山田厚史(やまだ・あつし)
ジャーナリスト。元朝日新聞編集委員。「ニュース屋台村」編集主幹。
3・11東京電力福島第一原発事故から12年。原発事故の被災地は今、どうなっているのか。福島県双葉郡の三つの自治体を訪ねた。取材のきっかけは、『原子力村中枢部での体験から10年の葛藤で掴んだ事故原因』(かもがわ出版、2021年8月)という本である。著者の北村俊郎さんは元日本原子力発電の理事・社長室長であり、原発事故被災者でもある。東京電力の原子力担当副社長だった武黒一郎氏や、その後任の武藤栄・元副社長らは一緒に原子力業界を担った仲間である。
北村さんは、双葉郡富岡町に晩年の棲家(すみか)を定めた。穏やかな気候、緑濃い環境が気に入り、退職後は妻と2人で暮らし、3月11日の東日本大震災に遭遇した。7キロ離れた福島第一原発で爆発が起こり、隣の河内村に避難を強いられたが、ここも危なくなり郡山市に逃げ、「原発難民」となった。自宅は帰還困難地域に指定され、戻ることはできない。
「原子力村」の中枢で働きながら、被災者になった北村さんは10年をかけて何が原発事故の原因だったのか考え続けた。その成果がこの本にまとめられている。
今月5日、北村さんを避難先の福島県郡山市に訪ねた。「12年が経ったが、原発被災地は取り残されたままだ」と言う北村さんの言葉に、北村さんが残してきた自宅やその一帯をこの目で見てみたい、と思った。 記事全文>>

オフィス金融経済イニシアティブ代表。前NTTデータ経営研究所取締役会長、元日本銀行理事。日本銀行では、金融政策、金融市場などを担当したのち、2008年から4年間、金融システム、決済の担当理事として、リーマン・ショック、欧州債務危機、東日本大震災への対応に当たる。
特別支援が必要な方の学びの場、みんなの大学校学長、博士(新聞学)。精神科系ポータルサイト「サイキュレ」編集委員。一般財団法人発達支援研究所客員研究員、法定外見晴台学園大学客員教授。
バンコック銀行執行副頭取。1977年東海銀行入行。2003年より現職。米国在住10年。バンコク在住25年。趣味:クラシック歌唱、サックス・フルート演奏。
株式会社ふぇの代表取締役。独自に考案した機械学習法、フェノラーニングのビジネス展開を模索している。元ファイザージャパン・臨床開発部門バイオメトリクス部長、Pfizer Global R&D, Clinical Technologies, Director。ダイセル化学工業株式会社、呉羽化学工業株式会社の研究開発部門で勤務。ロンドン大学St.George’s Hospital Medical SchoolでPh.D取得(薬理学)。東京大学教養学部基礎科学科卒業。中学時代から西洋哲学と現代美術にはまり、テニス部の活動を楽しんだ。冒険的なエッジを好むけれども、居心地の良いニッチの発見もそれなりに得意とする。趣味は農作業。日本科学技術ジャーナリスト会議会員。








