п»ї 「地政学」について考える(その2)『視点を磨き、視野を広げる』第53回 | ニュース屋台村

「地政学」について考える(その2)
『視点を磨き、視野を広げる』第53回

8月 30日 2021年 経済

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古川弘介(ふるかわ・こうすけ)

海外勤務が長く、日本を外から眺めることが多かった。帰国後、日本の社会をより深く知りたいと思い読書会を続けている。最近常勤の仕事から離れ、オープン・カレッジに通い始めた。

◆はじめに――地政学と経済学の総合

地政学とは、地理と歴史で世界を理解することである。前稿で取り上げた『新しい地政学』は、過去の教訓の集積である「古典的地政学」の上に「新しい」国際環境――グローバル化以降の世界――における地政学戦略の構想を示している。「新しい」というのは、陸海空に加えて宇宙やサイバー空間にまで対象が広がったことを指すが、それはまた、「法の支配」に基づいたリベラルな国際秩序の確立を構想している――「自由で開かれたインド太平洋」(*注1)など――からである。同書は、北岡伸一(国際協力機構理事長)、細谷雄一(慶応大学教授)が編者となっており、主流派の地政学と呼んでよいだろう。

こうした正攻法的アプローチと違う視点の存在を教えてくれるのが、今回の中野剛志著『富国と強兵――地政経済学序説』である。同書は、拙稿第46回〜51回『MMT(現代貨幣理論)を考える』で貨幣論の教材としたが、その副題から明らかなように、地政学を主テーマとしている。「地政経済学」とは聞き慣れない言葉であるが、中野の造語である。中野は地政学と経済学を総合した地政経済学を目指している。いわゆる政治経済学――経済現象を社会構造から分析――による世界認識や歴史観から、グローバル化に対峙(たいじ)する存在としての国家の役割を明らかにし、貨幣論によって国家の能力の大きさへの再認識を求めるのである。そして、国民国家を基軸にして地政学を論じている。

本稿では、まず中野の論考を検討し、主流派地政学と比較したい。そこからグローバル化の産物としての格差拡大と米中対立という視点を導き出し、その意味について考えてみたい。

◆中野剛志の地政経済学

●地政学と経済学の総合

中野の地政学の特徴は、地政学と経済学の総合を目指すことにある。中野は、地政経済学とは――経済力(富国)と政治力・軍事力(強兵)との間の密接不可分な関係を解明しようとする社会科学――だとする。なお、ここでいう経済学はケインズ経済学であるが、中野はさらに米国の経済学者ジョン・ロジャース・コモンズ(1862〜1945)の制度経済学――制度は個人の行動に権利と義務を与える→究極の制度である国家に個人は依存する――の考えを取り入れ、自らの立場をポストケインズ派制度主義と呼んでいる。

まず、「総合」のためには、経済学と地政学の間に共通の理解が必要だとする。それはケインズ経済学が前提とする「不確実性(将来何が起こるのか発生確率が不確かで予測できないこと)」である。すなわち――人間とは、不確実な未来に向けて、一定の予想や期待を抱きつつ。現在において行動する存在であるため、不確実な未来の予測や期待の形成に関して「制度」に依存して資源を動員せざるを得ない。その制度の究極の形が「国家」なのだ――という共通理解である。そして国家による資源動員の重要な決定要因の一つが「地理的条件」なので、地政学が必要となる。地政学と経済学の接点を国家に求めるのである。

●資本主義の不安定性と国家

中野は、制度経済学は国家を不確実性を縮減する制度的装置とみて、国家によって資本主義という経済システムがもつ構造的欠陥を制御できるとする。資本主義の構造的問題とは――自由に任せれば不安定化する――ということであり、そのため「管理された経済」が必要なのだとする。管理された経済とは、国家による市場の規制であり、規制によって市場を制限――特に人間労働の保護が必要――することで、むしろ人間の自由が守られるという考え方である。

〇金融不安定化仮説

また中野は、ポストケインズ派の経済学者ハイマンミンスキー(1919〜1996)の「金融不安定化仮説」を使って、金融化に伴う資本主義の不安定性を次のように説明する。

