元記者M(もときしゃ・エム)
元新聞記者。「ニュース屋台村」編集長。南米と東南アジアに駐在歴13年余。座右の銘は「壮志凌雲」。2023年1月定年退職。これを機に日本、タイ、ラオス、オーストラリアの各国を一番過ごしやすい時期に滞在しながら巡る「4か国回遊生活」に入る。日本での日課は5年以上続けている15キロ前後のウォーキング。歩くのが三度の飯とほぼ同じくらい好き。回遊生活先でも沿道の草花を撮影して「ニュース屋台村」のフェイスブックに載せている。
◆年金生活者の日常に戻る
オーストラリアから帰国して12月に入ると、バンコクに駐在する長男夫婦が一時帰国した。長男は久々に高校や大学時代の友人らと会っていたので自宅に戻ってくるのは連日ほとんど日付が変わってから。日によっては長男の妻の実家に泊まることもあって、われわれ夫婦と長男夫婦の4人が顔をそろえることはなく、ようやくそろったのは長男がバンコクに戻る前日の昼だった。
待ち合わせたのは、JR日暮里駅。長男の妻の発案で、谷中(やなか=台東区)で昼ご飯を食べることにした。谷中は東京の下町の中でも特に昭和の面影が色濃く残るエリアで、私が好きな作家・吉村昭のエッセーにもしばしば登場し、かつてはエッセーの舞台となった場所をなぞるように歩いたことがある。
谷中銀座商店街は昭和の時代にタイムスリップしてその街並みを歩いているような懐かしさがある。なにより心地よかったのは、浅草など都内の人気観光地を席巻しているインバウンド(訪日外国人観光客)にいまだに圧倒されていない点だ。
日本に住みながらインバウンドの大きな渦(うず)を避けるように「インバウンドの空白エリア」を探して散策するのは、日本人としてなんとなく落ち着かない気分だが、折からの円安でインバウンドにとって訪日の好機に違いない。確かに帰国便の日航機の乗客は8割がたが外国人だったし、12月に入ると、シドニーから姪(めい)2人が友人と、またタイから姪が家族でそれぞれ来日し、東京や京都、飛騨高山(岐阜県)などの観光を楽しんだ。
豪州から帰国した翌日、私は空っぽだった冷蔵庫に入れる食料を買うため自宅近くのスーパーに行き、値段を見て「おおっ、安い!」と思った。ところがその次の日に改めてスーパーに行くと、「やっぱり高いな」と思い直した。
円安と物価高はシドニーでの生活で十分身にしみたはずだったので、帰国直後は日本の物価高はまだそれほどでもない、と感じたのだったが、たった一日で旅行気分はすっかり吹き飛んで市井(しせい)の年金生活者の日常に戻り、物価高を警戒する目に変わった。
◆谷中で食べたカキフライ
谷中では、目当ての食堂がすでに予約で満席だったので、長男が谷中銀座商店街の近くの魚屋が営む食堂を探してきた。ここもすでに満員だったが、下町の食堂なので食べ終わったらすぐに出るという客ばかりで回転が速そうだったので、入り口にある用紙に名前を書いて筋向かいのカフェで待っていたら、ほどなくして呼ばれ、店に入った。
私と長男の妻はカキフライ、長男はアジフライ、妻は銀ダラの西京焼きを注文した。カキは三陸産の大粒。千切りキャベツの上にフライが3個載っていて、みそ汁と漬物、クルミの甘露煮、小鉢が付いて2400円。この店の定食の中では最も高い。ハンバーガーとポテト、ソフトドリンクのセット料金がこれくらいするシドニーなら仕方ないと納得するが、ふだんの日本なら私はこんなに高いランチなどまず頼まない。
カキがどうしても食べたかったのだ。帰国直後に母の三回忌のため兵庫県赤穂の実家に帰省した。赤穂が面する瀬戸内海の播磨灘は冬のこの時期、カキがおいしく楽しみにしていたが、地元の漁師によると今年はほぼ全滅。地球温暖化に伴うとみられる高水温の影響と、梅雨の時期に雨量が少なくミネラルを含んだ山水が海水に十分に行き渡らずプランクトンが死滅し、カキの大量死につながったという。このため帰省中はカキを一つも食べられなかった。
