風雲急を告げるタイの政治情勢
ペートンタン首相に職務停止命令
『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』第295回

7月 04日 2025年 国際

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小澤 仁(おざわ・ひとし)

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バンコック銀行執行副頭取。1977年東海銀行入行。2003年より現職。米国在住10年。バンコク在住27年。趣味:クラシック歌唱、サックス・フルート演奏。

タイの憲法裁判所は7月1日、カンボジアとの国境紛争をめぐり上院議員から訴追されていたペートンタン首相の解職請求を受理。あわせて首相の職務一時停止を命令した。これによりペートンタン首相の解職を審議する裁判が始まる。ペートンタン首相の父親であるタクシン・シナワット元首相が自ら指揮していたタイ貢献党(以下貢献党)政権に大きな試練が訪れている。どうしてこのような事態になってしまったか。危機状況に陥ったタイの政治情勢とその背景を解説する。(7月3日現在)

◆カンボジアとの国境紛争対処で批判

拙稿第277回「セター首相解任とタクシン傀儡政権の成立―タイ密室政治の魑魅魍魎」(2024年10月18日付)で、貢献党の事実上のオーナーであるタクシン氏が主導したとみられるペートンタン連立政権成立の背景と新政権が直面する困難な事象を解説した。

具体的には①連立政権内で露骨な利権争いが存在する②貢献党は10年以上政権から離れ官僚のコントロールが効かなくなっている③財力を蓄えた政商たちが自らの利権を拡大すべく暗躍している④政権を支える参謀たちが高齢化し民衆への訴求力がない――などを指摘した。能力も高く、愛国党政権時代(2001~2006年)に実績を残したタクシン元首相が、次女のペートンタン首相を介して政権運営に乗り出しても「指導力を発揮するのが難しい」と予想した。

現在までのところこの予想が当たり、タクシン傀儡(かいらい)政権はこれといった成果を出せないでいる。それどころか、タクシン傀儡政権はあっという間に断崖絶壁まで追いこまれてしまった。

事の発端は、タイとカンボジア間で5月28日に発生した国境未画定地域での武力衝突。これが思わぬ事態を引き起こしてしまった。

ペートンタン首相とカンボジアのフン・セン元首相が対応策を話し合った6月15日の電話会談の内容が、カンボジア側からリークされてしまったのだ。会談の中でペートンタン首相がタイの陸軍幹部を非難し、タイの立場を弱めるような発言をした。この会談内容の一部始終が公開され、ペートンタン首相に対する国民の批判が急速にわき上がった。これを契機に連立政権の要(かなめ)であったプームジャイ党が6月18日に離脱。6月26日には上院議員36人がペートンタン首相の解職を求めて憲法裁判所に訴追。それが7月1日に受理されたのである。

◆タクシン氏帰国後も政争の中心に

タイの政治を振り返ると、政治対立やクーデターにより海外に逃亡した政治家が多くいる。しかし大半は長い逃亡生活で望郷の念に駆られ、最後は国王の恩赦を得てタイに帰国する。こうした人たちは自分の身の安全を考え、帰国後は表舞台を避け目立たないようにして余生を過ごす。

ところが、タクシン氏は違った。タクシン氏の人となりを知る人は押し並べて「彼は黙っていられず前面に出てきて行動を起こすに違いない」と予想した。人の性格はなかなか変えられない。その予想は的中した。

国王の恩赦により自由の身となったタクシン元首相は手始めに、昨年8月に憲法裁判所の判断で失職をしたセター前首相の後釜として、自分の娘であるペートンタン氏を首相職に送り込んだ。実質的な「タクシン政権」の成立である。

ペートンタン政権の発足当初は、タクシン氏も自信満々の様子であった。「自分が乗り出せば事態は容易に変わる」。自信家のタクシン氏ならこう考えても不思議でない。ところが前述の通り、タクシンを取り巻く壁は、彼の予想に反して高かった。

