タイのデルタ株感染急拡大の教訓-コロナ禍の日本への提言
『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』第201回

9月 10日 2021年 経済

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小澤 仁(おざわ・ひとし)

o バンコック銀行執行副頭取。1977年東海銀行入行。2003年より現職。米国在住10年。バンコク在住23年。趣味:クラシック歌唱、サックス・フルート演奏。

私の暮らすタイでは、今年4月から新型コロナウイルスのデルタ株の感染急拡大の脅威にさらされてきた。デルタ株の感染が始まったころのタイの様子については、「ニュース屋台村」の拙稿第192回「感染急拡大 タイのコロナ狂騒曲」(2021年4月19日)と第193回「コロナ禍で透けて見えるタイ政治の深層」(21年5月7日)で報告させていただいた。しかしその後のデルタ株の感染拡大の勢いはすさまじいものがあった。その感染力のすごさを再確認するためにも、まずは感染者数などの主要計数(2週間ごと)を見ていただきたい。

感染者数死者数  重症者数ECMO使用者PCR検査数
4/151,54304111N/A
4/30 1,5831587125015,482
5/153,095171,23441522,727
5/315,485191,23341440,878
6/153,000191,24936533,262
6/304,786531,91155645,837
7/159,186983,27683959,311
7/3118,9121784,6911,03263,622
8/1323,4181845,5651,11158,859
8/3114,6661905,0031,04251,128
9/814,1762284,38796046,036

タイは新型コロナウイルスが世界的に拡大を始めた昨年の初め以来、迅速なロックダウン(都市封鎖)措置や海外からの入国規制を行い、感染対策の優等生国の一つであった。ところが、デルタ株は別物であったようである。タイでコロナ感染の第3波が始まった直後の4月1日の新規感染者数はわずか26人であった。それが1か月後には1500人となり、2か月後には5000人まで膨らんだ。この間、タイ政府も手をこまねいていたわけではない。4月19日からはバー・カラオケなどの遊興施設の閉鎖、教育施設の封鎖、デパートや飲食店の閉店時間の切り上げ、飲食店でのアルコール提供の禁止などを実施。5月1日からは飲食店での飲食禁止(持ち帰りとデリバリーのみ)やスポーツジムの閉鎖などの措置が追加された。こうした規制措置の効果が出たため、6月に入ると新規感染者数が減少し始め、タイ政府は6月21日から規制を一部緩和。アルコール提供は引き続き禁止されたが、飲食店での顧客定員50%までの受け入れとスポーツジムの再開などが許された。

◆感染経路わからぬまま拡大

しかし新規感染者数が落ちついたとはいえ、3000人程度での規制緩和はデルタ株に対しては早すぎたようである。再びデルタ株の感染急拡大が始まると、タイ政府は1週間後の6月28日から再度、レストランでの飲食を禁止した。それでもデルタ株の感染拡大は止まらない。7月12日からはショッピングセンター内のスーパーマーケットと薬局など一部の商店のみで販売が認められ、デパートは休業に追い込まれた。さらに8月1日からは公園も閉鎖。タイ政府からの要請により75%の在宅勤務が推奨された。

私の勤めるバンコック銀行は昨年来、順次在宅勤務を進めてきたが、いよいよオフィスには人がいなくなった。デパートや飲食店が閉鎖されているため従業員は出勤しない。海外からの入国規制が続いているため、多くのホテルも休業中だ。人々は食料品の買い物以外は外出しない。しかも、デリバリーが進化して外出する必要はない。当然レストランでの外食もできない。7月12日以降、街から人も車もいなくなってしまった。

それでも新規感染者数の拡大は止まらない。6月末ごろに5000人だった感染者数が7月半ばには1万人を超え、7月終わりには2万人に手が届こうとしていた。8月に入ると2万人超えが当たり前のようになる。これだけ厳しいロックダウンをして、人流を減らしているにもかかわらず、である。

タイ人は日本人以上に臆病で、コロナ感染を極端に恐れている。公共の場所でのマスク着用は当たり前。マスクを2枚したりマスクとフェイスシールドを併用したりする人も多い。レストランも5月1日以降閉鎖されているため、会食による感染もない。エレベーターなどの密室空間でおしゃべりする人もほとんどいない。にもかかわらず、コロナ感染者は後を絶たない。

私の周りでも感染する人が相次いでいる。バンコック銀行の行員、アパートの住人、友人・知人など身近な人々である。感染した人たちに聞いてみると、ほとんどの人は感染経路がわからないという。それはそうだろう。その人たちは全くと言っていいほど外出していないのだから。市中に一定程度コロナの感染が広がってしまうと、知らない間にウイルスが我々のところに侵入してしまうようである。さらに厄介なことに「ブレークスルー感染」が私の周りにも頻繁に起こっている。コロナに2度感染した人、ワクチンを接種したにもかかわらずコロナに感染した人など、私は5人以上知っている。このうち1人は重症化してしまったが、幸いにも現在は退院している。まさに「デルタ株おそるべし」である。

