日本の活路はどこにあるのか?
米国出張記録(その4完)
『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』第306回

12月 05日 2025年 経済

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小澤 仁(おざわ・ひとし)

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バンコック銀行執行副頭取。1977年東海銀行入行。2003年より現職。米国在住10年。バンコク在住27年。趣味:クラシック歌唱、サックス・フルート演奏。

私の住むタイでは、中国の存在感がかなりの勢いで増してきている。特に日系企業が牙城(がじょう)としてきた自動車産業では、BYDをはじめとした中国の電気自動車(EV)メーカーが攻勢をかけてきている。このため中国自動車産業の現状を把握すべく出張と研究を重ね、この「ニュース屋台村」で何度か報告した。

例えば、拙稿第281回「世界の電気自動車シフトの現状②」(2024年12月13日付)ではBYDの開発体制を調べた。当時90万人の従業員数を持つBYDはトヨタの総従業員数37万人を超える40万人がエンジニア、さらに10万人は開発専任となっている。この開発専担者たちは3直24時間体制で開発に従事している。また驚くことに、この10万人の平均勤務時間は一日17.4時間であると聞いた。なるほどBYDの新車開発期間が平均1年1か月と、日本企業の4年を大幅に上回るわけである。まさに日本の「昭和の猛烈社員」である。

◆中国製品の圧倒的安さの要因

「中国のこうした働き方がいつまでも続くわけがない」と高をくくっている日本人もいる。しかし中国は今や未曾有(みぞう)の不況状態で、若者たちは就職もままならない。1件当たり、日本円で20~40円で食事の配送を引き受ける「ギグワーカー」と呼ばれる人は、中国全土に8千万人から1億人いるといわれている。

また就職口がないため、大学院への入学希望者が急増。年間400万人が大学院を受験するが、300万人が浪人して米国や日本に向かう。結果として、東京大学大学院の30%以上の学生が中国人である。就職口を見つけるのが難しい中国の若者にとって、BYDへの就職は垂涎(すいぜん)の的である。今年中国に出張した時に聞いた話だが、24年のBYDの採用人員は3万人で95%が理科系の技術者。このうち半分が仕事の厳しさに耐えられず1年経たずして退職したようである。しかしBYDへの就職を希望する人は後を絶たない。このため社内の配置転換を含めて、今年は猛烈な働き方を要求される開発部門の要員を10万人から30万に増強するという。

こうした中国の厳しい労働環境については、枚挙のいとまがない。この厳しい労働実態に支えられて、中国は米国を凌(しの)ぐほどの技術力を蓄積してきた。いまや日系企業は、こうした猛烈に仕事をする中国人企業とガチンコで競争しているのである。「働き方改革」を標榜(ひょうぼう)して猛烈社員から決別した日本人は、中国人のように再び働くことは不可能であろう。

さらに中国は、大量生産方式と機械化・自動化の積極導入により、工業品の大幅なコスト引き下げを図ってきた。具体的には上海、深圳(シンセン)、広州、天津などに深海港を整備し、大量輸送が可能な大型船の接岸を可能とした。これにより大量輸送・大量購入が可能となり、単価当たりの材料費を引き下げた。これに対して日本は、総花的に全国各地の港湾整備を行い、満足な深海港がない。大型船に積まれた海外からの日本向け荷物は、上海・香港・釜山などでいったん積み替えられる。このため日本は材料調達のコストが中国比高くなる。

また、電力コストを比較してみよう。国際エネルギー機関(IEA)の23年資料によると、日本の発電源構成は天然ガスと石炭で60%を占め、この発電コストは1メガワットあたりそれぞれ90ドルと100ドル(20年実績値)である。

これに対して中国の発電源は石炭60%、太陽光などの自然エネルギーは30%である。このコストがそれぞれ70ドルと50ドル(20年実績値)となっており、日本よりも平均で4割も安くなっている。

機械化・自動化の進展を比較すると、22年の世界の新規機械設備の52%は中国で購入されており、最新機械を積極的に導入してコスト削減と品質向上を図っていることがうかがわれる。こうした努力と長時間労働に支えられて、タイに流れ込む中国製品の価格は日本製品の30%以上も安いものとなっている。

「1年前まで中国製のプラスチックの樹脂の価格は日本製品の70%ほどであったが、現在は53%まで下がってきている」。中国の原材料を積極的に使用しているタイ企業の関係者から聞いた話である。ともに石油資源を持たない日本と中国の比較である。もっとも、中国はこの2年ほどロシアの安い石油資源を活用しているようであるが。

こうした中国からの低価格品の攻勢に対して、一部の日本人は「中国は多額の補助金を支出しており、日系企業は不公正な競争をさせられている」と不満を漏らしている。中国政府が企業に対して多額の補助金を支払っていたことは事実であろう。欧州連合(EU)は日本円で70億円をかけて中国のEVメーカーに支払われた補助金を調べ上げ、昨年8月から中国からの輸入EVに対して懲罰的関税を課した。この課税額を精査すると、1台当たり上海汽車は35%、BYDは17%程度である。

