п»ї 兵器輸出を認めますか 大事なことは「密室で」 『山田厚史の地球は丸くない』第256回 | ニュース屋台村

兵器輸出を認めますか
大事なことは「密室で」
『山田厚史の地球は丸くない』第256回

2月 09日 2024年 政治

LINEで送る
Pocket

山田厚史(やまだ・あつし)

ジャーナリスト。元朝日新聞編集委員。「ニュース屋台村」編集主幹。

武器は輸出しない。殺傷力のある兵器を外国に売って儲けるなんて、めっそうもない。それが、平和主義を憲法に掲げた日本のやり方だった。ところが今、急旋回している。

自民党は公明党と話をつけ、殺傷能力のある兵器を輸出できるよう法律の「運用基準」を変える、という。こんな大事なことを、国民の声が届かない「与党協議」で決めてしまっていいのか。「裏ガネ」で皆が騒いでいるうちに「日本の針路」がねじ曲げられようとしているのだ。

◆「殺傷兵器の輸出解禁」へと誘導する動き

旗を振るのは岸田首相。衆院予算委員会(2月5日)で自民党の長島昭久議員の質問に答え、「2月中に結論を」と前のめりの姿勢を見せた。英国、イタリアと共同開発する次期戦闘機を「第三国に売りたい」という事情があるからだ。

「殺傷兵器は輸出禁止」という原則を下ろさないと、開発・生産に日本が加わった戦闘機は、よその国に売れない。それでは共同開発した英国やイタリアが納得しない。戦闘機は量産できなければ1機当たりのコストが膨れ上がる。兵器輸出を縛る日本の規制が共同開発の足を引っ張ることになる、というわけだ。

そんなことは初めからわかりながら、政府は国際共同開発に踏み込んだ。「輸出禁止など後でどうにでもなる」と考えていたからだろう。

まず戦闘機の共同開発に加わり、責任ある立場に就く。生産が始まれば完成品を「第三国輸出」するのは経済活動として自然なことで、パートナーである英伊との関係から避け難い。政府は、国際関係をテコに国内の原則を空洞化しようという魂胆らしい。

外国との関係を利用して「殺傷兵器の輸出解禁」へと誘導する動きは、これだけではない。「ライセンス生産」した兵器は、元の技術を持つ国への輸出を認めようという動きもある。

陸上自衛隊が全国に配備している地対空迎撃用ミサイル「パトリオット」は、もともと米国製。日本では三菱重工などのメーカーが生産している。日本で配備するミサイルは日本で作りたい、という政策だが、「日本製のパトリオット」を米国に輸出する、という話が持ち上がっている。元の技術は米国企業にあるのだから、日本のメーカーが生産した兵器で米国に返すのだから輸出はOKだろ、という理屈だ。

この話には裏がある。パトリオットはウクライナが欲しがっている。ロシアからのミサイル攻撃に対応するためだ。だが、日本は「紛争当事国」への武器輸出はできない。そこで、アメリカに輸出し、アメリカは自国で生産しているパトリオットをウクライナに供与する。つまりパトリオットの米国輸出は、「禁止三原則」を回避するウクライナへの迂回(うかい)輸出というわけだ。

そして「国際共同生産」は日本の防衛産業を世界に売り出す突破口と政府は見ている。日本は空の守りをF15など米国製戦闘機に頼ってきたが、できれば国産戦闘機に挑戦したい。だが、うまくいっても買い手は自衛隊だけ。少量生産は避けられず1機当たりコストは高くなる。他国と一緒に開発すれば量産効果が期待できる。機体の組み立てだけでなく、部品の調達にも加われる。だが他の国は輸出を前提に生産している。加われば面倒が起こることはわかっていた。

◆公明党はどこまで抵抗するのか

「殺傷兵器は輸出しない」と決めている日本はどうすればよかったのか。「我が国が加わったら完成した戦闘機は輸出できませんが、よろしいですか」と英国・イタリアに了解を取る。それが真っ当な方法だが、「それは困る。輸出で量産効果を高めるという方針は変えられない」という反応が返ってくるだろう。となれば、共同開発は断念せざるを得ない。

日英伊3国の防衛相は昨年12月、共同開発を進める条約にサインし、次期戦闘機の司令塔となる機関を設立した。2035年までの配備に向けて緊密に協力していく。機関の本部はイギリス、トップは日本から、ビジネスのトップはイタリアが担うことになった。

「輸出」をどうするかは明らかにされていない。日本への配慮からか曖昧(あいまい)なまま。「輸出制限は国内問題なので、あとでなんとかします」ということなのかもしれない。国際プロジェクトが動き出し、岸田首相は公明党をねじ伏せてでも殺傷兵器の輸出に道を開きたいようだ。

公明党は、どこまで抵抗するのか。本気で阻止に回れば、連立は壊れる。なんとしても与党の一角にいたい公明党は、最後は条件闘争で「輸出解禁」を高く売るだろう、と見る関係者は少なくない。

◆武器輸出めぐる「法律・政令の立て付け」に問題

しかし、国家の針路がかかっている大問題が、自民・公明の担当者協議で決まってしまうのはなぜだろう。

その仕掛けは、武器輸出をめぐる「法律・政令の立て付け」にある。根拠法は「外国為替及び外国貿易法」(1949年、以下「外為法」)だが、何を輸出してはいけないかは政令である「輸出貿易管理令」に定められ、その運用方針が「武器輸出三原則(現在は防衛装備品移転三原則)」なのだ。

