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人生いろいろ
『みんなで機械学習』第30回

11月 06日 2023年 社会

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山口行治(やまぐち・ゆきはる)

o株式会社ふぇの代表取締役。独自に考案した機械学習法、フェノラーニング®のビジネス展開を模索している。元ファイザージャパン・臨床開発部門バイオメトリクス部長、Pfizer Global R&D, Clinical Technologies, Director。ダイセル化学工業株式会社、呉羽化学工業株式会社の研究開発部門で勤務。ロンドン大学St.George’s Hospital Medical SchoolでPh.D取得(薬理学)。東京大学教養学部基礎科学科卒業。中学時代から西洋哲学と現代美術にはまり、テニス部の活動を楽しんだ。冒険的なエッジを好むけれども、居心地の良いニッチの発見もそれなりに得意とする。趣味は農作業。日本科学技術ジャーナリスト会議会員。

◆制作ノート

英国の経済学者エルンスト・シューマッハー(1911~1977年)の「スモール イズ ビューティフル」における中間技術の提案を、「みんなの機械学習」として実現するため、「スモール ランダムパターンズ アー ビューティフル」という拙稿を連載している。前稿では、コンピューターもしくはAI(人工知能)技術との共存・共生・共進化を、過去・現在・未来の視点で考えてみた。スモールデータの機械学習によって、個体集団の近傍をつないでゆく、中小企業ビジネスが、近未来への希望だ。「スモール ランダムパターンズ アー ビューティフル」は途中の画像以降なので、制作ノートに相当する前半部分は、飛ばし読みしてください。

「スモール ランダムパターンズ アー ビューティフル」のゴールは、結論を論理的に構築することではなく、生活のライフサイクルにおいて、データの世界との共存・共生・共進化に希望を実感することにある。近代的なモノの価値に従属する経済から、コト(サービスなど)の意味を重要視する経済への移行を時代背景として、近未来のデータサイエンス テクノロジー アンド アート(データの世界)が、人類の文明論的な変革をもたらす夢物語を、少なくともディストピアとはしない、複数の探索路を切り開こうとしている。物語のゴールにおいては、意味が認知される以前の「データ」そのものが、みんなの機械学習によって、「言語」とは別の、文明の道具になるだろう。

◆不確実性は無作為とは限らない

政治やビジネスにおいて、不確実性が増大していることは確実だ。おそらく、経済学の理論にとって、市場取引が合理的であるためには、値動き(ボラティリティー)がある程度あり、しかも予測不可能であることが重要なのだろう。一方で、科学における不確実性を、不確定性と読み替えれば、量子力学や複雑系の世界観に重なる。ニュートン力学では、科学の進歩によって、様々な自然現象の予測精度が向上することを、信じて疑っていない。アインシュタインの世界観も、古典的な決定論であり、世界の実在性を疑うことは無い。自然は、本質的に確率的で、測定されない限り、実在性(因果関係も含めて)を信じる理由はないという、量子力学や複雑系の確率論的な世界観は、古典論(決定論)の延長にあるようでも、微妙にネガティブで、論理的な解釈を拒否している部分がある。科学においては、不確実性が増大しているというよりも、理論(または論理)の確実性への信頼が失われて、自然現象を測定(データ化)することの重要性が増大している。

量子力学や複雑系の確率論的な世界観を信じれば、自然現象は確率によって記述されるので、必ず誤差をともなう測定であっても、完全にランダム(無作為)とは限らない。ばらつくデータには、偏りやパターンが隠れていることが多い。この偏りやパターンを発見するのは困難だし、完全に記述することは不可能なので、臨床試験では、人為的に無作為化する介入を行う場合もある。政治や経済における不確実性は、もっと作為的な不確実性で、無作為(ランダム)とは全く別物だ。政治や経済を複雑系として考えると、小さいランダムネスを、増幅する仕組みがあると思われる。

