山本謙三(やまもと・けんぞう)
オフィス金融経済イニシアティブ代表。前NTTデータ経営研究所取締役会長、元日本銀行理事。日本銀行では、金融政策、金融市場などを担当したのち、2008年から4年間、金融システム、決済の担当理事として、リーマン・ショック、欧州債務危機、東日本大震災への対応に当たる。著書に『異次元緩和の罪と罰』(講談社現代新書2753、2024年9月)。
米国トランプ大統領の奔放な発言に目を奪われがちだが、同政権の関税・通商政策は「場当たり的」ではなく、用意周到に進められてきた。
経済学の観点からは反論の余地が大きいが、もともと「MAGA(Make America Great Again)」を掲げ、通商・関税政策と防衛・軍事政策を一体で進めているだけに、いかなる反論も同じ土俵上での議論になりにくい。むしろ下手な反論は、「脅しで突き返されるだけ」との諦観も漂う。
さりとて、人権や民主主義などの理念を共有しないままでの「ディール(取引)」や、国内支持層へのアピールを優先する政治姿勢のもとで、政権が想定する安定的な世界秩序が実現するとは考えにくい。
この先、世界はどこへ向かうのか。
◆トランプ政権の関税・通商政策を貫く思想
トランプ政権の関税・通商政策は、3月にCEA(大統領経済諮問委員会)の委員長に就任したスティーブン・ミラン(Stephen Millan)氏の思想が、強く影響しているといわれる。同氏のレポート(“A User‘s Guide to Restructuring the Global Trading System” Nov.2024, Hudson Bay Capital)と政権のこれまでの政策をもとに、その要点をまとめてみよう。
(1)米ドルは、基軸通貨であるがゆえに実力対比ドル高の為替レートを余儀なくされてきた。これが、国内の製造業が国際競争力を失い、貿易赤字が常態化している理由である。
(2)「基軸通貨」と「安全保障」の維持の役割が、米国に過度の負担をもたらしている。西側諸国は、米国が背負う通貨と防衛のコストを正当に分担していない。
(3)中国は、WTO(世界貿易機関)に加盟しながら、不公正な貿易慣行を続け、国際競争力を強めてきた。同国はいまや通商面でも軍事面でも米国の脅威にある。
(4)製造業の競争力低下は地域経済を衰退させ、多くの人々の職を奪ってきた。国内の労働者層は、いまや政府からの補助金と麻薬への依存を強めている。
(5)米国の貿易赤字を縮小させ、米国の負担するコストを各国が分担するよう、関税を手段として利用すべきである。米国の政策に抵抗し、距離を置こうとする国には、より高い関税率の適用を辞さない。
(6)同時に、米国の国防と経済にとって重要な産業(鉄鋼、アルミ、自動車、半導体製品、製薬など)は、高率関税の適用により保護が図られなければならない。
(7)関税の適用で生じうる一時的な副作用(過度のドル高や株安など)に対しては、悪影響を相殺するよう、FRB(連邦準備制度理事会)に金融緩和などの措置を求める。
(8)財政政策面では、大規模減税の延長や防衛費の増大を図る。
◆すれ違う政策論争
このような思想は、従来の経済学や市場重視の考えに立てば議論の余地が大きい。主なものを挙げるだけでも、次のようになるだろう。
(1)自由貿易体制のもとで構築されてきた「グローバルで効率的な生産体制とサプライチェーン」は、世界経済はもとより、米国経済にも多大な利益をもたらしてきたのではないか。
(2)米国には、製造業のほかに、高い国際競争力を誇るIT(情報通信)産業や先端産業がある。製造業のシェア低下は「比較優位の原則」に基づくものであり、製造業のシェア回復を目指す試みは米国経済をむしろ弱体化させるのではないか。
(3)米ドルが基軸通貨であることは、「資金調達の容易さ」など、多くの利益を米国にもたらしてきた。米国の金融機関が圧倒的な国際競争力を誇ってきたのも、米ドルが基軸通貨であったことが大きいのではないか。
(4)米国の貿易赤字の根本原因は、財政赤字の拡大に伴う過剰消費にある。貿易赤字の削減は財政赤字の削減によって実現すべきではないか。
(5)高率関税が続けば、同盟国は米国から距離を置き、米国抜きの自由貿易圏の構築に向かわざるをえないのではないか。
(6)高率関税の適用は、米国内の物価を押し上げ、米国民が負担することになる可能性が高い。したがって、米国経済、ひいては世界経済の悪化が避けられないのではないか。
(7)通商・経済政策の不確実性の高まりは、米国を含む世界の企業活動や投資行動にかかるコストを押し上げ、金融市場のボラティリティー(変動幅)を高めるのではないか。