農林水産省はこのほど、被害にあったカキ養殖業者を支援する政策パッケージを発表したが、まさか実家の近くの瀬戸内海のカキにも地球温暖化による深刻な影響が出ているとは思いも寄らなかった。
カキフライは期待以上においしくて大満足だった。帰宅してネットで調べたら、この日入った食堂は毎日行列ができる有名店だった。
妻たちは食後に再び近くの別の店に入って甘酒を買い求め、それを飲みながら商店街の雑貨店などを見て回った。付き添う私は「この次に来た時もきょうみたいにのんびり歩けるだろうか」と少し不安になった。円安の恩恵を享受しながら次々に押し寄せるインバウンドの大波――。それへの妬(ねた)みや警戒と取られても仕方あるまい。
◆重宝する天気予報アプリ
帰国してから、これまで以上にスマホで天気予報をチェックすることが多くなった。スマホは日本の自宅周辺、実家、シドニー、バンコク、ビエンチャンの計5か所の天候や気温がすぐにわかるようにセットしていて、3種類の天気予報の無料アプリを使っている。
中には5分ごとに予報を出す“優れもの”もあり、見ていて飽きない。例えば、冬本番を迎えつつある日本はきょう(2025年12月19日)、東京の気温は最低1度、最高12度▽実家は最低0度、最高13度▽シドニーは最低20度、最高41度▽バンコクは最低23度、最高32度▽ビエンチャンは最低17度、最高29度――となっている。
このうち、サマータイム期間中のシドニーは夏の盛りにはまだ早いがすでに40度を超す猛暑で、警報が発令されている。しかし、1週間後の12月26日のシドニーは最低15度、最高22度と予想されていて、わずか7日間の気温のアップダウンはめまぐるしく、1週間のうちに四季が詰まっているような感覚だ。
今年はシドニーに晩春から初夏に当たる9月半ばから11月末まで滞在したが毎日、天気予報アプリを見て天候や気温、風の強さに関するデータを入手し、翌日が晴れの予報なら早朝に起きて洗濯をした。
◆天気予報が追いつかない空模様
洗濯は日本でも「趣味の一つ」と言ってもいいほどまったく苦にならないばかりか、楽しみながらやっている。
日本で使っている固形の洗濯石けんをシドニーに持参。靴下の底やTシャツの首回りをまず下洗いしてから洗濯機に放り込み、脱水が終わったら、昨年天寿を全うした義母(享年95)が生前入念に手入れをしていたさまざまな植物や花が咲く裏庭の回転式の物干しで干す。晴れて風のある日なら、厚手のものでも2時間あれば十分乾く。豪州の天気予報アプリの精度も日本に負けず劣らずかなり高いことがわかり、信頼を寄せることができた。
ところがある日、天気予報が追いつかないほどのスピードで空模様があっという間に変わってしまうことがあった。「あと5分で晴れ間が出てきます」という予報を見て、洗濯物を干したはいいが、干し終えた途端に強い風が吹き始めてスコールになった。あわてて洗濯物を取り込んでガレージで干し直したら、急に日差しが差し込んできた。やれやれ、と思いつつ再び裏庭の物干しに運んだら、また雨がぱらつき始めた。
洗濯物を干したり取り込んだりを繰り返したこの日以外にも、こちらの裏庭は雨が降っているのに、隣の家の裏庭には日が差していることもあった。
シドニーの空模様は、天気予報が追いつかないほどの速度で変化することを知った。だが、これも異国にいるからこそ味わえる貴重な体験だと思えば、苦笑いで済まされる些事(さじ)にすぎない。
ただ、冬のこの時期の日本に戻ってくると、夏のシドニーがなんとも恨めしい。日本の今年の夏の暑さは耐えがたく、「猛暑」の上をいく「酷暑」という表現がぴったりの日が続いた。
日本気象協会(一般財団法人)は2022年に最高気温が40度以上の日を独自に「酷暑日」と命名しているが、気象庁も今年、「猛暑日」以上の日について新たな名称を検討すると発表した。来年の夏からは天気予報の気象用語として「酷暑日」が新たに公式に使われるようになる公算が大きい。
◆反ユダヤ主義によるテロ