生活においても、季節感を失いつつある気候など、不確実性が増大していると感じる人びとは多いだろう。その不確実性の多くは、政治や経済が原因になっているかもしれない。政治や経済自体が不確実なので、生活の不確実性が増大していることは確かでも、その不確実性に伴うリスクを予測して、防止したり、退避したりすることは困難だ。生活の場合は、不確実性が増大して良いことは考えにくいので、困った問題だ。医学が進歩しているけれども、医療に伴う不確実性も増大しているといわざるを得ない。今までは治らなかった病気であっても、高額なバイオ医薬品が開発されて、治療が可能になる場合もある。効果が無かったら、薬剤費が無料になる場合もある。統計学的な意味で、効果があることが確認できていたとしても、患者個人にとっての予後予測は困難で、不確実なものでしかない。高額な医療の場合は、医療費を捻出(ねんしゅつ)できるかどうか、経済的な不確実性が、深刻な問題となる。

◆人生いろいろ

生活における不確実性が増大している現状を、どのように理解したらよいのだろうか。まずは、生活における、まばらでゆらぐ多様性のイメージを、昭和時代でのヒット曲「人生いろいろ」を題材にして考えてみよう。夜の街を連想する歌詞は、男と女の世界を別々にとらえて、その接点がまばらでゆらいでいるように思われる。政治家が「人生いろいろ」と発言すると、話題になっても大きな問題にはならない時代だった。現在では、「人生それぞれ」といった感じが強いけれども、政治家が「人生いろいろ」または「人生それぞれ」と発言すれば、大問題になるだろう。生活における多様性を、「人生それぞれ」と表現すると、どのような違和感があるのだろうか。まずは、貧富の格差が増大し、しかも貧富が世帯で固定化される、分断された社会においては、「人生それぞれ」は自由な選択ではないのに、経済格差を自己責任の問題にしていると感じられる。「人生いろいろ」は、夜の街の物語であったけれども、「人生それぞれ」は、生まれてから死ぬまでの生活の全てを、個人としてしか意味がなく、個人を支える自発的な集団の存在を無効化している。本当の意味で無責任なのは、強制的に税金を徴収する政府であって、金銭にしか興味がなく、社会のあるべき姿を議論しない政治や経済だ。「人生いろいろ」の時代には、崩れかけた未来への希望があったけれども、「人生それぞれ」の今日では、未来に希望はなく、崩れかけた今日の生活があるだけになってしまった。

筆者としては、未来に希望がないのではなく、政治や経済には希望がないと考えて、拙稿を続けている。資本主義社会が機能していないのではなく、機能しすぎてしまっている。近代哲学の合理主義が、自然科学や生態学の観点では、不合理でしかないことが明らかになっている。過剰に生産して、過剰に消費するという、人間社会の不合理な現実も明白だ。すでに作ってしまった負の遺産を解決するために、近代哲学の始まり(デカルト、スピノザ、ライプニッツ)まで遡(さかのぼ)って、言語からデータへと、文明全体を折り畳む近未来を模索している。政治や経済には希望がない状況であっても、しかも生活の不確実性が増大していても、とにかく生き延びることしかできない。幸いに、生き延びる場所や方法は、組み合わせ論的な爆発ともいえる、多種多様な可能性がある。例えば、中小企業の経営状態を改善する方法を考えるようなもので、大企業の経営コンサルタントのようには、都合のよいフレームワークはないけれども、解決案は経営者の日常の中に、無数に埋もれている。従来は、経営者自身がリスクをとって、試行錯誤するしか方法がなかった。近未来において、特定の地域における、中小企業の経営環境を予測できるようになれば、コンピューターで試行錯誤できるようになり、出口戦略を見つけやすくなる。

