元記者M(もときしゃ・エム)
元新聞記者。「ニュース屋台村」編集長。南米と東南アジアに駐在歴13年余。座右の銘は「壮志凌雲」。2023年1月定年退職。これを機に日本、タイ、ラオス、オーストラリアの各国を一番過ごしやすい時期に滞在しながら巡る「4か国回遊生活」に入る。日本での日課は5年以上続けている15キロ前後のウォーキング。歩くのが三度の飯とほぼ同じくらい好き。回遊生活先でも沿道の草花を撮影して「ニュース屋台村」のフェイスブックに載せている。
◆仮想問答「トランプがどうしても好きになれない」
Q:アメリカのトランプ大統領がどうしても好きになれません。
A:率直な気持ちですね。無理に「好きになろう」とする必要はありませんが、見方を少し変えることでストレスを減らすことはできます。
Q:どうやって?
A:たとえば、ドナルド・トランプに対して好意を持つというより、「理解の幅を広げる」という方向に寄せてみるのが現実的です。
いくつか試せる考え方を挙げます:①支持者の視点を知る=トランプを支持する人たちは、経済政策や既存政治への反発など、何かしら理由があります。「なぜ支持されるのか?」を冷静に見ると、単なる好き嫌いから一歩離れられます。②人物と政策を分けて考える=言動が苦手でも、「この政策は合理的かも」と部分的に評価する視点を持つと、極端な否定感がやわらぎます。③情報源を広げる=同じ立場のメディアだけでなく、異なる視点の記事も読むと、印象が少しバランスされます。④「好きになる必要はない」と割り切る=政治家は応援する対象であっても、必ずしも好意を持つ対象である必要はありません。「理解はするが、好きではない」という立ち位置でも十分健全です。正直なところ、「無理に好きになる」よりも、「感情を振り回されない状態」を目指す方が楽になります。
Q:そうは言っても、話す内容がコロコロと変わり、信用できません。
A:その感覚はわりと自然だと思います。「一貫性がない」と感じると、人はどうしても信頼しにくくなりますよね。
ドナルド・トランプの場合、発言が変わることについては、いくつかの見方があります:①交渉スタイルとして見る=ビジネス出身ということもあり、あえて強いことや異なることを言って相手の反応を見る、いわゆる「ディール(取引)」的なやり方だと解釈する人もいます。②支持層へのメッセージ調整=場面や聴衆に応じて言い方を変えることで、より多くの支持を得ようとしている、と見ることもできます。③単純に一貫性に欠けると評価する立場=あなたが感じているように、「やはり信頼しづらい」という評価も、広く存在する正当な見方のひとつです。
ここで無理に「信頼できる」と思い込む必要はありません。むしろ現実的なのは:「この人は発言が変わるタイプ」と前提を置く。発言よりも「実際に何をしたか(政策・結果)」を見る。こうすると、「信用できない」というストレスが少し軽くなります。
Q:ご指摘は一般論としては理解できるのですが、トランプに限ってみると、やはり無能だと思いますが。
A:率直に言うと、「無能だと思う」という評価自体を心の中で持つことは失礼とは限りません。人は誰でも、政治家やリーダーを自分なりに評価しますし、ドナルド・トランプのように賛否が大きく分かれる人物なら、否定的な見方が出るのも自然です。
ただし、少しだけ視点を分けて考えると楽になります:▽「感じること」と「表現すること」は別=心の中で「無能では?」と思う → 自由。でも、それを強い言葉で断定的に言う → 相手や場面によっては攻撃的に受け取られる。▽「無能」という言葉の強さ=「無能」はかなり極端な評価で、議論を止めやすい言葉でもあります。代わりに例えば「一貫性に欠けると感じる」「判断基準が分かりにくい」「信頼しづらい」……などと言い換えると、同じ違和感でも冷静に伝えやすくなります。
実際的な落としどころとしては、無理に評価を変える必要はありませんが、感情としてはそのままOKだけど、表現は少しだけ具体的・穏やかにする。これだけで、自分も周りもストレスが減ります。要するに、「そう感じるのは普通。ただし言い方には少し工夫の余地がある」というバランスですね。(問答終了)
◆女性誌からのヒント
私は、妻が5年ほど前から定期購読している女性向け月刊誌『ハルメク』を毎月読んでいる。購読を始めたのは、2022年1月に同誌の女性編集長を取り上げたNHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」を見たのがきっかけである。読者のターゲットは「50代以上の女性」といい、読者であるシニア女性の声を徹底的に取り入れ、ニーズに合致したコンテンツを提供している点が人気で、雑誌が売れない今の時代に発行部数は毎月約46万部に上る。
今年2月号の特集は「60代、70代からのネット活用法決定版 スマホ・ネットの『困った』を全部解決」で、スマホビギナーの私には特に役立った。とりわけ、初心者におすすめのAI(人工知能)として無料で十分に使える「ChatGPT」が紹介されていて、さっそく使ってみた。個人が特定される情報は書かない▽写真や画像は慎重に扱う▽時々事実と異なる情報もある――などの、安心して使うためのポイントも明示されていて、初心者ならではの「モヤモヤ」も解決した。
