元記者M(もときしゃ・エム)
元新聞記者。「ニュース屋台村」編集長。南米と東南アジアに駐在歴13年余。座右の銘は「壮志凌雲」。2023年1月定年退職。これを機に日本、タイ、ラオス、オーストラリアの各国を一番過ごしやすい時期に滞在しながら巡る「4か国回遊生活」に入る。日本での日課は5年以上続けている15キロ前後のウォーキング。歩くのが三度の飯とほぼ同じくらい好き。回遊生活先でも沿道の草花を撮影して「ニュース屋台村」のフェイスブックに載せている。
その日の朝、洗濯物を干しに庭に出たら、竹垣に沿って下向きに咲くベル形の小さな白い花を見つけた。集合住宅の1階にあるわが家の庭は広さ6畳ほどの小さな庭で、毎朝洗濯物を干しに出ているからいつでも目にとまりそうなものだが、この日は日差しを浴びて花びらの白色がひときわ鮮やかで健気(けなげ)に映ったから気になった。リビングからスマホを持ち出して写真に撮って3つのAI(人工知能)を使って調べてみたら、白いイングリッシュ・ブルーベルだろうとわかった。深い青紫色の同種の花はウォーキングの途中に見かけることはあったが、白色は珍しいという。
朝からなんとなく得した気分になり、その写真をさっそく「ニュース屋台村」のフェイスブックにアップロードした(2026年4月17日付)。定年退職して、はや3年余。無職の年金生活を続けているが、これまでのところ心身ともに健康で、安穏な毎日である。
◆時間が、足りない・もったいない
退職前は「現役を退いたらやることがなくなって何をするにも気力が失せてしまうかも」と不安に駆られ、定年後の生き方に関するノウハウ本や定年退職した先輩諸氏の体験談やアドバイス本を読みあさった。が、まったくと言っていいほど参考にならなかった。退職後の生活は十人十色。その生き方は現役当時と同様、あくまで属人的で、非属人化できるものではないことを改めて実感している。
ただ、現役生活の終盤、第3コーナーを回ったあたりから、「退職後はこんな生活をしよう」という青写真を描き始め、第4コーナーを回って「定年」のゴールテープを切る手前の直線のホームストレートに入った時点でそのビジョンを実現するための具体的な段取りをできるだけ事細かに決めておくと、定年後のそれなりに充実した生活に軟着陸できると思う。もっとも、私自身のこの体験談とて先述の通り属人的なものであり、たいして参考になるとは思わない。余生の過ごし方もまた、人それぞれいろいろであっていいのだ。
幸いなことにこれまでのところ、毎日時間を持て余すようなことはまったくない。むしろ、時間が足りない、と思うことが多くなった。たぶん、心のゆとりというか、時間の余裕を実感していることの裏返しなのだろうと思う。一日があっという間に過ぎていく。
現役当時は、原稿の締め切り時間に追われ、ストレスと格闘する毎日だった。ひとヤマ越えたと思ったら、すぐに次のヤマに出くわす。しかもヤマのあちこちに「誤報」や「訂正」の地雷原となるものが潜んでいて、拙速のあまりその地雷原を踏んでしまったり、危うく踏みそうになったり、その連続だった。時間が足りない、もうだめだ……。ギリギリのところでなんとかしのいだり、救われたりもしてきた。
みぞおちあたりがキリキリ痛むような思いは二度と味わいたくない。退職後は責務として担う仕事から完全に解放された。併せて、時間に際限なく余裕ができた。ただし残された余生そのものに限りがあり、毎日刻一刻とその終焉(しゅうえん)に近づいているという不安を感じているせいか、今は気ぜわしいとさえ感じることがある。これは、「(残された時間が)もったいない」という感覚にも似ている。だから退職して3年余を経たいま、毎日をできるだけ大事に丁寧に生きようという思いが一段と強くなっている。
◆精いっぱいの日々からの解放
冒頭で紹介した白いイングリッシュ・ブルーベル――。Copilot(マイクロソフトのAI)によれば、わが家の小庭に現れたのは「よくある自然の奇跡」だという。小庭に現れた理由として、近くの庭や公園から種が飛んできた▽アリが種を運んだ(ブルーベルの種にはアリが好む成分が付いている)▽昔の住人が植えた球根が長い眠りから目覚めた――などが考えられ、開花するまでに5〜7年かかっているらしい。
