п»ї 「物価」について考える(その4)異次元緩和失敗の原因 『視点を磨き、視野を広げる』第69回 | ニュース屋台村

「物価」について考える(その4)
異次元緩和失敗の原因
『視点を磨き、視野を広げる』第69回

7月 24日 2023年 経済

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古川弘介(ふるかわ・こうすけ)

海外勤務が長く、日本を外から眺めることが多かった。帰国後、日本の社会をより深く知りたいと思い読書会を続けている。最近常勤の仕事から離れ、オープン・カレッジに通い始めた。

◆はじめに

本稿では、日銀の異次元緩和がなぜ失敗したかについて考えたい。前稿で見たように、異次元緩和の理論面を支えたリフレ派の金融政策の特徴は、デフレを貨幣的現象と見なして、日銀による「インフレ目標の設定(明確な約束)」と「大規模な国債購入(具体的行動)」によって、さまざまな経済主体の「インフレ予想」を上げることでデフレ脱却は可能だと考える点にある。

しかし、2年で2%を実現すると宣言した異次元緩和を10年続けても、インフレ目標を達成できなかった。そればかりか、副作用が拡大して膨大な政策コストが積み上がり、国民の将来不安は増している。リフレ派は、政策行き詰まりの原因は消費税率引き上げにあると主張する。しかし失敗の真の原因は、デフレの根本原因を見誤ったことにある。こうした視点に立ち、本稿では「日本経済の構造要因(論点1)」と「需要不足(論点2)」という二つ方向から失敗の原因を探りたい。

◆二つの論点

⚫︎論点1:日本経済の構造要因

前3稿で見たように、渡辺努(東京大学大学院教授)は金融政策が持つ課題を次のように指摘している。

①第2次世界大戦後、先進諸国の中央銀行は、インフレ対策としての金融政策(金融引き締め)の経験を積んできた。しかし、デフレに関しては経験が乏しく有効な処方箋(せん)は確立されていない。デフレ脱却に金融緩和がどの程度有効かは、経済学者の議論が分かれる

②ゼロ金利状態の日本は、ケインズの「流動性の罠(わな)」――金利が一定水準以下に低下した状態においては貨幣需要が「飽和」するために中央銀行の金融緩和が効かなくなる――の状態に陥っている可能性が高い

日銀は、バブル崩壊以降、金融政策を次々繰り出した――「ゼロ金利政策(1999年)」、「量的緩和政策(2001年)」、「包括的金融緩和政策(2010年)」などである。しかしこれらの政策を黒田総裁(当時)は、「金融緩和の度合いが足りない」からデフレから脱却できないのだと批判して、次元が異なる「量的・質的金融緩和」を打ち出したのである。

黒田総裁は自信満々であったが、理論は「仮説」であり、異次元緩和は「実験」的試みだったと言える。仮説の一つであるリフレ理論がなぜ日本で影響力を高めたのだろうか。エコノミストの河野龍太郎(BNPパリバ証券)は、その経緯と顛末(てんまつ)を次のように解説している(*注1)。

ア.米国の経済学者ポール・クルーグマン(当時マサチューセッツ工科大学教授)は、1998年に「流動性の罠に陥っても、期待(予想)に働きかける金融政策でインフレ醸成は可能である」としてリフレ理論を打ち出した

イ.クルーグマンは自然利子率(≒潜在成長率)(*注2)がマイナスの領域まで低下しても、高いインフレ目標を長期間にわたって掲げ、ゼロ金利政策を継続すれば、(流動性の罠のいう)ゼロ下限制約(政策金利をそれ以上下げられない状態)に直面してもインフレ期待を醸成することで実質金利を引き下げ、景気刺激が可能であると論じた。これは日本の一部の経済学者に影響を与えた

ウ.しかしその後の「長期停滞論争(*注3)」で――自然利子率の低迷が恒久的なものであれば、ゼロ下限制約に直面すると、期待(予想)に働きかける金融政策は有効性を持たないことが広く認識されるようになった――。そして――クルーグマンも2015年にはそれを認めたが(クルーグマンの理論では、潜在成長率や自然利子率の低下があくまで一時的であり、いずれは回復することが前提とされていた)、時すでに遅く、日銀の異次元緩和による大実験は2013年に開始され、後戻りできない領域に入っていた

日銀の異次元緩和は、潜在成長率が低下していた日本では有効ではなかったと考えられる。潜在成長率の向上のためには政府の成長戦略に力を入れるべきであるが、アベノミクスの成長戦略は不発に終わっていた。そうした状況にあっても、日銀の黒田総裁の信念は揺るがなかったのである。

