п»ї 英語の出来ない日本人―「小澤塾」のチャレンジ『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』第78回 | ニュース屋台村

英語の出来ない日本人―「小澤塾」のチャレンジ
『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』第78回

9月 23日 2016年 経済

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小澤 仁(おざわ・ひとし)

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バンコック銀行執行副頭取。1977年東海銀行入行。2003年より現職。米国在住10年。バンコク在住18年。趣味:クラシック歌唱、サックス・フルート演奏。

何と大それたテーマであろう! 私の学生時代を知る友人ならば誰でもこう思うことであろう。なにせ私は、中学・高校のころから英語の劣等生だったのだから。今では半ば自慢話になっているが、大学受験のころの予備校の偏差値は40台前半であった。そんな私が29年も海外暮らしをすることになるとは、当時は夢にも思わなかった。今回は私なりの英語論を話してみたい。

◆今も英語が得意ではない私

最初にお断りしなければならないのは「私は今でも英語は得意ではない」ということである。先に述べたように、学生時代の私は英語の劣等生であった。「アメリカでは、英語は子供でもしゃべっている。言葉はその国に行けば誰でも出来るようになる」。当時の私はこのように考えていた。英語など学問ではないと馬鹿にして、一切勉強をしなかった。

偏屈者の私は、いったんこうと決めると徹底する。そんなわけで英語の実力は常に低空飛行。そのツケが今になって出てきている。とにかく英語の基礎学力が低いのである。単語力が少ないことが、私の英語の致命的な欠陥である。英米文学論のことを言っているわけではない。身近なことで言えば、病院に行っても分からない単語だらけである。症状を説明するのも難しければ、病名を告げられてもよく分からない。

こんな状態であっても、何とか中学程度の英語をつなぎ合わせれば自分の状態を話すことが出来る。また、先生の説明も繰り返し聞くうちに、何とか病名なども想像出来るようになる。その昔「中学までの英単語を覚えていれば、英会話が出来る」と言われた気がするが、まさにこの世界である。本当の意味で英語が出来るとはこれっぽっちも思っていない。いや、実際出来ないのだから。

それでは、何をもって英語が出来ると言うのであろうか?「難しい単語・熟語・ことわざを知っている」「文章の読解能力がある」「きれいで論理的な文章を書く」。日本での「国語」を基準に考えると、これらの能力を備えていることが言葉が上手だということなのだろう。

しかしこれらの能力は、大前提として「相手と意思の疎通が出来るか否か」が基本要件となる。日本人にとっての英語はこの基本要件がまったく出来ていないということである。「英語を使って相手との意思疎通を図る能力」がなぜ日本人は劣っているのであろうか? 義務教育で英語の時間割を多くすれば済むのであろうか? 英会話学校に行けばこうした能力が向上するのであろうか? どうも私にはそうした単純な話ではないような気がする。

◆ロサンゼルス空港での屈辱

私にとって英語の原体験と呼べるものは、私が最初に海外に到着した米ロサンゼルスの税関である。前述のとおり、それまで英語を馬鹿にしていた私は全く気持ちの準備もないまま27歳の時、ロサンゼルス勤務の辞令を受け取った。27歳になるまで、一度も海外旅行に行ったことがなかった。それがいきなりガイドもなく、一人でロサンゼルスに行けというのである。英語を馬鹿にしながら、その英語が全く出来ないことを猛烈な負い目としてロサンゼルスに向かった。入国審査を終えると次は税関での荷物検査である。

そこには、大柄な黒人の女性が強面(こわもて)の表情で一人一人の荷物検査を行っている。特に検査で引っ掛かるようなものは持っていないはずである。ところが、税関の女性は私が持っていたお土産を指して何か言っている。私は気が動転し、彼女が何を言っているのか分からない。「それが何かと聞いているのですよ」。親切な日本人の方が私にそう教えてくれた。

私はロサンゼルスに赴任するにあたり、東海銀行のロサンゼルス支店などに勤務する日本人駐在員のためにお土産を用意した。海外に行ったことがなかった私には、海外赴任者に何が喜ばれるか分からない。しかし、おいしい和菓子はさすがに海外にはないだろうと考え、有名和菓子店で生菓子を50個購入し手荷物として大事に飛行機に持ち込んだ。その和菓子について聞かれたのである。

「和菓子は英語で何と言うのだろう?」「そもそも和菓子は、アメリカにあるのであろうか?」「アメリカにないものをどのように説明すれば良いのだろう?」。こんなことをくよくよと考えているうちに、件(くだん)の女性検査官はいきなり大型ナイフを振り上げ、菓子箱に突き刺し、切り裂いた。切り裂かれた箱から和菓子を確認すると、女性検査官は「OK」といって私を通してくれた。あの時の屈辱と悔しさを一生忘れない。これが私の英語の原体験である。「絶対に英語が上手になってやろう!」

◆日本人の目を気にしていた私

しかし、アメリカに降り立ってからの私は、英語の難しさにいやというほど痛めつけられる。アメリカ渡航後3カ月ほどは英語学校に行き、その後半年はロサンゼルス州立大学の夜間大学に聴講生として通った。英語学校ではペーパーテストによる振り分けで等級の高いクラスに行ったものの、授業では話し合われていることが全く分からない。当然のことながら話せない。一方で、同時期にテストを受けたベネズエラ人やメキシコ人達は、等級は低いものの、校内でベラベラと英語を話している(後になって、そのように聞こえていただけということがわかったが……)。