――(拙稿第46回「MMTを考える(その1)」で検証したように)銀行の貸し出しの原資は預金ではなく、借り手に資金需要があればいくらでも貸し出せる。これを信用創造(内生的貨幣供給理論)と呼ぶが、この信用創造メカニズムを原動力にして資本主義は発展した。銀行は、借り手の信用力を判断して貸し出しをするのであるが、景気拡大期には楽観論が広がり過剰な貸し出しを行うことになる。経済全体の負債比率(レバレッジ)が次第に高まっていき、なんらかの資産価値の下落を契機に金融危機が発生し、経済危機を引き起こす――

中野は、こうした「金融不安定化仮説」に立って――資本主義というシステムは、繁栄によって安定化するのではなく、むしろ脆弱(ぜいじゃく)化する――としている。資本主義は金融化によって、構造的な「不安定性」が増すということである。

そして、こうした資本主義の構造的不安定性を克服するものが、「中央銀行と国家財政という制度」――金融危機を防止する最後の貸し手としての中央銀行(中野は中央銀行という制度の基盤を支えている国家の存在を重視)と、財政赤字による公共投資と減税で経済危機を回避する政府の存在――なのだとする。したがって――資本主義経済は国家なしには安定化し得ないし、持続的な成長も不可能になる――のである。国家とは――領土を空間的な基盤として成立する領域国家――すなわち国民国家である。その存立を脅かすものが、自由貿易、グローバル化なのである。

●自由貿易、グローバル化批判

グローバリズムは、「地球を一つの共同体とみなして、世界の一体化を推し進めようという思想」(Wikipedia)である。その考えにたち「ヒト・モノ・カネ」の国境を超えた活動が加速化する現象をグローバリゼーション(グローバル化)と呼んでいる。拙稿第50回「MMTを考える」(その5)で見たように、中野が自由貿易やグローバル化を批判する理由は次のように要約される。

◯グローバル化の基本条件である自由貿易によって、輸出国も輸入国も最大の利益を享受することができると主流派経済学では教える。しかし自由貿易が進むと両国企業間の競争は激化し、企業は賃金コストの削減に動く。その結果、企業の利潤が増えるが、経営者や富裕層に回るだけで経済格差が拡大する。それがすべての国で起きると、世界的に需要が不足して経済危機は内在化され、周期的に顕在化する。

◯20世紀初めの近代の第1次グローバル化の時代に、同じ現象が起きて世界大戦に至った。経済人類学者であるカールポラニー(1886〜1964)は、その原因を――グローバル化の行き過ぎによって生活を破壊された人々が抵抗運動を始め、それに政治が応えた結果、国家による格差是正を目指してファシズム、ニューディール、社会主義が生まれた。そのような状況を背景に当時の覇権国家英国と、台頭してきた新興国ドイツの市場獲得をめぐる熾烈(しれつ)な対立が先鋭化して戦争となった――とするのである。

◯現在は1980年代から続く近代の第2次グローバル化の時代にあるが、格差の拡大と経済の不安定化を招き、世界的に反グローバル化運動が勢いを増している。その象徴的現象が、EU(欧州連合)諸国内での反EUを掲げたポピュリズム政党の伸張であり、英国のEU離脱や米国のトランプ現象である。

◯このように、現在の覇権国である米国は、自ら推進したグローバル化の影響による国内の分断、金融危機の続発によって弱体化しつつある。それに対してグローバル化の恩恵を最大限利用して力を蓄えた中国が米国に挑戦を始め、覇権をめぐる米中対立が起きている。

●マッキンダーの自由貿易批判

中野はまた、英国の地政学者サー・ハルフォード・ジョン・マッキンダー(1861〜1947)にも注目する。それはマッキンダーが地政学と経済学の総合を唱え、当時の大英帝国における産業の膨張運動が、帝国主義につながっていくと考えたからだとする。

マッキンダーは――自由貿易や資本移動の自由こそが、覇権的・帝国主義的な拡張をもたらす――と考える。これは――各国が市場獲得を競争する中で自由貿易の原則を維持して生き残ろうとしたら、帝国の領土を拡張して自国の市場を拡大していくしかない。また、(当時の)英国は自由貿易によって得た貿易黒字を海外市場へ投資したが、その資本所得を確保するためにも、帝国主義的な進出や干渉が必要となり、強大な海軍力が不可欠となった――からである。

