定点観測:停滞するタイの政治経済の現状
汚職疑惑多発も強固な政権基盤
『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』第328回

10月 09日 2026年 国際

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小澤 仁(おざわ・ひとし)

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バンコック銀行執行副頭取。1977年東海銀行入行。2003年より現職。米国在住10年。バンコク在住27年。趣味:クラシック歌唱、サックス・フルート演奏。

タイの政治経済は、この数か月にわたり大きな変化を見せていない。コロナ禍以降の長引く経済不況を克服する展望もなく、政治は硬直化している。このような状況で、タイの政治経済を語る題材は乏しい。しかし、2025年7月4日付の拙稿第295回「風雲急を告げるタイの政治情勢―ペートンタン首相に職務停止命令」でタイの政治状況を取り上げて以来、すでに1年以上が経過している。今回はあえて定点観測として前回以降の動きを振り返るとともに、タイの政治経済の現状を考えてみたい。

◆首相はペートンタン氏からアヌティン氏へ

カンボジアとの国境戦争をめぐり、フン・セン元首相との電話会議の内容がリークされたタイ貢献党のペートンタン・シナワット元首相は、25年7月1日に憲法裁判所から職務停止命令を受けた。同年8月29日にはついに「深刻な倫理違反」として、憲法裁判所から首相職を解任された。当時の議会の勢力図は改革派の人民党150議席、それまで与党であった貢献党140議席、主に東北部を地盤としていた保守勢力のプームジャイ党(BJT)70議席というものであった。連立内閣を構成していたBJTが閣外に去ったあと、ペートンタン首相が失職し貢献党は政権維持を放棄した。このため当時第一党であった人民党(前進党から鞍替え)からの閣外協力を受けて、BJTは少数与党政権を編成した。

23年8月に帰国していた貢献党の実質的なオーナー、タクシン元首相は同時期に刑務所に収監されることとなった。憲法裁判所が「帰国後の警察病院での滞在期間を服役義務の履行と認められない」との判決を下したためである。これ以降、貢献党の勢力は著しく低下する。

25年9月、BJTのアヌティン・チャーンウィラクン氏が第32代首相に就任。閣外協力を得ていた人民党との公約でもある「4か月以内の議会解散・総選挙」を宣言した。保守派の地方政党であるBJTは、軍人政権下でも連立与党入りしていたため、政府・官僚組織との折り合いが良かった。さらに少数与党のBJTは党内に人材が不足していたため、大臣ポストを官僚や民間人に配分した。エクニティ財務大臣(財務省)、シハサック外務大臣(外務省)、スパジー商務大臣(民間デュシットグループ)などの実務家3人を登用したが、これが見事に図に当たった。目新しさと利権に縛られない彼らの政策提言が、国民に受けたのである。

さらにタイ・カンボジア間の国境問題が紛糾すると、BJTはカンボジアに対して好戦的な態度を見せる。これが国民の愛国心に火をつけ反カンボジアの街頭活動も活発化、BJTの人気は急速に高まった。一方で閣外協力を組んだ人民党とは、憲法改正や政策の優先順位で主導権争いが激化。25年12月12日アヌティン政権は突如として議会を解散し、26年2月8日に下院選挙が行われることになった。

◆「地方ネットワーク VS 都市改革派」という新しい対立軸

選挙の結果は単独過半数には至らなかったが、BJTが192議席を獲得して地滑り的圧勝となった。以下人民党120議席、プアタイ党74議席、グラタム党58議席、民主党議席21。これに対し、国民国家力の党(PPRP)など軍人政党は壊滅的な敗北となった。投票率は71.42%で2001年以来最低。また同時に行われた憲法改正の国民投票は60%以上が賛成した。

主要3党の政党ごとの動向を詳しく見てみると、現在のタイの政治の状況が見えてくる。

プームジャイタイ党(BJT)の勝因は以下の通り――。
①地方の有力政治家ファミリーを動員し、候補者個人のネットワークを最大限に活用
②内務大臣ポストを握り、地方官僚機構からの候補者支援
③カンボジア国境紛争に起因するナショナリズムの追い風
④保守派からの支持

