п»ї 人事部と企画部を解体して「コロナ敗戦」から立ち上がろう『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』第196回 | ニュース屋台村

人事部と企画部を解体して「コロナ敗戦」から立ち上がろう
『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』第196回

6月 18日 2021年 経済

LINEで送る
Pocket

小澤 仁(おざわ・ひとし)

o バンコック銀行執行副頭取。1977年東海銀行入行。2003年より現職。米国在住10年。バンコク在住23年。趣味:クラシック歌唱、サックス・フルート演奏。

コロナ禍の中で世界の先進諸国との対比で日本の経済力や技術力の劣勢が顕在化してきた。名付けて「コロナ敗戦」である。人は単純明快な理屈を好む。そのため今回の日本の劣勢の原因を「新型コロナウイルス」と「デジタル力」に結び付けて語りたがる。しかしタイに住む私はかねて、日本の製品がアジア市場で徐々に存在感をなくし、中韓企業などに取って代わられているさまを目の当たりにしてきた。そしてその事実を10年近く、この「ニュース屋台村」に投稿してきた。

さらに新型コロナウイルスは日本の実力低下をいっそう加速させてしまった。人は見たくない現実から目をそらす。しかしさすがに国内にいる日本人も「コロナ敗戦」を認めざるを得ないほどの状況になってしまった。だが、その原因を「コロナ」や「デジタル力」だけに起因させるとしたら、日本は何も反省していないことになる。幾重にも複雑に絡み合った構造問題がそこに横たわっている。今回はそのうちの一つ、日本の組織・体制の在り方に焦点を当てて論じてみたい。

◆米国の会社組織には存在しない部署

私は社会人になってから44年間ずっと銀行員として過ごし、他の業務で働いたことはない。同じ銀行員の職務ではあるが、日本、米国、タイと3か国で異なった組織体制の下で働いてきた。

日本の銀行員の常識が他の国では通用しないことが多くある。1984年初め、最初の米国赴任から戻ってきた私は、30歳の若さで東海銀行国際営業部の「ぶらぶら社員」に任命された。当時、お茶漬けで有名な「永谷園」が「ぶらぶら社員」制度を導入し、麻婆(マーボー)春雨の開発に成功するなどして「ぶらぶら社員」制度は社会的に注目を浴びていた。当時の東海銀行国際営業部のY部長はロンドン支店から帰任した行内きっての国際派進歩人。そのY部長から「日常職務を離れて何でも好きなことをしろ」と命令された。「保守的な銀行風土のなかで新しい風を吹かせよう」。Y部長はきっとそう考えたのであろう。そんな時に、保守的な銀行の社風からははみ出していた私がちょうど目に留まったのであろう。

しかし「ぶらぶら社員」の仕事はそれほどお気楽ではなかった。毎日、銀行に出勤しても決まった仕事があるわけではない。何も手だてがない中で、実績が上がるはずもない。最初は特命業務を引き受け、張り切っていた私であったが、そのうち針の筵(むしろ)に座る思いの毎日となった。

その時に件(くだん)のY部長が助け舟を出してくれた。「今度米国のボストン銀行で世界の友好銀行を集めた2週間のマネジメント研修がある。それに参加しなさい。さらにそのあと米国の有力銀行を何行か訪問し、米国の銀行がどのように業務を行っているのか見てくるとよい」

1984年9月、私はボストンから始まる1か月超の米国出張に出かけた。2週間余りのボストン銀行の研修では、当時米国で企業向けに使われ始めていたオンライン・バンキング(キャッシュ・マネジメント・サービス)の詳細説明を受けた。またボストン銀行の経営陣との会食も開催され、行内での不正に悩まされる米国の銀行の実態に触れた。その後、ニューヨークに移動して、マニュファクチャラー・ハノーバー・トラスト銀行、ケミカル・トラスト銀行、バンカーズ・トラスト銀行、ニューヨーク銀行を回った。テキサス州ダラスではテキサス・コマース銀行、リパブリック・ダラス銀行を訪問。ロサンゼルスではアメリカ銀行、ファースト・インターステート銀行などいずれも当時の米国で20位以内に入る有力銀行を訪ね歩いた。

アメリカ銀行を除き、現在も名前が残っている銀行はない。米国産業界の栄枯盛衰の厳しさをこんなところにも感じる。訪問に先立ち、私は米銀各行に対し、経営企画を担当する「企画部」の人たちとの面談を申し入れた。各行とも半日あまりの訪問である。まだ人種偏見が残っていた当時の米国で、遠くアジアから来た人間の訪問。国際部だけの面談でお茶をにごされるところもあった。

その一方で、真摯(しんし)に私の面談要請に応えてくれる銀行も複数あった。この米銀訪問で私が衝撃を受けたのは、米国の銀行には「企画部」という存在がないことであった。どうりで、私が「企画部」との面談を要望したにもかかわらず、出てくる面談者は「国際部」や「国内営業部」など他部の人間ばかりだったわけである。私が訪問して質問したいと思っていた部署が米国の銀行には無いのである。