こうした理解は現代にも当てはまる。先進国は、かつてのような帝国主義的な進出は行わず、グローバル化を旗印に、「ヒト・モノ・カネ」の力を駆使ながら外国市場に浸透していく。その際に、米国は自由な市場経済の導入を求め、規制緩和や民営化をグローバルスタンダードだとして相手国に押し付ける。それが通るのは、経済力、政治力、軍事力において圧倒的な力を持つ覇権国だからである。しかし一方で米国は、自国の経済活動の維持に必要なシーレーンを防衛するために強力な海軍力が不可欠であり、有事に迅速に艦隊や航空隊を展開するために海外基地を維持しなければならない。自由貿易やグローバル化こそが、覇権主義的拡張をもたらし、それが国際的な緊張をもたらすのである。

●行き過ぎたグローバル化の抑制と国民国家

こうした解釈は、一般的理解――自由貿易は互恵的であり平和を象徴し、保護主義が帝国主義と結びついて戦争に至る――とは異なっている。グローバル化は、行き過ぎると――各国の慣行や人間労働を破壊するなどの――弊害をもたらすのである。

では、保護主義的な経済でどのような国家を目指すべきだというのであろうか。マッキンダーは――各種産業がバランスよく発達した国民経済であり、民主主義の中核的な理念である自治の理想を実現するうえでも望ましいものである。特定の産業を他国に依存することは、その国に対して従属する結果となる。国家間の対等な経済関係を確保するためには、それぞれの国家がバランスの取れた産業構造を目指す必要がある――としている。

中野は、こうしたいわば「経済ナショナリズム」という考え方は、マッキンダーだけではなく、ケインズにもみられるという。中野は――ケインズは自由貿易を批判した。ケインズの言う「国民的自給」は完全な自給体制を意味するものではない。グローバリゼーションを制御して多様な産業構造を確保するという理念――だと言う。反グローバル化は、鎖国ではないかと批判されることがあるが、そうではなくそれぞれの国に適したバランスの取れた発展が望ましいと言っているのである。その結果、世界の不均衡の拡大が回避され、平和の維持に貢献するという考え方である。

◆主流派地政学における地政学と経済の関係について

●主流派地政学の考え方

主流派地政学は、地政学と経済学の総合という視点を持たないが、地政学と経済との関係については、『新しい地政学』の中で論じている(*注2)。すなわち――経済力は武器(軍事力)に匹敵する力を持つ、ただし限界がある――というものだ。その中で、経済が国際政治に与える影響についての的確な指摘――自由貿易の問題点を指摘――が目を引く。

同書ではまず、現在の経済学の主流派(新古典派経済学)は――自由な市場における競争が、経済的厚生を向上する上で望ましい。そして自由な経済交流は、それに携わる諸国を皆豊かにするので、すべての国にとって望ましい――ことを強調しているとする。こうした自由経済への信念は、主流派経済学が理論的に支える新自由主義思想の特徴といえる。そして、こうした主流派の経済理論に関し、本書では経済力が政治的影響力を及ぼすという点に焦点を当てて、「厚生効果」と「影響力効果」という概念を用いて説明する。

「厚生効果」と自由貿易

「厚生効果」とは、市場が持つ価格を通じた需給均衡化機能こそが、経済的厚生を最適化するという理論だ。それを国際的な取引にも適用して、自由貿易はすべての国を豊かにすると考えるのである。しかし本書では、関係国すべてが利益を得られるとしても国際環境は無政府的なので、各国は自国の国益を優先するが、国力の違いによって利益配分が違ってくることを指摘する。その結果、経済力にさらに差がつき、軍事力の増大を通じて国力の差も拡大するというのである。

要は、自由貿易を進めると、国力の強い国、中でも覇権国に有利になるということである。自由貿易は、必ずしも経済厚生の最適化をもたらさないという指摘であり、自由貿易の問題点をついた議論を提起している。

「影響力効果」と従属の「構造化」

「影響力効果(*注3)」とは――経済的交流によって、ある国が他国に対して力を行使できるチャンスが生じること――である。本書では、この影響力効果は、大国と小国の間の関係で現れやすいので、大国は小国を従属的地位におくことができるとしている。さらに――小国の内部の(大国との交易で)利益を受ける集団が政治的活動を通じて、大国への依存を一層(いっそう)強める傾向が見られる――としており、これを従属関係の「構造化」と呼んでいる。