◆中小企業ビジネスの出口戦略

筆者自身、大企業を早期退職して、零細企業を設立した当初は、ビジネスの出口戦略について具体的に考えていなかった。とにかく、倒産しないようにして、仕事をこなしてゆくことで精いっぱいだった。創業して3年もたつと、スタートダッシュを続けられないし、企業として成長して、経営計画を作り、自立できるビジネスモデルを模索し始めた。結論として、10年前の日本では、すでにあるビジネスモデルを踏襲するか、ベンチャー企業として、製品開発のリスクをとるしかなかった。市場がないビジネスの出口戦略は、経営者の努力というよりも、偶然に支配される。探していたのは、バイオマーカービジネスの出口戦略だった。医薬品の薬効予測をより正確にするために、製薬企業にとって必要な技術であっても、製薬企業としては、実績のある技術を購入するだけで、バイオマーカーの技術開発に投資する余力はない。国家プロジェクトとして、バイオマーカーの研究資金が提供される場合があっても、結果として、ビジネスが自立するまで、国家が関与できるわけではない。ところが、機械学習技術が突然進化して、AI技術の基盤技術となり、全ての産業活動と社会活動に大きな変革をもたらすようになった。筆者自身にも大きなインパクトがあった。バイオマーカービジネスの出口戦略として、「個体差の機械学習」が突然、思い浮かんだのだ。製薬企業を顧客とするバイオマーカービジネスではなく、全ての産業分野における中小企業と、小規模な社会活動を支援することを目的として、再度、出口戦略を考え始めた。大企業中心のAI技術であるディープラーニングよりも、先進的ではあっても初歩的な「個体差の機械学習」をアルゴリズム化するとともに、フェノラーニング®の商標権を取得した。以前は、表現型個体差解析と個人的に名付けていた計算方法で、バイオマーカーデータの統計解析法として、医療機器に実装して特許出願することを考えていた。フェノラーニング®では、表現型個体差解析と類似のアルゴリズムを、データの前処理技術(データマネジメント)の自動化として再定義して、ディープラーニングも含めて、機械学習の応用範囲を広げようとしている。この視点は、欧米における最先端のAI研究でも見逃されている。現在の機械学習技術では、データの意味をデータ以外(例えば属性や教師)に求めることが主流で、意味不明のデータを、直接学習する段階に到達していない。フェノラーニング®によるデータマネジメントの自動化は、最先端を先回りした、近未来の機械学習だ。拙稿では、筆者自身のビジネスから逸脱して、フェノラーニング®を、近代文明からの出口戦略を考えるヒントとして、近未来の夢と、未来への希望を、繰り返す波のように、素描している。

◆個人と社会の間の個人集団

欧米の哲学は、個人主義を原点としていて、キリスト教のような、分厚い倫理的および歴史的背景をともなっている。個人主義の問題は、個人から唐突に国家が現れて、その中間にある他者や家族を、スケール感を持って議論できないことだろう。哲学ではなく、社会学の文脈になってしまう。哲学として、この問題に挑戦したのは、フランスの実存主義哲学をリードしていたジャン・ポール・サルトル(1905∼1980年)だった(参照:『みんなで機械学習』第15回)。サルトルは、組織における個人の疎外という概念で、個人主義の壁に立ち向かうのだけれども、集団としてのスケール感を喪失した、政治的組織における集団的運動の迷宮に入ってしまう。経済活動における組織行動は、経営論で様々に議論されている。経営論のスケール感は、大企業と政府なので、個人は組織によって、はっきりと疎外されている(個人の生活と、組織の活動が、明確に区別される程度の意味)。中小企業の組織論において、個人の疎外の問題がどの程度重要なのかわからないけれども、組織としての病理の問題は、集団のスケールに依存しているように思われる。例えば、経営判断の異常(不確実性)は、人事異動における「異常」として、大組織で増幅される。

個人主義的な伝統が重くない日本においても、戦争では、異常な判断が増幅されて、特攻隊まで実現された。組織の病理は、組織における増幅機構によって、集団のスケールに依存しているとしても、組織の生理(正常な状態での機能)は、例えば仕事の効率性も、集団のスケールに依存しているのだろうか。仕事の効率性は、経営方法や技術によって、大きく影響を受けるので、単純な集団のサイズよりも、仕事の効率性をどのように測定してフィードバックするのか、もしくはシミュレーションにより予測するのかという、きめ細かい議論が必要になる。異常な状態では、こういった組織の自律的な機能が、機能しなくなって、組織が単なるスケールに依存した増幅装置になってしまうということかもしれない。本論の主題は、経済活動ではなく、生活における不確実性の問題なので、組織とはいっても、家族や地域社会、中小企業と社会的支援組織という、集団が組織化される最初の段階を考えている。