確かに中国からの輸入品の3割程度の価格差の一部は補助金と言えないことはない。しかし24年2月に中国を訪問した際には、すでに地方政府の多くは財政破綻(はたん)状態で公務員の給与の支払い遅延まで発生していた。地方政府の補助金支払いも23年末から延滞しているという話を中国の日系企業の人から聞いた。

昔のような多額の補助金が中国政府から企業に流れているとは思えない。前述のように、大量生産方式の導入、機械化・自動化の積極的採用、電気代など社会インフラコストの低減、労働者の長時間労働などにより中国製品が圧倒的安さを実現していると考えた方が合理的である。在タイ日系企業の経営者も、こうした中国の実情を冷静に理解している。安価な中国製品との競争に真正面からさらされている日系企業の経営者からは“悲嘆”の声も多く聞かれるようになった。日系企業はその生き残りの活路をどこに見つけたらよいのであろうか?

◆ベンチャー企業が生まれる背景

前置きがかなり長くなったが、こうした課題の解決糸口を見つけるべく、今回の米国出張ではベンチャー企業を多く輩出するシリコンバレー(サンフランシスコ郊外)、ボストン、オースティンの3都市を訪問した。

シリコンバレーではまずスタンフォード大学(SU)の教授でカーネギー・メロン財団に所属するA氏から話を聞いた。広大な敷地に緑が広がるSUの敷地の外れにA氏の研究室があった。A氏からは「なぜシリコンバレーから多くのベンチャー企業が生まれるのか?」について説明を受けた。それによると――

①シリコンバレーには発足して間もない新興企業から中規模にまで育ったベンチャーを援助する複合的な金融システムが存在する

②ベンチャー企業で働こうとする気概のある若者の労働市場(例えばSUやカリフォルニア州立大学〈UC〉の卒業生など)が存在する

③大学と企業をつなぐ産学間連携の仕組み(A氏のような方たちのサークル)が存在する

④アップル、グーグル、マイクロソフト、テスラのようなテック企業大手が本社や研究所を置き、ベンチャー企業の研究を支援。こうした大企業がベンチャー企業の買い手となって起業の出口を用意する

⑤企業の設立、資金支援など起業が簡単にできる法的、社会的仕組みが準備されている

こうした説明の中でA氏が強く危惧(きぐ)していたのが、最近の日本人の思考の硬直性である。技術革新は柔軟な考え方から生まれるため、凝り固まった思い込みは禁物である。こうした柔軟な思考方法を保つため、自分とは異なった考え方の人と接し自分の常識を疑って考えなければならない。A氏は日本人と会うたびに、こうした懸念を伝えているそうだ。

私からは「大手テック企業が自社開発よりもシリコンバレーのベンチャー企業を買収して新種業務を開始している」状況について質問した。A氏は「グーグル社がグーグルマップやYou Tubeを買収したあと、どのようなシステム変更を行い自社内で使えるシステムに変えたか」について詳細な説明があった。

このほかA氏とは自動運転システム、量子コンピューター、核融合(SFR)など多岐にわたる意見交換をしたが、あらゆる分野において私などではとてもついていけない知識を持ち、深く理解していることに感銘を受けた。A氏のような天才がいて、ベンチャー企業が育成されていくのである。

A氏からは日本に対して、もう一つ注文があった。シリコンバレーにおいて「ベンチャー企業が最終的に金儲(もう)けができるのは1000件に1件程度だ」ということである。このため残り99.9%分の損失をカバーするだけの大きな利益が見込める事業のみ、ベンチャーを追求していく資格がある。ところが日本のベンチャーはあまりにも案件が小さく、飛躍的な事業の拡大が見込めない。A氏のもとに相談にくる日本のベンチャーは小粒なものばかりのようだ。

◆安全保障上の大きな脅威

SUのA氏の研究室を後にして、大手日系企業のベンチャーキャピタル会社(VC―ベンチャー企業に出資する金融会社)、B社を訪問した。日本の会社でありながら幹部は米国人ばかりで日本人社員は2人しかいないそうである。投資先の選定は米国人幹部たちが行うそうだが、このチームのトップはシリコンバレーでは知らない人がいないほどの知識人で有名人。現在までの投資先はすべて米国ベンチャー企業で、大口案件のようである。

「シリコンバレーはA氏やB社幹部のように、一部の天才の人たちがサークルを作り運営されている」と感じた。B社の現在の投資対象は自動運転、ロボティクス、宇宙、脳科学などで、特に最近ではロボティクスが潮流となっているようである。トランプ大統領の出現以来「脱炭素技術」はすっかり下火になってしまった。

ボストンでは、マサチューセッツ工科大学(MIT)のアドバイザーのC氏に半日以上付き合ってもらった。ボストンにはMIT以外にも、米国最古の名門大学であるハーバード大学(HU)がある。HUは医学やバイオ技術で抜きんでた研究力を持つ。トランプ大統領はHUを「極左」と決めつけ、その教育方針を厳しく批判。両者の対立が先鋭化してHUへの補助金の凍結といった事態になったことは記憶に新しい。