会話を振られても、英語がしゃべれない自分に対して自己嫌悪になる。しかし、しばらくすると簡単な事実に気がついた。どうも私は、他の日本人の目を気にしているようである。「英語の文法を間違えていたらどうしよう」「発音を間違えているかもしれない」「過去形の動詞が思いつかない」。こんなことを考えて、言葉が出なくなるのだが、気にしている相手は日本人に対してである。「日本人の前で恥ずかしい自分の姿を見せるくらいなら、ひたすら頭を下げて嵐が通り過ぎるのを待っていた方が良い」。こんな弱気な自分に気付いたのである。レベルの低いクラスにいる、あのベネズエラ人やメキシコ人達が堂々と英語をしゃべっているのに。とにかく恥ずかしさを捨てることに集中した。

次に私が気付いたのは、英語で人と会話をするにあたって、私はその話す内容を持ち合わせていないということであった。これは、私にとって衝撃であった。大学時代、社会学や哲学を中心として勉強してきた私は、自分が論理的な部類に属すると自負していた。しかしロサンゼルス州立大学の「経済学」や「映画論」などの授業で、日本の歴史・文化・宗教・民族などのことを聞かれてもうまく話せないのである。

西洋流の社会学や哲学は勉強しても自国のことはよくわかっていない。自分自身を客観的に振り返る機会がなかったため、自分のことを語れないのである。島国で外国との接触が少ない日本では、比較人類学や比較文化論などの学問が育たなかったと思われる。私が英語上達のために真っ先にやったことが日本人の特徴や文化を勉強し直すことであった。

◆英語の発音は「運動」と同じ

ここまで来ると何とか自分の意思を相手に伝えることが出来るようになってきたが、ここで第3の壁にぶちあたってしまった。バニラアイスクリームを注文してもバナナアイスクリームが出てくるし、コーヒーが飲みたくてもコーラしか出てこない。日本人に接し慣れていない人達とは相も変わらずこんな調子であった。

アルファベットの基本の発音が分かっていないのである。「RとL」「BとV」「SとSH」など、日本語にはない発音については、当然のことながら、区別して発音などしていない。なぜならヒヤリングに際しても、その違いが識別できないのだから。とにもかくにも自分が発音する際には、とりあえずこれらの違いを注意するように努めた。

英語の発音は「運動」と一緒である。反復練習によって初めて唇や舌などがその形になじんでくれるのである。肉体練習なくして英語はうまくならないのである。しかし聞く能力については、向上することはない。いまだに「RとL」などの違いが聞き取れない。脳医学的に言えば、人間の神経細胞は3歳になるまでにおおよそ形作られるそうである。音を理解する神経細胞も、この時までに出来てしまうようである。現に私の長男・長女は、それぞれ5歳と3歳でアメリカに移住した。私から見れば彼らの英語の発音は完璧であるが、本人達はアメリカ生まれの人達の英語の発音とのわずかな差異に気付いている。

これとは別に「小澤さんは音楽が出来るから、英語が上手なのですね」とよく言われる。これについては、私はよく分からない。先ほど申し上げたように「RとL」の違いなど、日本語にない発音はいまだに聞き取れないでいる。しかし音楽をやっていることのメリットがあるとすれば、リズム感があることだろうと思う。昔、英会話上達法として音楽に合わせた発音を繰り返す方法があったが、発音の抑揚をつけられることが、私の英語がそこそこに聞こえる理由のような気がする。

◆英語で発表し英語で答える

それでは、どのようにしたら日本人は英語が上達するのであろうか? まずは「恥」を捨て、ひたすらしゃべって肉体の反復練習をすることである。更にしゃべる内容を自分で整理出来る力も必要となってくる。自分で物を考え、論理的に整理していく癖をつけることである。

バンコック銀行日系企業部の新人向けトレーニングコースである「小澤塾」では、受講生に対して宿題を与え、それを英語で発表させる。誰か一人でもこの英語の発表が出来ないと講義はいつまでたっても前に進まない。連帯責任であるがゆえに、皆が必死になって英語で答えようとする。誰も「恥」などと言っていられないのである。講義の前には、塾生だけで集まりブレーンストーミングで宿題の回答を準備し、英語を反復練習する。自分で考える力については、塾生に「Why」を5回質問することによって、物の本質を理解する癖をつけさせる。「小澤塾」の卒業生は、いや応なく英語の能力が上がるのである。

「小澤塾」には、もう一つ仕掛けがある。提携銀行からバンコック銀行に人を派遣するにあたっては、毎年1回この派遣行の頭取が当行に訪問することになっている。提携銀行の頭取が当行を訪問すると、私どものチャシリ頭取と食事会を催す。この時の通訳を、この塾生が務めるのが慣わしとなっている。「頭取の前であまり惨めな英語を話すわけにはいかない」。こんな思いから、必死に勉強して2年後には、TOEICで960点もの高得点をとった強者(つわもの)もいる。2年も経つとほとんどの塾生は、頭取の前で無難に通訳が務められるのである。こうした成功体験が、また人間に自信を与え、強くしていくのである。

我と思わん方、英語の上達を望まれる方は「小澤塾」にチャレンジしてみてはいかがでしょうか?

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