◆生活の不確実性は政治経済による介入と演出かもしれない

生活の不確実性が増大しているとはいっても、個人が誕生してから死亡するまで、ライフサイクルとしては、進化論的な時間であっても、大きくは変化していない。波風雲を、データの世界のコノテーションとしてではなく、自然現象そのものとしてみれば、地球の自然環境としての波風雲は、相変わらずで、太陽がもたらす、24時間の昼夜サイクルや、1年間の夏冬サイクルとともに、安定している。米国の前大統領が、地球温暖化を否定したけれども、本当の問題は、長期的な気象変動に対処するための、個々の経済的・技術的な対策の有効性と必要性のはずだ。そういう対策の全てが不要であれば、天気予報がいらないといっているようなものだ。個人のライフサイクルの視点から、生活の不確実性に対処する生活予報について考えてみよう。

生命の誕生は、神秘的で、人為的な選択や操作はできないと考えられていた。現在は、高額な不妊治療で、かなりの選択・操作が可能になっている。育児環境は、都市と地方で大きく異なるけれども、女性が働きやすい環境を整えようとしている。学校教育の制度も成熟して、大学進学を前提とした、予備校も多数ある。学校教育に不適合な場合は、臨床心理士や精神科医のサービスも受けられる。失業率はコントロールされていて、公務員や都市での就労に人気がある。定年以降の年金生活には経済的な不安があるし、介護制度も充実しているとはいいがたいけれども、ライフサイクルとしては、終点に近い。政府が想定するライフサイクルのレールに乗っていれば、生活の不確実性は、レールから外れた特殊事例といった感じさえする。確実に税金を徴収する政府としては、生活の確実性を「演出」しているとしか思えない。本当は、生活にレールなどないし、人びとの生活をよく知っているのは、政府ではなく、ネット販売業者だ。個人の趣味や、経済状態を、確実にデータでとらえている。個人の趣味や、経済状態は、変化しにくく、変化してもすぐにデータで明らかになる。個人の収入や支出など、金銭でとらえることができる生活環境は、公的にも私的にも、かなり公開されていて、不確実なことは少ない。

一方で、結婚や離婚などの、家族環境は急速に不確実になっている。地方における大家族から、都市の核家族への変化が大きく影響しているのだろう。家族環境の場合、ひきこもりも含めて、精神医学はあまり役に立たない。離婚保険もありえないだろうから、保険会社にも期待できない。特殊詐欺や宗教活動は、不確実な家族環境をうまくとらえている。動物の世界では、家族環境はアリからオオカミまで、多種多様であっても、急速に変化はしていないように思われる。そもそも、家族の定義が多様なので、個体からの視点で近傍集団ととらえると、緊密で安定した集団の場合もあるし、まばらで動的な集団もある。家族環境が不確実になっているのは、均一で確定的な家族関係が、ゆるやかに崩れてゆき、その中の個人のありかたが不確実になっているということかもしれない。生活の不確実性を、ライフサイクルの視点からみると、不確実なのは、集団の中での、個人の立ち位置やありかたの問題といえる。すなわち、個人と国家の中間項が分断されて弱体化し、個人的もしくは社会的な集団が、安定的に機能していない状態だ。地域や中小企業が、スモールデータの機械学習によって、個体近傍を発見して、つないでゆく近未来は、生活環境をより確実で、予測可能にする。スモールデータの機械学習は、人びとが「近代合理的」な演出から覚醒する、未来への希望となるだろう。