平穏な日常の中で小庭に咲いた白い花が気になるなんて、思い返してみると、兵庫県赤穂の四方が山に囲まれた谷間の限界集落の寒村に生まれ育った私には考えられなかったことだ。その環境は「豊かな自然」と言えば確かに聞こえはいいが、小学校は先生1人児童1人の分校、中学高校は片道12キロ離れた町に出なければならず、道ばたの草花を愛(め)でたり小鳥の鳴き声に耳をすませたりするような時間も心もそんな余裕などまったくない生活だった。
農繁期にはたとえ半人前でも働き手として当てにされていたので、できるだけ早く帰宅しなければならなかったし、農閑期は日が落ちるのが早いので、道草をしたら暗闇の砂利道を恐る恐る帰らなければならなかった。
中学生だったある晩秋の夕方、自宅から1キロほど離れた分校の近くまで戻ってきた時、坂道の上りの入り口でいきなりイノシシに出くわし、追いかけられたことがあった。必死の思いでペダルを漕いで坂道の中程にあった小さな藪(やぶ)に入って隠れた。イノシシはそのまま坂道を走っていった。ふぅー、やれやれ、危なかった。家に戻って夕飯の支度をしていた母にその話をしたら、「猪突猛進って言うけど、ほんまにその通りなんやなぁ」と笑われた。「冗談ちゃうで。こっちは死にそうやったんやから!」と本気で怒ったことをいまも覚えている。
中学高校は6年間毎日、自転車で登下校するのに精いっぱい。大学から東京に出たが、初めは東京の生活に慣れるのに精いっぱい。卒業後、憧れだったジャーナリズムの世界に飛び込んだはいいが、精神的にはいっぱい、いっぱいの連続が多かった。最近でこそだいぶ少なくなったが、取材の最前線から退いてかなり歳月がたった今でも、特オチ(他社が特ダネや重要ニュースを出しているのに、自社だけその記事を取れずに出しそびれて抜かれること)の悪夢でうなされ起きてしまうことがある。
だからこそ、すべてから解き放たれた現在の毎日が形容し難いほどうれしく、幸せなことに、時間が足りない、もったいない、と思うのだ。そして、周りに迷惑をかけない程度に自分本位(自己チュー)でいたいとも思っている。
◆日課のウォーキングは生活の軸
現在の生活は、日課のウォーキングを軸にして組み立てている。ウォーキングを始めたのは、タイから本帰国した2007年。当時住んでいた埼玉県川口市の集合住宅を出発して荒川沿いの遊歩道を歩き始めた。ただし毎日ではなく週に1、2度で、距離は5キロ程度だった。
たまたま取材でインタビューした日本ウォーキング協会の役員からウォーキングの効果とMBT(マサイ・ベアフット・テクノロジー)のウォーキングシューズを紹介してもらったのがきっかけで、歩く頻度も距離も徐々に増えていった。そして、埼玉県東松山市の比企丘陵で毎年行われている日本スリーデーマーチに参加して1日50キロ歩き、ウォーキングにのめり込むようになった。
休日はJR京浜東北線に沿って川口から日暮里経由で、あるいは途中から池袋方向に回ってJR山手線に沿って新宿に出た後、明治神宮や原宿、または神田の古本屋街を抜けて皇居を経て銀座まで歩き、ビアガーデンでクリーミーな泡のおいしいビールを飲んだり、築地ですしをつまんだりした。麻布十番のパン屋までミルクフランスを食べに行ったり、高輪の泉岳寺の裏手にある松島屋の豆大福ほしさに一番乗りしたりしたこともあった。
当時、長距離ウォーキングの最大のモチベーションになったのは、目的地で食べたり飲んだりすることだった。誰にも負けないほどのへき地で育った、食い意地が張ったいやしん坊。だから、歩きに歩いてどれだけカロリーを消費しても、行った先々でそれをはるかに超えて食べたり飲んだりしていたから、体重はまったく減らないどころか、増える時さえあった。
自宅から東京・築地まで何度も歩いていたから、2011年3月11日の東日本大震災の時には「帰宅難民」にならずに済んだ。築地から川口まで迷うことなく、同じ方向に住む同僚を先導する形で歩き慣れた道を戻って来ることができた。北区王子の飛鳥山公園近くで、歩いて帰宅中に道に迷ってしまったらしい2人連れの女性から道を聞かれ、自分の進む道から外れて途中までいっしょに歩いて教えてあげることもできた。
16年に終(つい)のすみかになるであろう、千葉県松戸市の現在の集合住宅に引っ越してきてからも土日は、07年の本帰国以来ずっと利用している川口市内の理髪店に歩いていったり、江戸川沿いに東京湾の河口まで歩いたりしてきた。だから、定年退職前から「やっと毎日、好きなだけ歩けるようになる」と、カレンダーに残りの勤務日数を書き込むほど心待ちにし、「4か国回遊生活」も具体的な計画を練ってきた。
◆江戸川の土手で野生のキジと遭遇