なお、渡辺はデフレから脱却できなかった理由として「ノルム(社会規範)」説を唱えている(*注4)。黒田総裁は任期末期の会見の場などで、この「ノルム」を(政策行き詰まりの)原因に挙げるようになった。「物価も賃金も上がらない」というノルムが予想以上に強く、それを崩せなかったという言い訳である。ただし、渡辺はFTPL(物価水準の財政理論)という学説を支持しており、政府の役割の拡張によってデフレに対処すべきと言う立場である。金融政策の限界を前提として、デフレ脱却は財政政策(非伝統的財政政策)が必要だという主張であり、リフレ派とは立場が異なる。

⚫︎論点2:需要不足

リフレ理論のメカニズムは――日銀が市中銀行から国債を購入するとマネタリーベース(流通現金+日銀当座預金)が増加する(「超過準備」)。そしてマネタリーベースの増加は銀行貸し出しを増やして、マネーストック(貨幣総量=現金通貨+預金通貨)の増加をもたらす――である。

この考え方は「貨幣数量説(貨幣供給量と物価は比例する)」だとして、「銀行の超過準備が積み上がるだけで貨幣総量は増えない」と批判された。この批判に対して岩田(当時日銀副総裁)は反論している。反論の主旨は――「将来」の金融緩和を「現在」約束すること(いわゆる「時間軸政策」)によって、企業や家計の予想に効果的に働きかけることが可能となる――というものだ。

しかし、マネタリーベースを増やしても貸し出しは増えなかった。理由は、銀行が貸そうとしても企業の資金需要がなかったからだ。それを裏付ける証言が、前稿で取り上げたNHKのドキュメンタリー番組「証言ドキュメント日銀異次元緩和の10年」に出ている。番組での地方銀行頭取と中小企業経営者の証言が、バブル崩壊以降の日本企業の資金需要に対する行動様式の変化を明らかにしているのである。

①地方銀行頭取の証言――企業は(金利が下がれば)設備投資をどんどん行うという従来型の発想を既にやめている。内部留保を貯めて、いざという時に備えるようになっていた

②中小企業経営者の証言――円安を利用し輸出で稼ぐというこれまでのモデルは限界がある。大企業はみんなグローバル企業になって海外を見ているし、日本の市場はどんどん縮小しているので、中小企業も海外に出るしかないと覚悟している

企業の行動様式の変化は金融環境が落ち着いても変わらず、内部留保を積み上げ続けた。本来資金の借り手である企業が資金を供給する側に回ってしまったのである。政府は慢性赤字で、企業と家計が貯蓄超過(資金余剰)という構図に、日本経済の長期低迷の原因を探るべきなのだろう。しかし、リフレ理論はそうした視点を持たなかったのである。

◆政府債務についての考え方の違い

リフレ派は今後も金融緩和を維持すべきだと主張しているが、異次元緩和の副作用としての政府債務の膨張と日銀の国債保有についてはどう考えているのだろう。実はリフレ派の政府債務に関する考え方は、主流派経済学や財務省と大きく異なるのである。

主流派経済学や財務省は、財政規律を重視する。すなわち――政府債務残高の対GDP(国内総生産)比の上昇は、返さなければならない債務の実質的な増加であり、将来、返済できなければ財政は破綻(はたん)する(*注5)――である。これは政府の公式の立場でもある。これに対してリフレ派の立場は――日銀と政府を合わせた「統合政府」を考える。日銀は政府という親会社の子会社なので一体である。国債発行残高の半分は日銀が保有しており、その分は相殺されるので心配ない(*注6)――である。

数年前に、リフレ派の指南役と言われる経済学者浜田宏一(当時安倍内閣の内閣官房参与)の講演を聴く機会があった。米国流にはっきりものを言う人なので話は面白かったが、その中で「政府債務などGDP比1000%であっても大丈夫」だと明言したのを聞いて驚いた記憶がある。浜田はその後もメディアなどで同様の発言をしている(*注7)。

リフレ派の主張は、政策の優先順位にあり、金融緩和でデフレを脱却して、経済成長にめどをつけてから、財政の均衡を考えるべきだとしている。とはいえ、政府債務に対する考え方が、財政規律派と全く異なるのである。アベノミクスの主役は日銀の異次元緩和であったが、その理論的支柱であるリフレ理論と政府の公式方針との整合性の問題に疑問が残る。確かに、安倍政権は財政規律維持という基本方針は変えてはいない。また安倍首相は、国会質問に対し債務残高の対GDP比率にも目標を設けていることなどに言及し、「MMT(現代貨幣理論)の論理を実行しているわけではない」と語っている(*注8)。