多くの新興国、途上国は、中国を最大の輸出市場としているが、こうした国々では、中国との関係維持に強い利害を持つ集団が形成され、政治的な優先順位の変化を促すことで構造的な依存関係が出現するというのが本書の指摘である。そしてこれは新興国だけに起きる問題ではなく、民主政体の先進国では、中国との経済関係拡大を望む利益集団が形成され、民主的プロセスを通じて政策に影響を及ぼす事が可能であるというのである。一方、中国のような権威主義的国家では、そうした民主的回路は存在しない。したがって中国は、外からの影響力は遮断して、欧米先進国の自由で開放的な政治・経済体制を利用して影響力を行使できる――これを「シャープパワー」と呼んでいる――と指摘する。

こう考えてくると、米国と中国の対立において経済力を地政学的により効果的に利用できるのは、中国の方だということになる。アップルのサプライチェーンで最大の国別シェアを占めるのは中国であり、テスラの売り上げを主導するのは米国ではなく中国であるように、米国内には中国と強い利害関係を持つ有力企業群が存在しているのである。

 経済力の限界

同書では、経済力は武器として大きな影響力を及ぼすことができるが、効果には限界もあることを指摘している。具体的な例として、米国による北朝鮮への経済制裁は、中国が協力せず、効果が限定的にならざるを得なかったとする。この例を、中国に対する経済制裁に当てはめると、一定の効果は期待できても、中国の友好国や影響下にある国々との経済関係が維持される限り、制裁の効果は限定的だということになるだろう。

また、経済的影響力は持続性に疑問があることも指摘している。例として日本の中国に対するODA(政府開発援助)が挙げられている。中国は日本のODAの最大の受け取り国(総額3兆円)であったが、日本の持続的な政治的影響力にはならなかったとしている。似た例として、東南アジアにおける日本のODAがある。かつては日本のODAによって被援助国で多くの橋や鉄道が建設されて経済発展に寄与したが、月日が立つにつれて忘れられ、あるいは後からやって来た中国が援助を増大させるとそちらの影響力が日本を圧倒していく例が増えているように思う。残念であるが、経済援助が日本の安全保障に長期的にも貢献するとは必ずしも言えないのである。

●経済安全保障

「経済安全保障」という言葉が最近よく使われるようになっている。「経済安全保障」は広義には――経済によって戦う戦争――という意味で使われているが、狭義には――軍事転用可能な技術の流出防止や輸出管理など経済と安全保障が密接に絡む分野を指す(*注4)――とされる。

現在の米中の対立は、両国とも軍事的解決を望まないことは明らかで、代わりに経済力で相手に打ち勝とうとしている。そのため経済安全保障の重要性が増しているのである。米国政府による中国企業への経済制裁と中国側の報復制裁に注目が集まっており、米中の制裁合戦は、日本企業にも影響を与えている。また、サイバー攻撃を使った相手国経済への破壊的活動も経済安全保障の観点から関心を集めている。こうしたサイバー攻撃は政府だけでなく日本企業も攻撃の対象となるので大きな脅威である。

経済安全保障において考慮すべきなのは、グローバル化の進展によって、先進国企業の中国依存度が高まっているという現実だ。日本企業は、サプライチェーンの見直しを含めて厳しい選択を迫られることになると思われる。本書では――サプライチェーンにおける冗長性確保とそのためのコスト負担が必要なことが民間企業にも認識されるべき――だとやや突き放した言い方をしている。日本企業は従来、グローバル化の流れの中で経済合理性に基づいて生産拠点の最適化を追求してきた。しかし、今後は地政学リスクをより重視した企業戦略が求められると受け止めるべきである。

とはいえ、前述の例のように中国依存は米国企業も同様であり、安全保障を考慮した新しい秩序形成には試行錯誤があるものと思われる。日本企業は、そうした動きを見極めながら、サプライチェーンの再構築を模索していくことになる。また、ICT(情報通信技術)、バイオなどの先端産業における米中の研究開発競争の加速化が予想される。しかし日本は、両国の激しい競争にひるんで最初から諦めてはいけないと思う。この機に官民挙げた研究開発の体制づくりに注力して、将来のイノベーションの種を育てる競争に参画すべきだと考える。米中対立は日本にとって制御できないことであり、悲観的に捉えても仕方がない。むしろ世界的な大変革期の到来は、日本にとって挽回(ばんかい)の好機と考えてチャレンジするべきではないだろうか。