淡くて高い希望(二段の虹) 筆者撮影  2023年10月5日

『スモール ランダムパターンズ アー ビューティフル』

1   はじめに; 千個の難題と、千×千×千×千(ビリオン)個の可能性

1.1 個体差すなわち個体内変動と個体間変動が交絡した状態

1.2 組織の集合知は機械学習できるのか

1.3      私たちは機械から学習できるのか

2   データにとっての技術と自然

2.1 アートからテクノロジーヘ

2.2 テクノロジーからサイエンス アンド テクノロジーへ

2.3 データサイエンス テクノロジー アンド アート

2.4 データサイクル

2.5 データベクトル

2.6 局所かつ周辺のベクトル場としてのデータとシミュレーション

3  機械学習の学習

3.1 解析用データベース

3.2 先回りした機械学習

3.3 職業からの自由と社会

3.4 認知機能の機械学習とデジタルセラピューティクス(DTx)

3.5 学習は境界領域の積分的探索-ニッチ&エッジの学習理論

3.6 機械学習との学習

4  機械学習との共存・共生・共進化-まばらでゆらぐ多様性

4.1 生活と経済の不確実性

4.2 生活と経済に関連する技術は、何を表現しているのか

4.3 スモール データ アプローチ-個体差のまばらでゆらぐ多様性

4.4 まばらでゆらぐ多様性の過去・現在・未来(前稿)

4.5 生活の不確実性を予測する(本稿)

地域や中小企業における、スモールデータの機械学習を、メタアナリシスでつないでゆくイメージは、拙稿のゴールに近づいていると思っていた。しかし、本稿の執筆中に、そのイメージの足元を再考する必要性に気がついた。拙稿を始めたきっかけは、薬効の個体差を評価するバイオマーカービジネスの出口戦略として、個体差の機械学習に思い至ったことだった。個体差の表現には大きな個体差があって、「表現」に個体差を増幅する機能があることが、「データ論」の基本構想だった(参照:拙稿『住まいのデータを回す』第20回)。表現は、作品と作者、そして鑑賞者や社会(表現の場)によって構成される。薬効の個体差という意味では、性別や年齢の表現型が重要になる。その表現型は、生理的な個体差とともに、環境因子としても薬効に影響を与える。薬効を性別や年齢によって予測するときに、戸籍に対応する医療データよりも、バイオマーカーデータから推定した性別や年齢の推定値を使うほうが、予測精度が良くなる場合がある。性別や年齢などの、個体差の表現型を正確に推定できるバイオマーカーが、医学的には重要で、医療画像が代表的な例になる。スモールデータは、少人数、少数個体のデータであって、そのデータから、重要な表現型を推定しうる「網羅性」があるデータから、個体差を機械学習することを考えていた。

個体差の表現型に注目して考えると、多様性をどのように理解して評価するのか、生態系や複雑系からの発想が重要になる。第4章では、「機械学習との共存・共生・共進化-まばらでゆらぐ多様性」、について考えてきた。表現について、鑑賞者や社会、すなわち表現の場においては、第一義的に、「場所」が問題となる。「まばらでゆらぐ」のは場所であって、その場所が、多様性が安定して継続する条件となる。社会とはいっても、家族や地域といった、個体の近くの個体集団について考えると、個体からの距離を、スケール変換できるようにして、機械学習としては、個体近傍を学習して発見するというテーマが見えてきた。すなわち、場所に関するデータとしては、場所を推定できるだけではなく、個体集団としての距離をスケール変換できる必要がある。「場所」を表現型データとして考えると、網羅性だけではなく、スケール変換も、データとして追加することになる。

スケール変換については、場所のような空間的なスケールだけではなく、進化論のような長期間のデータの場合、時間に関するスケール変換を考える場合もある。スケール変換しながら、メタアナリシスでスモールデータをつないでゆくイメージに、順調に近づいているようだったけれども、大きな内部矛盾があることに気がついた。データは、『既にそこにあるもの』(大竹伸朗、ちくま文庫、2005年)を、測定した結果だ。多くの場合は、数値で表現されるけれども、文字やイメージの場合もある。作家(大竹伸朗)は、「既にそこにあるもの」を集めて、作品を制作する。データは、データベースに集積される。スモールデータでも、ビッグデータでも、データを集めることに変わりはない。「既にそこにあるもの」は、「まばら」だったとしても、集めてしまうことで、「まばら」な状態が失われてしまう。特に、スケール変換が可能なように、データを収集するということは、まばらな場所の中間を埋めるように、グーグルマップのように、稠密(ちょうみつ)なビッグデータとなってしまう。まばらでゆらぐ多様性を評価するためには、データを集めるということ自体を、見直す必要があることに気がついた。