政令は行政府の権限で決められ(輸出管理は経済産業省所轄)、その運用方針は与党の意向を反映して閣議で決める。つまり、国会が関与しない。行政府の取り決めは与党が関与するが、野党は蚊帳(かや)の外だ。

三原則は1967年、当時の佐藤栄作内閣が定めたもので、①共産圏諸国②国連決議により武器等の輸出が禁止されている国③国際紛争の当事国又はその恐れのある国――には武器輸出を認めないことが明示された。1976年、ハト派内閣だった当時の三木武夫政権で規制が強化され、「武器輸出に関する政府統一見解」によって武器輸出は事実上の全面禁輸となり、以後約 40 年にわたり「日本は外国に武器を売らない国」という方針が貫かれてきた。例外的に輸出を認める場合は、その都度、内閣官房長官談話を発表し、その理由を説明する、という慎重な姿勢が貫かれた。

◆「専守防衛」から「積極防衛」へ大転換

この路線を曲げたのが、安倍政権だ。

禁止項目には通信施設やレーダー、作業船など非軍事分野でも使われている汎用(はんよう)品も含まれていた。実戦を想起させる「武器」という言葉は実態を反映していないとして「防衛装備品」と呼び替えられ、2014年「防衛装備品移転三原則」に衣替えされた。

戦場で使う殺傷兵器でなければ、「輸出は原則自由」となり、併せて防衛装備品は「人殺し」のためではなく国土防衛など平和を守るためのものだ、という「積極的防衛」という考え方が強く打ち出された。

だが、この時でもミサイル、戦車、戦艦など戦闘の主役になる殺傷兵器は、「解禁」とはならなかった。国民感情を刺激することを避け、段階的に「禁輸解除」が図られた。

大転換が決まったのは2022年12月、国家安全保障戦略の改定がなされた。攻撃されたら防衛する「専守防衛」から、軍事力を増強し攻撃力で威嚇(いかく)する「積極防衛」へと舵を切った。

そのために5年間で防衛予算を倍増させる。安保政策の大転換によって、これまで抑制的だった武器輸出や防衛産業の育成・強化が、蓋(ふた)が飛んだように動き始めた。典型が敵基地攻撃能力である。日本列島にミサイル網を張り巡らし、攻撃されそうになったら相手国領内にミサイルを撃ち込めるようにする。

中国に届くミサイルを米国から買い、併せて国産ミサイルの開発に取り組む。次期戦闘機を共同開発して技術を磨き、部品や素材など防衛産業の裾野を広げ、輸出産業に育てよう、というのだ。

戦後の日本は家電、鉄鋼、乗用車など民生品のモノ作りで成長してきた。戦争が匂(にお)う武器・兵器は抑制的に扱われ、途上国援助でも軍事利用は一切排除してきた。経済も外交も「平和・非軍事」が日本の売りだった。

それが一転し、防衛装備品の輸出、軍事援助の解禁、攻撃用兵器の配備、防衛産業の育成、と安保政策から産業政策までが180度の大転換となった。

◆世界中でほころびている民主主義

通常国会が開かれ、岸田首相は施政方針演説で「人口減少が日本の最大の問題だ」として少子化対策に力を注ぐと言明した。しかし、財源の手当が難しく、医療介護保険料に上乗せする「支援金」を国民から徴収する。現場では、低賃金で介護士が集まらない、保育所や福祉施設では人手が足らず、事故やサービス低下が問題になっている。

予算が決定的に不足し、財源を見いだせないことが公共サービスを劣化させているのに、防衛予算は使い切れないほど増額され、兵器の爆買いが続く。

「国家安全保障戦略の改定」は、武器輸出三原則、軍事援助禁止、専守防衛など、戦後日本が世界に発信してきた「平和国家」のイメージを消し去るものだ。これほどの大改定が、国会や国民的議論がないまま、「閣議決定」という行政府の日常業務の中で処理されてしまった。

「次期戦闘機の輸出」という他国との調整を装った「殺傷兵器の輸出解禁」が、自民党と公明党の話し合いだけで決まってしまう。現状では公明党は「平和の党として、そこまで踏み込めない」と難色を示していることで、問題が表面化したが、そもそも密室の協議である。与党協議は非公開、やりとりが公表されないまま結論だけが政府に上がり、閣議で承認され政策として動き出す。

殺傷兵器輸出解禁、専守防衛の空文化など「国家の大方針」を法律ではなく、政令や運用方針に閉じ込めて国会論議を避ける。そんな今の仕組みは民主主義を相いれないやり方だ。

日本の議会制民主主義は、ぼろぼろで民意とかけ離れたところで大事なことが決まる。だが、世界を見ても民主主義はあちこちでほころびている。アメリカがいい例だろう。権威も支配力も翳(かげ)り、「自国第一」へとのめり込むこの国に、付き従った結果が「防衛政策の大転換」だ。「殺傷兵器の輸出解禁」は、私たちの現在地を再確認する絶好の足がかりかもしれない。

コメント

コメントを残す