◆一進一退 ロックダウン続く

タイでは8月13日に新規感染者2万3418人を記録したあと、感染者数は減少に転じた。8月末には約1万5千人となり、現在は一進一退の状態である。そんな状況を踏まえて、タイ政府は9月1日からロックダウンの内容について一部緩和を決定した。アルコール提供禁止や開閉店時間の制限があるものの、飲食店では顧客定員50%までの受け入れが認められ、人々は外食ができるようになった。また、デパートや商店もオープンし、買い物にも行ける。公園も開いて、マスクを着用しながらだが運動もできる。何よりも理髪店が再開され、2か月ぶりに髪を切れたことが私はうれしかった。街には人や車が戻り、なんとなく活気を感じる。久しぶりに見る街の活気に私の心も華やいだ。

これだけ長期間にわたるロックダウンは人々の心をむしばむような気がする。やはり私たち人間は動物としての本能として「自由に行動することを阻害されるのを極端に嫌う」ようである。一方で、本稿を書き進めるうちに「1日当たり1万5000人も新規感染者がいるのに、ロックダウンを緩和して本当に大丈夫だろうか?」という懸念も強く感じてしまう。5月末にはわずか3000人の感染者数でロックダウン解除して、その後の感染の急拡大を招いた悪夢がよみがえるからである。ロックダウンが一部解除されたとはいえ、タイではコロナの感染拡大に予断を許さない状況がこれからも続くような気がする。

◆「予測不可能な非常事態」日本の対策は万全か

さて、ここまで長々とタイにおけるデルタ株の感染状況を書いてきたが、翻(ひるがえ)って日本。日本では、デルタ株の感染拡大はタイに遅れること3か月、6月後半ごろから始まった。このころの日本の新規感染者数は1500人前後であった。それが7月末には1万人を超えるなど、あっという間に新型コロナウイルスの感染が広がった。この感染急拡大の主要な要因がデルタ株への置き換わりである。幸いにも日本では2か月後の8月21日に感染者数2万5892人を記録した後、新規感染者数は減少に転じている。

しかし、このまま日本ではデルタ株による感染拡大は収束に向かうのであろうか? コロナ対策の危機管理の観点から、日本の人たちにも「タイで実際に起こったこと」を認識していただきたいと私は思っている。なぜなら「デルタ株の感染急拡大が一時的に落ち着いた」現在の日本の状況は、5月末ごろのタイとよく似ているように思えるからである。

デルタ株による感染拡大開始後の約2か月後の5月末には、タイではいったんデルタ株の感染が一段落した。しかしその後、デルタ株は再度猛威を振るい始めた。私は感染症の専門家ではないため、デルタ株が日本でまた猛威を振るうかはわからない。このまま収束してくれたほうが良いに決まっている。コロナ禍による閉塞(へいそく)感は、この1年半にわたりタイでも十分に味わってきた。それでも今回の新型コロナウイルスとの戦いは「予測不可能な非常事態」である。

新型コロナは新たなウイルスであるため、十分な科学的データも知見もない。それがゆえに、他国で起こった不都合な真実には気を配ったほうが良いのである。もちろん日本はタイに比べて先進国であり、コロナ対策上さまざまな有利な点を持っている。日本のワクチン接種率はタイのほぼ2倍までいっており、ワクチンの予防効果は高いと思われる。また日本はタイより所得水準が高いため、タイにあるような「人々が密集して暮らす貧民街」はほとんどない。医療水準もバンコクでは日本と同程度の病院がいくつもあるが、地方ではその水準はかなり落ちるようである。

こうした日本とタイの違いが日本におけるデルタ株の感染拡大を食い止めるかもしれない。一方で政府の持つ権限の違いから、タイでは強硬なロックダウンを2か月間実施し、人流を抑え込んできた。またコロナ予防に対する人々の日常行動(マスク着用、手洗い実施、街中での検温・アルコール消毒)については、タイ人のほうが日本人よりも徹底している。厳しいロックダウンを経験してきた身として、ロックダウンをしていない日本がデルタ株の抑え込みに成功できるのか疑念を持ってしまうのである。

これ以外にも、日本の人たちにぜひ参考にしていただきたい数字がある。それはコロナ患者の「重症者数」と「死者数」の推移である。日本では現在、「コロナによる死者数が少ないから日本は優れている」といった楽観論があるように見受けられる。しかしこれらの数字は明らかに新規感染者数から遅れて増加する。日本とほぼ同程度の新規感染者数を経験したタイでは重症者数は5000人を超えるまでになった。日本は重症者数が2000人を超えた時点で「医療崩壊」が叫ばれているが、日本では明らかに5000人程度の重症者数は想定しておいたほうが賢明である。

またタイにおける新型コロナウイルスの死者数は、9月に入り200人を超えて高止まりしている。この数字も新規感染者数の増加から、2週間から1か月遅れて増加した。さらにもう一つ、タイのコロナ新規感染者数の推移をみて気づくことがある。それは新規感染者数対比の重症者数や死者数の割合である。2週間から1か月の時差を考慮してこれらの割合を見てみると、それぞれ重症になる人の割合は感染者数の約2割、また死者数は感染者数の1%である。これらの数字は新型コロナウイルスの感染が世界的に本格化した昨年半ばには言われてきた数字である。こう見てくると、数字はあまり「うそをつかない」ようである。「コロナ対策を科学的に行う必要性」がこうしたところにも垣間見えるのである。

※『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』過去の関連記事は以下の通り

第193回「コロナ禍の中で透けて見えるタイ政治の深層」(2021年5月7日)

第192回「感染急拡大 タイのコロナ狂騒曲」(2021年4月19日)

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