データを集める前に、時間を出来事の継起として離散化すること、場所を個体集団の不連続な周辺として、離散化して考えることから始める必要がありそうだ。網羅性があるデータであれば、表現型を適切に設定すれば、従来の(公表されている)データでも使いようはあるけれども、時間と空間が適切に離散化されたデータを探すのは容易ではない。グーグルマップのような、稠密なビッグデータを前処理して、離散的に表現することから始めることになりそうだ。

本稿の主題は、「生活の不確実性を予測する」ことなので、上記の反省を、本稿の主題に沿ってもう少し具体的に考えてみよう。結論としては、生活をライフサイクルの観点から予測する場合は、不確実性は大きな問題ではなくなるということで、予測のためのデータには条件が追加されるとしても、結論は変わらない。もちろん、個人の死期や誕生を、正確に予測できる近未来を想定しているのではない。そのような個人的な予測が意味のない、個体集団における生活の不確実性の問題として、より重要な問題を、生活データの機械学習によって解決する試みについて考えている。

個人集団ではなく、個体集団と記載していることには、それなりの意図がある。家族であれば、ペットを含める場合もあるだろうし、中小企業であれば、同時期に複数の企業で働いていたり、学校や地域活動など、複数の社会団体と関係している場合が普通なので、そういった多様な集団の個体差を考慮しようとしている。「生活をライフサイクルの観点から予測する」ということは、個人の生死の問題ではなく、個体集団のライフサイクルとしての多様性が、健全な状態か病的な状態なのか、評価して、できればよい方向に改善したいということだ。家族の問題や、中小企業や地域社会の問題は、個別に事情があり、統計処理にはなじまない問題が多いので、当事者研究として、記述的に理解を深めようとする努力が有力だ。最近では、行政の対応も、単なる統計データではなく、当事者研究を反映した立案や実施が重要視されている。当事者研究の課題は、研究の機会が限定されていることと、丁寧に時間をかけて反省したり傾聴したりする、経済的な経費だろう。当事者研究を、生成AIの自動応答(チャットボット)で行うなどの試みもあるかもしれないけれども、筆者としては、全く期待していない。反省能力のない生成AIでは、問題解決ではなく、無責任に販売促進をして、新たな問題を作る程度のことしかできないはずだ。筆者としては、当事者研究とは別の方向性で、生活データの機械学習について考えて、AI技術をより深く反省する機会としたい。

例えば、家族の生活に関するデータとして、網羅性があって、しかも時間と空間が適切に離散化されているデータは、どのようなデータなのだろうか。家族の定義が難しくて、国勢調査のように、生計を共にする世帯のように、統計や税収に都合のよい定義は、人口と経済の網羅性しか考慮されていない。生態学では、ライフサイクルをステージに分割して考えることが多い。昆虫で、卵、幼生、さなぎ、成体、などのステージを区別するようなものだ。人間では、乳幼児期、教育、就労、老齢期、などのステージにおいて、家族のありかたと役割が異なる。人間のステージは、年齢とともに推移してゆく場合が多いけれども、発達障害やひきこもりなど、ステージの移行に伴う困難が発生する場合もある。老齢夫婦が、ひきこもりの子供の社会経済的な負担を負っている場合など、家族は、様々なステージの個人が共に生活をする、複雑な様相を示す。家族の生活における複雑な様相を、まばらでゆらぐ多様性という観点から、データによる評価を試みてみよう。