去年(2025年)11月に、3か月間のオーストラリア滞在を終えて帰国して以降、いまのウォーキングコースが定着した。自宅を出発して江戸川沿いの遊歩道に出た後、下流の葛飾大橋と上流の上葛飾橋を渡ると、江戸川を中心に千葉、東京、埼玉の3都県にまたがる競技場の外周のような遊歩道のコースができあがる。周回は上流域から南下するか、下流域から北上するか毎日その日の天気予報で風向きをチェックし、追い風を背に受けて歩くようにしている。
この周回コースは全長約11キロ。途中の葛飾区でコースからいったん外れて都立水元公園の東金町地区にあるスポーツクライミングのナショナルトレーニングセンターの施設の周辺や、「鳥撮り(とりどり)」「鳥カメ(鳥カメラマン)」などと呼ばれる大勢の野鳥観察者が集まる池の近くを通り抜け、再びコースに戻るので毎日歩く距離は計約13キロになる。時間にして3時間前後。土砂降りの時は仕方ないが、少々の雨なら傘をさして歩くし、天気予報を見て雨が予想されれば傘を持って歩きに出ている。
去年9月初めの渡豪前は、日中の酷暑を避けて午前3時過ぎから6時半ごろにかけてこのコースを歩き、日没後に改めて4キロ弱の計約17キロを歩いていた。しかし帰国後、夜明け前はかなり冷え込む晩秋から冬になっていたので温かくなってから歩き始めるようになり、現在のコースと歩き方が定着した。
前述の通り、郷里の実家に住んでいた時は道ばたの草花を愛でたり小鳥の鳴き声に耳をすませたりするようなことはまったくなかったが、毎日通る現在のウォーキングコースにはさまざまな自然がある。
最近は葛飾大橋の松戸側の橋梁下の土手で、草むらから野生のキジ(体長推定約80センチ)が飛び出してきて驚いた。明るい紅色の頭に、金属光沢のある青緑色の羽、長い尾羽には白地に黒色のきめ細かな横縞(よこじま)が入っている。オスで春のこの時期は繁殖期に当たり、真っ赤な顔はさらに赤みを増しているという。メスを呼んでいるのか、「ケーン」という鳴き声はびっくりするほど大きい。Copilotの解説によれば、野生のキジは飼育個体よりも筋肉質で姿勢が良く、羽の光沢も強く見えることが多いらしい。かなりハイレベルな美しさにしばらく立ち止まって見とれてしまった。
水元公園ではホオジロ、モズ、ハクセキレイ、ツグミ、カワセミ、ムクドリ、アオジなどの野鳥が観察できる。さらに園内の中央広場の奥のほうにある雑木林の中のバードサンクチュアリ(野鳥たちのすみか)では、準絶滅危惧(きぐ)種に指定されている、警戒心の強いオオタカが営巣している。
いつものコースの沿道はもちろん、コースから少し外れただけでこうした豊かな自然や野生に触れることができる。歩いていて飽きることがないし、森林浴によって疲れは癒やされ、新たなエネルギーを与えてもらったような満たされた気分になる。
◆昨夏のリベンジを今年は豪シドニーで
気象庁は4月17日、最高気温が40度以上の日の新たな名称を「酷暑日」に決めたと発表した。今年から新たな気象用語として公式に導入される。私が毎日歩いている江戸川沿いのウォーキングコースでは去年、酷暑日はなかったが、35度以上の「猛暑日」は20日前後あった。今年は、4月20日までに、25度以上の「夏日」を観測した日がすでにあり、きょう(21日)は26度の予想だ。夏の到来が早く、気温は平年より高い(猛暑傾向)とみられている。
それにしても、去年の夏の暑さといったら、日中、外に出ると息苦しくなるほど本当に耐え難かった。夜明け前に歩き始め、ラジオ体操が始まる時間に汗だくで帰宅。そのまま水シャワーを浴びて火照(ほて)った体を冷やし、昼間はクーラーの効いた屋内にとどまっているしかなかった。なんとも時間がもったいないと悔しく思ったが、自衛のためにそうするしかなかった。
だから今年は、日本の夏の時期を南半球の冬の豪州で過ごす。去年から決めていたことで、シドニーに滞在していた10月に航空券を予約していた。冬といってもシドニーの冬は東京ほど寒くはなく、最低気温が一ケタ台前半まで下がることはめったにない。一日の寒暖差こそ大きいが、日中は20度以上になる日もあり、短パンTシャツ姿の人だって珍しくない。シドニーで、去年の夏に日本で日中暑くて歩けなかった分を、歩きに歩いて歩き回ってしっかり取り返したいと思っている。自分なりのリベンジである。











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