助川成也(すけがわ・せいや)
中央大学経済研究所客員研究員。専門は ASEAN経済統合、自由貿易協定(FTA)。2013年10月までタイ駐在。同年12月に『ASEAN経済共同体と日本』(文眞堂)を出版した。
ASEAN(東南アジア諸国連合)は2015年末までにASEAN経済共同体(AEC)の構築を目指す。この「経済共同体」という言葉は、欧州経済共同体(EEC)を連想させ、東南アジア10カ国が「2015年には欧州のような統合市場になり、ヒト、モノ、カネが域内で自由に行き来出来るようになる」とのイメージを与える。2015年、ASEANは変わるのか。
◆外国投資からの求心力維持に奔走
ASEAN経済共同体の原点は、今から17年前の1997年にさかのぼる。80年代半ば以降、ASEANは外国投資受け入れとこれら企業の輸出をエンジンに、経済成長及び工業化を図ってきた。
しかし97年7月、その経済成長モデルを揺るがす大きな出来事が発生した。タイを震源地にした「アジア通貨危機」である。タイ政府はこれまで通貨バーツを事実上ドルにペッグするバスケット方式の通貨制度を採っていたが、バーツの強い売り圧力に耐え切れず、97年7月2日に管理フロート制への移行を発表した。
これを受けてバーツは一気に暴落、為替ヘッジを行ってこなかった企業のバーツ建債務の膨張によるバランスシートの急激な悪化や輸入インフレなどにより国内経済は一気に冷え込んだ。タイで発生した「通貨暴落」は瞬く間にASEAN全体に拡がった。
ASAEN各国は対外経済政策面では、為替安による輸出促進と投資受け入れ拡大を両輪に、アジア通貨危機の影響からの脱却を狙った。アジア通貨危機により、「世界の成長センター」との名声を大きく傷つけられたASEANは、外国投資に対する求心力維持のため、外に向けて訴求できる新たなメッセージを発信する必要性に迫られた。
97年12月、ASEANはクアラルンプールで開催された第9回首脳会議で、2020年の目指すべき方向性を示す「ASEANビジョン2020」を策定した。ここではASEANの2020年までの域内中期目標として、「モノ、サービス、投資の自由な移動、資本のより自由な移動、平等な経済発展、貧困と社会経済不均衡の是正が実現した安定・繁栄・競争力のあるASEAN経済地域の創造」を目指すとするなどASAEN経済共同体(AEC)の原点がここにある。ただしこの時点では、「ASEAN経済共同体」という名称は出てきていない。その言葉が初めて登場したのは03年になってからのことである。
03年10月にインドネシアのバリで開催された首脳会議で、第2 ASEAN協和宣言(バリ・コンコードⅡ)が採択された。ここで2020年までに達成すべき域内経済統合の目標として、物品・サービス貿易、投資、熟練労働者、資本のより自由な移動を実現することにより、単一の市場、及び生産基地として、「ASEAN経済共同体」を目指すことが打ち出された。
◆「経済共同体」の由来
ASEAN事務局のセベリーノ元事務局長(1998~2002年在任)は、その回顧録の中で、当時、シンガポールのゴー・チョクトン首相が「『アジア通貨危機以降、ASEANの外国投資を誘致する力が弱体化する中で、統合の深化が(外国投資を惹き付ける)唯一の方法』と考えており、「ASEANは地域統合に真剣であり、統合を実現すべく前進する意思を、投資家に理解させなければならないとASEANの首脳達が考えたことが、『経済共同体』という言葉を使用した理由」と述べている。
ASEAN加盟各国各々は市場としては矮小(わいしょう)と言わざるを得ないが、東アジアに対する注目と投資とを一身に集めていた中国と、世界最大の民主主義国家としてその潜在性が期待されていたインドに挟まれるASEANは、自らも2015年に「10カ国が一体となった6億人市場を目指す」ことを投資家に訴え、懸命に投資家の視線をASEANに戻そうとした。
しかし、同元事務局長の回顧録には、「ASEAN経済共同体は欧州経済共同体(EEC)を連想させるが、欧州が今日実現している政治的・経済的統合の水準に到達することを必ずしも意味しない」と記されている。
欧州は、1957年に欧州経済共同体設立条約、いわゆるローマ条約を締結し、関税同盟と共同市場の設立、経済政策の同質化を目指した。欧州が物品の移動を自由化し、対外共通関税政策を採る関税同盟を実現したのは1968年である。また、欧州がマーストリヒト条約によりサービス、資本、人の移動が自由化された共同市場を実現したのは1993年になってからのこと。さらに、EU加盟の中東欧と西欧との「労働者(人)の移動の完全自由化」は、シェンゲン協定により2011年5月に国境検査を撤廃したことで実現した。欧州は50年以上もの長い時間をかけて、モノ、カネ、ヒトが自由に動ける現在の欧州統合を具現化させたのである。
一方、ASEANは「ASEANビジョン2020」が発表された1998年から16年が経過したにすぎない。「内政不干渉」と「コンセンサスによる意思決定」の原則を堅持するASEANに対し、2015年までに欧州の水準までの経済統合を求めるのは「酷」というもの。既にASEANは内部では「(AECの期限である)2015年12月31日は『終了日』ではない。統合の努力はそれ以降も続けなければならない」と認識されており、既に次の10年(2025年)に向け、現在の統合を深化させる青写真の検討作業が水面下で始まっている。2015年は、あくまでも中間地点に過ぎない。
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