シドニー東郊約8キロのボンダイビーチで12月14日に起きた男2人による銃乱射事件は、ユダヤ系とイスラム系の双方の住民を抱える豪州にとって、中東情勢と密接に絡む反ユダヤ主義の問題を改めて浮き彫りにした。
事件があったこの日、シドニーに住む義妹から「この国に移住して36年になるけど、こんな悲惨な出来事は初めて」とLINEで連絡があった。
ボンダイビーチは、海岸線の遊歩道がクージービーチまで約6キロ続くコーストウォークの起点となる場所で、シティの東にあるサザンビーチの中では最も人気が高く、いつ訪れても大勢の人でにぎわっている。
地元の住民はもちろん、外国人観光客も一年を通じて多く、海岸線の遊歩道沿いでは1997年以来毎年、「Sclupture by the sea」と呼ばれる豪州最大の野外彫刻展が開かれており、日本人作家の彫刻も出品されている。今年は10月17日 から 11月3日まで開催され、私はシドニーに滞在中、妻や義妹らと1回、さらに単独でウォーキングの途中に3回見て回った。
事件当日はユダヤ教の祭典ハヌカの行事が開かれ、1000人以上が参加していた。15人の犠牲者の中には10歳の少女やユダヤ教の聖職者もおり、42人が重軽傷を負った。豪州当局はユダヤ教徒を狙ったテロと認定。銃撃犯父子のうち、生き残った24歳の息子は過激派組織「イスラム国」(IS)との関係が過去に指摘されており、動機や背景の解明を進めている。
豪州ではイスラエルがパレスチナ自治区ガザで大規模な軍事作戦を開始した2023年10月以降、親イスラエル、親パレスチナの両勢力の対立が顕在化。24年後半にはシナゴーグ(ユダヤ教礼拝所)やユダヤ系飲食店の放火が相次いだ。豪州政府は今年8月、放火はイラン革命防衛隊が主導したと断定し、駐豪イラン大使を追放。反ユダヤ主義の拡大阻止に努めていたところだった。
一方、豪州政府は今年9月、ガザの人道状況を憂慮し、パレスチナを国家承認した。これに対しイスラエル政府は「反ユダヤ主義を増長させている」と主張している。
◆「移民の国」の切実な叫び
豪州は名実共に「移民の国」であり、反ユダヤ主義の拡大阻止も含めた人種差別問題は喫緊かつ最重要課題である。
豪州の人口は1935年に675万人だったが、2024年6月には推定2720万人と4倍超になった。その理由は、移民の増加にある。豪州政府統計局(ABS)のまとめでは、2021年9月の時点で、海外で生まれた者または両親のどちらかが海外で生まれた者(移民)は、総人口に占める割合が5割を超え(51.5%)、両親のいずれもオーストラリア出身かつオーストラリアで生まれた者(48.5%)の割合を上回った。2030年には3000万人超の人口が見込まれ、71年までに現在の約7割増の最大約4600万人に増加する試算もある。
今回の事件の舞台となったボンダイビーチを起点とするコーストウォークの沿道の各所には「#RACISM NOT WELCOME」(人種差別を歓迎しない)という、オレンジ色の背景に白色の文字のメッセージが掲げられている(拙稿第22回「『移民の国』の日常―シドニーを歩く〈その2〉」の2枚目の写真参照)。
豪州史上最悪のテロ攻撃の一つとされる今回の事件をきっかけに私は、このメッセージは単なる呼び掛けや標語ではなく、移民の受け入れを積極的に進めているいまの豪州の国全体が抱える、実は極めて深刻かつ慎重な配慮が求められる問題を訴える切実な叫びのように思えてきた。
※『四方八方異論の矛先-屋台村軒先余聞』過去の関連記事は以下の通り
第24回「日本を改めて考えつつ心躍らせて―シドニーを歩く(その4完)」(2025年11月24日付)
第23回「妻の一族に『家族のあり方』を考える―シドニーを歩く(その3)」(2025年11月17日付)
第22回「『移民の国』の日常―シドニーを歩く(その2)」(2025年11月4日付)
第21回「一日のうちに四季の移ろい―シドニーを歩く(その1)」(2025年10月20日付)











コメントを残す