п»ї つながりを求めて-新たな試みに挑戦 『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』第230回 | ニュース屋台村

つながりを求めて-新たな試みに挑戦
『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』第230回

12月 02日 2022年 経済

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小澤 仁(おざわ・ひとし)

oバンコック銀行執行副頭取。1977年東海銀行入行。2003年より現職。米国在住10年。バンコク在住24年。趣味:クラシック歌唱、サックス・フルート演奏。

新型コロナウイルスの感染拡大が始まってから、早いもので3年になろうとしている。コロナ発生時点でインターネットで調べてみると「コロナ終息まで経済専門家は1年、医療関係者は2年、感染症専門家は3年」と予想した人が多かった。もうすぐ感染症専門家が予想した3年になる。日本ではコロナ感染の第8波が始まりその対処に追われ始めたようであるが、欧米などの先進国ではウイルスの弱毒化と医療体制の構築が進んだためコロナは大きなニュースとはならなくなってきた。このままコロナが収束していくことを切に願う。

しかしコロナが残した傷跡は大きい。コロナは私たち人類の社会生活自体を破壊してしまった。最近の人類史に定説では「現世人類であるホモサピエンスは集団生活を営むことによって危機を乗り越え、他の動物を支配する食物連鎖の頂点に立った」というものである。ところがコロナによって人々は他者との交流ができなくなった。人類の武器が封じ込められたのである。私たちは再び社会生活を再構築していかなければならない。私たちが生き残っていくために!

◆コロナ禍による分断と喪失

コロナによって私たちが具体的に制限されたものは「実生活上の接触機会の激減」と「マスク着用による表情コミュニケーションの喪失」である。「実生活上の接触機会の激減」は経済にも大きなダメージを与えたが、人間社会の分断も推し進めた。人々は直接会って面前で対話する機会を失い、対立は先鋭化。ウクライナ戦争や台湾をめぐる米中間の軍事的緊張などが引き起こされた。世界各国が国境封鎖をしたため他国の社会・文化を理解する機会を失った。自国内であっても接触が禁じられたため、他者との相違性を理解できなくなった。すると人々は寛容性を失う。他の人との議論や意見交換もできないため、人々の判断基準は「好き嫌い」に偏ってしまう。人々の対立が先鋭化する「負のスパイラル」に入ってしまったのである。

私自身も2年以上にわたり日本への帰国がかなわず、バンコクで引きこもり生活を続けた。積極的に顧客・友人と面談を開始したのは、日本への一時帰国がようやくできた今年5月からである。当時はまだ面談を断られるケースも多かったが、タイから持ち込んだ抗原検査で面談前にお互いのコロナ陰性を確認し合い、空調設備のある(もしくは窓を開けた)個室での面談を行うように心がけた。幸いにも現在までのところ、コロナに感染せずに生き抜いてきている。顧客・友人との面談を開始した当時は、それらの人々の反応には特徴的な現象があった。面談を始めるとほとんどの人は、堰(せき)を切ったように話し始めるのである。2年以上のコロナ耐乏生活の中で人々は軽い躁鬱(そううつ)病になっていたようである。人に会うことによって「躁状態」が表出し、自分のことを必死に話し始める。かくいう私も同じであった。最近になり、人々はみな落ち着いて話をするようになっている。日常生活が戻ってきたことの証左である。

コロナによって奪われたもう一つのことが「表情コミュニケーションの喪失」である。人間はいくら偉そうにしていても本質的には「動物の本能」の中で生きている。37億年にのぼる生物進化の歴史の中で、私たち人類は多くの複雑な能力を獲得してきた。その一つが顔の表情によってなされる人間のコミュニケーション能力である。ニュース屋台村の拙稿第185回「笑う門には福来る-コロナを生き抜く小さな知恵」(2021年1月15日付)と第187回「あなたは誰かに操られている?」(21年2月12日付)で、こうした人間の隠された能力について紹介しているので是非ご参照いただきたい。いずれにしても私たち人類はコロナによってもたらされた災厄により「人間としての根源的つながり」が分断され、本音の会話ができなかったのである。

◆45年の銀行員生活を生かす

一方、コロナ禍によってデジタル社会は確実に進化した。オンライン面談の一般化、EC(electronic commerce=電子商取引)での商品購入、フードデリバリーの活用などである。相手との感情交流を必要としない商取引などではデジタル機器は有効に機能する。否、相手のことがすでに分かっている友人同士のコミュニケーションでもオンライン面談は有効に機能する。コロナの災厄の代償として私たちが手に入れたデジタル機能を有効に活用していかない手はない。私たちはリアルとデジタルの両面から「つながりの再構築と進化」を目指していかなければならない。

