コロナ禍の中で透けて見えるタイ政治の深層
『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』第193回

5月 07日 2021年 経済

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小澤 仁(おざわ・ひとし)

o バンコック銀行執行副頭取。1977年東海銀行入行。2003年より現職。米国在住10年。バンコク在住23年。趣味:クラシック歌唱、サックス・フルート演奏。

新型コロナウイルスは人々の活動を停滞させる。感染者の飛沫(ひまつ)を短時間浴びただけでコロナに感染する恐れがある。当然のことながら、人々が直接対面する機会は減少する。経済も企業活動も、そして政治までも何も動いていないように見えてしまう。しかし、果たして本当にそうなのであろうか。前回第192回の拙稿「感染急拡大 タイのコロナ狂騒曲」(4月19日付)で、4月に入ってタイでもコロナの感染が急拡大していることを報告した。1か月近く経ってタイ政府もようやくバンコク首都圏、チョンブリ県、チェンマイ県などの計6都県で部分的ロックダウン(都市封鎖)に踏み切った。タイ全土で、公園を含む娯楽施設や教育施設を閉鎖。デパートや商業施設の営業時間は午後9時まで。飲食店でのアルコール飲料の販売も禁止された。また公共の場でのマスク着用も義務化され、違反者には最高2万バーツ(約7万円弱)の罰金が科せられる。これに加えて、バンコク首都圏など計6都県では飲食店での食事が禁止され、20人以上の会合も禁止された。タイでは1日あたりの感染者数が2000人を超える日も出てきた。人口比で考えれば日本並みのコロナ感染拡大がタイでも起こっていることになる。こうした背景には、タイの政治の変容が少なからず関係しているのではないだろうか。

◆首相の変化と旧来型政治家の暗躍

タイは長らくコロナ感染拡大対策の優等生国であった。コロナ発生当初の昨年2月ごろ、観光立国として旧正月の休みを利用した中国人観光客の受け入れを積極的に推進した。このため新型コロナウイルスの感染は、他の国よりも早い段階で確認された。しかしすぐに外国との人の行き来を全面停止し、タイ全土でのロックダウン措置を迅速に行うなどして、コロナの完全封じ込めに成功した。

ところが、そのほころびが見え始めたのが昨年12月のことだ。バンコク郊外の水産物市場で働くミャンマー人労働者を中心に1日当たり1000人以上の新規感染者が確認された。この時、私はタイ政府が迅速にコロナ封じ込めに向けての諸施策を講じてくれるだろうと期待していた。昨年12月25日付の拙稿第184回「何が違う? 日本とタイのコロナ対策―比較文化・社会論」で、コロナ発生当時のタイ政府の対策を例証しつつ、日本とタイの相違点を論じた。しかし、どうも私の見当違いであったようである。今回は、その反省を踏まえて、タイの政治のこのところの変容について考えてみたい。

第一に、プラユット・チャンオチャ首相の立ち位置の変化である。2010年から14年まで軍の最高権力者である第37代陸軍司令官を務めたプラユット首相は生粋の軍人である。彼の下で働いたことがある民間人は「プラユット首相は自分が命令すれば、すべての人が言うことを聞き、すべてのことが動くと思っている」と語っている。最近の記者会見でも、自分の気に入らない質問をした記者にコロナ対策用のアルコール消毒液を噴射したり、閣議の席で「自分の陰口を叩く者はすぐに罷免する」などと脅かしたりしている。これも軍のトップとして君臨していたときの意識が抜け切れないからであろう。

こうした気質が、昨年2月にタイで新型コロナの感染が確認された際には功を奏した。14年の軍事クーデターによって生じた当時の政治の混乱を収拾し、16年のプミポン・ラーマ9世王崩御にあたっては円滑にワチラロンコン・ラーマ10世王への引き継ぎを取り仕切った。軍部並びに保守層の支持の下に19年3月の総選挙で連立与党を主導する親軍政政党「国民国家の力党」などが勝利すると、プラユット氏は再び首相に就任した。軍部の力を背景に、軍人的な考え方で迅速に厳格なロックダウンを強行し、コロナを制圧した。しかし陸軍の現場から離れてすでに7年。軍部内での求心力が衰えてきたことは想像に難くない。プラユット首相の政権運営の基盤が、軍部主体から徐々に「政治家」を立ち位置としたものに変容してきた可能性がある。

一方、19年の民政移管後は旧来型政治家が再登場し、「利権政治」の復活が進行し始めた。特に14年の軍事クーデター以降、経済・産業政策でプラユット首相を支えてきたソムキット・チャトゥシピタク前副首相のグループが、20年7月に政府から離脱した後、特にその傾向が強まった。ソムキット前副首相は米スタンフォード大学ケロッグ・スクールに留学し、経営学マーケティング理論の世界的権威であるフィリップ・コトラー氏に師事。コトラー氏が日本経済新聞の「私の履歴書」に連載した際に、ソムキット氏の名前をわざわざ挙げたほど彼は優秀な教え子であったようである。

ソムキット氏はタクシン・チナワット元首相の下で副首相の任にも当たったが、その発信力を十分に発揮。1997年のアジア経済危機からのタイの回復を世界にアピールした。もともと学者肌であるソムキット氏は、汚職撲滅運動を先導するなどクリーンな政治家である。

