п»ї 人は死ぬまでに何冊読めるか? 『読まずに死ねるかこの1冊』 | ニュース屋台村

人は死ぬまでに何冊読めるか?
『読まずに死ねるかこの1冊』

7月 17日 2013年 文化

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記者M

新聞社勤務。南米と東南アジアに駐在歴13年余。年間100冊を目標に「精選読書」を実行中。座右の銘は「壮志凌雲」。目下の趣味は食べ歩きウオーキング。

人は死ぬまでに、いったい何冊の本を読めるだろうか。単純に計算してみよう。人生を100年とし、誕生から死没の瞬間まで識字年齢を無視して年間読書量を100冊と仮定すると、計1万冊になる。しかし、一生のうちに読める本は現実的には、せいぜい5000冊がいいとこだろう。

出版科学研究所のデータによると、2011年の新刊発行点数は7万5810点に上る。新刊発行点数は00年以降、7万台を維持しており当面、この数字に大きな変化はないとみられる。このデータで勘案すると、人が一生かかって読める本は、1年間の新刊発行点数の7%前後にしか満たないことになる。

本を読むという行為には、それなりの時間的かつ精神的な余裕が必要である。僕は南米勤務時代の一時期、「仕事の忙しさ」を自らの言い訳に、当時は日本語の本が思い通りに手に入らないこともあって、年間読書量が20冊にも満たない「貧読」の時代があった。

◆「逃げ」の読書から「攻め」の読書へ

仕事柄、「上下左右裏表」(身分や肩書の高低、左翼・右翼、裏社会・表社会)の人たちにインタビューする機会はたくさんあり、そのうちの何人かは話を聞き終えた後で、本を3冊一気読みしたくらいの心地よい感動と余韻が残った。快感ともいうべきこの体験を、読書に代わるものとして当時は「よしとした」が、それは自らへの言い訳、「逃げ」でしかなかった。

当然読んでいておかしくないといわれる本を読んでいないというのは、実に肩身が狭い。話題の中に入っていけないもどかしさも痛感する。55歳を過ぎ、現役生活のゴールが近づいているいまもそれを実感し、そのたびに「貧読」だった時期を悔い、恥じ入るばかりだ。

しかしその一方で、心の中の「天の邪鬼」が「人から薦められた本でおもしろかった試しがない」などと毒づく。確かに、音楽と同様、好みの本を人に薦めるのは実に難しい。

それを承知のうえで、それでもなお、このコラムであえて挑戦しようという狙いは「われわれが一生のうちに読める本はたかだか知れているから、手当たり次第に読みあさるのではなく、気合いを入れて選び抜いた1冊を読もう」という呼びかけである。願わくば、これから紹介していく本が、1冊でもこのコラムのタイトルにかなう形で読者の皆さんの心に残れば、と思う。

◆小澤征爾の若き日の野心とは

『僕の音楽武者修行』(新潮文庫)は、世界的な指揮者・小澤征爾の自伝的エッセーである。船でヨーロッパに渡り、スクーターで一人旅をしながらその土地に触れ、自らの指揮者としての素養を開花させていく。僕は大学時代に初めて読み、その破天荒で無謀ともいえる旅の主人公に自分を重ね合わせ、読み返すたびに違ったドキドキ感を味わった。同じ文庫本を数冊か買い込み、特派員として南米や東南アジアを取材して回る時にはいつも持ち歩き、空港の待合室や機内などで読み返してきた。

僕はクラッシック音楽にはまるで関心がないが、小澤のいつもアグレッシブな語り口は大好きで、いまもインタビュー番組は好んで見る。若き日の小澤の熱い語り口は、数学者の広中平祐との対談をテレビ草創期の名プロデューサーといわれた萩元晴彦(故人)が編者としてまとめた『やわらかな心をもつ ぼくたちふたりの運・鈍・根』(新潮文庫)でも堪能できる。マエストロ・オザワの心の軌跡にふれられる2冊は、だれにもあった、野心や冒険心に燃えた若き時代を思い起こさせてくれる青春の書である。


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