もともと知識階級や文化人の人たちは、粗野で教養のないトランプを馬鹿にしている。大和総研のレポートによると、24年の米国大統領選挙に向けてHUの理事や教員が総額230万ドルを寄付。このうち94%が民主党に対する寄付であった。こう見てくると、トランプがHUを目の敵(かたき)にする気持ちもわからないではない。しかしC氏に聞くと、削減されたHUの補助金の多くは、短期大学院やポストドクター(大学研究員)向けのもののようである。

これら研究員や学生として応募してくる者の多くは中国人。前述の通り、中国は不況の真っただ中にいて学生は就職もままならない。就職できなかった学生たちが、米国に大挙して押し掛けてきたのである。

これらの中国人たちはHUから最先端の技術を持ち出し、本国に持ち帰る。米国にとって安全保障上大きな脅威となっていたようである。トランプはこうした中国人をターゲットにHUの補助金を凍結した。MITはもともと米国における産学連携を目指した大学であり、MITのキャンパス内には原子力発電システムまで存在する。トランプはMITの補助金は削減していないようである。こういう話を聞くと、HUの補助金削減問題はトランプによる教育弾圧だけの問題ではないような気がしてくる。最先端の技術を開発してその流出を避けることは、米国の優位性を守る最も重要な施策である。

◆米国から学ぶべきことはまだある

オースティン訪問の主目的は「テスラの無人運転タクシー」に試乗することであった。残念ながらこの目的は叶(かな)わなかったが、タイのエネルギー会社の米国法人社長D氏からオースティンの現状についてレクチャーを受けた。

オースティンはコロナ禍以降、一部の大手テック企業がシリコンバレーから拠点を移してきている。テック企業の経営者たちもリベラルな規制が極端に強く、かつ生活費用も高額なサンフランシスコ地域に嫌気がさしたようである。本社までオースティンに移転させたテスラ社のイーロン・マスクがその代表であろう。サンフランシスコ市内は小売店保護のため大手スーパーマーケットもなく、外観規制によって住宅改装も容易でない。

オースティンの生活費用はサンフランシスコの6割程度。テキサス大学オースティン校はSUやUCとは比較にはならないが、比較的学力水準の高い大学である。さらにオースティンはアメリカ国土のへそ部分に位置しロジスティック上、重要な地である。特に全米に広がる電力供給網は近年、ニューヨークなど米国東部とサンフランシスコなどの米国西部をつなぐ結節点として飛躍的に増強されている。

D氏からは可視化された電力供給網の地図を見せてもらったが、オースティンには東西から太い線が引かれている。かつテキサス州はヒューストンに代表されるように米国エネルギー産業の最大集積地でもある。こうした事情から、グーグルやアップルなどは巨大なデータセンター施設を建設中である。AI(人工知能)の分野において他国を圧倒している米国の生命線が、情報を保管するデータセンターにある。一方でデータセンターは電力を大量に消費する。トランプがAIという米国の優位性を保つために、脱炭素から撤退するのはこうした背景がある。

「長時間労働などの過重労働」と「多数の市場参入者による過当競争」により、急速なスピードで技術進歩を実現してくる中国。これに対して米国は「産学連携をベースにしたベンチャーの仕組み」や「自国有利なエネルギー政策の展開」などで中国の追随を許していない。

米国流のやり方には「研究やベンチャー育成のための豊富な資金」と「多様性を甘受できる天才」が必要である。しかし過去のノーベル賞受賞者を見ても、日本人の中から幾多の天才が輩出している。安易な道でないことは確かであるが、「日本は米国から学ぶべきことがまだまだある」と感じた米国出張であった。(文中一部敬称略)

※『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』過去の関連記事は以下の通り

第305回「EVから自動運転に流れが変わる米自動車業界―米国出張記録(その3)」(2025年11月21日付)

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第304回「トランプ支持の米国民と進む分断―米国出張記録(その2)」(2025年11月7日付)

https://www.newsyataimura.com/ozawa-185/#more-22749

第303回「暴走続けるトランプ―米国出張記録(その1)」(2025年10月24日付)

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第290回「自動運転に急速に舵を切る中国自動車産業―中国見たまま聞いたまま・2025年版(その2完)」(2025年4月25日付)

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第289回「停滞する中国経済と海外進出をもくろむ中国企業―中国見たまま聞いたまま・2025年版(その1)」(2025年4月11日付)

https://www.newsyataimura.com/ozawa-170/#more-22209

第281回「世界の電気自動車シフトの現状(その2)」(2024年12月13日付)

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第280回「世界の電気自動車シフトの現状(その1)」(2024年11月29日付)

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第264回「中国のEV市場を見て感じたこと―中国 見たまま聞いたまま(その3)」(2024年4月12日付)

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