タクシン氏が最初に仕掛けられた戦いは、23年5月14日の下院選挙前まで主流派でその後下野した「国民国家力の党(以下PPRP)」のプラウィット元副首相に代表される伝統的保守派との訴訟合戦である。タクシン氏に対しては海外亡命時に行われたメディアでの発言への不敬罪、プラウィット氏に対しては本人および妻に対する収賄容疑などで訴訟合戦が展開された。最終的にタクシン氏への不敬罪適用などは棄却され、タクシン氏側の実質勝利に終わった。これでタクシン氏が慢心したのかもしれない。

ところが、ペートンタン氏の首相就任(24年8月18日)の2か月前に行われた上院選挙で、貢献党と勢力を争うプームジャイ党が実質70%程度(一説には80%)の議席を抑えた。タイ上院には憲法改正審議などの承認権とともに、憲法裁判所など各種司法・汚職管理委員会・選挙管理委員会などの裁判官や委員の任命権がある。上院議員の数で貢献党はプームジャイ党に大きく差を付けられただけでなく、強大な権力を持つ憲法裁判所や汚職委員会などがプージャイ党の影響下に入った。地方ボスの集団で地方組織に深く根を張っていたプームジャイ党の力が発揮された。

連立によって利権政治が横行し、国家横断的な経済施策が打てず人気が伸びないペートンタン政権。タイ経済の低迷が明らかになり、貢献党の党勢が伸びない中で、下院選挙で過半数を取れるかもわからなくなってきた。上院選挙の結果を見れば容易に想像がつく。こうした事態にタクシン氏も焦りを感じていたに違いない。

タクシン氏は、強力なライバルとなったプームジャイ党に2つの攻撃を仕掛けた。プームジャイ党に対する訴訟攻撃と貢献党の露骨な多数派工作である。表面上はニコニコと笑って握手をしながら、見えないところで蹴(け)り合いのけんかが始まった。

プームジャイ党の共同オーナーであるネウィン・チドチョブ氏とアヌティン・チャーンウィーラクーン前内務大臣に対して不正な土地取得と収賄の容疑で訴訟を起こした。さらに法務大臣の指揮下にある特別捜査局を使ってプームジャイ党に近い複数の上院議員の収賄容疑の調査を開始した。

これと並行してタクシン氏はプームジャイ党(69議席)抜きでも政権が維持できるように、ほかの政党に露骨に介入して多数派工作を展開。政敵であるプラウィット元副首相が率いるPPRP党からタマナット・プラチャーラット元幹事長グループ20人が貢献党の友党であるクラータム党に合流した。ペートンタン首相誕生時の24年8月には貢献党と長らく敵対関係にあった野党・民主党も連立内閣に取り込んだ。さらにプラユット元首相を擁するタイ団結国家建設党(以下UTN)にも介入し、36人の議員のうち18人を親タクシン派として手なずけた。

有効な経済政策が打てないため貢献党の党勢は伸びず、次回下院選挙でも苦戦が予想される中でタクシン氏は剛腕を発揮。ついには次回下院議員選挙で要となる「内務大臣」のイスをプームジャイ党のアヌティン党首から公然と奪おうと動き出した。

◆蒸し返された仮病入院疑惑

こうしたタクシン氏の動きに対して保守派も黙っていなかった。カンボジアとの国境問題の真相はわからないものの、軍部が揺さぶりをかけた可能性は否定できない。ペートンタン首相もフン・セン元首相との電話会議でそうした認識を吐露してしまった。

今回の問題とは別に、タクシン氏の「警察病院仮病入院問題」が蒸し返された。彼が亡命から帰国した際「刑務所での1年間(のちに恩赦で半年に短縮)の収監が必要だったにもかかわらず、仮病により警察病院の特別室でこの期間を過ごした」という疑惑である。タイ医師会はタクシン氏の仮病工作に3人の医者が関与したとして、3人を除名処分などにした。この一件に関しても「タクシン氏は当時健康で病気は仮病であった」という内容のメモが漏洩(ろうえい)。6月20日に最高裁判所が真偽について審査を開始した。

