п»ї ふれあいに変わる関わりあいを「言葉」に託して 『ジャーナリスティックなやさしい未来』第186回 | ニュース屋台村

ふれあいに変わる関わりあいを「言葉」に託して
『ジャーナリスティックなやさしい未来』第186回

4月 06日 2020年 社会

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引地達也(ひきち・たつや)

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封じ込められた「ふれあい」

先日、通信制高校の教員に対し丸一日の研修を行ったが、新型コロナウイルスの影響を考慮し、私が準備していたプログラムを自主的に変更することにした。研修の目的は困難さや生きづらさを抱えている生徒に対して教員が「リーディング」(導き)する役割であるという新しい認識を促し、学問を教えるだけではなく就労支援も含めた動きを習得すること、だった。

これには新しい発見を要するから「体感ワーク」が必要だった。これまでの価値観の延長線上で考えるのではなく、新しい気づきを促すのは、講義型ではなく、体や声を使った、参加者が互いに交じり合うワークを多用するプログラムが最適である。しかし、交じり合いという接触を回避するのが望ましい現状で、プログラムは講義や参加者同士の対話を中心に行うことになり、人と人との接触が控えめになる社会の雰囲気に居心地の悪さと閉塞(へいそく)感を感じているのは私だけではないだろう。

◆安心と団結の象徴

人とのふれあいというコミュニケーションは聴覚や視覚だけではなく、触覚も織り交ぜながら、時にはその触覚が安心や団結という強いメッセージとなって勇気を与えてくれるから、ふれあいは社会の高濃度の潤滑油でもある。他人同士が触れ合わず距離を置くあいさつの文化が発展した日本でも、親しくなればスキンシップも頻繁になる。楽しさを体で共有できる瞬間は幸福の絶頂でもある。

スキンシップには国や文化によって厳格なルールがあるから、五輪を迎えるこの年に日本は「ダイバーシティ」の名の下で、多種多様なものを理解し受け入れるためのプロセスとして、ふれあい、の文化への理解が進むはずだった。

五輪の延期は出はなをくじかれた格好でもあるが、今後は熟考する時間と捉えたい。あいさつに握手をする韓国や、時には抱き合うイタリアに比べ、人同士の肉体的な接触が少なく一定の距離を保つのが日本のあいさつ文化ではあるはずだが、この事態で「触れ合えない」ことに気づいてみると、結構握手をしたり肩をたたいたり、他者と接触をしていた自分がいたのに気づく。中学、高校と男子校で育った私は、男同士がじゃれあうのに抵抗感がない部類なのかもしれない。

私たちは言葉によるコミュニケーションを対話の中心に置いているが、体と体のふれあいは関係性を強調するために、明確な意図を持って行われる場合も多い。選挙活動の握手が典型例だ。支援活動をしている私の場合、事業所に通う方が「就労決まりました」と報告に来ると、「よかった!」と思わず抱きしめてしまうのは、意図的ではなく、「自然」の発露だと思っている。うれしいものはうれしい。それを体で表現する欲求が人にはあるようだ。

◆学校が育む生命

もちろん、これは対男性にだけの行為であり、女性には距離を保ちつつ紳士的な態度での「ふれあい」(ふれあわなくても)を心がけているが、新型コロナウイルスの出現でこれら「ふれあい」が封じられるのは、感情表現の一部を封印されたようなものとなる。

政府が発表した小中学校で突然の休み宣言には、戸惑いが多かった。学校は究極のふれあいの場所であり、子供同士のふれあい行動は多くの動物にも見られる遊びの中にある生活訓練の一部である。学校は学問だけではなく、体を通じたコミュニケーションにより社会性を身に着ける極めて重要な場所だから、その場を奪ってしまうのは重大な決断である。障がい者の学び、を推進する立場としては、学校だから命を守れるのではないか、とも思う。

戦後に青空学校から戦災復興が始まったと教科書で教えられた学校は、東日本大震災では地域の避難所となり、そこから人びとの生活再建が始まった。地域の学校は子供たちだけではなく地域の命をも育む場所であり、そこは国家がコントロールできる領域である。そのコントロールを休校で済ますのではなく、学校が育む命を守るためには、まだまだやることがたくさんあるはずである、と思う。

「ふれあい」を制限しなければいけない事態の中で、私たちの助け合う社会をどのように維持していくのか、社会の試練に私も知恵を絞りたい。

■学びで君が花開く! 特別支援が必要な方の学びの場、シャローム大学校

http://www.shalom.wess.or.jp/

■精神科ポータルサイト「サイキュレ」コラム

http://psycure.jp/column/8/

■ケアメディア推進プロジェクト

http://www.caremedia.link

■引地達也のブログ

http://plaza.rakuten.co.jp/kesennumasen/

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