◆本稿のまとめ

●「現実主義」と「理想主義」

前稿では、中野が言う国際関係論における「現実主義」と「理想主義」の対立軸について考えた。「現実主義」の下では、国家は国益を第一として行動すると前提する。したがって国際関係は弱肉強食のパワーポリティクスの世界である。自国の安全保障能力を高め同盟関係を構築して近隣諸国との力の均衡を維持することが、平和のための重要な戦略となる。一方「理想主義」は、民主政治の広まりや、グローバル化の進展による国家間の経済的な相互依存の深化によって、国際紛争は抑止され、平和的な国際秩序は実現しうると考える。

地政学においては、国家の外交関係の基本は現実主義にあると前提する。『新しい地政学』では、リベラルな価値による国際協調の構想を示しているが、あくまで基本は現実主義に立っている。そして編者である北岡は、グローバル化が進んで国際間の経済的関係が深まっても「国家の重要性は変わらない」と強調するのを忘れない。あくまで思考の基準は国家であり、追求すべきは国益(=安全保障)なのである。

中野の立場も同じであるが、地政経済学の視点を加えて、グローバル化の行き過ぎが格差拡大をもたらし、世界を不安定化しているという構造的理解の重要性を強調する点が大きく違う。そして、グローバル化を推進してきた新自由主義的政策からの転換は、国民国家としての日本の再出発から始まるのだと説くのである。地政学にとどまらず、経済構造に切り込まなくては、米中の覇権を巡る対立という地政学的危機に立ち向かえないということである。

●格差問題と米中の地政学的対立の背景

中野の主張は、グローバル化が格差の拡大を招き、同時に中国の台頭を加速化したという視野を持つことの大切さを訴えている。それは、格差拡大と米中対立はその背景にある行き過ぎたグローバル化という問題を見なければ、解決の糸口が見いだせないということを意味する。鍵はグローバル化にある。世界各国はグローバル化の恩恵を受ける人々とそうでない人々の格差が拡大して、国内に政治的不安定を抱えている。その亀裂を埋めて安定を取り戻すためには、行き過ぎたグローバル化の抑制が必要である。当然ながら巨大グローバル企業の利害と対立するので、国家による制御は国際的な連携がないと効果を上げられないだろう。そうした連携を通じて、新しい秩序が形成できるかが問われることになる。また、その秩序は中国の存在を排除しては成り立たない。中国を含んだグローバルな新秩序の構築という難題が待ち受けているのである。

中国はそうした働きかけに乗ってくるかはわからないが、中国においても国内格差の問題は存在しているのである。最近の中国政府によるアリババなど巨大IT企業に対する統制強化の背景には、所得格差による国民の不満への危機感があるといわれている。中国では、民主的に政治的意思を表現する手段がないため問題が顕在化しにくいだけである。しかし、不満を封じ込めるだけではいつか爆発するので、その前にはけ口となる「外敵」の存在が必要になってくると思われる。また米国も同様に、国内の不満を抑えるためには、中国に対して強硬姿勢を続けなければならないだろう。両国とも、武力衝突は避けたいと考えているはずであるが、不測の事態が発生したときに国内政治が不安定であれば、不人気な政策は取りにくい。その間に紛争がエスカレートしていく可能性がある。こうした構造は、前述の近代の第1次グローバル化の時代に見られた第1次世界大戦前夜の状況と似ているというのが中野の懸念である。

古典的地政学に従えば、世界覇権を握る米国と、ユーラシア大陸の東の覇権を目指す中国の対立は地政学的必然である。地理的に両国の間に位置し、経済的に両国と深い関係を持つ日本はそれを傍観していることは不可能だ。日本は米中対立にどう対応していけばよいのか次稿で考えたい。

<参考図書>

『新しい地政学』北岡伸一/細谷雄一編、東洋経済新報社(2020年3月初版)

『教養としての地政学入門』出口治明著、日経BP(2021年3月初版)

『(サクッとわかるビジネス教養シリーズ)地政学』奥山真一著、新星出版社(2020年6月初版)

『富国と強兵――地政経済学序説』中野剛志著、東洋経済新報社(2016年12月初版)

(*注1)「自由で開かれたインド太平洋」構想は、「ルールに基づいた国際秩序確立」の重要性を訴えるもので、第2次安倍内閣で提唱

(*注2)第2章「武器としての経済力とその限界――経済と地政学」田所昌幸(慶應義塾大学教授)

(*注3)「影響力効果」:ドイツ出身の経済学者アルバートハーシュマン(1915〜2012)が唱えた

(*注4)日本経済新聞社の記事(2020年6月24日)「経済安全保障とは技術流出防止や輸出管理」

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