一方、改革派である人民党の伸び悩みの原因は以下の通り――。
①比例票では最多を獲得(31.5%)するも、地方区で弱く議席が伸びなかった
②前身である「前進党」解散や指導者ピタの政治活動禁止が打撃
③若者・都市部中心の人民党支持層の投票率低下
④汚職防止委員会による訴追が相次ぎ、政権公約が中途半端なものに終わる

23年5月の総選挙で内閣を組成したプアタイ党は、過去最低の74議席に減少。これは――
①前回政権時に軍人政党との連立したことにより支持者が離れた
②セター元首相など指導者の資格剥奪(はくだつ)とタクシンの収監が逆風
③「革新派」という政治的アイデンティティーが剥落(はくらく)し支持基盤が崩壊
――などが原因とみられている。

こう見てくると、26年総選挙はタイ政治に新しい変化を与えたともいえる。軍事政党は崩壊し、保守派は地方ネットワーク型政党に再編。改革派は比例票で強さを示すが、制度的制約と地方での弱さに阻まれる。すなわちタイ政治は「地方ネットワーク VS 都市改革派」という新しい対立軸に移行した。

◆頻発する政権絡みの汚職疑惑

今年2月8日の選挙の結果を踏まえてBJT (192議席)は貢献党(74議席)と連立を組み、過半数の250議席を超える安定政権を編成。こうして3月20日、アヌティンは引き続きタイの首相に選任された。

ところがこれ以降、アヌティン政権の成果はあまり芳しいものとは言えない。政権発足以降6か月の実績を反映した国家開発行政研究所(NIDA)の世論調査(9月27日発表)によると、BJTならびにアヌティン首相の支持率は急降下している。政党支持率は①人民党24.7% ②貢献党18.4%③BJT12.1%――とBJT は3位に沈んだ。首相候補としても①人民党のナタポン党首24.8%②支持者なし19.8%③アヌティン13.8%――とこちらも同様に第3位である。停滞するタイ経済と汚職疑惑が国民の不信を買っているようである。

実際にBJTに絡む汚職疑惑は頻発している。最も影響が大きいと思われているのが、24年6月に行われた上院議員選挙(定数200)にからむ大規模談合・不正事件である。通称「セネートゲート」とも呼ばれている。

タイの上院選の仕組みは、2017年憲法制定時に大幅に改訂された。それは教師や医師など20の職業グループに分かれた候補者同士が互いに投票し合う「互選」という複雑な仕組みをとっている。ところが、特定の候補者に票を組織的に集めるカルテル行為が横行。その裏で金品の授受などの汚職が多数行われた。また候補者選出の裏で、地域地盤の強いBJT が組織的に介入していた疑惑が浮上。上院選挙後は200議席のうち150人前後の上院議員がBJT系といわれ、BJT上院をコントロールする構図となった。

これに対して市民団体などから500件以上の異議申し立て提出され、 選挙管理委員会は2024年後半から、通話記録や資金の流れを含む膨大な調査を進めてきた。選管は当初、現職議員138人を含む229人を捜査対象として挙げていたが、最終的に9月14日、現職上院議員26人を含む計77人を最高裁判所に刑事訴追(申し立て)する方針を決定した。 しかし訴追者が当初の229人から77人に大幅に減少したこと、アヌティン首相ら与党幹部の訴追が見送られたことに対し、市民からは大きな反発が出ている。

さらに選管の評議委員の一人がこの決定を不服として記者会見を開き、選管が持っている事実や証拠を開示した。もし憲法裁判所がこの汚職疑惑の審理を受理すれば、これら訴追対象となった26人の議員の議員は職務停止となる。今後のBJTの政権運営や安定性に大きな影響を与える恐れがある。