会社の方針を決定したり、経営企画を行ったりするのはそもそも経営者の仕事であり、それを専門に取り扱う部門は想定されていない。マニュファクチャラー・ハノーバー・トラスト銀行では、システム部の人が面談に現れ、丸一日お付き合いしてくれた。当時の米国の銀行では既に多くの経営資料はコンピューターから打ち出され、経営者はそのコンピューター資料を見て経営をしていることを知らされた。貸出債権の質を表す「不良債権分析表」や「貸出資産金利分布表」などのコンピューター資料を見てびっくりしたことを覚えている。「どのような表が必要かは経営陣から直接指示されてくる」とシステム部の人は語っていた。

さらにもう一つ驚くべきことがあった。それは当時の米国の銀行には「人事部」がなかったのである。人種差別の撤廃や女性の登用に積極的に取り組んでいた当時の米国では、こうしたことに対応する部署が設置されていたが、日本の人事部と同じ性質の部ではなかった。労働の流動性が高い米国では人の採用は年中行事であり、その対応も該当部署で行われる。採用・人事評価・昇進などすべては各部署のマネジャーの仕事である。人事企画なる仕事は存在しない。

ちなみに私は87年から94年まで米国に2度目の赴任をした。この時、米国の会社にも人事部が存在したが、人事部の役割は従業員の福利厚生とカウンセリングだけであった。職務によって給料の大きく異なる米国では、全社統一の人事制度など存在しえないのである。「会社を発展させるためにはどのような人材が必要か?」。こうしたことを考えるのは経営陣の仕事であり、人事部の仕事ではない。経営者は経営のプロであり、会社の経営責任をすべて担うのである。

◆権限集中、組織が硬直化

 翻って日本。多くの日本の大手企業では、企画部や人事部が絶大な権限を握っている。しかし論理的に考えて、これは三つの観点で明らかに間違っている。

第一は既に述べてきたことだが、経営企画や人事企画は本来、経営者自らが行うべきことである。資料が必要であれば、既に30年前の米国の銀行が実践したようにコンピューター資料を作ればよい。企画部や人事部が絶大な権限を持つ組織は「経営者が自らの仕事を放棄している」証しでもある。こうした会社の経営者は「無能な経営者」もしくは「怠慢な経営者」であることを自分で宣言しているようなものである。

次に問題となるのは、強大な権力を保持する企画部や人事部の人たちの仕事の動機である。本当に彼らは会社の経営を考えて仕事をしているのだろうか? もちろん、こうした部署にも「高邁(こうまい)な精神を持ち、真剣に会社の将来を考えて働いてきた人たち」が何人もいることを私は知っている。しかし残念ながら、人間はそれほど高等な生物ではない。人間の本能として「自分の地位を守り、さらにそれを強固にしたい」という気持ちを誰でも持っている。こういう意識の強い人たちは、会社のことより「自分の権限を強化」することに動く。

さらに悪いことに、企画部や人事部が強い会社は「予算配分権」や「人事任命権」がそれぞれの部に付与されているケースが多い。企画部や人事部の人たちは、こうした権限を利用して会社全体を支配する。繰り返しになるが、その目的は会社のためではなく、その多くが自分の権力欲のためとなっている。

もう一つ、企画部や人事部が権力を持つことの問題点がある。それはこうした部署の仕事にはたびたび職人技が要求され、人材が固定化することにある。考えてみて欲しい。企画部や人事部に長く勤務する人たちに、経営判断ができる根拠や材料があるだろうか? 営業の実態がわからず、顧客のニーズもつかめない。テクノロジーの最前線からも遠ざかり、競合先の動きもわからない。企画部や人事部の人材は、その潜在能力は高いかもしれない。

しかし残念ながら、「前例踏襲」や「社会規範重視」の判断基準しか持ち合わせていない環境にいる。いわゆる「リスクを全く取らない」人たちなのである。これで正しい経営判断ができるはずがない。これは能力の問題ではない。組織・体制の問題なのである。

◆日本全体がはまってしまった罠

 これは何も日本の企業経営だけの話ではない。日本社会全体がこうした罠(わな)にはまってしまっている。その最たる事例が新型コロナウイルス対策をめぐる日本政府の対応であろう。

日本国家の経営者たる首相や閣僚たちは自分たちで考えることを放棄し、企画部門である官僚に丸投げ。官僚たちは国家の経営を放棄した政治家たちと結託して、自分たちの権限や利権の強化に動く。企画部門である官僚たちの作る政策は前例踏襲のリスク回避型であり、コロナ感染予防対策もワクチン開発もすべて後手後手。パンデミック(世界的大流行)という未経験の領域に判断基準を持ちあわせず、最新テクノロジーも理解できない。日本全体が組織・体制上の構造的な罠にはまってしまっているのである。

※『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』過去の関連記事は以下の通り

第118回「人材崩壊が始まった?日本企業」(2018年5月4日付)

第23回「コンサルタントに丸投げする会社に招来はない」

第7回「コンプライアンスが日本企業を駄目にする」(13年10月18日付)

コメント

コメントを残す