しかし安倍は退陣後に、政府債務に関する持論を次のように語っている――(政府の)1000兆円の借金の半分は日銀に(国債を)買ってもらっている。日銀は政府の子会社なので満期が来たら、返さないで借り換えて構わない。心配する必要はない――。(*注9)

わたしは、統合政府の議論やMMTが提起する貨幣論には傾聴すべき点が多いと考えている。しかし、政治の場での議論の積み重ねや国民への十分な説明を欠いたまま、政府が経済理論の整合性を考えずに、都合の良い部分をつまみ食い的に利用することには大いに疑問を感じる。

◆まとめ

異次元緩和失敗の原因を、「論点1」では潜在成長率の低下という構造要因に踏み込まず金融政策だけで解決しようとした点に求めた。これは主流派経済学の視点であり、供給面における生産性の向上など成長戦略を重視する立場である。

一方「論点2」では、需要面に焦点を当てた。需要不足がデフレの原因と考えるケインズ派の視点である。賃上げで個人消費を喚起して経済の好循環を作り出すという岸田政権の政策もその一環と捉えたい。現在は海外インフレの影響で物価と賃金が動き出しており、このチャンスを活かすべきだ。もう一つの大きな課題は、企業の内部留保をどう設備投資に向かわせるかである。これは難題であるが、論点1の成長戦略との関係の中で答えを見つけていくしかないと思われる。デフレは複合要因と考えて総合的に取り組むべき課題だと改めて認識した。

さて、アベノミクスにおける異次元緩和の代表的成果は「円安」と「株高」である。この二つに(弊害としての)「格差拡大」を加えた三つのキーワードは小泉改革と共通することに気づく。小泉改革では「新自由主義」、アベノミクスでは「リフレ理論」という、ともに米国発の経済思想や理論を輸入し、世界標準であるかのように喧伝(けんでん)して、日本に当てはめたという点も共通している。しかしどちらも、得られた成果よりも弊害の方が大きかったと思われる。岸田政権が掲げる「新しい資本主義」についても、こうした視点から考えてみる必要があるだろう。

また、膨張を続ける政府債務への懸念について、経済学者の間で意見が分かれている点が気がかりだ。専門家でないわたしたちはどう考えれば良いのだろうか。次稿で考えてみたい。

<参考書籍>

『物価とは何か』(渡辺努著、講談社選書メチエ、2022年1月第1刷)

『世界インフレの謎』(渡辺努著、講談社現代新書、2022年10月第1刷)

(*注1)『成長の臨界:「飽和資本主義はどこへ向かうのか」』(河野龍太郎著、慶應義塾大学出版会、2022年7月)

(*注2)「自然利子率」は「中立金利」とも呼ばれ「景気に中立的な実質利子率」である。ただし推計でしか把握できないとされる。また、中長期的な自然利子率は潜在成長率と近似するとされる。(出所:日本銀行のホームページなど)

(*注3)「長期にわたって総需要が総供給を下回る事象を説明する上で、低い自然利子率のもとで名目金利の実効下限制約が金融政策の有効性を低下させるとのチャネルを重視する議論」を指す。(日本銀行金融研究所『「長期停滞論」をめぐる最近の議論』2017年3月21日)。2013年ローレンス・サマーズが提起したとされる。

(*注4)拙稿第66回「物価」について考える(その1)

(*注5)『日本の財政に関する専門家たちの意見』NIRA総合研究開発機構 鈴木壮介、前田裕之

(*注6)同上

(*注7)『国の借金はまだまだできる アベノミクスの生みの親 浜田宏一』2021年11月10日文藝春秋オンライン

(*注8)2019年4月4日付のロイター記事「MMTの論理、実行しているわけではない=安倍首相」

(*注9)2022年5月に大分市の会合で語っている(日本経済新聞2022年5月11日付)。同様の発言は同年6月の京都でも行っている(朝日新聞2022年6月4日付)。

※『ニュース屋台村』過去の関連記事は以下の通り

『視点を磨き、視野を広げる』第66回「物価」について考える(その1)(2023年4月24日付)

「物価」について考える(その1) 『視点を磨き、視野を広げる』第66回

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