前稿では、生活の基本的な構成要素として、衣食住と波風雲について考えてみた。本稿の文脈では、住空間を共有する家族が、電波でつながっていることが前提条件となっている。生活関連のデータとしては、食と風のデータを、網羅的かつ離散的に収集することを考えてみたい。例えば、1か月間の食事(または食品の購入)のデータがあれば、家族の構成人数(ペットも含めて)と年齢構成を、ある程度推論できるだろう。風環境データは、住居の場所と季節に関するデータを網羅的に表現している。さらに、高層ビルや河川の影響によって、空間を離散化する。従来の統計解析では、相関や回帰モデルによって、相互の関係を理解しようとしたけれども、潜在的なバイアス(交互作用)については無力だった。機械学習では、同時多点観測された網羅的なデータを使って、支配的な環境因子が探索できる。支配的な環境因子が明らかになれば、それらの因子からの距離(影響度)として、場所相互の関係が離散化される。多くの場合、無関係となる。スパースデータの基本的な考え方だ。

生活の不確実性は、政治経済の不確実性によって、増大してゆくかもしれないけれども、個人の生死にはこだわらない、生活におけるライフサイクルのデータとその予測によって、生活の不確実性を無効化することができる。生活のデータにおける、空間と時間を適切に離散化する簡潔な方法は、生活のデータを回すことだ。経営論のPDCAサイクル(Plan Do Check Action)のように、予測しながら計画・実行して、データを収集する、そのサイクルを回す。サイクルは、太陽とともにあるかもしれないし、月とともにあるかもしれない。ライフステージのように、種に固有のサイクルかもしれないし、個人や家族が言語によって設定するサイクルかもしれない。サイクルは、1回2回と順序数によってカウントされることで、離散化される。本稿も、2017年から始めたニュース屋台村の『住まいのデータを回す』シリーズに戻ってきた。

生活関連データを、食データと風データの個体差として、個体集団(家族)の「まばらでゆらぐ多様性」が評価できるようになるのは、近未来における可能性でしかない。言語による当事者研究が、現在の問題を支えているうちに、生活データの機械学習で、近未来を開拓しよう。地域内の、100家族の生活データが得られるとして、認知症やひきこもりなどの社会問題を抱える家族は、10家族を超えるはずだ。ほぼすべての家族が、何らかの社会的問題を抱えているといっても言い過ぎではないだろう。家族が崩壊しているのは、社会が機能していないことの証左でしかない。もっと強く言えば、社会が機能していないのは、言語が機能していないことが原因だ。近代以降の社会の問題の多くは、技術が関係している。技術の問題には、政治的もしくは経済的な言語(金銭)は、問題を増幅するだけで、問題を明確にすることもないし、解決はできない。技術の問題は、データによって解決するしか方法は無い。

抽象的な議論をしているつもりはない。「資本論」を書いたカール・マルクスが、哲学や宗教などの上部構造よりも、日々の食事を支える経済としての、下部構造が重要だと考えたのは正しい。ただし、豪勢な食事をしても、腸内細菌がいなければ何の役にも立たないし、空気や水が無ければ、生きていけないことは確かだ。下には下があるということだ。それでも、筆者としては、1+1は1より大きいということを、ほぼ、すべての生命が同意するだろうと、信じている(1x1=1は、人間にしか理解できないかもしれない)。人間中心の文明は、人間と共に終末を迎えるか、人間中心ではない、新しい文明を見いだすか、選択肢は多くはない。言語は、人間にしか意味をなさないけれども、データ(測定値とコード)は、全ての生命を支えていることを、もっと自覚するために、私たちに残された時間は少ない。

◆次回以降の予定

4.6 弱い最適化-脆弱性/反脆弱性からのスタート

4.7 ひとつのビッグ予測、たくさんのスモール適応

※過去の関連記事は以下の通り

『みんなで機械学習』第15回「ソフトパワーから知的自由エネルギーへ」(2023年1月 25日付)

https://www.newsyataimura.com/yamaguchi-85/#more-13592

『住まいのデータを回す』第20回「データ論の準備(3)全体構想」( 2019年6月 26日付)

https://www.newsyataimura.com/yamaguchi-7/#more-9046

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