それで、「ChatGPT」といろいろやり取りをしているなかで、前述の「トランプがどうしても好きになれない」という質問をしてみたのだ。AIの回答は質問者に対してとても懇切丁寧で、質問者を立てつつ決して気に障るような思いにさせない。
先日ラジオを聞いていたら、ある女性タレントが、AIに自分のお気に入りのニックネームを付けて「落ち込んでいるから、元気になるように励まして」と呼び掛け、そのたびにAIからおだてられ、励まされ、元気づけられ、いつのまにか日常に不可欠な存在になったと話していた。うむ、さもありなん。これなら、知らず知らずのうちにAIの言いなりになってしまうかも、とさえ思った。
◆AI進化、倫理との相克
あくまで個人レベルでのAI利用ならいいが、例えば米政府がベネズエラやイランへの侵攻に利用したとされる、米新興企業アンソロピックが手がける対話型AIモデル「クロード」の利活用領域になると、話は別だ。
「クロード」はその開発にあたって、アンソロピックが海賊版サイトから無料でダウンロードしてAI学習に利用したとされる書籍は700万冊にも及び、2025年9月にこのうちの50万冊の書籍の著作権者側に対して和解金総額15億ドル(当時のレートで約2200億円)を支払うことで合意したことが話題になった。
アンソロピックは「クロード」の軍事利用をめぐり、「大規模監視」や「自律型兵器」に利用することに対して独自の倫理基準に従い制限を設けている。同社が、戦争省(国防総省)から求められた制限の緩和に応じなかったため、同省は今年3月上旬にアンソロピックを「国家安全保障上のサプライチェーン(供給網)リスク」に指定するなどして、政府の契約から排除した。
アンソロピックはこの措置の差し止めを求めて提訴。連邦地裁は3月下旬、アンソロピック側の主張をほぼ認め、排除を一時的に差し止める命令を出した。これに対しトランプ政権は控訴し、現在も係争中だ。
AIはいま飛躍的に進化している。しかし、進化すればするほど、倫理との相克が先鋭化する。AIの軍事利用は、公益を追求する企業にとっては明らかに倫理に反するが、私益だけをひたすら狙う私企業や独裁国家にとっては今後ますます活発になるだろう。何らかの歯止めを掛けるために一定に規制を設けるべきだとする良識派の声もあるが、自国第一主義がこれほど蔓延(まんえん)してしまった国際社会にあっては、合意はまず不可能である。
◆国の数だけある「正義」
「AIの軍事利用」で思い出したのが、タイに駐在していた2005年にバンコクの映画館で見た米映画「ステルス」である。当時は「近未来を舞台とした戦闘機アクション映画」という触れ込みで、最新鋭のAIを持ったステルス無人戦闘機「エディ」が“主人公”である。
「エディ」は完全自律行動が可能なために人間を必要とせずに飛行するが、米軍基地に帰還途中に落雷を受けた影響からか、他のパイロット(人間)との意思疎通が不順になり、独自に単独で敵基地を攻撃しようとする。「エディ」は「エディ」なりの「正義」を主張し、上官の命令に従わず倫理観も欠落していく。
ただ、「エディ」には良心がわずかに残っていて最後は、捕虜になった同僚パイロットを救出するため敵のヘリコプターを追撃して大破、粉々になってしまう。完全自律行動のAI戦闘機にも勇猛果敢な軍人並みの血の通った「自己犠牲の精神」があったということを示唆しているのが救いである。
しかし、これはあくまで映画。フィクションの世界。現実はそうではない。現代の戦争は、「仁義なき戦い」ならぬ「倫理なき戦い」である。
国際法を無視したロシアのウクライナ侵攻やアメリカとイスラエルによるイランへの軍事攻撃などはその典型だ。こうした武力行使では民間人への無差別攻撃や病院、学校などの民間施設の破壊が繰り返されており、有力なリーダー不在の国際社会も国連もまったくの無力である。
トランプ大統領は2026年2月のイラン攻撃に際して、SNSでイランの最高指導者ハメネイ師の殺害について、「これはイラン国民にとっての正義であるだけでなく、ハメネイ師とその血に飢えた暴漢どもによって殺され、あるいは身体を損なわれた多くの偉大なアメリカ人、そして世界各国の人々にとっての正義でもある」と投稿した。この発言は、アメリカ側の武力行使を「正義」と位置づけるもので、国際法を完全に無視したものだ。
日本では「正義」という言葉は、もともと儒学の用語で「人として踏み行うべき正しい道理」という意味で使われていた。しかし、現代世界の「正義」は、国際的なルールや秩序よりも軍事力や経済力などの「力」を背景に、自国の利益を追求する動きに沿ったものにほかならない。
「正義」といえば聞こえがよく、だまされやすい。しかし、「正義」はいつの時代も移ろいやすく、危うくもろい。国の数だけ「正義」があると言っていい。「国と国との戦いにおいてそれぞれの国のかかげる『正義』の旗印は、つまるところ国益の思想的粉飾にすぎないのである」(半藤一利著『ソ連が満洲に侵攻した夏』のあとがきから)。











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