(8)大規模減税の継続や軍事費の増大は、財政赤字を拡大させ、米国の財政状態に対する不安を一段と高めないか。
いずれも真っ当な反論にみえるが、トランプ政権自身は、関税・通商政策をMAGA実現の手段と位置付けているだけに、議論は一方通行に陥りがちだ。
◆トランプ氏の政治姿勢がもたらす社会の不安定化
さらに厄介なのは、政権全体の政策は、経済・外交面だけでなく、すべての分野を貫く政治姿勢とともにあることだ。その政治姿勢を政権に関するキーワードから探っても、多面的で極端な主張ばかりが浮かび上がる(参考参照)。これでは内外の反発とリスクの拡大が避けられず、国内外の社会の不安定化させる可能性が高い。
(参考)トランプ政権をめぐるキーワード
(参考)筆者作成
第1の懸念は、「理念なきディール」の行く末である。トランプ政権が歴代の米国の政権と異なるのは、これまで同盟国間の共通理念とされてきた「人権」「民主主義」「法の支配」「自由主義経済」といった価値観の共有がなされないことである。
実際、関税交渉は、「理念なきディール」のもとで、各国との個別交渉に委ねられた。
こうなると、中国のように、米国にとって生殺与奪の資源(レアアースなど)をもつ大国との間のディールが優先され、世界は「大国の力による秩序」に向かうことになる。
逆に、同盟国は無理なディールを求められる可能性が高い。EU(欧州連合)に対する関税50%課税の警告(5月)や、日本の関税交渉の長期化(6月)は、その表れだろう。
米国からの要求が一時で終わるとは限らない。同盟国としては猜疑(さいぎ)心を抱き続けざるをえない。こうした情勢のもとで、同政権が意図する強力な同盟関係の再構築は望み難い。
第2の懸念は、「米国内の社会の分断激化」である。トランプ氏の独特の政治手法は、岩盤支持層である白人労働者層へのアピールに重点が置かれている。映画「アプレンティス」は、青年期のトランプ氏が(悪徳)弁護士のもとでビジネスを学ぶ姿を描いた作品だが、師(弁護士)から教えられた「勝つための手法」は、①攻撃、攻撃、攻撃②非を絶対に認めるな③勝利を主張し続けろ――だった。
トランプ氏が意図的に対立を煽(あお)る手法をとり続ける限り、社会の分断は深まらざるをえない。深刻な経済格差の存在と相まって、米国社会の不安定化が一段と進む可能性が高い。
第3は、「反科学・アンチグローバリズム」の行方である。18世紀以降の世界の歴史は、「近代化」「大衆化」「国際化」によって特徴づけられてきた。「近代化」を促進したのは、蒸気機関の出現をきっかけとする科学技術の進歩である。
トランプ氏の反科学やアンチグローバリズムの姿勢は、多分に支持層である白人労働者層やキリスト教福音派へのアピールを意識したものだが、18世紀以降の「近代化」「大衆化」「国際化」の歴史に逆らうものでもある。長く続けば、米国の国力を損ないかねない。
◆同盟国の立ち振る舞い方
では、このような複雑な環境のもとで、同盟国はどう行動すべきか。
トランプ政権があと3年半続くことを考えれば、関税交渉のような問題には、正論を述べつつ、柔軟な姿勢を示しながらディールに付き合う以外にないだろう。
難しいのは、万が一どこかの地域で戦争が起き、トランプ政権が一方の勢力に肩入れする場合、同盟国としてどこまでコミットするかである。イスラエルとイランの交戦は、そうしたリスクを想起させる出来事だった。また、そこまでの事態に至らなくとも、米国から防衛費の増額要求が強まることは間違いない。
価値観を共有しない「同盟関係」とは、一体何なのか。その存在意義は何なのか。
日本としては、欧州諸国や韓国など価値観を共有できる国々と連携を強化し、通商・経済面を含む広範な分野での協力関係を構築する必要がある。そのうえで、次期米国大統領選挙を待つことになるが、仮に次期政権がトランプ政権と類似の思想をもつものとなるときは、われわれはやはり歴史の本格的な転換点に直面したと受け止めざるをえない。
◆「力による秩序」か「価値観に基づく秩序」か
もちろん、過去の米国も、基本は自国の利益に叶(かな)うからこそ西側諸国との同盟関係を維持してきたのであり、根っこは変わらないとの見方もある。それも一面の真理だろう。それでも、西側諸国の同盟関係をつなぐ「人権」「民主主義」などの旗印(基軸)は、紐帯(ちゅうたい)を強化するうえで重要な意味をもっていた。
この基軸が崩れてしまえば、結局は、「大国の力による秩序」という過去の歴史に戻らざるをえない。行き着く先は、戦争の頻発だろう。
いかにしてこれを防ぐか。国としての指針を、深い洞察力と高い構想力をもって準備しなければならない。
コメントを残す