これにはおまけ話も付く。領土問題でいまやタクシン家と泥仕合を演じているカンボジアのフン・セン元首相が「訪タイ時にタクシン氏の自宅を訪問したが、彼は医療器具もつけず健康な状態にあった」と暴露したのである。このためタクシン氏が再度収監される恐れも出てきた。このほか、汚職管理委員会が「法務省特別調査局による上院議員調査は不当である」として、貢献党の管理下にある法務省特別調査局への査察を開始した。

こうした混とんとした状況で、ペートンタン首相の電話会談の内容漏洩が致命傷となってしまった。これをきっかけにペートンタン首相の国民からの信頼は地に落ち、抗議集会が五月雨式に開かれるようになった。6月28日にバンコク市内で行われた抗議集会には2万人(主催者発表3万人)が抗議の声を上げた。国家開発行政研究所(NIDA)の世論調査では、ペートンタン首相の支持率は9.2%、貢献党の支持率は11.5%に急落。そして、7月1日の憲法裁判所の解職請求の受理に至ったのである。

◆先行き視界不良

事態は今後どう動くのであろうか? タクシン氏は5月末に自身の警察病院での仮病工作疑惑に絡み保健相への弁護を行ったが、7月1日に行われたタクシン氏自身への「不敬罪疑惑」の裁判に出廷するまで、6月は全く表舞台に出てこなかった(2015年にソウルで韓国メディアに対して語った枢密院(国王の諮問機関)批判が不敬罪に問われたもの。憲法裁判所でいったん棄却されたが、その後バンコクの刑事裁判所が改めて訴追)。ペートンタン政権に対する猛烈な逆風の中、目立たないようにしながら必死に対応策を考えているはずである。

ペートンタン首相に対する7月1日の憲法裁による職務一時停止命令の数時間前に閣議が行われ、首相はプームジャイ党離脱後の内閣改造を断行し、官報に掲載した。ペートンタン首相は文化相を兼務し、首相の職務停止後も自ら引き続き閣議に出席できるようにした。また、UTNの親タクシン派であるチャトポン・プルトパット氏を商業相に任命して多数派工作を画策。こうした一連の内閣改造は政治に精通するタクシン氏のアイデアに違いない。

タイの新聞の社説を読んでいると、今後のタイの政治情勢の行方については、以下のようなさまざまなシナリオが語られている。

▽ペートンタン氏が謝罪を続け首相職に居座る(憲法裁の判断で失職となる可能性が高い)

▽首相職を貢献党の最後の首相候補であるチャイカセム氏に譲り貢献党政権を維持(連立政権内には依然不協和音があり、不信任案が成立する可能性あり)

▽貢献党がプームジャイ党との連立政権を再組織して同党のアヌティンを首相に据える(ここまでこじれた貢献党とプームジャイ党の和解は容易ではない)

▽プームジャイ党と野党・人民党が連立を組みアヌティンを首相に据える(民主派である人民党が政権を担うことを保守派が許すか疑問)

▽貢献党と人民党が連立を組む(人民党は一度裏切られているため貢献党へのアレルギーがある)

▽連立政権が成立せず貢献党内閣が解散を行う(人民党が躍進するだけで貢献党は惨敗の可能性)

▽連立政権が組めず無血クーデターで軍事政権が再発足(国際世論の強い反対)

以上見てきたように、いずれのシナリオも大きな困難が付きまとう。さらに今後1、2か月のうちに結審するとみられるペートンタン首相に対する憲法裁判所の判断や、タクシン氏に対する警察病院仮病入院疑惑および不敬罪裁判の帰趨(きすう)によって事態は大きく変わってくるだろう。しばらくはタイの政治情勢から目が離せない。

※『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』過去の関連記事は以下の通り

第277回「セター首相解任とタクシン傀儡政権の成立―タイ密室政治の魑魅魍魎」(2024年10月18日付)

https://www.newsyataimura.com/ozawa-158/#more-21526

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