水野誠一(みずの・せいいち)
株式会社IMA代表取締役。ソシアルプロデューサー。慶応義塾大学経済学部卒業。西武百貨店社長、慶応義塾大学総合政策学部特別招聘教授を経て1995年参議院議員、同年、(株)インスティテュート・オブ・マーケティング・アーキテクチュア(略称:IMA)設立、代表取締役就任。ほかにFrancfranc、オリコン、UNI、アンビシオンなどの社外取締役を務める。また、一般社団法人日本文化デザインフォーラム理事長としての活動を通し日本のデザイン界への啓蒙を進める一方で一般社団法人Think the Earth理事長として広義の環境問題と取り組んでいる。『否常識のススメ』(ライフデザインブックス)など著書多数。
◆本当は「働かせ方改革」でしかないのでは?
米国の「否常識大統領」トランプの定点観測は、鉄材やアルミ材の輸入税の大幅引き上げ、北朝鮮との首脳会談の前に、ティラーソン国務長官をはじめ次々と止まらない解任劇など、「否常識」なのか「非常識」なのか判断不能な政策を連発している。しばらく静観するより仕方あるまい。世界を影から動かしてきた「Deep States(ディープ・ステート)」との戦いにはひるまないでほしいが。
さて、電通の社員だった高橋まつりさんの過労自殺問題や、NHKの報道記者・佐戸未和さんの過労死問題が大きくニュースで取り上げられて以来、「ブラック企業認定」とか、そこから端を発した「働き方改革関連法案」、しかも裁量労働者の残業時間を短く見せるためのデータの改ざんが発覚するなど、大いに喧(かまびす)しい。しかし当然のことながら、この種の労働問題は、労働時間という量の問題だけではなく、労働の質や環境の面からも論じていかねばならない。広告代理店や報道機関などの高度な情報性や即時性を求められる企業は、ローテーションの中で単純労働が繰り返される第三次サービス産業とはいささか状況が違うからだ。
もちろん、だから問題なしというのではなく、その過重労働を平気で強いていた管理職の責任や能力が問われるべきだろう。だがこういう事件があったからといって、安易にブラック企業だと決めつけたり、一方の企業側も22時で全館の電源を一斉に落としたりするというような安易な対応だけでは、問題は解決するはずがない。もっと丁寧に、職場の環境管理が図られているか、労働負担の偏りや、不満や悩みに対する気配りが不足していないかという反省が大事なのだ。知的労働をしている職場で、工場生産の現場的な管理の徹底で事足りるとすれば、大きな間違いであり、それだけではその企業の競争力を削ぐことになりかねない。
そこで、新たに提案された「高度プロフェッショナル制度」と、従前の「裁量労働制」の違い議論が出てきたわけだが、これとて、真に「質」の面から論じられていない気がする。
そもそも労働基準法は、戦後間もない1947(昭和22)年に制定された法律だ。その当時は第一次・二次産業の労働者が多数を占めていた時代で、労働時間規制になじむ働き方をしている人が圧倒的に多かった。しかしその後、第三次産業の労働者比率が次第に増え、さらに、それらの労働者の能力評価の基準が仕事の「量」から「質」へと変化してきた。それにしたがって、労働時間ではなく業務の成果によって待遇を決めるというニーズが出てきた。
これは企業側のメリットだけではなく、短時間の労働で成果を上げる有能な労働者より、能力が劣るために残業が多い労働者のほうが結果収入が多くなるという矛盾も解消されることから、労働者にとっても納得性があるはずだ。そこで経済界では、ホワイトカラー労働者に対して裁量労働制を活用できるようにしたい、という希望が出てきた。これは時代変化、労働の質の変化に対応する当然の帰結ともいえる。
◆従来の「雇用関係」という常識をリセット
「高度プロフェッショナル制度」の対象となるのは、研究開発や金融、コンサルタントといった高度な専門知識を必要とする業務に就く年収1075万円以上の労働者だという。労働者本人が「高度プロフェッショナル制度」の適用を希望し、さらに職務の範囲を明確にするなどの要件を満たせば、その労働者は労働時間管理の対象から外れることになる。
では、野党は何を反対しているのか?
労働時間が管理されないということは、労働時間の長短と関係なく成果によって給与額が決まるというだけでなく、当然ながら、普通の労働者が支払われている時間外・深夜・休日労働の割増賃金はすべて支給されない。そこが深夜・休日労働割増賃金の対象となる現在の裁量労働制と異なると、野党から「残業代ゼロ法案」と揶揄(やゆ)される所以(ゆえん)なのだ。
そのような批判に応えるため、
・始業から24時間以内に継続した休憩時間を確保する
・健康管理時間として、働く時間に上限を設ける
・4週間に最低4日、1年間で104日の休日を確保する
のいずれかを、健康維持策として導入しなければならない仕組みにするという。
もう一つの問題は、年収1075万円以上と規制されているように見えるが、実際の法案にそう書かれているわけではないという議論だ。確かに法案の中では、「年間平均給与額の3倍を上回る水準として厚生労働省令で定める額」と書かれており、現在はこの省令で定める額が年収1075万円ということらしい。だがこの適用年収条件は実際に制度が定められるまでは分からないし、経済環境の変化や、政財界の思惑によって引き下げられていく可能性もある。これが問題視されているのだ。
参考URL:高度プロフェッショナル制度で対象になる人とメリット・問題点を考える https://bengoshihoken-mikata.jp/archives/1568
しかし、ちょっと待ってほしい。この議論は、本当に「働き方改革」の話なのだろうか? どうも「働かせ方改革」にしか見えない。
これらの論議は、あくまでも特定の一社との「雇用関係」が前提であり、企業との「契約関係」という概念が希薄なのではないか?
一方で、政府は「副業」「兼業」を奨励している。
※参考URL:働き方改革の目的達成において副業が果たす重要な役割と企業の反応 https://nomad-journal.jp/archives/6807
ということは、「高度プロフェッショナル制度」も、コンフリクト(もめ事)が起きない限り、複数の企業との契約も可ということにすべきだ。そうすれば1社あたりのコスト負担も減るし、能力のある高度プロフェッショナル人材は、時間を有効に使いながら複数の企業と仕事ができる。また、それによって両方の企業がシステム共有するなどのコラボレーションも提案できたり、相乗効果を上げることが可能になったりするかもしれない。つまり、「高度プロフェッショナル」という以上は、それくらいダイナミックな考えを持たない限り真の機能を発揮しないのだ。労使双方が、その常識のリセット「=否常識」をしない限り、この議論は深まらない。
すなわち、自分の高度なプロフェッショナリズムが市場の中でどれくらいの価値を持つか否かに、しっかりとした自信や抱負を持てない人は、この選択をすべきではないということだ。
他方、全般的な残業問題にしても、未来工業(株)やSCSK(株)のように、残業時間を減らして収益力を高めている知恵ある成功例も少なくない。売り上げを上げるためには残業の増加はやむを得ないという過去の常識の否定である。
優秀な技術を持つ町工場の労働問題はもっと深刻だと思われている。ここでも、季節性によるフレキシビリティー(柔軟性)や特殊技能の評価など、大企業とは異なる問題がある。従前の雇用概念とは違う「否常識」な価値観がより多く求められるのではなかろうか?
いずれにしても、「働き方改革」の裏に「働かせ方改革」があるのだから、従来の「効率主義」だけで、この改革を考えては必ず失敗する。従来の「雇用関係」という常識をリセットし、「雇用概念」から「契約概念」へ切り替えていかない限り、もはや国際的競争力のある日本の企業クオリティーを保つことはできないだろう。
コメントを残す