もう一つの大きな汚職疑惑が「地方公務員採用試験の点数不正問題」である。2025年12月に地方公務員1万5000人の採用試験が実施された。ところが今年6月になって合格者の3分の1以上(5924人)の得点が不正に水増しされるという大掛かりな疑惑が発覚したのである。

このとき受験者が仲介グループや自治体関係者に、1人あたり最大80万バーツ(約380万〜390万円)の巨額な賄賂を支払っていたことが判明している。タイ内務省は今年7月17日、不正に関与した5900人超の任命取り消し(実質的な大量解雇)を決定、事態の鎮静化を図った。しかし最近になって大規模汚職の中心にBJTの実質的なオーナーであるネウィン・チットチョープ氏の側近がいるとの疑惑が持ち上がり、特別捜査局が捜査を行っている。

こうした汚職疑惑に対しては改革派の人民党、リベラル政党である民主党が中心になってBJTを追及してきた。ところが最近になって、13年~14年に当時のインラック政権を反政府デモによって打倒に追い込んだステープ・トゥアクスパン氏が再び街頭活動を開始。ステープ氏のもとには原理主義的保守派である「黄シャツ」グループの人たちも集結してきている。

◆政権基盤は極めて強固なアヌティン政権

右派からも左派からも汚職追及の火の手が上がり、かつ世論調査においても急速に支持率を落としているBJTのアヌティン政権。すぐにでも内閣が崩壊しそうに見えるが、実は「政権基盤は極めて強固だ」と指摘する人は少なくない。

その第一の理由は、議会においてBJTは貢献党と連立政権を組み、過半数を抑えていることにある。貢献党のオーナーであるタクシンは、自身の王室侮辱罪と、妹であるインラック元首相の帰国問題があり、どうしても連立与党にとどまる必要がある。また連立与党には参加していないが、58議席を有するグラタム党が閣外で現政権の応援団となっている。このため、アヌティン政権は議会の運営では全く不安がない。

第二の理由として、現政権は王室や軍部からの支持を取り付けていることにある。アヌティンはワチラロンコン国王の海外訪問に際しては毎回「お付き」として同行している。9月14日からのベトナム訪問に際しても、国王はアヌティンを随行させている。このように王室とアヌティンとの関係は極めて良好に見える。軍隊については、現政権はその運営を軍部に任せている。このため軍部の力は強まっており、カンボジアや南部の治安問題については軍部が意思決定をしていると聞いている。さらにビジネス界からも政権の安定が期待できるBJTへ支持があるといわれている。こうしたことから当面はアヌティン政権が続くと思われている。

◆当面停滞続く経済

最後にタイ経済について簡単に触れておきたい。

2019年に人口がピークアウトしたタイは6年連続で人口が減少している。人口の減少は民間消費の減少につながる。また家計債務の高さも問題となっている。タクシンが最初に愛国党政権を担った01年当時のタイの家計債務は45%程度であったが、その後インラック政権を通じてタイの家計債務が急増し、現在は90%程度に高止まっている。これまでのタイの好景気は“前借り経済”に支えられていたと言っても過言ではない。

さらに、国民の間の貧富の差の拡大も問題である。タイでも最も貧しいといわれる東北部とバンコクの1人当たりの国内総生産額(GDP)を比べると9倍の開きがある。東北部などの貧しい人は使える金がないが、バンコクの金持ちはいよいよ資産をため込んでいる。このような状況ではタイ経済が良くなる要素がない。こうした状況を突き破るためには大胆な社会構造改革が必要である。しかし、汚職と不正にまみれたBJT政権にこうした構造改革を望めるだろうか。タイの政治経済は当面、停滞が続く可能性が高い。(文中一部敬称略)

※『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』過去の関連記事は以下の通り
第295回「風雲急を告げるタイの政治情勢―ペートンタン首相に職務停止命令」(2025年7月4日付)

風雲急を告げるタイの政治情勢ペートンタン首相に職務停止命令『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』第295回

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