小澤 仁(おざわ・ひとし)
バンコック銀行執行副頭取。1977年東海銀行入行。2003年より現職。米国在住10年。バンコク在住26年。趣味:クラシック歌唱、サックス・フルート演奏。
2020年初めごろから本格化した新型コロナウイルスの世界的感染拡大。タイでもその年の4月から商店などの運営を全面中止するロックダウンが実施され、コロナ封じ込めに四苦八苦。市民生活にも大きなダメージを与えた。しかしワクチン接種の進展とともにコロナの脅威が少しずつ薄れ、22年7月から試験的に外国人旅行客の受け入れを開始。街中に日常の風景が戻るようになり、徐々にコロナ禍の影響が払しょくされ始めた。
あれから2年。コロナ禍に伴うロックダウンや在宅勤務によって人間関係が希薄化し、商売上の取引慣行なども変化した。私が勤務するバンコック銀行(バン銀)日系企業部でもコロナ禍の間に顧客との取引関係が弱体化し、取引を失うケースも出てきた。22年3月には退職を決め込んでいた私もこうした事態に対処するため、直近のこの2年間は「体制の立て直しと顧客取引の再構築」を目指し、死に物狂いで働いてきた。26年間にわたりタイで勤務してきた知識・経験と、取引先との古くて長い友人関係を活用して、お客様との取引関係の修復に動いた。
しかし、よくよく周りを見渡すと、営業力が低下したのはバン銀日系企業部だけの話ではなさそうである。在タイ日系企業全体に通じる問題だった。日本企業の長期的な競争力や営業力の低下については、かねてより「ニュース屋台村」で何度か取り上げてきた。日本社会が陥っている「コンプライアンス偏重」と「営業部門の地位低下」が日本企業の営業力低下につながっている、として警鐘を鳴らしてきた。さらに、コロナ禍の中で在タイ日系企業の業績が悪化。このため日本本社は連結収益を維持するために、タイ法人に「日本人社員の削減や若年層派遣」と「交際接待費の削減」を強いてきた。在タイ日系企業の営業部門には猛烈な逆風が吹いている。営業経験の少ない若手社員が交際接待費という武器を持たず、タイの地に放り出されたのである。
しかしこうしたことを嘆いてみても始まらない。タイ法人で営業職として働く者は、個人としてできることを一つずつやっていくしかない。私もこの2年間、死に物狂いで働き、営業のやり方について新たに気付いたことがたくさんある。前置きが少し長くなったが、今回はこうした私の新たな試みや工夫について、主に営業経験の少ない人を対象にお話ししたい。
◆真の「顧客第一主義」とは
まず、営業のやり方を語るにあたっては、その「心構え」から話さなければならない。営業の成功の秘訣(ひけつ)は決してテクニックだけではない。今更の話ではあるが、少しだけこの「心構え」についてお付き合いいただきたい。私が考える「営業職として重要な心構え」は、
①お客様の役に立つことを真剣に考える
②お客様からの信用・信頼を得るため個人関係の構築を目指す
③取引を目指す顧客ターゲットを幅広に設定し、自分に限界を設定しない
――の三つである。この段階で違和感を覚える方も多いであろう。「営業職に就いたのは自分の希望ではなく、会社から言われたから」「営業で仕事をしているのは給料を稼ぐため」などなど……。多くの会社が「顧客第一主義」を標榜(ひょうぼう)しているが、そこで働く従業員が自分の給料を得るためだけに働いているのだとしたら、その会社は「真の顧客第一主義」を理解していない。あなたが営業職として成功するなら「真の顧客第一主義」を理解する必要がある。
「どうしたらお客様が喜ぶのか?」「そのためには自分は何をすればよいのか?」――。こうした発想が無ければ顧客第一主義は成就されない。これは50年近く銀行員を続けてきた私の経験則である。
それでは、どうしてお客様のために働かなければいけないのであろうか? これについても、お客様のために働いた成功体験が無ければなかなか理解できない。真の顧客第一主義を理解するのが最初か、成功体験を積むのが先か、ニワトリと卵のような話である。
私が勤めるバン銀日系企業部では、これまで提携銀行から出向者を100人ほど受け入れてきた。これら出向者は6か月の新人研修を受けたのち、外訪活動を開始する。「顧客第一主義」に基づく営業活動を始めるのであるが、間を置かずしてお客様から感謝される成功体験を得る。仕事がうまくいけば仕事が面白くなる。仕事が面白くなれば真の顧客第一主義も体得する。現在、営業職を嫌々やっている人がいるならば、まずは「お客様の役立つことを真剣に考えて行動に移す」ことを試みたらどうだろうか。顧客第一主義に基づく営業活動を試みて損になることは何もないのだから。
◆会社の取引でも「個人関係」が基本
お客様との信用・信頼関係が無ければ、お客様はあなたを頼ってくれない。お客様があなたを頼ってくれなければ、お客様に役立つことなどできるはずがない。信用・信頼関係は「顧客第一主義」の営業を遂行する上で必須の要件である。
しかし、この「信用・信頼関係」はこちらから相手に尽くす一方的な関係ではない。信用・信頼できない相手には、こちらから尽くす必要もない。こちらが尽くす気持ちも失せてしまう。私が折に触れて申し上げている「個人関係の確立」は営業を成功させるもう一つの秘訣である。日本の社会では会社関係の取引はあくまでも会社を背負った人間関係で成立するのが一般的である。取引先であっても転勤したら相手の会社の担当者との人間関係は切れてしまう。しかし私が経験してきた米国やタイの社会は、会社の取引であっても「個人関係」が基本である。これができないから、日本人はなかなか外国の人とわかり合えない。繰り返しになるが、「信用・信頼をベースとして確立した個人関係に基づき、お客様に役立つことをすること」が最強の営業活動になる。