もとより私1人でできることなど限られている。それでも45年にわたる銀行員生活で得てきた人脈や知識もそこそこある。これまでもそうした人脈や知識を利用して「観光部会」「産学連携部会」や「新技術部会」などと称して3か月に1回の割合で異業種交流を試みてきた。例えば「産学連携部会」では泰日工業大学、コンケン大学、チェンマイ大学、ソンクラー大学、スラナリ大学などを招き、日本政府・タイ投資委員会・在タイ日系企業との橋渡しを行っている。観光部会では「いかにしてタイ人観光客を日本に呼び込むか?」という観点で日本で20回以上講演会を行ってきた。また提携銀行にお願いして年1回各行の頭取・社長にタイに来ていただき「顧客交流会」や「商談会」を行ってきた。タイの日系企業のつながりを深める上で、何らかの貢献ができたのではないかと思う。しかしコロナによってこれらの試みはすべて中止せざるを得なかった。今年に入って少しずつこうした集まりを復活させてきている。バンコック銀行の提携銀行の中には近々に社長、役員がタイに来て「顧客交流会」や「商談会」を開催する動きも出てきた。

◆「レクチャー」で広がるネットワーク

従来の企画を復活するだけでなく、つながりを求める新しい企画も検討、開始している。その一番手は「レクチャー仲間の集い」である。バンコック銀行では現在も提携銀行から20人ほどの出向者を受け入れている。出向期間はおおむね2、3年で、次々と新しい人が送り込まれてくる。こうした新しい出向者に対してバンコック銀行日系企業部は通称「小澤塾」と呼ばれる6か月の研修を行う。数年前から私の業務の引き継ぎを始めており、現在は私がレクチャーで直接教える時間がかなり少なくなっている。このため、この研修の名称を「小澤塾」から「レクチャー」に変更した。

早いものでこの「レクチャー」を始めて15年になる。この間にレクチャーを受講した人の数は100人を超えた。バンコック銀行の釜の飯を食べた人間がこれだけの人数になり、かつ世界中で活躍している。日本では北海道から九州まで全国に卒業生がいる。さらに米国、中国、シンガポール、ベトナム、インドネシアに駐在している人もいる。これらバンコック銀行への出向者はもともと能力や志が高く、また外国(タイ)で暮らすことにより日本や自分自身を客観的に見る経験をしている。

さらに「レクチャー」を通して科学的に考える癖を訓練されている。こうした人たちが現在置かれている異なった環境で、意見や情報を交換できたら大きな強みとなる。こう考えて今年7月からオンライン会議「レクチャー仲間の集い」を始めた。原則奇数月の第2水曜日に開催することとし、これまで3回実施してきた。各銀行や会社の幹部として働いている人も多く、時間の都合がつかないケースも多いようである。過去3回の「レクチャー仲間の集い」には出席者が50人ほどしか集まらなかったが、粘り強く参加を呼びかけていくしかないだろう。

第2の試みは、バンコック銀行のお客様支援である。バンコック銀行には系列のコンサルタント会社バンコク・コンサルティング・パートナーズ(以下BCP社)がある。BCP 社のホームページにはバンコック銀行のお客様の業務内容を記載した「企業紹介」のページがある。この企業紹介が1100社を超えた。バンコック銀行日系企業部の日本人担当者が毎月コツコツと集めた情報である。「塵も積もれば山となる」ということわざがあるが、部員の努力には頭が下がる。

一方で、これだけの有力な情報を求めて、ホームページのアクセス件数が激増している。この機会を逃す手はない。中小企業はそもそも自社のホームページを開設するような余裕はない。BCP社の企業紹介が実質的に彼らのホームページになっている。下請け先や部品の現地調達を検討している会社が、BCP社の企業紹介の情報を頼りに、バンコック銀行のお客様にアプローチし商談成約に結びつく。こうした事例は枚挙にいとまがない。それならば、さらに積極的にこうしたお客様の営業支援をしていくこともできるかもしれない。在タイ日系企業がBCP社のホームページ(企業紹介)を利用して全世界に販路を広げる、こんな夢に向かって現在、私たちは計画を練っている。

◆情報の映像発信も検討

最後に検討しているのが、情報の映像発信である。米国10年、タイ25年と都合35年にわたり海外で銀行業務に従事した日本人はほとんどいないであろう。外国の大手企業に幹部として働いたことがある人間も少ないはずである。タイ人、華僑の上流階級の人たちと個人的関係を築き上げている日本人も少ないに違いない。いばらの道を歩いてきたからこそ、現在の私がある。こうした稀有(けう)な経験を踏んできた中で、気付いてきたことも多くある。こうした気付きを私は「ニュース屋台村」で記事にしてきた。

しかしコロナを経て、多くの日本人は長い文章を読まなくなってきているような気がする。多くの人たちに私の経験や知識をお伝えするには、映像の力を借りる必要もあるような気がしている。これも私にとって新たな宿題である。新たなつながりを求めて、もうちょっとだけ老体に鞭(むち)を打たなければいけないかもしれない。

※「ニュース屋台村」過去の関連記事は以下の通り

第187回「あなたは誰かに操られている?」(21年2月12日付)

https://www.newsyataimura.com/ozawa-48/#more-11585

第185回「笑う門には福来る-コロナを生き抜く小さな知恵」(21年1月15日付)

https://www.newsyataimura.com/ozawa-46/#more-11483

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