п»ї 記者を失望させる「政治決着」 記事取り消しの朝日新聞『山田厚史の地球は丸くない』第29回 | ニュース屋台村

記者を失望させる「政治決着」 記事取り消しの朝日新聞
『山田厚史の地球は丸くない』第29回

9月 12日 2014年 経済

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山田厚史(やまだ・あつし)

ジャーナリスト。元朝日新聞編集委員。「ニュース屋台村」編集主幹。

退職したとはいえ、自分の会社が追及される記者会見に臨むのはなんともつらい。昨日(9月11日)、いわゆる「吉田調書」が政府から公開されたのを受け、朝日新聞社の木村伊量(きむら・ただかず)社長が会見し、吉田調書を報じた5月20日付の記事を取り消した。

「命令違反で撤退」という表現が、所長の命令を知りながら現場の作業員が逃げ出したかのような印象を与える「間違った表現」として、東電社員と読者に謝罪したのだ。

全面降伏である。「どこに問題があったのか」という追及に、「思い込みとチェック不足」を挙げた。取材記者が、命令違反と思い込んで、十分な取材をしないまま記事にしたのを周囲がチェックできなかった、というのである。

◆無視できない記事の背後にある「思潮の激突」

この記事は取り消さなければならないような「誤報」だったのか。

吉田所長は、テレビ会議で「第一原発付近の線量の低いところに待避せよ」という命令を出した。テレビ会議の記録は、東電は「保存していない」というが、関係者が書き取ったメモが残っていた。取材班はそれを確認した。ただ、命令が現場に伝わっていなかったことを確認していなかったという。

記事の根拠は「私は2F(福島第二原発)に行けとは言っていなかったんですよね」という吉田調書にある発言だった。所長が発した命令に違反したことを指摘する発言と受け止めた。

今回、朝日の見解は「命令違反というのは、命令を知りながら従わない行為を指すもので、現場に伝わっていなかったのだから、命令違反と書いたのは誤り」というのである。そこでおわびする、というのである。

命令があったのに、部下がそのように動かなかった。結果として「命令違反」という判断が妥当か。命令が伝わっていなかったのだから「違反」とはいえない、ということなのか。

この種の「見解の相違」は行政や企業の現場でもよくあることだ。この問題が「記事の取り消し」や「社長の進退」というおおごとに発展したのは、記事の背後にある「思潮の激突」を無視できない。

◆混乱を極める現場の様子がありあり

朝日新聞は福島の原発事故を重視し、連載「プロメテウスの罠(わな)」など粘り強く原発問題をフォローしている。特別報道部に所属する取材班は、原発事故を取材する専門チーム。都合の悪いことは表に出したがらない東電が隠していることを掘り起こそうと、日夜走り回り、「吉田調書」をつかんだ。

調書には、思いもよらぬ事故で混乱を極める現場の様子がありありと記されていた。原発事故が起こればこんなことになる、指揮・命令系統が混乱し、大多数の作業員が撤退している時に大量の放射性物質が吐き出されたではないか。そんな思いが「命令違反の退避」という踏み込んだ記事になった。

一方、東電はメロメロでも現場はしっかりやっている、吉田所長とフクシマ・フィフティーと呼ばれる現場は称賛に値する、という間接的に東電を支援する勢力が、時とともに力を増してきた。この衝突と重なり合うのが、菅直人首相(当時)と東電経営陣がぶつかった「原発撤退問題」だった。

現場からの撤退を申し入れた東電の清水正孝社長(当時)に菅が激怒して福島の現場に乗り込んだ一件を、「政府の介入」と批判する勢力が、吉田所長を英雄のように描く動きと微妙に重なる。

◆「戦う記者」がいなくなることが心配だ

対立の構図は、従軍慰安婦報道と似ている。あえて言えば、リベラルvs保守、メディアなら朝日vs産経・読売だ。

朝日新聞は、慰安婦報道で過去の記事を誤報と認めて記事を取り消し、池上彰さんのコラムまで掲載拒否するなど迷走している。どこかで経営トップが責任を明らかにすることが迫られていた。

吉田調書の記事で「命令違反」と書いたことは、読む人によって不快な印象を与えるだろうが、誤報と決めつけ取り消すという強い措置は、紙面の背後で展開される「力のぶつかり合い」で朝日が、一歩後退を迫られた結末である。

慰安婦報道で保守論壇に押し込まれ、コラムの掲載拒否で朝日シンパまで失望させた。吉田調書で突っ張ればますます風圧は高まる。平謝りすることで「朝日叩き」をすり抜けようという作戦に見える。

先頭正面で戦う精鋭部隊を置き去りにして、大将は本隊を率いて撤退する、という構図だ。精鋭たちが突っ込みすぎたかもしれない。だが、それを生け贄(にえ)のように差し出して、組織防衛を計るのでは、現場は浮かばれない。

つい1カ月前まで、吉田調書の取材班は「新聞協会賞候補」として推挙されていた。一転して記事は「取り消し」。当事者の処分は免れない。

朝日新聞というメディアは残っても、ジャーナリズムの精神はどうなるのか。「戦う記者」がいなくなることが心配だ。

3 responses so far

  • kodaira より:

    山田様
    ブログ?読まさせていただきました。
    そうでしょうか。リベラルor保守?このそれぞれの言葉もあいまいで好きではありませんが
    そうした対立軸で論じることが正しいのでしょうか?
    私は、正しく報道されているかどうか。そして今回貴殿が論じられたように、事の大小で
    どこまで謝罪するかどうかであると思います。
    特に慰安婦問題について、吉田調書問題に併せて処理しようとしたこと、大変姑息と感じます。
    慰安婦問題こそ正式な謝罪を行なうもの。なぜなら日本人全体を貶め、日韓関係を悪化させた
    事実が現実にあるからです。何故そうしたことを山田さんが論じず、吉田調書で論じられるのか?
    朝日社長と同様の姑息さを感じています。残念!

  • たかつ より:

    >十分な取材をしないまま記事

    朝日新聞社では裏取りをしない記事でも「誤報」で済ますらしい。
    世間ではこういうのを捏造記事、でっちあげ、というんですよ。

    朝日は正しい、って主観が残ってるから阿保な擁護記事になる。
    所詮その程度のジャーナリズムってわけですね。

  • admin より:

     ご意見ありがとうございます。山田さんは、ダイヤモンド社のビジネス情報サイト「ダイヤモンドオンライン」の「山田厚史の世界かわら版」(http://diamond.jp/articles/-/58954)にも、このテーマで書いています。併せてお読みいただければ、と思います。(「ニュース屋台村」編集部)

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