п»ї サンマ漁復活と夢、復興の責任『ジャーナリスティックなやさしい未来』第5回 | ニュース屋台村

サンマ漁復活と夢、復興の責任
『ジャーナリスティックなやさしい未来』第5回

3月 07日 2014年 社会

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引地達也(ひきち・たつや)

仙台市出身。毎日新聞記者、ドイツ留学後、共同通信社記者、外信部、ソウル特派員など。退社後、経営コンサルタント、外務省の公益法人理事兼事務局長などを経て、株式会社LVP(東京)、トリトングローブ株式会社(仙台)設立。一般社団法人日本コミュニケーション協会事務局長。東日本大震災直後から被災者と支援者を結ぶ活動「小さな避難所と集落をまわるボランティア」を展開。企業や人を活性化するプログラム「心技体アカデミー」主宰として、人や企業の生きがい、働きがいを提供している。

先週に引き続き、全国のコミュニティFM局に番組を配信している衛星ラジオ局「ミュージックバード」の「未来へのかけはし Voice from Tohoku」の先週放送分をお届けする。今回は宮城県気仙沼市本吉町の小泉中学2年の三浦麻文(まや)さんが書いた作文「私の夢」を自ら朗読した。壊滅的な被害にあった町を目の当たりにした思い、そして夢。まずは、ラジオ放送の内容を紹介する。

◆「私の夢」

東日本大震災からまもなく3年。このコーナーでは、被災地の今を、現地の方々ご自身が綴った思いを、生の声で語っていただきます。

今日お伝えするのは、宮城県気仙沼港のサンマ漁船「第38功洋丸」船長、三浦徳隆さんの長女。気仙沼市立小泉中学校2年の三浦麻文さんです。自宅が流され、漁船が流され、何もなくなった三浦さん一家でしたが、麻文さんのおじいさん、お父さんはいち早く立ち上がり、サンマ漁を復活させました。麻文さんの作文をお聞きください。

【三浦麻文さん朗読】
「私の夢」 小泉中学校2年 三浦麻文
 小学校3年生の時、私は週に一度、土曜日に習字教室に通っていた。習字教室は、当時小泉の町中にあった。その頃の私の口癖は、「私は将来、習字の先生になる」だった。

あと少しで6年生になるという期待を膨らませていた矢先、東日本大震災が起こった。大きな地震と巨大な津波。町も家も人も、全てを奪い去っていった。

震災から1カ月ほど経ったある日、習字教室のあったところを見に行こう、ということになった。町は壊滅していた。家も土台くらいしか残っていなかった。教室のあったところはどこだったのか、全く分からなかった。津波が思い出を全て消してしまった。

大好きだった習字。この時、私の中で何かが壊れようとしていた。そして、川や海から水が溢れるように、悲しみがこみ上げてきた。「あぁ、私の夢はここで終わってしまう」という気持ちになった。悲しいはずなのに、何故(なぜ)か涙は出なかった。深い真っ暗な闇に一人でいる気分だった。

すると母が、「麻文、まだ夢は終わっていないよ。諦めたら今まで頑張ってきたことが全部無駄になってしまう。今は現実を受け止められないかもしれない。でもいつか、あの時諦めないで良かったな、って思う時が来る。だから頑張りなさい。家族みんながついているから」と話してくれた。その時、いつの間にか涙が流れていて、「お母さんって私の心が見えているのかな」と不思議に思ったことをはっきり覚えている。

道徳の時間、今までの出来事を思い出した時、何故か胸には自信が満ち溢れていた。先生にもクラスのみんなにも、今なら胸を張って言えそうな気がする。
「私の夢、それは習字の先生です。」
 
【エンディング】
 サンマ漁師の三浦さん一家の物語は、震災の風化を食い止めようとつくったこのCD「気仙沼線」のブックレットに書きました。カップリング曲の「サンマ漁」は三浦さん一家がモデルになっています。

「気仙沼線」に関する支援活動は「気仙沼線普及委員会」のフェイスブックでご覧ください。

(以上放送内容終わり)

◆母の言葉と漁師の強さ

三浦麻文さんの父、徳隆さんが船長を務める「第38功洋丸」が北海道・釧路の港で復活の狼煙(のろし)を上げた時、私もその場で、三浦さんと寝食を共にした。家が流され、漁船も流され、絶望していた三浦さんに「漁を復活させて、一緒に船に乗らせてください」と言った私にとって、それは約束でもあった。

震災から5カ月後の2011年8月初め。サンマ漁解禁の時である。絶望の淵からサンマ漁船を探し、歩き、そして乗組員を集め、準備をする。その過程は長い道のりだった。しかし振り返れば、5カ月は早い。船も家も流されながらも半年以内で復活できたのは驚異的でもある。この時、釧路の港では、立ち上がる宮城と岩手のサンマ漁師に、釧路の地元からは「強いねえ」と感嘆する多くの声を聞いた。

漁船の中にこだまするのは、どなり声、大きな笑い声。漁船の乗組員は誰もが被災し、生活再建に取り組んでいる最中。漁に出て「ここで稼いでいく」の気概があるから、仕事は真剣だが、笑い声には海に戻った安心感もある。

麻文さんの目に映った壊滅的な被害を受けた町は、麻文さんから夢を奪い去ったが、あきらめることなく、再度夢を、胸を張って言えるようになったのは、母の言葉であり、この立ちあがった三浦さん一家の強さがあるから。子供に夢を見続けさせることが大人の責務であると考える時、三浦さん一家の行動は復興とは何かを教えてくれる。

今回の放送内容はユーチューブでご覧いただけます。

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