014年 シリア内戦に参戦
2022年 ウクライナ戦争 参戦せず軍事支援
2024年 イスラエルのガザ攻撃 後ろ盾に
2025年 イラン核施設攻撃 主権侵害 イスラエル方式
2026年 ベネズエラ攻撃 大統領拉致 石油利権
揉(も)め事は暴力で解決しながら、反撃や仕返し(テロ)を恐れ、さらに暴力にすがる。武力によって威信を保ちながら、「戦争疲れ」が重荷になっている。それがアメリカのもう一つの顔だ。
実利を重視するトランプは「戦争のドロ沼」から足を抜きたい。だが、緩めれば中国やロシアにつけ入られる。
トランプは1946年6月生まれ。近く80歳になる。残り時間は短く、悠長に構えるゆとりはない。
「国際秩序」「主権尊重」など誰かが作ったルールなどどうでもいい。アメリカが勝手にやれる帝国を築きたい。そのためにベネズエラやグリーンランドを手にいれる。アメリカ大統領なら、なんでもできる。
◆世界規模の地殻変動が起き始めている
トランプは2027度の連邦政府予算で軍事費を1兆5000億ドル(約232兆円)にするとの考えを示した。史上最大だった26年度の9010億ドルを大幅に上回る。武力で徹底的に威嚇し、巨大なハリネズミのような勢力圏にしようというのか。
途切れることのない戦争を続けてきたアメリカだが、戦争に勝っても統治がうまくいくとは限らない。成功した典型は日本の統治だが、ほとんどの場合、武力で敵を叩き潰しても、心まで支配できない。
暴力は恨みを増幅させ反米感情をかき立てる。近代兵器で圧倒したベトナム、アフガニスタン、イラクでも米軍は撤退するしかなかった。
中南米で左派指導者を放逐し、中国やロシアの影響力を排除しても、他国に土足で踏み込むやり方で安定した統治ができるのか。米国の身勝手な統治で、中南米には反米感情のタネが至る所にある。
米州に引きこもる、ということはアジア、中東、アフリカなどとの関与を薄めることにもなる。トランプにとって、そこまで手が回らない、ということだろう。
力の空白を埋めるのはどこの国か。地球上の勢力バランスの変化は、アメリカの勢力圏にも及ぶだろう。
自国の利益になることなら「国際ルール」などお構いなし。大国アメリカが見せつけた暴挙は、世界秩序が崩壊しつつあることの表れでもある。
各国が自国利益を優先して走り出す恐れがある。米国に代わって中国が新たない秩序作りに動くだろう。
日本はいつまでアメリカだけを見ているのか。日本がすがっても、アメリカは違う方向に動いている。「アメリカ従属が生きる道」と心得ていた歴代政権の思考停止がやがて政治危機を招くだろう。
世界規模の地殻変動が起き始めている。よそごとではない。2026年は、日本にとっても節目の年になる。(文中一部敬称略)











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