п»ї 人を守るコミュニケーション『ジャーナリスティックなやさしい未来』第44回 | ニュース屋台村

人を守るコミュニケーション
『ジャーナリスティックなやさしい未来』第44回

4月 03日 2015年 社会

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引地達也(ひきち・たつや)

コミュニケーション基礎研究会代表。毎日新聞記者、ドイツ留学後、共同通信社記者、外信部、ソウル特派員など。退社後、経営コンサルタント、外務省の公益法人理事兼事務局長などを経て、株式会社LVP等設立。東日本大震災直後から「小さな避難所と集落をまわるボランティア」を展開。

◆弱い社会的生きもの

人を「守る」ことを考えた時、そこには存在が脅かされる対象があるのを考えなければならない。命はもちろん、名誉や地位、金銭など。守るものが特定されれば、守るという行為は具体的になる。その具体的な行動はコミュニケーションを飛び越えてしまうので、コミュニケーションの存在はかすんでしまいそうだ。

しかし、何かに脅かされそうなときに、コミュニケーションはしなやかで強靭(きょうじん)な力を持ち、それが人を守ることを私たちは知っている。コミュニケーションで自分が守られていることを、私たちは忘れているだけであり、遠い過去に母に抱かれて、人によっては子守唄を聞き、人によっては呼びかけに泣き声で応じ、人によっては心の対話をしたような、母性とのコミュニケーションは、自分が「守られた」存在としてこの世に生まれ、そして育った過程では欠かせない行為だったはずである。ハイエナが目を光らせるアフリカのサバンナで産み落とされなくても、か弱い生命だった私たちは、「守られなければ」育たなかった。

そうして、抵抗力を備えた大人になった私たちであるが、悲しいことに人間は、肉体的にも、精神的にも、言うほど強い存在ではない。力強く生きているつもりでも、実際には国家や家族や大切な人に守られている社会的な生き物である。

◆母の読み聞かせ

こんな自覚を前提に、仙台市でボランティア活動にいそしむ私の母の話を紹介する。昨年古希を迎えた母は、公務員を定年後にいくつかのボランティア活動に打ち込んでいるが、そのうちの一つが「読み聞かせ」である。

子ども向けに絵本を読む活動と、目の不自由な人に新聞や週刊誌、小説などを読む活動。前者は地元の小学校で「さくらんぼの時間」と名付けられ、小学1~4年生向けに物語を読む活動で、母が町を歩いていると、授業を受けている小学生は母のことを「さくらんぼのおばさん!」と声をかけてくれるらしく、母はそれがとてもうれしいらしい。

後者は、時には公民館など公共施設での対面式で、時には電話口で、新聞や要望のある小説のほか、個人的な手紙や行政手続きに関する案内などを読む。そんな母が東日本大震災時のとあるエピソードを私に話してくれた。

母の家(すなわち私の実家)は仙台市の中心部にあり、自宅は震災で大きな損傷はなかったものの、仙台市全体は電気、ガス、水道のライフラインが断たれ、地元の小学校の体育館は避難所となった。震災直後は大きな余震も断続的にあり、住民は肩を寄せ合って不安な時間を過ごしていた。

母が避難所で炊き出しなどのボランティアをしていた時、母を訪ねてきた40代の女性がいた。それは目の不自由な一人暮らしの女性で、読み書きかせをしてきた相手である。電話が通じない環境下、目の見えない世界で彼女は余震におびえ、向かった先が私の母親がいるであろう避難所だったという。「おっかなぐてえ(怖くて)、ここくれば引地さんいると思って」と声を震わせた。「大丈夫だからね」。母をそう言って安心させたという。

◆弱者の不安を解消するために

母の実父は義眼だった。農家の仕事として田んぼでスズメを追い払うガス鉄砲を仕掛けていた際に、のぞき込んだ鉄砲が暴発して左目を失った。それは母が生まれる前の出来事だから、母は生まれて、10歳でその父が亡くなるまでの間、父は義眼のままで不自由な片目で「めがねの上にめがねをかけて新聞を読んでいた」(母)という。その思い出が「目が見えない人の力になりたい」という動機付けになり、「読み聞かせ」のボランティアに向かわせている、と母は自分の活動を解説する。

その活動を積み重ね、目の不自由な人と出会い、読み聞かせることで、母は目の見えない人にとって、震災のような極度な不安状態に陥った時の「頼るべき」存在となった。

守る、守られる、という構図で考えるならば、ライフラインが途絶え、電話も通じない、社会から断絶された状態にある障がい者は、その障がいによっての差はあれ、外からの情報が何もなくなってしまうのである。その時に誰が障がい者を「守る」のかは、社会のソフトウエアとして備えておくべきだが、今回のような日々のボランティアが、障がいのある人の不安を解消し、その人を守ることにもなる。

だから、私たちは、社会的弱者にできることをやり続けなければならないのだと思う。この行為すべてが、人と守るコミュニケーションであり、この連関の上に、自分が「守られ」「守る」仕組みが築き上げられていくのであろう。母の活動から、息子の私は、こんな小難しいことを書いてはいるが、当の母は、大上段でボランティアを語ることなく、今日もおそらく淡々と読み聞かせをしたりしているのだと思う。私から見れば、それが「人を守るコミュニケーション」だと思う。

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