そして、そうした最強の営業活動を身につけたあなたは、より多くの顧客を対象に営業活動を実践すべきである。現在取引がないお客様であっても、将来あなたの有望なお客様になる可能性があるのだから。
しかし日本の会社の営業職の人は、既存の取引先しか訪問しない傾向が強い。「営業職はお客様との接待を行い、トラブルが発生した時に問題対応をすればよい」と決め込んでいる人が多くいる。あなたがこんな考えでいれば、新たな商売や取引先など獲得できるわけがない。新たな取引先が増えなければ、あなたが勤める会社はじり貧になっていく。
残念ながらバン銀の日系企業部に派遣されてくる提携銀行の出向者の中にも、こうした考えの人がいる。自行の既存の取引先しか訪問しようとしない。自分から新たな取引先を開拓しようとしないのである。また、会社の業績が悪いだけでその会社のお客様に近づこうとしない人もいる。銀行員はお金を貸すこと以外にもお客様に手助けをすることは可能である。お客様の業績だっていつ好転するかわからない。自分で自分の可能性を閉じ込めてしまっている銀行員が少なからずいる。
◆自社製品を理解 顧客ニーズに合わせた提案を
さらに、営業職を成功させるためには、営業手法の取得も大事である。その第1歩は、自社の製品を十分理解し、これらの商品をお客様のニーズに合わせて提案することである。
バン銀で言えば、法人(会社)向けには預金・貸出を手始めに貿易・オンライン取引・年金積み立てなど10種類近くの主要商品がある。提携銀行からの出向者やタイ人の新入行員には、6か月間の研修期間の間にこれらの商品を徹底的に勉強してもらっている。こうした地道なプロセスを経て、バン銀日系企業部の行員は、お客様が必要としている銀行商品を提供できる。バン銀の銀行商品を通してお客様の業務効率化を支援することができるのである。
しかし、この6か月の研修で習った商品知識を十分に活用していない人もいる。自分の「興味ある商品」や「理解できている商品」しか売らない営業担当も少なからずいる。しかし、会社は生き物であり、経済環境などによってお客様の業績も常に変化する。お客様の業績が変化すれば、必要とする銀行商品も変わってくる。
会社が新たなビジネスをする時は銀行からの借り入れが必要になるし、業績が安定しているときは預金が積み上がる。こうした業績によるサイクルは必ずある。常に貸出取引だけ目指していてもその行員の実績は上がらない。むしろ、いろいろな商品を提案しながら、お客様からのニーズを待つほうが賢明である。お客様がバン銀の行員のサービスに感謝したならば、必要な時に必ずお客様のほうからその行員に声がかかるはずである。それこそがお客様との信用・信頼関係である。
◆情報は常に「Give and Take」
自社の商品を売るだけでは十分ではない。情報も大きな武器である。営業職は常日頃から多くのお客様を回り、多くの生きた情報を持っているはずである。もしこうした生きた情報を持っていないとしたなら、すでにその段階でその人は営業職失格である。特に銀行は取引先の数も多く、業種も多岐に富んでいる。取引先の個別秘密情報を漏洩(ろうえい)するのは論外であるが、業界情報などを提供することは社会の潤滑油としての銀行員の役割である。バン銀日系企業部では現在10種類近くのお客様向け配布資料を用意している。
バン銀のサービスの説明はもちろんのこと、タイ経済やタイの自動車産業、政治に関することなど広範囲な資料である。お客様訪問にあたっては、少なくとも必ず1つはお客様に提案するものを持っていくべきである。もしバン銀商品などで提案できるものがなければ、自分が集めてきた生きた経済情報やバン銀日系企業部として作成している資料を活用すればよい。何も提案できない訪問は時間の無駄である。
情報は常に「Give and Take」(何かを与えたら何かをいただく)の関係で成り立つ。こちらから何かの情報を提供しなければお客様からも情報はもらえない。営業職としては「提案書を持たない顧客訪問は何の意味も持たない」ことを自覚し、恥じなければならない。残念ながら、いまだに「雑談が上手な人が営業のできる人」だと信じている人が多い。大きな間違いである。「提案書を作成し、お客様のためになる情報提供や商品提案ができる人」が本当の営業職である。
次回は、こうしたことを実践していくためにバン銀日系企業部が導入した「マーケティング・オートメーション」についてご紹介する。(以下、次回に続く)
※『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』過去の関連は以下の通り
第235回「必読!営業力養成講座」(2023年2月17日付)
https://www.newsyataimura.com/ozawa-114/#more-13625
第73回「日本企業の営業力不足を憂う」(2016年7月15日付)
[…] https://www.newsyataimura.com/ozawa-154/#more-15118 […]