п»ї 連帯する島々の新文明 『週末農夫の剰余所与論』第34回 | ニュース屋台村

連帯する島々の新文明
『週末農夫の剰余所与論』第34回

9月 21日 2022年 社会

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山口行治(やまぐち・ゆきはる)

o株式会社ふぇの代表取締役。元ファイザーグローバルR&Dシニアディレクター。ダイセル化学工業株式会社、呉羽化学工業株式会社の研究開発部門で勤務。ロンドン大学St.George’s Hospital Medical SchoolでPh.D取得(薬理学)。東京大学教養学部基礎科学科卒業。中学時代から西洋哲学と現代美術にはまり、テニス部の活動を楽しんだ。冒険的なエッジを好むけれども、居心地の良いニッチの発見もそれなりに得意とする。趣味は農作業。日本科学技術ジャーナリスト会議会員。

「越後妻有 大地の芸術祭2022」に行ってきた。初回の2000年から、毎回参加して、今回が7回目になる。世界最大規模の面積で開催される芸術祭で、自家用車で、山間地の農道を走る場合もある。観光客としては、信濃川流域の河岸段丘(かがんだんきゅう)が美しいけれども、冬場は豪雪地帯になる。廃校や廃屋(はいおく)をアートの現場にしてしまう、大地の芸術祭の中でも、最も「大地」に近い作品を作ってきた古郡弘さんの追悼展だった。新潟県越後妻有(えちごつまり)の大地に、20年以上の月日の流れを感じた。

古郡弘追悼展 2022年9月11日 筆者撮影

『週末農夫の剰余所与論』では、文明論としてのデータ論を考えている。西洋哲学が源流にあるので、歴史にはこだわらずに、ヨーロッパ文明と近代文明を区別しないで、来るべき新文明における「データ論」を考えるという嗜好(しこう)だ。時代をさかのぼって、縄文時代を、大陸の文明と対比して、異なる文明の可能性として再考してみたこともあった。異形の文明論としては、あり得たかもしれない別の近代を素描した、17世紀の哲学者スピノザについても時折言及している。『いま、ここで―アウシュヴィッツとヒロシマ以後の哲学的考察 』(ゲオルク・ピヒト、法政大学出版局、1986年)の危機感は加速し、ウクライナ以降の近代文明には、全く希望が見いだせない。大陸の覇権国家による近代文明の終末が、地球および人類の終末の前であることを望みながら、連帯する島々の新文明について考えてみよう。

第2次世界大戦以降、軍事技術は空軍を中心に発達してきた。原子力空母から軍事用ドローンまで、制空権は攻撃と防御の要(かなめ)となっている。一方で、大陸間弾道ミサイルや宇宙軍など、空軍の最先端技術は地球規模にエスカレートしている。いうまでもなく、陸軍や海軍では「水爆」を使いようがない。大陸間弾道ミサイルに水爆を搭載したとしても、実際に戦争で使用すれば、地球および人類の終末となることも明らかだろう。

大陸ではなく、島々の国家や地域における戦争を考えてみると、全く別な軍事技術の可能性が見えてくる。ドローンのような無人潜水艦と、無人海中基地の組み合わせだ。海中での通信技術について、とても興味深い記事がネットに報告されている(※参考)。軍事技術としての暗号化など、課題はたくさんある。エネルギー源についても、燃料電池の利用や潮力発電など、大きな可能性がある。島の周辺に無人潜水艦と無人海中基地を多数配備すれば、潜水艦から小型ミサイルを用いて、戦闘機やロケットの追尾迎撃ができる。例えば日本の場合は、無人潜水艦は数万個から数十万個を想定して、無人海中基地において数百の無人潜水艦を管理できると想定すれば、堅牢(けんろう)な対空防衛網となるだろう。移動が可能な多数の小型海中基地の場合、宇宙からの偵察や攻撃にも限界がある。大陸とは別次元の軍事技術が、異形な新文明を作り出すかもしれない。

無人潜水艦と、無人海中基地の組み合わせは、平時においては基幹の物流システムとなりうる。温度管理が容易で、エネルギーコストにも優れている可能性がある。海中の自動運転技術と、通信技術に技術革新が必要だとしても、ミニチュアの宇宙基地のような風景が海中に出現するだろう。平和利用の場合は、大陸間の海洋輸送にも使える技術であって、食料品の場合は、保管倉庫の役割も考えられる。深層海流で地球を循環する特急便も可能かもしれない。ウミガメに乗って龍宮城に行くような、簡単なアイデアなので、すでにたくさん議論されてきているだろう。しかし、地球環境が危機的な状況にあり、大陸での覇権争いに未来が無い現状において、再度、本格的に見直しをしてみてはどうだろうか。

筆者の得意分野の話題ではないので、粗末な議論となり、正直なところ、三流SFではあっても、まじめな記事としてはふさわしくないかもしれない。しかし、島々が連帯して、既存の技術で大陸の文明を乗り越えてゆく、そういう物語もありうるということを伝えたかった。「データ論」は近代技術の延長上ではあっても、近代文明の限界を乗り越えてゆく、かなり少ないチャンスでもある。データセンターを海中基地に設置して、「クラウド」ではない、龍宮城の物語は、仮想現実(メタバース)なのだろうか。軟弱地盤であることを知りながら、沖縄県名護市辺野古の海を埋め立てて、米空軍施設を建設するような、稚拙な軍事戦略が現実であるならば、龍宮城のような仮想現実であったとしても、現実を変革する可能性に賭けてみたい。

(※参考)一般財団法人日本ITU協会:海中における電波利用の可能性~水中通信~

https://www.ituaj.jp/?page_id=11308

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『剰余所与論』は意味不明な文章を、「剰余意味」として受け入れることから始めたい。言語の限界としての意味を、データ(所与)の新たなイメージによって乗り越えようとする哲学的な散文です。カール・マルクスが発見した「商品としての労働力」が「剰余価値」を産出する資本主義経済は老化している。老人には耐えがたい荒々しい気候変動の中に、文明論的な時間スケールで、所与としての季節変動を見いだす試みです。

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