しかし、民政移管後に旧来型政治家が復権すると、彼らは利権を求めて暗躍し始める。コロナ対策として昨年5月に実施した所得減少者への現金給付が直接の引き金となった。

ソムキット氏たちは国民に公平に現金が行き渡るよう、対象者に振り込みを行った。政府から国民への直接振り込みなら、政治家たちは金を抜くこともできなければ、選挙の票にも繋(つな)げられない。怒った旧来型政治家たちはソムキット氏に詰め寄り、 20年7月にソムキット氏たちは辞任に追い込まれた。

旧来型政治家たちはさらに水面下で暗躍しているようである。コロナで経済が停滞する中、最も有効な経済刺激策が大規模プロジェクト開発である。バンコク都内鉄道、各都市間をつなぐ長距離鉄道、道路建設、空港開発。いずれも巨額の金が動く政府の認可事業である。現在はこうしたプロジェクト開発が利権の主戦場になっているようである。

こうした政治的変化が、昨年12月以来のコロナ対策の遅れにつながったと私は見ている。プラユット首相は軍部内での基盤が弱くなり、「政治家」へと少しずつ変容しつつある。こうした中で、旧来型政治家たちは利権政治に走り、国民をないがしろにしている。これは、利権にまみれた東京オリンピックの開催に固執し、国民をコロナ感染から守ることが後手に回っている現在の日本政府の姿と同じではないだろうか。

◆感染拡大で高まる政治への不信感

今年4月に始まったタイのコロナ感染拡大の第3波は、別の形で政治に影響を与えた。それは、コロナの感染経路である。 バンコク・トンロー地区の高級ナイトクラブは、客として訪れていた梨田和也駐タイ日本大使がコロナに感染する前から、一部のタイ人の間でコロナ感染のうわさがあった。真偽のほどは不明だが、当初カンボジアのカジノに遊びに行ったタイ人の金持ちが英国型コロナウイルスを持ち帰り、その後、このナイトクラブで遊興。ナイトクラブの従業員経由で多くの客に拡散し、一挙にコロナの感染拡大の第3波になった、というのがタイ人の中で語られているストーリーである。

この高級ナイトクラブの経営者が日本人で、かつ当初の感染者が梨田大使を含む複数の日本人であったため、タイ人社会の中での日本人を見る目が大きく変わった。侮蔑(ぶべつ)の対象となってしまったのである。

ところが、感染拡大はとどまるところを知らない。特にタイの有名芸能人や現職閣僚、一流企業の幹部たちがこのバンコク・トンロー地区で感染したことがわかると、タイ国民の不信感情は上流階級へと向けられる。プラユット政権に対する国民の信頼感が一挙に低下したように私には感じられる。少なくとも私の周りのタイ人からはこうした声が聞こえてくる。これはプラユット氏の今後の政権運営にとって大きなマイナス要因となる。

◆民主化デモは限界か

こうしたプラユット政権への不信感情が、民主化デモの活発化につながっていくのだろうか。一部のマスコミや専門家たちはかねて、「明日にでも民主化デモによる政権転覆が起きる」という意見を述べてきた。しかし私はそうは思っていない。

民主化デモを主導する学生たちには二つの大きな弱点が存在する。その一つが、リーダーの不在である。民主化デモのリーダーは当初、新未来党の党首だったタナトーン・ジュンルンアンキット氏であった。タナトーン氏は自動車関係で財を成した華僑の出身で、豊富な資金を背景に新未来党を旗揚げし、反軍事政権運動を展開した。しかし、20年2月に「タナトーン党首による新未来党への融資が違反行為に当たる」として、憲法裁判所により新未来党は解党処分に追い込まれ、タナトーン氏も10年間の政治活動が禁止された。

民主化デモはこの時点で強力なリーダーと資金源の両方を失った。この後、民主化デモは学生リーダーを中心に組織されてきたが、これらのリーダーたちも昨年10月に逮捕され、現在9人が収監されているという。リーダーの不在とともに、民主化デモの弱点は資金源である。タナトーン氏からの資金が断たれた中でタクシン派からの資金援助の期待もあったが、タクシン派も三つに分裂してしまった。

タクシン派の重鎮で論客でもあったスダラット・ゲーユラパン元党首がタイ貢献党を離脱して新政党を設立。タクシン派の武闘組織であった赤シャツ隊のリーダーであるチャトゥポーン・プロムパン氏もタクシン派から袂(たもと)を分かつことになった。さらに、タイ貢献党とスダラット新党はそれぞれ個別に政権与党入りを画策しているといううわさもある。現在、民主化デモにわずかに資金援助しているのは、チャトゥポーン氏だけのようである。こうした状況で民主化デモは今後も若者の不満の受け皿として散発的に続くことはあるものの、大きな政治的活動にまでにはならないと私は考えている。

◆実相見えず、先行き不透明

新型コロナウイルスの感染拡大によって人の動きは減速し、タイの政治の実相は見えにくくなっている。「政治は水物である」とも言われる。ときには予想もしないことが起こり、それによって政治は動く。新型コロナウイルスもその予想しなかったことの一つである。民主化デモは組織的な動きが封じ込まれる中、タイの政局は利権政治の色合いが徐々に強まりつつある。

このままいけば、プラユット政権は残り2年弱の任期満了まで続く可能性が高い。しかし、コロナ禍で国民感情は鬱積(うっせき)し、感染の第3波拡大の過程でプラユット政権への不信感が生まれている。タイの政治は深く潜航したものがうごめいているようである。

※『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』過去の関連記事は以下の通り

第192回「感染急拡大 タイのコロナ狂騒曲」(2021年4月19日)

第184回「何が違う? 日本とタイのコロナ対策―比較文化・社会論」(2020年12月25日)

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